空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

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第三章:『絡繰人形(オートマタ)の心と、測れない魂』

第二十八話:行って、アルク

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アルクが闇に消えた後、坑道は、宇宙空間のような完全な沈黙に支配された。ベルが膝の上で固く握りしめている携帯モニターの、かすかな駆動音だけが、この世に存在する唯一の音だった。

モニターに映し出されているのは、アルクのセンサーが捉えた、モノクロームの、どこまでも無機質な世界。

それは、神がこの星を創造した際に、最後まで「心」という名の絵の具を塗り忘れた、原初の風景のようだった。狭い、狭い岩の亀裂の中を、アルクはプログラムに従って、淡々と、ただひたすらに進んでいく。壁から染み出す、粘液のような地下水。行く手を阻む、鋭利な水晶の破片。そして、どこまで行っても、決して終わることのない、絶対的な闇。

その、あまりにも孤独な光景を、一行は、言葉もなく見つめていた。

それは、ただの機械が進んでいく映像ではなかった。

小さな子供が、たった一人で、おつかいを頼まれて、危険な夜の森を進んでいくような。
その瞳に恐怖の色はなくとも、その足取りに迷いはなくとも、その姿は、痛々しいほどの健気さと、悲壮な覚悟に満ちていた。
その無機質な映像から、ひしひしと伝わってくる感情の奔流に、見ている者たちの胸は締め付けられた。

ベルは、膝から崩れ落ちそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死で堪えていた。唇は血が滲むほど固く結ばれ、モニターから決して目を離さない。今、彼女にできることは、我が子の、人生で最初で最後の、たった一度きりの旅路を、ただ、その目に焼き付けてやることだけだった。

『深度、12.7メートル。岩盤組成、花崗閃緑岩。内部応力、基準値の1.7倍。進行ルート、問題なし』

アルクの内部から、ベルのヘッドセットにだけ、淡々とした合成音声のレポートが届き続ける。その声は、いつもと変わらない、感情のない平坦な声。しかし、今日のその声は、ベルの鼓膜を震わせるたびに、彼女の心をナイフで切り刻むかのように、鋭く、そして深く突き刺さった。

その間、仲間たちは、ただベルの背中を守るように、彼女を囲んで立っていた。

レンは、何も言わずに、ベルのすぐ隣に力なく座り込み、小さなモニターを、眉間に皺を寄せながら一緒に覗き込んでいる。その瞳は、いつものような太陽の輝きを失い、友が背負った、あまりにも重い覚悟を、ただ静かに見守る、真剣な光を宿していた。

カインは、パーティの背後を固め、万が一の再崩落に備えて、片時も警戒を解かない。その鋼のような横顔は、戦場のそれと同じ、極限の緊張に満ちていた。しかし、その視線は、背後の闇ではなく、時折、ベルの震える肩へと、憂いを帯びて注がれていた。

フィオナは、そっと自分の上着を脱ぐと、モニターに見入るベルの肩に、優しくかけた。冷たい坑道の空気が、彼女の心をこれ以上凍えさせないように。そして、耐え難い心の痛みから、少しでも彼女を守ろうとする、不器用で、精一杯の優しさだった。

『深度、35.4メートル。前方ニ、高密度ノ魔力結晶体ヲ確認。迂回ルートヲ、再計算シマス』

その報告と同時に、モニターの映像が、不気味なほど青白く輝く、美しい、しかし極めて危険な結晶の群れを映し出した。それは、まるで巨大な獣の牙のように、アルクの行く手を塞いでいた。

「ダメよ、アルク!そこは通っちゃダメ!」

ベルが、思わず絶叫した。彼女の技術者としての知識が、その結晶体が、僅かな物理的衝撃で、大規模な連鎖爆発を起こす、極めて不安定な代物であることを、瞬時に警告していた。アルクほどの小さな機械でも、接触すれば、この岩盤全体を吹き飛ばしかねない。

しかし、アルクは、プログラムされた最短ルートを、忠実に進もうとする。結晶体まで、あと数センチ。

絶望が、再び一行を支配しかけた、その時だった。

『迂回ルート、計算完了。進路ヲ、7度右ニ変更シマス』

アルクは、まるでベルの声が聞こえたかのように、あるいは、まるで自らの意志を持ったかのように、危険な結晶体を避け、滑らかに、安全なルートへと進路を変えた。

「……どうして?」

フィオナが、驚きの声を上げる。「自爆プログラムに、危険回避の思考ルーチンまで組み込んでいたの?そんな複雑なものを、あの短時間で?」

ベルは、震える声で答える。「いいえ……。そんな余裕は、なかったわ……。最短距離を進む、それだけの、単純な命令しか、インプットしていない……」

では、なぜ?

