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第四章:『盗賊女帝の亡霊と、盗めない未来』
第三十三話:復讐という名の鎖
しおりを挟むレイヴンの私室は、一軍を率いる頭目の部屋としては、驚くほどに質素だった。
岩を削って作った無骨な壁、硬そうな寝台、そして傷だらけの樫の机。宝飾品のひとつもなければ、権威を示すための立派な絨毯もない。
ただ一つ、異様な存在感を放っているものを除いては。
部屋の壁一面に、巨大な一枚の地図が掲げられていたのだ。
それは、彼女が失った故郷「シルヴァニア王国」と、それを蹂躙した「ガルブレイン帝国」の版図を示す、極めて精密な軍事地図だった。しかし、ただの地図ではない。その上には、赤いインクで、無数の×印と、獲物の動脈をなぞるかのような無数の矢印が、執拗なまでにびっしりと書き込まれている。
それは、彼女がこれまで率いてきた「亡国の鴉」が、帝国に対して行ってきた全ての襲撃と破壊工作の記録だった。それは、彼女の決して消えることのない憎しみの軌跡だった。そして、彼女の心の全てをがんじがらめに縛り付ける、呪いの曼荼羅そのものだった。
ロウソクの揺らめく光が、その赤いインクを、まるで乾いていない血糊のように、ぬらぬらと照らし出していた。
その呪いの曼荼羅の前に、レイヴンは、一行の中からカイン、ゼフ、そしてエリスの三人を招き入れた。レンは「なんか怖い部屋だからヤダ!」と言ってフィオナとベルを巻き込み、子供たちと鬼ごっこをしに行ってしまった。アレクは「このような殺風景な部屋には、我が麗しき薔薇の美が似合わぬ」というよく分からない理由で辞退した。
レイヴンは、三人の前に、なみなみと注がれた安物のエールを差し出した。
「先日の働き、見事だった。特に貴様たち、ただの旅人ではないな」
彼女の視線が、まずカインを射抜く。「お前の剣は、ただの騎士のそれではない。指揮官の剣だ」。次にゼフを見る。「あんたの知識は、そこらの学者とはモノが違う。実践の匂いがする」。そして最後に、エリスを見る。「そして、お前。お前は一体、何者だ?」
その問いに、エリスは表情一つ変えずに答えた。「私はエリス。ただの観測者です」
レイヴンは、その答えに鼻を鳴らすと、エールを一口あおった。そして、まるで長年背負ってきた重荷を、ほんの少しだけ下ろすかのように、静かに、そして重々しく語り始めた。
「私は、お前たちが想像しているような、ただの盗賊の頭ではない」
「我が名は、レイヴニア・フォン・シルヴァニア。十数年前、帝国によって地図から消された、シルヴァニア王国、最後の王女だ」
その告白に、カインとゼフが息を呑んだ。シルヴァニア王国滅亡の悲劇は、あまりにも一方的で、あまりにも凄惨だったと、二人も伝え聞いていた。
レイヴンは、遠い目をして、過去の闇の中へと沈んでいった。
彼女の記憶の中のシルヴァニアは、いつも陽光と、人々の穏やかな笑い声に満ちていた。豊かな森、清らかな川、そして、誰よりも民を愛し、平和を尊んだ父王と母王妃。
しかし、その全ては、ある日突然、帝国軍の軍靴によって踏み躙られた。
「帝国の目的は、領土や富ではなかった。我が国が近年発見した、古代の魔法技術。それだけが目的だった」
父は、その技術が世界に混乱を招くことを恐れ、帝国の要求を拒んだ。それが、引き金だった。
レイヴニアが、まだ十にも満たない幼い少女だった頃の記憶。
燃え盛る城。空を覆い尽くす黒い煙。肉の焼ける匂い。そして、耳を塞いでも聞こえてくる、民の悲鳴。
彼女は、両親の最期を、玉座の間の物陰から、ただ震えながら見ていることしかできなかった。
父は、最後まで王笏を握りしめ、民の未来を案じながらその胸を貫かれ、母は、レイヴニアを隠したタペストリーの前に立ちはだかり、その身を炎の盾とした。
「そして、私は、捕らえられた」
レイヴンは、感情を押し殺した声で続けた。そして、無造作に、左腕の革鎧を外した。
現れた白い腕。そこに、醜い獣の爪痕のように刻まれていたのは、帝国軍の紋章である、冷酷な鷲を象った、古い烙印の痕だった。
「これが、帝国が、我がシルヴァニア王国に遺した、唯一の墓標だ」
彼女の瞳の中で、決して消えることのない、憎しみの炎が、静かに、しかし激しく燃え盛っていた。
「私の目的は、この荒野で、ただ生き延びることではない。帝国への、復讐。そのために、力を蓄え、帝国の支配に不満を持つ者たちを束ね、いつか、必ずや、奴らに血の代償を払わせる」
「そのための軍資金と兵糧を確保する手段として、私は盗賊になった。民を食わせるために、他の民から奪う。この矛盾と罪は、全て私が背負う。私は、その覚悟の上で、この修羅の道を歩いている」
その、あまりにも壮絶で、あまりにも気高い告白に、カインもゼフも、かけるべき言葉を見つけられずにいた。
