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第三章:『絡繰人形(オートマタ)の心と、測れない魂』
第二十六話:最後の壁
しおりを挟む坑道の最深部にたどり着いた時、一行は言葉を失った。
そこに在ったのは、道でも、扉でも、ましてや希望の入り口でもなかった。ただ、圧倒的なまでの「終わり」が、巨大な一枚岩の壁として、彼らの行く手を完全に、そして永遠に塞いでいた。
神が、気まぐれに、人類の進入を拒むためだけに地上から引き剥がして、この地下の最奥に嵌め込んだかのような、完璧な絶望の蓋。ヘッドライトの光が、悠久の時を物語るかのように滑らかなその岩肌を照らし出すが、光はまるで闇に飢えた獣に喰われるように、どこまでも吸い込まれ、二度と返ってこない。つなぎ目一つ、亀裂らしい亀裂も見当たらない。それは、自然が生み出したというにはあまりに理不尽で、人工物であるというにはあまりに巨大すぎた。
空気は、これまで以上に重く、冷たい。ここまでは常にどこかから聞こえていた、水滴が落ちる音も、風が岩の隙間を抜ける音も、ここでは完全に死に絶えている。聞こえるのは、自分たちの荒く、浅い呼吸の音と、高鳴る心臓が耳の奥で立てる、ドクドクという鈍い打撃音だけ。そして、張り詰めた沈黙そのものが発する、キーンという高周波の悲鳴が、全員の鼓膜を内側から圧迫していた。
この壁の向こうに、まだ生きている人間がいる。その事実だけが、かろうじて現実との繋がりを保たせていた。
エリスが数分前に告げた、小数点以下まで無慈悲な分析結果が、冷たい水のように全員の心に染み渡り、燃え盛っていた希望の炎を、根元からじゅっと音を立てて消し去っていた。
『この岩盤を、外部から物理的、あるいは魔法的に破壊した場合、その衝撃波が空洞全体を崩落させます。内部の生存者の生存確率は、0.001%未満と算出されます』
0.001パーセント。それは、限りなくゼロに近い数字というよりは、むしろ「奇跡でも起きない限り絶対に不可能である」という、論理が導き出した、最も残酷な死の宣告だった。
レンの、物理法則を完全に無視した無敵の肉体も。
フィオナの、世界の理を書き換える万能の魔法も。
カインの、音速を超越する神速の剣も。
この絶対的な物理法則の前では、あまりにも無力だった。強固すぎる壁は、それを壊そうとする力そのものを、内部にいる仲間を殺すための刃へと変えてしまう。なんという、悪辣な罠だろうか。
「嘘だろ……」
カインが、絞り出すような声で呟いた。その声は、震えていた。騎士として、数多の絶望的な戦場を潜り抜けてきた彼でさえ、これほどまでに完璧な「手詰まり」を前に、為す術もなく立ち尽くすしかなかった。戦略も、勇気も、経験も、この巨大な沈黙の前では、何の意味も持たないガラクタ同然だった。
「私の魔法でも、これを破壊するのは無理よ……」
フィオナの顔から血の気が引いていた。彼女の天才的な頭脳が、あらゆる可能性を、それこそ光の速さでシミュレートし、その全てが行き止まりであることを、瞬時に悟ってしまったのだ。
「できたとしても、エリスの言う通り、中の人たちもろとも、この空間ごと押し潰すことになるわ……。そんなの、救助じゃない。ただの、虐殺よ……」
その言葉に、レンは黙って巨大な岩盤に手を触れた。ひんやりとした、生命の温もりを一切感じさせない、死んだ石の感触が、彼の掌から伝わってくる。
「……んんんんんんぬぅぅぅぅぅおおおおおおおっ!!」
掛け声と共に、レンは渾身の力を込めて、その絶望の壁を押し始めた。彼の筋肉が鋼鉄のように隆起し、足元の地面がメリメリと音を立てて砕け、ひび割れていく。彼が立っている場所だけが、まるで巨大なプレス機に押し潰されたかのように陥没していく。しかし、岩盤は、びくともしない。まるで、巨大な蟻が一匹、大陸そのものを動かそうとしているかのような、滑稽で、そして悲壮な光景だった。
「くそっ!硬ぇなんてもんじゃねぇぞ、これ!俺の力でも、全然……!」
初めて、レンの顔に焦りの色が浮かんだ。それは、自分の無力さに対する焦りではない。目の前で、救えるはずの命が、ただ時間と共に消えていこうとしている。その、どうしようもない現実に対する、純粋な苛立ちと怒りだった。
誰もが、下を向いた。これ以上、打つ手はない。諦めという名の重力が、全員の肩に、ずしりと鉛のようにのしかかる。
その、息も詰まるような沈黙の支配を、打ち破ったのは、意外な人物だった。
「……一つだけ、方法があるわ」
静かに、しかし、坑道の全ての闇を貫くほど、凛と響き渡る声。全員の視線が、声の主――ベルに、射るように集中した。
彼女は、自分の肩の上に乗っていた、掌サイズの小型オートマタ「アルク」を、そっと両手で包み込むように降ろした。その仕草は、まるで壊れやすい雛鳥を巣に戻すかのように、どこまでも優しかった。
「この岩盤を、外部から破壊するのが不可能なのは、確定した事実よ」
ベルは、まるで大学の講義でもするように、冷静な口調で語り始めた。その瞳には、絶望の色はない。ただ、目の前にある難解な問題を、どうすれば解体できるかという、技術者としての、純粋な探究心の色だけが浮かんでいた。
