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第三章:『絡繰人形(オートマタ)の心と、測れない魂』
第二十九話:英雄と、ガラクタの山
しおりを挟むアルクが遺した希望の光は、坑道の闇を切り裂き、絶望の淵にいた鉱夫たちを、再び生者の世界へと導いた。
最初に、崩れた岩の隙間から、泥と煤にまみれた手が、力なく伸ばされた。その手を、外で待っていた救助隊の男が、まるで神の御手でも掴むかのように、両手で固く握りしめた。
それを合図に、歓喜の爆発が起こった。
「生きてたぞーッ!」
「みんな、無事だ!」
嗚咽と、絶叫と、名前を呼び合う声。救出された鉱夫たちと、地上で待ち続けていたその家族たちが、瓦礫の上で、泥まみれのまま、ただ互いの存在を確かめるように、きつく、きつく抱きしめ合う。その光景は、整然とした儀式のようなものではなかった。それは、生きているということの、どうしようもなく混沌としていて、どうしようもなく美しい、生命そのものの奔流だった。
その歓喜の輪の中心に、ベルと、仲間たちは立っていた。
鉱夫たちが、次々とベルの元へやってきては、涙でぐしゃぐしゃの顔で、その汚れた手を握り、感謝の言葉を述べた。
「あんたが、俺たちの命の恩人だ」
「ありがとう、本当に、ありがとう」
しかし、ベルは、その言葉に、何も返すことができなかった。彼女の耳には、熱狂的な感謝の声も、仲間たちの安堵のため息も、何も届いてはいなかった。彼女の心は、アルクが消えた、あの最後の瞬間の、純白の光と、漆黒の闇の中に、まだ囚われたままだった。
彼女の瞳は、歓喜に沸く人々ではなく、彼らの背後にある、もう誰も入ることのない、暗く、冷たい坑道の入り口を、ただ、じっと見つめていた。
◇
グレイシアの街は、数日ぶりに、祝祭の熱に浮かされていた。
鉱夫たちの奇跡的な生還は、街の隅々にまで瞬く間に伝わり、人々は、その立役者である「ガラク- タ屋敷の変人」を、一夜にして「街を救った英雄」として、称賛し始めた。
ベルが工房に戻る道すがら、これまで彼女を道端の石ころのように無視し、あるいは嘲笑さえしていた人々が、まるで手のひらを返したように、彼女に深々と頭を下げ、輝くような笑顔を向け、感謝の言葉を口にした。
「ベルさん、ありがとう!」
「あんたの発明は、本当にすごかったんだな!」
「俺たちの街の、誇りだ!」
そして、彼女の工房の前で一行を待ち構えていたのは、あの「鋼の心臓ギルド」の、頑固な親方だった。彼は、ベルの前に進み出ると、その長年鍛え上げられてきた、決して曲がることのないはずの背骨を、ゆっくりと、しかし深く、九十度に折り曲げた。
「……すまなかった」
絞り出すような、その声は震えていた。
「わしらの目が、曇っていた。あんたの言う『新しいもん』を、ただ怖がって、知ろうともしなかった。あんたこそ、このグレイシアで一番の、本物の職人だ。この街を、救ってくれて、本当に、ありがとう」
賞賛、名誉、尊敬。それは、かつての彼女が、喉から手が出るほどに欲しかったもののはずだった。自分を拒絶した世界から、認められること。自分の才能が、正当に評価されること。
しかし、今の彼女の心には、そのどれもが、乾ききった砂漠に高級なワインを撒くように、ただ虚しく吸い込まれていくだけだった。彼女の心は、アルクを失った巨大な喪失感によって、完全に渇ききり、ひび割れてしまっていた。どんな言葉も、どんな名誉も、その亀裂を埋めることはできなかった。
彼女は、親方の言葉に何も答えず、ただ、その横をすり抜けるようにして、工房の中へと消えていった。
◇
工房に、一人。
ベルは、重い鉄の扉に内側から鍵をかけると、まるで糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
英雄?
