空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

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第四章:『盗賊女帝の亡霊と、盗めない未来』

第三十四話:来襲、帝国の猟犬

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エリスの予測は、あまりにも早く、そして残酷なまでに正確だった。

その日の早朝、アジトの空気は、いつもと明らかに違っていた。夜明けを告げる鳥の声が、一羽も聞こえない。岩肌を撫でる風の音が、やけに大きく、そして寂しく聞こえる。

荒野を見渡す最も高い見張り台に立つ、百戦錬磨の元兵士が、その肌で、死の到来を感じ取っていた。朝日が昇るはずの東の地平線が、陽炎ではない、何か黒く蠢くものに、じわじわと侵食されていく。

やがて、その正体が明らかになるにつれて、見張りの男の、日に焼けた屈強な顔から、血の気が引いていった。

地平線を埋め尽くしていたのは、鉄の津波だった。
朝日を浴びて、無数の兜と槍の穂先が、まるで巨大な獣の鱗のように、鈍く、そして冷たく輝いている。寸分の狂いもなく統率された歩兵部隊、その両翼を固める重装騎兵、そして後方には、巨大な破城槌や投石機までが確認できた。

その軍勢の、あまりにも整然とした動き。それは、怒りや憎しみといった熱い感情で動く人間の軍隊ではなかった。ただ、目的を遂行するためだけにプログラムされた、巨大で、冷酷な、鉄の猟犬の群れ。
その先頭には、冷酷な鷲を象った、ガルブレイン帝国の紋章旗が、風に嘲笑うかのように、はためいていた。

「て、敵襲ーーーッ!帝国軍だ!数が、数が多すぎる!!」

男の、恐怖に裏返った絶叫が、アジト全体に響き渡る。
その声を合図にしたかのように、アジトに設置された警鐘が、狂ったように乱打され始めた。カーン、カーン、カーンと、けたたましく鳴り響くその音は、昨日までの平和な日常に、無慈悲な終止符を打った。

アジトは大混乱に陥った。
「子供たちを地下の最深部へ!急げ!」
「女たちは水の確保を!男は武器を取れ!持ち場につけ!」
レイヴンの、張り詰めた、しかし冷静な声が響き渡る。
人々は、恐怖に顔を引きつらせながらも、長年の訓練で体に染みついた動きで、それぞれの役割を果たそうとする。しかし、敵の数が、これまでのどんな相手とも比較にならないことは、誰の目にも明らかだった。絶望が、冷たい霧のように、アジト全体にじわじわと立ち込めていく。

その、誰もが死を覚悟した空気の中、レイヴンは、一行が寝泊まりしている客室の前に、一人、静かに立っていた。
彼女は、深く、長く息を吸い込むと、一つの取引を持ち掛けた。

「見ての通りだ」
彼女の声は、震えていた。それは恐怖から来る震えではない。誇り高い彼女が、これから口にしなければならない言葉の重さに、魂が震えているのだ。
「私に協力し、この部隊を撃退してくれ。成功すれば、お前たちを自由にする。奪ったものも、全て返そう」
彼女は、一行の顔を、一人ずつ見つめた。
「これは、女王としてではない。ただの一人の女として、お前たちに、心から、頼む」

その、あまりにも痛切な懇願に、一行の間に、重い、重い沈黙が落ちた。

「ふざけるな!」

最初に、その沈黙を破ったのは、カインだった。彼の声は、怒りと、そして裏切られたかのような響きを帯びていた。
「我々は騎士だ。いや、元騎士だ。だが、その魂まで捨てたわけではない。理由はどうあれ、民から略奪を働く盗賊団に、手を貸すことなど、断じてできん!」
彼の言葉は、正論だった。騎士として、法と秩序を守ることを誓った者として、それは当然の帰結だった。

「カイン殿の言う通りだ」
アレクサンダーもまた、その意見に強く同調した。彼は、優雅に胸に手を当て、しかし、その瞳には軽蔑の色を浮かべていた。
「我々ヴァレンシュタイン家は、代々、帝国の秩序を守護する盾となってきた。貴殿らが、いかなる悲劇的な過去を背負っていようと、現在の貴殿らの行いは、許されざる無法。その無法者に加担することは、我が誇りと美学が、決して許さない」
彼の言葉もまた、貴族として、揺るぎない正論だった。

