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第二章:『孤高の魔導師と、計算外のぬくもり』
第十三話:嫉妬という名の毒
しおりを挟むエリスに促される(というより、半ば無視される)形で、俺たちはフィオナの工房――彼女がたった一人で築き上げた、混沌の王国へと足を踏み入れた。
外から見た印象を裏切らない、いや、それ以上に圧倒的な物量が、そこには渦巻いていた。壁という壁には、黒いインクで直接、あるいは羊皮紙に走り書きされた術式や設計図が、まるで狂気のタペストリーのようにびっしりと貼り付けられている。床は、分解されたゴーレムの腕や脚、用途不明の歯車やレンズ、そして背表紙が擦り切れるほど読み込まれたであろう古今東西の魔導書が、地層のように幾重にも重なり合っていた。
天井からは、乾燥させた薬草の束や、怪しげな色の液体が満たされたフラスコが、まるで肉屋の吊るし肉のようにぶら下がっている。雑然としているが、汚いわけではない。そこには、一つの巨大な知性が、この世界の常識という重力に抗い、自分だけの法則で宇宙を再構築しようと格闘した、その凄まじいまでのエネルギーの痕跡が、濃密な魔力の匂いと共に満ち満ちていた。
窓から差し込む夕暮れの光が、空気中を常に舞っている魔法の粒子――マナダストを照らし出し、無数の小さな光点が、まるで工房全体に広がる銀河のように、静かに、そして美しくきらめいていた。
ここは、ガラクタの山などではない。
孤独な天才が、世界から身を守るために作り上げた、最後の聖域(サンクチュアリ)だった。
エリスは、その聖域の主の許可を得ることもなく、まるで自分の研究室を歩くかのように、淀みない足取りでガラクタの海を進んでいく。フィオナは、呆気に取られたように「ちょ、ちょっと、勝手に見ないでよ!」と声を上げるが、エリスは全く意に介さない。
「これ。自律思考型の魔力安定装置ですね。さきほども指摘しましたが、理論上はありえない術式の組み合わせで動いている」
「そ、それは……」
「そして、これ。魔力圧縮の術式。試算したところ、エネルギー効率が98.7%。現行の協会の標準術式の3倍以上の数値です。なぜ学会に発表しなかったのですか?この術式一つで、ソラリスのエネルギー問題は根本から解決される。あなたの名は、歴史に刻まれたはずです」
エリスの、一切の感情を排した、純粋な技術者としての問い。それは、フィオナがこれまで受けてきた、嫉妬や畏怖、あるいは利用価値を探る打算的な視線とは、全く異質のものだった。
最初は警戒と敵意をむき出しにしていたフィオナも、エリスのあまりに的確すぎる指摘と、その瞳に宿る純粋な探究心に、つい技術者としての血が騒いでしまうらしい。
「……当たり前でしょ。常識通りにマナを一方向から圧縮したって、すぐに飽和して暴走するだけ。マナの渦流(ヴォーテックス)を、逆位相の斥力場で多重反転させれば、エネルギーリークをゼロに近づけつつ、コア内部で安定した縮退状態を作り出せるのよ。こんなの、基本の『き』じゃない」
「逆位相の斥力場……。なるほど。マクスウェルの魔力循環定理に、虚数空間の概念を導入したと。しかし、その場合、斥力場同士の干渉によって時空の歪みが生じる危険性が……」
「それも計算済みよ!だから、第三軸にニュートラル属性の魔力を流して、緩衝材(バッファ)にしてるの!見てわからない!?」
二人の会話は、いつしか俺とカインにとっては、異世界で話されている未知の言語――あるいは、極めて難解で攻撃的な呪文の応酬にしか聞こえなくなっていた。
俺は、隣で同じように目を白黒させているカインの脇腹を肘でつっついた。
「なあカイン、今の呪文か?なんか頭がクラクラしてきたぞ」
「俺に聞くな……。騎士学校の戦術理論の講義より、百倍は難解だ。というか、頭痛がしてきた……」
俺たちが完全に置いてきぼりを食らっている間にも、二人の技術者(エンジニア)の魂は、言語の壁を越えて共鳴し始めているようだった。
しばらく続いた呪文の応酬の後、ふと、フィオナの口から興奮が消えた。エリスとの対話で、張り詰めていた心の弦が少しだけ緩んだのかもしれない。彼女は、工房の隅にある、唯一まともな椅子にどかりと腰を下ろすと、ポツリ、ポツリと、まるで自分自身に言い聞かせるように、過去を語り始めた。
「……別に、隠してたわけじゃないのよ。最初は、みんなに見せたかった。私の発見を、すごいって、言ってほしかっただけ」
その声は、先程までの棘のある響きが嘘のように、か細く、そして寂しげだった。
彼女の苦しみは、物心ついた時から始まっていた。
彼女には、世界が他の人とは、少しだけ違って見えていた。他の子供たちが絵本を読むように、彼女は術式を読んだ。他の子供たちが積み木で遊ぶように、彼女は魔力の流れを組み替えて遊んだ。魔法は、彼女にとって難解な学問ではなく、ただの美しい数式と、どこまでも広がる幾何学模様のパズルに過ぎなかった。
教科書に載っている術式は、ひどく非効率で、無駄な手順ばかりに見えた。だから、彼女は遊び感覚で、もっとシンプルで、もっと強力な術式を次々と「発見」してしまった。
「でも、それがダメだったのよ。全部」
彼女の才能は、常に周囲との軋轢を生んだ。
教師たちは、彼女の発見を褒めなかった。それは、長年教えてきた自分たちの権威を、まだ十歳にもならない小娘に根底から覆されることに他ならなかったからだ。「生意気だ」「基礎がなっていない」と、彼らはフィオナを抑圧し、既存の枠の中に押し込めようとした。