笑わせるな。
私はただ、自分の子供を、この手で殺しただけだ。
工房は、アルクがいなくなっただけで、まるで宇宙のように果てしなく広く、そして、骨身に染みるほど冷たく感じられた。チクタク、カシャーン。いつもと同じ、彼女が愛したはずの機械たちのざわめきが、今は、ただの無意味で、耳障りな騒音にしか聞こえない。
彼女は、ふらふらとした足取りで、ガラク- タの山の中から、黒焦げになり、見る影もなくなったアルクの残骸を、まるで壊れやすいガラス細工でも扱うかのように、そっと拾い上げた。
もう、あの可愛らしいレンズアイが開くこともない。
もう、あのぎこちない合成音声で、彼女の名前を呼ぶこともない。
もう、彼女の肩の上で、小さなモーターを震わせて、彼女の作業をじっと見守ってくれることもない。
それは、まさしく、ギルドの連中が言った通りの、ただの「魂のないガラクタ」だった。
「……ごめんね」
ベルは、そのガラクタを、きつく、きつく抱きしめた。
「ごめんね、アルク……。私が、弱かったから……。ごめんね……」
謝罪の言葉だけが、誰にも届くことなく、静まり返った工房の中に、虚しく、虚しく響き渡った。
その時、工房の分厚い鉄の扉が、コンコン、と控えめにノックされた。
ベルは無視した。今の彼女には、誰とも会う気力などなかった。しかし、ノックは、遠慮なく、ドンドン!と激しくなる。
「ベルー!いるんだろー!開けろー!」
レンの、いつも通りの、能天気な声だった。
「うるさいわね!放っておいてよ!一人にして!」
ベルが、喉が張り裂けんばかりに叫び返すと、次の瞬間。
ゴガンッ!!
という、耳をつんざく轟音と共に、彼女が何重にも頑丈なロックをかけていたはずの鉄の扉が、まるで紙細工のように歪み、蝶番から外れ、スローモーションのように、ゆっくりと内側へと倒れ込んできた。
土煙の中、逆光を背に立っていたのは、レンだった。その手には、扉から引っこ抜かれた、巨大なロックバーが握られている。
「よっ!ちょっと硬かったから、開けちまった!」
その、あまりにも非常識な登場の仕方に、ベルの深い悲しみは、一瞬だけ、思考の回路から完全に吹き飛んだ。
レンの後ろから、仲間たちが、この世の終わりでも見るかのような、気まずい顔で入ってくる。
「すまん、ベル殿。俺が、どれだけ止めようとしたか、信じてくれ」
カインが、心底申し訳なさそうに言う。
レンは、そんな仲間たちの様子などお構いなしに、工房の中をきょろきょろと見回すと、アルクの残骸を抱きしめて泣いているベルの姿を見つけた。
そして、彼は、倒れた扉を跨いで中に入ると、ゆっくりと、彼女の隣に座り込んだ。
彼は、何も言わなかった。
「大丈夫か?」とも、「元気出せよ」とも言わなかった。
ただ、一緒に、その黒焦げのガラクタを、まるで世界で一番大切なものでもあるかのように、じっと、真剣な目で見つめていた。
やがて、彼は、ぽつりと、呟いた。
「……こいつ、頑張ったんだな」
その、あまりにも単純な一言。
しかし、その言葉は、街の人々が口にしたどんな賞賛の言葉よりも、どんな感謝の言葉よりも、深く、温かく、ベルのひび割れた心に、じんわりと染み渡っていった。
レンは、続ける。
「街の奴ら、お前のこと、英雄だって、すげー盛り上がってたぜ」
「でもよぉ」
彼は、ベルの、涙と煤でぐしゃぐしゃになった顔を、その太陽のような瞳で、まっすぐに見て、言った。
「お前、全然、嬉しそうじゃねぇもんな」
「英雄なんかじゃ、ねえよな」
「自分の大事な子供を失くしちまって、今、すげぇ悲しい顔、してるもんな」
「……それで、いいんじゃねぇか?」
その言葉に、ベルの中で、かろうじて保っていた最後の何かが、完全に、そして綺麗に決壊した。
彼女は、レンの胸に顔をうずめると、生まれて初めて、誰かにその身を委ねて、ただ、子供のように、声を上げて泣いた。
レンは、何も言わず、ただ、その小さな背中を、不器用で、大きな手で、優しく、何度も、何度も、撫でていた。
その光景を、他の仲間たちも、そしてエリスも、ただ静かに、言葉もなく、見守っていた。
◇
どれくらいの時間が、経っただろうか。
泣き疲れたベルが、しゃくりあげながら顔を上げると、レンの着ていた服は、彼女の涙と鼻水で、ぐしょぐしょになっていた。
「……ごめん。汚い」
「へーき、へーき。俺、無敵だから、服も汚れないんだ。たぶん」
レンは、ニカッと笑った。
その時、フィオナが、小さなカップを二つ持って、ベルの前にそっと差し出した。カップからは、甘くて温かい湯気が立ち上っている。
「ホットチョコレートよ。こういう時は、甘いものが一番だから」
その、ぎこちない優しさに、ベルの口元が、かすかに緩んだ。
他者からの評価(英雄)という、移ろいゆく、空っぽの称号ではない。
自分のありのままの感情(悲しみ)を、ただ、そのまま受け止めてくれる、仲間という存在。
ベルは、その温かいチョコレートを一口飲みながら、自分は、アルクという大きな、大きな代償を払って、それ以上に、かけがえのないものを手に入れたのかもしれないと、ぼんやりと、そう思っていた。
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