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第二章:『孤高の魔導師と、計算外のぬくもり』
第十五話:三つの歯車
しおりを挟むソラリスの中央広場は、混沌の坩堝と化していた。
暴走した巨大ゴーレムが振り回す岩の腕は、完璧な秩序で並んでいた白亜の建物を容赦なく粉砕し、美しい石畳は無残に抉られ、土煙が濛々と立ち上っている。広場の周囲では、魔法協会のエリート魔導師たちが、色とりどりの、しかし全く効果のない魔法を、教科書通りに乱射していた。その光は、まるでパニックに陥った蛍の群れのように、無秩序に明滅しては虚しく消えていく。
そして、その光景を遠巻きに眺める市民たちの瞳には、恐怖も、驚きも、好奇心さえも浮かんでいなかった。ただ、プログラムにないエラーを観察するかのような、空っぽの無感動な視線が、戦場に突き刺さる。
その、あらゆる生命の熱が失われた混沌の中心に向かって、四つの影が、まるで嵐の目の中を進むかのように、静かに歩みを進めていた。
先頭に立つのは、巨大な壁のように揺るぎないレン。その半歩後ろには、抜き身の刃のように全身の神経を研ぎ澄ませたカイン。後方には、この戦場の全てを神の視点で観測するエリス。
そして、三人に守られるように中央に立つ、小さな魔導師フィオナ。
彼女の瞳には、もう昨日までの迷いも、世界への憎しみもなかった。あるのは、これから始まる、自分たちの最初の「共演」に向けての高揚感と、初めて他者に全てを委ねるという、心地よい緊張感だけ。その小さな背中は、この広場にいる誰よりも、大きく見えた。
広場の片隅、崩れた噴水の陰で、最後の作戦会議が開かれた。それは会議というには、あまりにも簡潔で、あまりにも静かなものだった。
フィオナが、深く息を吸い込み、告げる。その声は冷静だったが、指先が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。
「ゴーレムの制御核に直接干渉して、汚染された魔力を浄化するしかないわ。でも、そのためには、最低でも三分間、完全に無防備になる詠唱が必要よ」
そこまで一気に言うと、彼女は唇を噛んだ。そして、絞り出すように、彼女がこれまで決して口にしなかったであろう言葉を、吐き出した。
「……私一人じゃ、無理」
それは、孤独な天才が、自分の限界を認め、他者に助けを求める、生まれて初めての言葉だった。
その言葉が終わるか、終わらないかの、刹那。
「防御なら任せとけ!」
レンが、ニカッと笑って言った。その声には、一片の疑いも、躊躇もない。
「俺、死ぬほど硬いから!あいつの前に仁王立ちして、全部受け止めてやる!」
「お前は詠唱に集中しろ」
カインが、剣の柄を握り直し、静かに告げた。その瞳は、フィオナではなく、ゴーレムの動きだけを捉えている。
「側面からの攻撃や、衝撃で飛んでくる瓦礫は、俺が全て叩き落とす。お前の指一本、掠らせるものか」
「私は後方の時計塔の上から、戦場全体のデータを観測します」
エリスの声が、魔法の通信を通じて、俺たちの脳内に直接響き渡った。その声は、いつも通り、体温を感じさせない。
「ゴーレムの攻撃パターン、エネルギーの集中箇所を予測し、リアルタイムであなたたちに伝達します。誤差は0.03%以内」
壁と、剣と、目。
フィオナのたった一言の弱音に、三つの歯車が、まるで何百年も前からそう決められていたかのように、瞬時に、完璧に、噛み合った。
フィオナは、そのあまりに即座で、あまりに当然のような反応に、息を呑んだ。
「……どうして?私のこと、信用してるの?昨日会ったばかりの、異端者の魔女よ?」
その問いに答えたのは、カインだった。彼は、一度もフィオナの方を振り向かずに、ぶっきらぼうに、しかし、その声には確かな信頼を乗せて言った。
「お前を信用しているわけじゃない。だがな、この底抜けの馬鹿(レン)と、あの冷血な機械人形(エリス)が、お前を信用すると判断した。なら、俺も、その判断に賭けるだけだ」
その不器用な言葉は、フィオナがこれまで渇望してやまなかった、どんな賞賛の言葉よりも、温かく、そして強く、彼女の心に響いた。
彼女は、自分が「個」としてではなく、この奇妙で、不格好で、しかし確かに機能している集団の「一員」として、その機能の一部として、信頼されていることを、初めて実感した。