カインとアレクの、あまりにも正しく、あまりにも強固な拒絶の言葉に、レイヴンは、唇を噛み締め、俯くことしかできなかった。

フィオナとベルは、何も言えないでいた。
彼女たちの頭の中には、アジトで見た、無邪気に笑う子供たちの顔や、自分たちに不器用な優しさを見せてくれた、老婆の顔が浮かんでいた。
正義とは何か。誇りとは何か。
その天秤が、彼女たちの心の中で、激しく揺れ動いていた。しかし、王国騎士団のエースであったカインと、帝国屈指の名門貴族であるアレクの、揺るぎない「正しさ」の前で、彼女たちの感情は、言葉という形になる前に、霧散してしまう。

ゼフもまた、ただ静かに目を閉じ、沈黙を守っていた。彼は、この若者たちの、それぞれの正義が、それぞれの過去と経験に根ざした、決して間違いではないものであることを、痛いほど理解していた。

議論は、完全に平行線を辿り、パーティの間に、修復不可能なほどの、冷たい亀裂が走り始めていた。

その、誰もが自分の正義を振りかざし、誰もが一歩も引けない、息の詰まるような空気の中。
それまで、アジトの入り口から、静まり返った外の様子を、ただ、じっと見ていたレンが、ゆっくりと振り返った。

そして、いつものような底抜けの明るさとは全く違う、真剣で、静かな顔で、カインに言った。

「なあ、カイン」
「お前の言ってる、その『正義』とか『誇り』とか、難しいことは、俺には、よく分かんねぇや」

彼の視線は、カインを通り越し、部屋の隅で、不安そうに母親の服の裾をぎゅっと握りしめている、小さな女の子に向けられていた。

「でもよぉ」

「あいつら(帝国)がここに来たら、あの子、殺されちまうんだろ?」

「だったら、俺は戦うぜ」

「あの子を、守るためにな」

その、あまりにもシンプルで、しかし、あらゆる理屈と正義を超えた、根源的な一言。

その言葉は、まるで巨大な鐘の音のように、その場にいた全員の心の、最も深い場所を、激しく、そして優しく揺さぶった。

カインとアレクは、ハッとして、その女の子を見た。
そして、自分たちが掲げていた、気高く、立派な「正義」や「誇り」という名の旗が、今、目の前にある、か細く、震える、たった一つの命の前で、いかに観念的で、いかに空虚なものになりうるかという、動かしがたい事実に、打ちのめされていた。

自分は、一体、何を守ろうとしていたのか。
失われた過去の騎士団の名誉か?
地に堕ちた自分のプライドか?
それらは、今、まさに消えようとしている、この小さな命の輝きに比べて、どれほどの価値があるというのか。

カインは、しばらく、固く目を閉じていた。
彼の脳裏を、これまでの人生が、走馬灯のように駆け巡る。国に忠誠を誓った日、民を守るために剣を振るった日々、そして、全てを失い、絶望の淵で、この底抜けに明るい男に出会った、あの日。

やがて、彼は、ゆっくりと目を開いた。
その瞳には、もう迷いはなかった。
彼は、レイヴンに向き直ると、覚悟を決めた、静かな声で言った。

「……騎士としてではない」
「ただの、一人の人間として、目の前の、声なき民を守る。それが、今の俺の、正義だ」

その言葉を聞き、アレクは、ふっと、自嘲と、そしてどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「どうやら、私の完璧な美学も、泥にまみれる時が来たようだ。いいだろう。このアレクサンダー、我が身を汚す覚悟は、とうの昔にできている!」
彼は、芝居がかった仕草で言うと、鞘から、白銀の剣を抜き放った。

一行の覚悟は、決まった。
レイヴンは、彼らに、深々と、深く、頭を下げた。
「……恩に、着る」
その声は、涙で震えていた。

そして、彼女は、顔を上げた。その瞳には、もはや女王の仮面も、懇願の色もない。
ただ、愛する家族を守るため、最強の仲間を得た、一人の戦士としての、燃え盛る闘志だけが、宿っていた。

「行くぞ!」

彼女は、一行を、このアジトの、そして自分たちの運命を決める、最後の決戦場へと、導き始めた。
そこは、岩が複雑に入り組んだ、天然の迷宮ともいえる渓谷だった。地の利を活かした、彼女のゲリラ戦術の、真骨頂を発揮できる場所。
一行は、それぞれの武器を手に、これから始まる死闘を前に、静かに、しかし激しく、その魂を燃やすのだった。
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