誰もが、その不可解な現象に、言葉を失う。それは、論理では説明できない、奇跡のような出来事だった。

エリスだけが、その現象を、冷静に、しかし、どこか畏怖の念を込めて、分析していた。その声は、初めて、科学的な確信ではなく、未知の領域への推測を含んでいた。

『観測報告。ベルの発した音声――強い情動を伴う音波――と、アルかクの思考回路に使われている量子結晶との間に、未知の共振現象が発生した可能性。あるいは……』

彼女は、一度言葉を切ると、まるで信じがたい仮説を口にするかのように、続けた。

『あるいは、ベルがアルクを創造する過程で、彼女の『この子に生きてほしい』という、母親のような強い無意識の命令が、プログラムの最も深い層に、バグ、あるいは隠しコマンドとして、刷り込まれていた可能性……。どちらにせよ、これは、単なる機械の挙動では、説明できません』

ベルと、アルクの絆が生んだ、奇跡。

その温かい事実は、しかし、これから訪れる結末を、より一層、残酷なものとして際立たせるだけだった。

やがて、アルクは、ついに岩盤の核、巨大な空洞の中心に到達した。そこは、まるで聖堂のように、静かで、広大な空間だった。

『目標地点ニ到達。動力炉ノ過負荷シークエンスヲ、開始シマス。カウントダウン、スタート』

『10、9、8……』

ベルは、モニターに映る、自分の最高傑作の、最後の姿を、目に焼き付けていた。その小さな体は、今、この瞬間のために、自分が持てる全ての技術と、愛情を注ぎ込んで作り上げた、彼女の魂の結晶だった。

『7、6、5……』

もう、何もしてやれない。

そう思った、その時だった。

アルクのモノクロームの視界の片隅に、一つの小さなウィンドウが、ぽつりと、ポップアップした。

それは、画像ファイルだった。

『4、3……』

その画像ファイルが、自動的に開かれる。

モニターに映し出されたのは、色褪せた、しかし、どこまでも美しい、一輪の花の画像だった。
それは、ベルが初めてアルクを起動させた、あの月の綺麗な夜に、彼女がアルクに「世界で一番美しいものよ」と、そう言って見せてやった、一輪の「月下美人」の花だった。

『ベル。私ニ、名前ヲクレテ、アリガトウ』

モニターに、最後のテキストメッセージが、表示された。

それは、ベルがインプットしたものではない。アルクが、自らの記憶の中から、自らの意志で紡ぎ出した、生まれて初めての、そして最後の、感謝の言葉だった。

ベルの瞳から、こらえきれなかった涙が、滝のように溢れ出した。

『2、1……』

「ありがとう、アルクッ!!」

ベルの絶叫と同時に、モニターの映像は、純白の光に包まれ、そして、漆黒の闇に変わった。

その直後、坑道の奥から、地鳴りのような、しかし、どこか抑制された、鈍い破壊音が響き渡る。

目の前に立ちはだかっていた、あの絶望の象徴であった一枚岩の壁が、まるでパズルのピースが一つずつ外れていくように、静かに、そして綺麗に、内側から崩れ落ちていった。

壁の向こう側から、新鮮な空気と、そして、生き残った鉱夫たちの、か細い、しかし確かな声が、差し込んできた希望の光と共に、流れ込んできた。

道は、開かれた。

しかし、そこに歓声はなかった。

仲間たちは、ただ、崩れ落ちた岩の向こう側から差す光の中で、肩を震わせて泣きじゃくる、一人の少女の背中を、静かに見守っていた。

彼女は、多くの命を救った。

しかし、その代償として、かけがえのない、たった一つの命を、その手で失ったのだ。

その悲しみは、あまりにも深く、あまりにも重かった。
救出の光と、喪失の闇が交錯する、その切ない光景の中で、物語は静かに幕を下ろした。
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