空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

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第二章:『孤高の魔導師と、計算外のぬくもり』

第十四話:取引と、ゆで卵の哲学

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フィオナの工房での騒動から一夜が明けた。俺たちは、この街の謎を解く鍵を握るであろう彼女の案内で、ソラリスを一望できる小高い丘の上に立っていた。
朝の光は、昨日までとは全く違う顔をしていた。ソラリスの上空を覆う巨大な魔法陣は、常に一定の光量を保つため、この街には本当の意味での「朝焼け」も「夕焼け」もない。ただ、世界の輝度がスイッチのように切り替わるだけだ。その人工的な光の下で見るソラリスの街並みは、昨日よりも一層、その無機質さを際立たせていた。
白い建物は、まるで磨き上げられた動物の骨のように、生命の温かみを欠いたまま整然と並んでいる。人々は、決められた時間に家を出て、決められた道を、決められた速度で歩いていく。その姿は、巨大な精密時計の内部で、それぞれの役割を寸分の狂いもなくこなす歯車そのものだった。
「……やっぱり、気味が悪いわね」
フィオナが、吐き捨てるように言った。しかし、その瞳は、ただ街を眺めているのではなかった。彼女の持つ、常人にはない特殊な魔力感知の視界が、この完璧な風景の裏に隠された、おぞましい真実を捉えていた。
彼女の説明によると、街の至る所から、目には見えない黒い澱(よど)のようなものが、陽炎のようにゆらゆらと立ち上っているのだという。それは、この街の住人たちが心の奥底に抑圧し、捨て去った不満、ストレス、悲しみ、怒りといった、行き場のない負の感情のエネルギーだった。その黒い澱は、ゆっくりと大気に溶け、やがて空に浮かぶ巨大な魔力制御システムへと、川が海に注ぐように吸い込まれていく。
ソラリスの完璧な秩序と清潔さは、住人たちの心のゴミを、この巨大なシステムが絶えず吸い上げ続けることで、かろうじて維持されていたのだ。
「心の、ゴミ処理場……か」
カインが、苦々しく呟いた。その言葉は、この美しい都市の醜い本質を、的確に言い表していた。

丘の上からでも、街の中央広場で暴れるゴーレムの姿ははっきりと見えた。その動きは、昨日よりもいくらか鈍っているようだが、相変わらず破壊活動を続けている。魔法協会の魔導師たちも、疲れが見え始めていた。
フィオナは、そのゴーレムの姿を、ゴーグル越しにじっと観察していた。そのレンズは、魔力の流れを色と形で視覚化する、彼女の自作品だ。やがて、彼女は確信に満ちた声で断言した。
「やっぱり。あれは暴走じゃないわ。むしろ、必死に助けを求めてるのよ」
その言葉に、俺とカインは顔を見合わせる。
「助けを、求めてる?」
「ええ」と、フィオナは頷いた。「さっき見せた、あの黒い澱。街の魔力制御システムは、あれを『ノイズ』として吸収して、大気圏外に放出する浄化機能を持ってるの。でも、長年の運用で、その浄化フィルターがもう限界を超えてるのよ。システムは、処理しきれなくなった汚染魔力――人間の心の毒を、どこかに排出しなきゃならない。そのゴミ捨て場に選ばれたのが、あの清掃用ゴーレムみたいな、末端のオートマタなの」
彼女の解説は、衝撃的なものだった。ゴーレムの暴走は、機械の故障などではなかった。それは、人間の心のゴミを一身に浴びせられ続けた制御核(コア)が、その汚染に耐えきれず、システム全体にSOSを発信している、悲痛な叫び声だったのだ。
「人間が、自分たちの心の平穏のために捨てたゴミを、声も上げられない機械に押し付けてるだけ。……最低よ」
フィオナの言葉には、同じ「異端」としてシステムから弾き出された者への、深い共感がこもっていた。

その真相を知った俺は、いてもたってもいられなくなった。
「じゃあ、助けてやろうぜ!あいつ、可哀想じゃんか!」
俺が息巻くと、フィオナは、そんな俺の純粋さを嘲笑うかのように、冷たく言い放った。
「私に、何の得があるの?」
その瞳は、昨日までの警戒心とは違う、もっと冷え切った、諦めのような色をしていた。
「私を追放した魔法協会と、私を『ゴミ山の魔女』と呼んで石を投げた市民のために、なんで私が危険を冒してまで、骨を折ってやらなきゃいけないわけ?」
彼女の心は、まだ過去の傷に固く縛り付けられていた。追放された日の記憶。向けられた侮蔑の視線。才能への嫉妬が生んだ、底意地の悪い噂。それらが、彼女の優しさを分厚い氷の壁で覆ってしまっている。
カインが、諭すように口を開いた。
「しかし、フィオナ殿。このまま放置すれば、街に大きな被害が出る。罪のない人々も巻き込まれることになるぞ」
「知ったことじゃないわ。自業自得よ。自分たちの心のゴミで自分たちが滅びるなら、それこそ完璧な因果応報じゃない」
その正論さえも、フィオナの心の壁の前では、虚しく滑り落ちていく。エリスでさえ、「彼女の行動原理は、過去の経験に基づく自己防衛を最優先事項としており、現時点での説得は非論理的です」と、さじを投げている。
誰もが説得を諦め、重い沈黙が丘の上に漂った。
その、絶対零度の空気をぶち壊したのは、やはり俺だった。

