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第二章:『孤高の魔導師と、計算外のぬくもり』
第十九話:ただ、そこにいること
しおりを挟む光が、去った。
世界を純白に染め上げていた絶対的な光が、まるで存在しなかったかのように、ふっと消えた。
その直後、音が、暴力的なまでの質量を持って世界に帰還した。
ゴオオオオオオオオオオオッッ!!!
遅れてやってきた衝撃波が、神の拳のように街の建物を薙ぎ払い、ビリビリと空気を震わせた。それはもはや音というよりは、全身の骨を内側から揺さぶる純粋な振動だった。エリスに庇われた市民たちが、あるいは自力で建物の陰に隠れた者たちが、耳を塞ぎ、目を固く閉じて、世界の終わりが過ぎ去るのをただ耐えていた。
どれほどの時間が経ったのか。
永遠のようにも、ほんの一瞬のようにも感じられた振動が止み、人々がおそるおそる顔を上げた時、そこに広がっていたのは、奇妙なほどに静かで、そしてどこか幻想的な光景だった。
爆心地となった中央広場には、巨大な、そして滑らかなクレーターが穿たれていた。暴走したゴーレムも、それを止めようとした魔法協会の中途半端な残骸も、何もかもが消滅し、溶けた石畳が高熱で再結晶化し、黒曜石のように鈍く、黒く輝いている。
もうもうと立ち上っていた粉塵が、行き場を失った魂のように、ゆっくりと、本当にゆっくりと広場に舞い降りてくる。まるで、深い雪が音もなく降り積もる夜のように。それは、暴力と破壊の後の、ありえないほど静かで、どこか神聖ささえ感じさせる光景だった。降り注ぐ灰色の雪は、世界の輪郭を曖昧にし、全ての罪と過ちを、等しく覆い隠していくかのようだった。
やがて、その灰色のカーテンが、風もないのに、ゆっくりと、内側から晴れていく。
そして、クレーターの中心に、そこにいるはずのない、いること自体が世界の法則を根底から愚弄する、信じがたい光景が姿を現した。
そこに、一人の男が立っていた。
レンが、まるで何事もなかったかのように、ただ、そこに仁王立ちしていた。
彼が着ていた丈夫な旅装束は、衝撃波でズタズタに引き裂かれ、もはやボロ布と化している。しかし、その下に現れた彼の身体には、火傷一つ、擦り傷一つ、ついていなかった。その肌は、生まれたての赤子のように滑らかで、その佇まいは、まるでこれからピクニックにでも出かけるかのように、あまりにも自然だった。
そして、その両腕の中には。
気を失ってはいるが、同じくどこにも傷一つないカインと、煤で汚れた顔で、穏やかな寝息さえ立てているフィオナが、まるで大きなぬいぐるのように抱えられていた。
彼は、たった一人で。
その生身の身体一つで。
魔法都市ソラリスそのものを地図から消し去るほどの、絶対的なエネルギーの奔流を、正面から受け止め、そして、完全に無効化したのだった。
物理法則も、魔力理論も、この宇宙を支配するはずのありとあらゆる法則が、この男一人の前では、まるで意味をなさなかった。彼は、この世界のOSに介入し、自らの存在に関する部分のソースコードを「ダメージ = 0」と書き換えてしまったかのような、究極の「バグ」だった。
レンは、腕の中で眠る二人をゆっくりとクレーターの縁に降ろすと、ボロボロになった服を鬱陶しそうに脱ぎ捨て、上半身裸のまま、ガシガシと頭を掻いた。
「うーむ。さすがに今の爆発は、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、腹の奥に響いたな」
その、あまりにも呑気な独り言は、まだ呆然と立ち尽くす人々の耳には届かなかった。
やがて、カインが呻き声を上げて目を覚ました。彼は、目の前の信じがたい光景と、傷一つない自分の身体、そして、なぜか上半身裸で腕立て伏せを始めているレンの姿を交互に見比べ、全ての理解を放棄したかのように、深く、長いため息をついた。
「……もう、何が起きても驚かんぞ、俺は」
その声は、疲労困憊ではあったが、どこか吹っ切れたような響きを帯びていた。
次に、フィオナが目を覚ました。
彼女は、自分がまだ生きていることに気づき、次に仲間たちが無事であることに気づき、そして、目の前に広がる、自分の想像を遥かに超えた破壊の爪痕に気づいた。全てを理解した彼女は、震える声で、クレーターの中心で腕立て伏せを終え、満足げに汗を拭っている男に、問いかけた。
その声は、彼女の魂の最も深い場所から絞り出された、悲痛な響きをしていた。
「……どうして?」
レンは、彼女の問いの意味が分からないというように、きょとんとして振り返る。
「どうして、私を助けたの?」
フィオナの声が、震え、裏返る。彼女の瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。しかし、それは安堵の涙ではなかった。混乱と、罪悪感と、そして、生まれて初めて向けられた、理解不能なまでの優しさに対する、戸惑いの涙だった。
「私は……!あんたたちに、ひどいことばっかり言った……!何の役にも立たないどころか、結局、私のせいで、こんなことになった……!」