「だったら、発想を変えるの。外からダメなら、中から壊せばいい」
彼女は、岩盤の表面に走る、ほとんど目には見えない、髪の毛ほどの細さの亀裂を、油で汚れた指先で、そっと指し示した。
「この亀裂から、アルクを内部に侵入させる。アルクは、私が作ったオートマタの中で、唯一、自己判断で内部構造をスキャンし、最も脆い構造上の弱点、いわゆる核(キーストーン)を特定できるわ。そして、その一点に、自身の動力炉を過負荷状態で暴走させ、指向性の小型爆発を起こす。そうすれば、外部への衝撃を最小限に抑えながら、岩盤全体の構造バランスだけを崩壊させることが、理論上は可能なはずよ」
その説明は、あまりにも冷静で、あまりにも論理的だった。そして、あまりにも、残酷な響きを伴っていた。
しばらくの沈黙。誰もが、彼女の言葉の意味を、頭の中で反芻していた。やがて、カインが、厳しい声で、全員が心の奥で思っていた、最も重要な問いを口にした。
「……その作戦を実行した場合、そのアルクとかいうのは、どうなるんだ?」
ベルは、一瞬だけ、強く唇を噛み締めた。そして、まるで他人事のように、あるいは、分かりきった数式の答えを口にするかのように、淡々と答えた。
「動力炉の暴走は、不可逆反応よ。アルクは確実に、木っ端微塵になるわ」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
それは、ただの機械を一つ壊す、という話ではなかった。これまで、ベルが我が子のように、片時も離さず、心を尽くして世話をしていた、彼女の唯一の相棒を、自らの手で犠牲にするという話だった。
「ふざけんなッ!そんなこと、できるわけねぇだろ!」
最初に沈黙を破ったのは、レンだった。彼の声は、怒りと、そして悲しみに震えていた。
「お前にとって、そいつは、ただの便利な機械じゃねえんだろ!家族みたいなもんなんだろ!なんで、そんな簡単に……!」
レンの、あまりにも単純で、あまりにも真っ直ぐな言葉。それは、ベルが論理と合理性で隠そうとしていた、心の最も柔らかい部分を、容赦なく抉った。
「ダメよ、ベル!」
フィオナもまた、青ざめた顔で首を横に振った。
「あんたが、どれだけあの子を大事にしてるか、私にはわかるわ!自分の子供を、自分で殺すようなこと、絶対に、しちゃダメよ!」
同じ「創造主」として、フィオNAはベルの痛みを、自分の痛みのように感じていた。自分の作り出したゴーレムが、自我を持たずとも、ただの道具として扱われることにさえ、彼女は深い共感を示したのだ。ましてや、心を通わせた存在を犠牲にするなど、考えられるはずもなかった。
仲間たちの言葉は、優しさだった。純粋な、ベルを思いやる心からの、温かい言葉だった。
しかし、その優しさが、今のベルの心を、万力で締め付けるように、ギリギリと苦しめた。
『どうして、分かってくれないのよ』
心の奥で、彼女は叫んでいた。
『私だって、そんなこと、したくないに決まってるじゃない!他に方法があるなら、私が一番そうしたいに決まってるじゃない!』
でも、方法は、ない。
絶望的な現実と、仲間からの優しい言葉の板挟みになり、ベルは俯き、ただ、油で汚れたつなぎの袖を、強く握りしめて震えることしかできなかった。
その時、だった。
これまで黙って状況の全てを観測し、分析していたエリスが、静かに一歩、前に出た。
彼女は、ベルの前に立つと、いつものように、感情の起伏を一切感じさせない、硝子玉のような瞳で、彼女をまっすぐに見つめた。
『ベル。一つ、確認します』
その声は、慰めでも、励ましでも、ましてや非難でもない。ただ、冷徹なまでの、事実確認の響きだけを持っていた。
『あなたの最高傑作であるアルクを失った場合、あなたの今後の研究開発、ひいてはあなたの人生そのものに与える精神的ダメージは、計測不能なレベルに達する可能性があります。その損失を、あなたは理解している』
『そして、この救出作動が成功したとしても、あなたを拒絶したあの街の人間たちが、あなたに感謝する保証は、どこにもない。むしろ、あなたの規格外の技術を、再び恐れ、疎む可能性さえある』
『それでも、あなたは、この、あまりにもリターンが不確定で、そしてあなたの未来に計り知れない損失をもたらす、極めて非合理的な作戦を、それでも、提案するのですか?』
それは、問いではなかった。
それは、ベル自身に、自分がいま、一体何をしようとしているのか、その行動の本当の意味を、自分の意志で、自分の言葉で、定義させるための、最後の問いかけだった。
そうだ。私は、分かっている。全てを失うかもしれないことくらい。
それでも。
それでも、私は。
ベルは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、決壊したダムのように、涙が溢れていた。
しかし、その涙の奥には、これまで誰も見たことのない、どこまでも強く、そして、澄み切った鋼のような光が、確かに宿っていた。
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