同級生たちは、彼女を仲間に入れなかった。どれだけ努力しても、決して敵わない圧倒的な天才の存在は、彼らの劣等感を無慈悲に刺激した。「あいつはずるい」「可愛げがない」という陰口と嫉妬が、彼女を一人、また一人と孤立させていった。
「私は、ただ……ただ、すごいねって、その一言が欲しかっただけなの。友達と、一緒に魔法の話がしたかっただけ。でも、私が頑張れば頑張るほど、みんな、遠くへ行っちゃう。私が何かを発見すればするほど、みんな、私のことを見る目が冷たくなっていくのよ」
彼女の瞳が、夕暮れの光を反射して、悲しく揺らめいた。
彼女の苦しみは、その類稀なる才能自体から生まれたのではなかった。苦しみを生んだのは、彼女自身の内なる「承認されたい」という尽きることのない渇望(かわき)と、彼女を取り巻く、凡人たちの嫉妬という名の毒だった。
決定打となったのは、彼女が十五歳の時に発表した、一つの理論だった。
「エーテル揺らぎ理論」。
それは、この世界の魔力の根源であるエーテルが、実は特殊な才能を持つ者だけがアクセスできる聖域などではなく、特定の法則性を理解し、正しい技術を用いれば、誰にでも、ある程度は利用できる普遍的なエネルギーである可能性を示唆するものだった。それは、魔法を一部の特権階級の「奇跡」から、万人に開かれた「科学」へと変える、革命的な理論だった。
だが、その革命を、旧体制の人間たちが許すはずもなかった。
「権威の失墜を恐れた協会のジジイどもは、私の理論を『世界を混乱させる危険思想だ』って断罪したわ。『異端者』の烙印を押されて、私はソラリスから追放された。……まあ、ちょうど良かったのかもしれない。もう、誰の顔色も窺わなくていいし、誰かに嫉妬されることもない。このガラクタの山の中だけが、私の王国なんだから」
フィオナは、吐き捨てるように言った。その瞳には、深い諦めと、世界全体への消えない憎しみが、暗い炎のように宿っていた。
「私の才能が、私から友達も、居場所も、未来も、全部奪ったのよ」
その、あまりに壮絶な告白。
カインは、才能ゆえに妬まれ、孤立するという彼女の境遇に、国を追われたかつての自分の姿を重ねているのか、固く唇を結び、押し黙っている。
俺は、話の半分も理解できなかったが、とにかく、彼女がずっと一人で、めちゃくちゃ寂しい思いをしてきたことだけは、痛いほど伝わってきた。どう声をかければいいのか、全く見当もつかない。
その重い沈黙を切り裂いたのは、やはりエリスだった。
彼女は、フィオナの告白を聞き終えても、同情も、慰めも、一切見せなかった。ただ、静かに、まるで不可解な実験結果を報告する科学者のように、分析結果を告げた。
「理解不能です」
その第一声に、フィオナの肩がぴくりと震える。
エリスは続けた。
「あなたの才能は、このソラリスという社会、ひいては大陸全体の技術水準を飛躍的に向上させる、極めて有益なリソースです。しかし、魔法協会というサブシステムは、そのリソースを取り込み、システム全体の利益を向上させるという合理的な選択をせず、逆にそれを排除した。その行動原理は、自己の権威という、極めて曖昧で非生産的な内部パラメータの維持を最優先した結果と推測されます」
エリスは、ゆっくりとフィオナに向き直った。その宝石のような瞳は、真っ直ぐに彼女の心を見据えている。
「結論として、魔法協会は、変化に適応できず、自己の進化の可能性を放棄した、欠陥のある硬直化したシステムです。より簡潔に表現するならば――」
エリスは、わずかな間を置いて、最も的確な言葉を選び出した。
「――愚かとしか、言いようがありません」
その言葉に、フィオナは絶句した。
ずっと、彼女は自分を責め続けてきたのだ。
私が、生意気だから。
私が、可愛げがないから。
私が、普通じゃないから。
拒絶された原因の全てを、自分個人の問題として、その小さな背中に一人で背負い続けてきた。
しかし、エリスは、こともなげに断言した。
問題は、あなたではない。
問題は、あなたの才能を正しく評価できず、変化を恐れ、自己保身に走った、あの愚かな「システム」の方にある、と。
それは、長年彼女を縛り付けてきた、自己否定という名の呪いを解く、最も強力な解呪の呪文だった。
フィオ-ナの大きな瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、煤で汚れた頬を伝い、銀色の軌跡を描く。
悲しみの涙ではなかった。
生まれて初めて、自分の存在そのものを、ただ、ありのままに肯定されたことへの、深い、深い安堵の涙だった。
俺は、話の途中でカインの硬い鎧にもたれて、いつの間にかうつらうつらしていた。だが、フィオ-ナが泣き出したその気配に、パッと目を覚ました。
「ん?どうした、フィオナ!泣いてるのか!?」
そして、俺は自分の経験則に基づいた、最大限の思いやりを込めた言葉を放った。
「腹減ってると、悲しくなるよな!よし、やっぱり、俺のサンドイッチ食おうぜ!」
その、全くもって見当違いで、しかし、今のこの場においては、世界で一番優しいかもしれない一言に、カインは静かに天を仰ぎ、エリスは小さく首を傾げた。そして、泣きじゃくるフィオ-ナの口元に、ほんのわずかだけ、困ったような、でも、温かい笑みが浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
孤独な魔女の王国に、まだ問題は何一つ解決していないにもかかわらず、奇妙で、不格好で、だけど確かに温かい光が差し込んだ、そんな瞬間だった。
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