そうだ。自分の才能が、またしても全てを破壊した。自分さえいなければ、この街は、この仲間たちは、こんな目に遭わなかった。自分は、生まれてきてはいけない、呪われた存在なのだ。
「何の価値もない……!私なんて、ただの厄介者なのに……ッ!」
彼女は、自分という存在を、心の底から呪っていた。生まれてからずっと、そうだった。自分の価値は「才能」という、たった一つの物差しでしか測られたことがない。すごい自分には価値がある。すごくない自分には価値がない。そして、その才能が他者を傷つけ、不幸を招くのなら、自分には、生きている価値さえない。
その、救いのない自己否定の言葉を、レンは静かに聞いていた。
そして、一通り彼女が泣き叫び終わるのを待ってから、心底、本当に心の底から、不思議そうな顔で、こう言った。
「価値?」
「そんなもん、俺には、さっぱりわかんねぇよ」
その言葉には、何の慰めも、同情も、憐れみもなかった。ただ、純粋な、一点の曇りもない「事実」だけがあった。
レンは、ゆっくりとフィオナの前に歩み寄ると、その小さな身体の前にしゃがみこみ、視線を合わせた。そして、いつもの、あの、全てを肯定してしまう太陽のような笑顔で、こう続けた。
「ただ」
「お前、ゴミ山で一人で、泣いてるみたいな顔してたからさ」
「放っとけねぇだろ」
その、あまりにも単純で。
何の裏も、計算も、論理も、哲学もない、たった一言。
それは、フィオナがこれまで浴びせられてきた、どんな賞賛の言葉よりも、どんな侮蔑の言葉よりも、遥かに強く、そして深く、彼女の魂の、誰も触れたことのない最も柔らかい場所に、まっすぐに突き刺さった。
彼女の心の最後のダムが、完全に、決壊した。
「う……ああああああ……ッ!」
フィオナは、子供のように、声を上げて泣きじゃくった。
それは、悲しみの涙ではなかった。悔しさの涙でもなかった。
生まれてからずっと、彼女は自分の価値を「才能」という物差しで測られ、そして自分自身も、その物差しでしか自分を測ることができなかった。すごい自分。すごくない自分。役に立つ自分。役に立たない自分。
しかし、この男は、そんな物差しを、そもそも持っていなかった。
彼は、フィオ-ナの持つ、歴史を塗り替えるほどの魔法の才能も、彼女が犯した過去の過ちも、そのひねくれた性格さえも、何も見ていなかった。
何も、評価していなかった。
ただ、そこにいる、「一人で寂しそうにしている、女の子」を。
ただそれだけの理由で、見過ごすことができなかった。
ただ、それだけ。
条件のない、理由のない、無償の肯定。
生まれて初めて、自分の存在そのものを、良いも悪いもなく、ただ丸ごと、そのまま受け止められたことへの、魂からの安堵と、そして、どうしようもないほどの喜びの涙だった。
その様子を、少し離れた場所から、エリスが静かに観察し、記録していた。
彼女の論理回路は、目の前で起きている現象を、既知のどのデータベースとも照合することができずに、軽い混乱に陥っていた。
「観察記録。対象フィオ-ナ、涙腺からの体液排出を確認。成分は塩化ナトリウムを主成分とするが、先日観測された『安堵』の涙とも、『罪悪感』の涙とも、その波形パターンは一致しない。高レベルの精神的ストレスからの解放メカニズムと推測。しかし……」
エリスは、泣きじゃくるフィオナの背中を、不器用に、しかし優しくさすっているレンに、その分析の視線を移す。
「レンの行動原理は、やはり何度観測しても論理的ではない。自己の生命を危険に晒し、多大なエネルギーを消費してまで、直接的な利益を一切生まない他個体を保護する。彼の言う『仲間』という定義は、共有時間、相互利益、互恵的関係性といった、いかなる観測可能パラメータとも、明確な相関関係を示さない」
彼女の瞳は、まるで天文学者が未知の星を発見した時のような、畏敬と、そして純粋な探究心の色を帯びていた。
「これは、私の理解を超える、極めて興味深い、バグ。あるいは……」
「……未知の、法則です」
彼女の長い旅の目的、「好き」という感情の構造理解。
その探求が、今、最もシンプルで、そして最も深遠な謎に突き当たった瞬間だった。
やがて、泣き疲れたフィオ-ナは、レンの腕の中で、すうすうと穏やかな寝息を立て始めた。その寝顔は、ゴミ山で見た、世界への警戒心に満ちたものではなく、全てを委ねきった子供のような、無垢な表情をしていた。
レンは、その小さな身体を、壊れ物を扱うかのように、そっと自分の背中に背負った。
その様子を見ていたカインが、呆れたように、しかし、どこか誇らしげに、ふっと息を漏らして笑った。
エリスは、自分の思考領域に、新しいデータベースのフォルダを作成する。
そして、そのフォルダに、震えるような手つきで、名前を打ち込んだ。
【名称:ムジョウケン・ノ・コウテイ(無条件の肯定)】
【機能:対象個体の精神的安定性を、論理的限界を超えて、回復させる】
【再現性:不明。要、継続観測】
彼女の、感情を理解するための、長くて、奇妙な旅の目的が。
今、ほんの少しだけ、その形を変えようとしていた。
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