彼女は、覚悟を決めた。
「……わかった。見せてあげるわ。私の、最高の魔法を!」
作戦は、開始された。
レンが、宣言通り、ゴーレムの真正面に仁王立ちになる。その小さな体は、暴れ狂う石の巨人の前では、まるで風の前の灯火のように頼りなく見えた。
「グオオオオオオッ!」
ゴーレムが、家ほどもある岩の拳を、天高く振り上げる。広場にいた誰もが、次の瞬間にはあの無謀な少年が肉片となって飛び散るだろうと、固唾を呑んだ。
轟音。
拳は、寸分の狂いもなく、レンの頭上で炸裂した。衝撃波が広がり、周囲の建物の窓ガラスが一斉に砕け散る。
しかし、レンは、そこに立っていた。
一歩も、動かずに。
「うおっ!今の、ちょっと頭に響いたぞ!鐘の中にいるみたいだ!」
彼は、頭をぶんぶんと振りながら、ケラケラと笑っている。ゴーレムの拳の方が、逆にひび割れ、砕けた石片がパラパラと落ちていた。
絶対的な「壁」が、そこに誕生した。
ゴーレムは、正面からの攻撃が効かないと悟ったのか、作戦を変更する。その巨大な腕で、近くの建物の壁を薙ぎ払い、その破片を、無数の砲弾のようにフィオナめがけて撒き散らした。
しかし、その無数の死の礫が、フィオナに届くことはなかった。
閃光。
フィオナの影のように寄り添っていたカインの剣が、常人には捉えられない速度で、空間を切り裂く。飛来する瓦礫は、大小問わず、彼が描く銀色の軌跡に触れた瞬間、綺麗に真っ二つに切り裂かれ、あるいは的確に弾かれ、フィオナの左右へと逸れていく。その動きは、もはや戦闘ではなく、死の嵐の中で舞う、荘厳な剣舞だった。
揺るぎない「剣」が、壁の死角を、完璧にカバーしていた。
『7秒後、右腕による叩きつけ。エネルギー集中箇所、レンの左肩上方3メートル。衝撃波の範囲は半径15メートル。カインは3歩後退を推奨』
時計塔の頂上から、戦場の全てを見渡すエリスの冷静な声が、俺たちの脳内に直接響く。彼女の「目」によって、ゴーレムの全ての動きは、ただの予測可能なデータへと変換されていた。戦場の混沌は、完全に支配されていた。
そして、三つの歯車に守られた中心で、フィオナは、静かに瞳を閉じていた。
最初は、怖かった。不安だった。しかし、背後で自分のために戦う仲間たちの気配を、肌で感じていた。レンの揺るぎない存在感。カインの研ぎ澄まされた剣気。エリスの絶対的な信頼性。それらが、津波のように押し寄せる恐怖を、穏やかな凪へと変えていく。
彼女の心は、不思議なほど静かだった。
彼女は、詠唱を始める。
それは、誰かに認められるための、難しい術式の羅列ではなかった。
自分を誇示するための、派手な呪文の絶叫ではなかった。
ただ、静かな、しかし、心の底から湧き上がる、純粋な祈り。
目の前で、人間の心の毒に苦しみ、悲鳴を上げている、哀れなゴーレムへの、共感。
自分を信じ、命を懸けて守ってくれる、不器用で、わけのわからない仲間たちへの、感謝。
その二つの温かい感情が、彼女の体内で渦巻く魔力と混じり合い、かつてないほどの輝きと、そして慈しみに満ちた、新しい質のエネルギーへと昇華していく。
フィオナの周りに、最初は蛍のように小さかった魔力の光が、一つ、また一つと生まれ始めた。やがてその光は無数に増え、互いに繋がり、彼女を中心に、広場全体を照らし出すほどの、巨大な光のドームを形成していく。
その光景は、あまりにも荘厳で、あまりにも美しかった。
協会の魔導師たちは、魔法を放つのを忘れ、ただ呆然と天を仰いだ。
無感動な傍観者だった市民たちの空っぽの瞳に、初めて、揺らぎのようなものが映った。
彼らが見ているのは、もはや一人の異端者の魔女ではなかった。
絶対的な壁。流麗な剣。神の視点。そして、奇跡の魔法。
四つの全く異なる個性が、一つの目的のために完璧に噛み合い、機能する、一つの美しい「生命体」の姿だった。
個々の能力の足し算では、決して到達できない、未知の力が、今まさに生まれようとしていた。
その奇跡の中心で、フィオ-ナは、静かに微笑んでいた。
物語は、彼女の浄化の魔法が、七色の光となって解き放たれる、その直前で、幕を閉じる。
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