「よし、わかった!取引しよう!」
俺は、最高の笑顔でフィオのを真正面から指差した。そのあまりに場違いな明るさに、フィオナもカインも、一瞬、ぽかんとしている。
俺は、自信満々に、最高の切り札を提示した。
「お前があのゴーレムを助けてくれたら、俺が!この俺が!『人生で一番うまいゆで卵の作り方』を、特別に教えてやる!」
しん、と世界が静まり返った。
風の音も、遠くで聞こえるゴーレムの破壊音も、全てが止まったかのような、完璧な静寂。
最初に我に返ったのはカインだった。彼は、俺の肩を掴むと、本気で心配するような声で言った。
「レン、貴様、昨日の戦闘で頭でも打ったのか?今すぐゼフ殿に診てもらった方がいい」
エリスも、その宝石のような瞳を瞬きさせながら、冷静に分析結果を告げる。
「提案の棄却を推奨します。フィオナの持つ超高度な魔術的技能と、『ゆで卵の調理法』という情報。この二つの価値には、致命的なまでの不均衡が観測されます。取引として、論理的に完全に破綻しています」
フィオナは、もはや怒る気力さえ失ったのか、呆れ果てて、力の抜けた声で呟いた。
「……はぁ?ゆで卵?あんた、本気で、心の底から、正気で言ってるの?私の、この誰にも真似できない魔術の対価が、ただの、ゆで卵一つだと?」

俺は、そんな三人の冷ややかな反応にも全くめげず、力強く胸を張って答えた。
「ただのゆで卵じゃねえぞ!俺が編み出した、究極のゆで卵だ!」
俺は、まるで失われた古代魔法の詠唱でもするかのように、その調理法を熱弁し始めた。
「いいか、よく聞けよ!まず、新鮮な卵をだな、冷蔵庫から出して、きっかり一時間、常温に戻しておくんだ!これが、殻を綺麗に剥くための最初の秘訣だ!」
フィオהナは眉をひそめているが、俺は構わず続ける。
「次に、鍋に湯を沸かす!ぐらぐらと、完全に沸騰させるんだ!そこに、お玉かなんか使って、卵をそーっと入れる!そしてここからが最重要だ!タイマーをセットして、きっかり、6分30秒!」
俺は指を六本と、半分だけ立てて見せた。
「そしたら、すぐに氷水にぶち込んで、完全に冷やす!そうするとな、白身は極上のプリンみたいにぷるっぷるで、黄身は夕焼けみたいにとろっとろの、完璧な半熟状態になるんだ!どうだ、すごいだろ!」
「……まあ、理論的には、正しい調理法、ね」
フィオナが、少しだけ興味を示したような顔をする。俺は畳み掛けた。
「そして、一番大事なのが味付けだ!食卓塩じゃダメだ!ピンク色の、粒の粗い岩塩がいい!それを、ほんの少しだけかける!塩のミネラルが、卵が本来持ってる、優しい甘みを、極限まで引き出すんだ!」
そして、俺は最高の笑顔で、この取引の、そして俺の人生の「哲学」の核心を告げた。
「でもな、フィオナ。どんな完璧な調理法も、どんな高級な塩も、敵わねぇ、たった一つの秘訣があるんだ」
「……なによ、それ」
「それはな、『腹ペコの時に、大好きな奴らと一緒に、外の空の下で食うこと』だ!これがなきゃ、どんな高級料理も、どんなすげぇ魔法も、結局は味気ねぇガラクタなんだぜ!」

その、あまりにも馬鹿馬鹿しく、あまりにも単純で、しかし、どこまでも純粋で、本質的な「幸福」の定義。
その言葉が、フィオナの心の奥底に、凍りついていた何かに、カツン、と音を立てて当たった。
彼女がずっと求めてきたもの。協会の承認でも、誰かを見返すための名誉でもない。ただ、誰かと一緒に笑って、美味しいものを「美味しいね」って言い合える、そんな当たり前で、温かい時間。
俺の言葉は、彼女が心の最も深い場所に置き忘れてきてしまった、その宝物の在り処を、真正面から指し示していた。
フィオナの唇が、ぷるぷると震え始めた。
そして、次の瞬間。
「ぷっ」
小さな音が漏れたかと思うと、彼女はこらえきれずに吹き出した。やがて、その笑いは大きな声になり、ついには腹を抱えて、その場に蹲って笑い転げ始めた。
「あはははは!ゆ、ゆで卵ですって!?あははははは!馬鹿じゃないの、あんた!最高に、イカれてるわよ!」
それは、彼女が何年も、何十年も前に、どこかに置き忘れてきてしまった、心からの「笑い」だった。涙を流しながら、彼女はしばらく笑い続けた。
やがて、笑い疲れたのか、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、俺を睨みつけた。その瞳には、もう昨日までの冷たい氷は溶け落ちて、悪戯っぽい、子供のような光が宿っていた。
「……いいわよ。その馬鹿げた取引、乗ってあげる」
彼女は立ち上がると、ローブの汚れをパンパンと払い、不敵な笑みを浮かべて言った。
「ただし!もし、そのゆで卵が、私の期待を少しでも下回るような、まずい代物だったら、あんたを実験台にして、新しく開発中のカエル変身薬を試してやるから!一週間、私の工房の蝿を全部食べさせるから、そう思いなさい!」

彼女は、初めて自分の才能を、誰かを救うという目的のために、そして何より、最高のゆで卵を食べるという、自分自身の楽しみのために、使うことを決意したのだ。
俺たちの新しい仲間は、やっぱり、最高に面白い奴だった。
俺たちは、広場へと向かう。これから始まるのは、一人の天才魔導師による、街の危機を救うための、壮絶な救出劇。
しかし、その根底に流れているのは、「最高のゆで卵」という、温かく、そして最高にくだらない、世界で一番平和な約束なのだった。
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