しかし、その重い沈黙を破ったのは、やはり、エリスだった。
彼女は、レイヴンの告白の間、何の感情も見せず、ただじっと、壁に貼られた巨大な地図を凝視していた。そして、レイヴンの話が終わると、彼女はすっと立ち上がり、その地図の前へと歩み寄った。
「レイヴン」
彼女は、地図から目を離さずに、静かに告げた。
「あなたの行動は、衝動的な略奪行為ではありません。この一年間の襲撃ポイントと、私が独自に収集した帝国軍の物資輸送ログを照合した結果、極めて高い相関性が確認されました。あなたは、帝国の主要な補給路、通信網、そして地方貴族間の連携を的確に分断する、極めて高度な戦略的破壊工作(サボタージュ)を実行している」
その言葉に、レイヴンの顔に、かすかな驚きと、そして誇りの色が浮かんだ。この、得体の知れない少女は、自分の戦いの本質を、一目で見抜いたのだ。
「戦術家として、あなたの能力は、極めて高いと評価します」
しかし、エリスは、そこで一度言葉を切ると、氷のように冷たい瞳で、レイヴンに向き直った。そして、無慈悲な宣告を続けた。
「しかし、その戦略の優秀さこそが、あなた方の破滅を、致命的に早めています」
「な……なんだと?」
「私のシミュレーションによれば、帝国中央軍の情報分析部は、あなたの行動を、当初は『地方の盗賊による散発的な略奪』、脅威レベル『D』と定義していました。しかし、半年前の第3補給部隊への襲撃、三ヶ月前の通信網遮断。これらの戦略的成功によって、彼らはあなたの脅威レベルを『C』、そして『B』へと段階的に引き上げた。そして、先日の、我々との遭遇を引き金とした帝国斥候部隊の殲滅。この事案により、あなたの脅威レベルは、ついに『A』――すなわち『国家の存亡に関わる脅威』として、再定義された可能性が極めて高い」
エリスの瞳が、感情のない、純粋な計算結果だけを映し出す、冷たい光を放った。
「帝国軍の行動プロトコルによれば、脅威レベル『A』の対象に対しては、ヴァレリウス将軍、あるいはそれに準ずる最高位の指揮官が率いる、正規の討伐軍が派遣されることになっています。彼らが、この荒野のどこかにある、あなた方のアジトの正確な位置を特定し、殲滅作戦を開始するまでの猶予時間は――」
エリスは、わずかに目を伏せ、脳内で最後の計算を終えた。
「――残り、三ヶ月を切っています」
その言葉は、まるで死刑宣告のように、静かな部屋に響き渡った。
「その場合、このアジトの防御能力、団員の練度、備蓄物資、そして、あなた自身の卓越した戦術能力、その全てを最大値で見積もって計算に入れても――」
エリスは、ゆっくりと顔を上げた。
「あなた方の生存確率は、限りなく、ゼロに収束します」
「……」
「結論を述べます、レイヴン。あなたの掲げる『復讐』という目的関数は、あなた自身が最も守りたいと願う『民の生存』というパラメータと、現在、致命的な論理矛盾を起こしている」
「このままでは、あなたの復讐は、あなたの大切な家族全員を、確実な破滅へと導きます」
その言葉は、慰めも、同情も、一切ない。
ただ、冷徹で、動かしがたい、無慈悲な真実だった。
そして、その真実こそが、レイヴンの心の、最も深い場所を、最も痛い場所を、研ぎ澄まされた刃物のように、抉った。
部屋は、凍りついたような沈黙に包まれた。
ロウソクの炎が、かすかな風に揺れ、壁に映る三人の影を、まるで不吉な亡霊のように、ゆらゆらと揺らしていた。
レイヴンは、何も言い返せない。
彼女自身、心のどこかで、ずっと気づいていたのだ。
復讐の炎を燃やせば燃やすほど、その火の粉が、自分の愛する民たちに降りかかり、その身を焼いていくという、このどうしようもない矛盾に。
しかし、その矛盾から目を背けなければ、彼女は、壊れてしまいそうだった。
復讐を諦めることは、炎の中で自分を庇い、死んでいった母を裏切ること。民を守るために、復讐という名の、自分を支える唯一の柱を、手放すこと。
それは、彼女にとって、生きる意味そのものを失うことに等しかった。
復讐を果たしたい。
でも、民を危険に晒したくない。
その、決して両立することのない二つの願いの間で、彼女の心は、音もなく、引き裂かれそうになっていた。
エリスの、感情のない、あまりにも正しい言葉が、彼女の逃げ道を、完全に塞いでしまった。
レイヴンは、エリスを睨みつけた。しかし、その瞳には、怒りよりも、むしろ、どうすればいいのか分からない、迷子の子供のような、救いを求める色が、確かに浮かんでいた。
やがて、彼女は、一行に背を向けた。
そして、壁の地図――自らを、そして民を、破滅へと導く呪いの曼荼羅――を、まるで初めて見るかのように、ただ、呆然と見つめることしか、できなかった。
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