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第五章:『色褪せた伝説と、記されざる魔導書』
第四十四話:錆びついた知恵と、磨かれゆく才能
しおりを挟む谷に響き渡る警鐘の音は、これまでこの谷が何百年も保ってきた、神聖なまでの静寂を、まるで汚れた軍靴で踏み潰すかのように、暴力的に引き裂いた。
鳥たちは一斉に空へと逃げ惑い、森の奥深くで微睡んでいた獣たちは息を潜める。空気は、花の蜜と湿った土が混じり合う、穏やかな生命の匂いから、鉄と、血と、そして恐怖が放つ焦げ付いた匂いへと、その質を急速に変えていった。
帝国の偵察部隊は、少数ながら、全員が歴戦の強者だった。彼らの黒鉄の鎧は、華美な装飾を一切排し、ただ殺戮のためだけに最適化された機能美を宿している。その動きは、まるで一つの巨大な多足生物のように、一糸乱れず、一切の無駄がない。彼らは、感情を排した機械のように、ただ冷徹に、そして効率的に、この谷の抵抗勢力の戦力分析という目的を遂行するため、殺戮と破壊を開始した。
民たちは、なすすべもなく逃げ惑う。レイヴンとカインが率いる民兵が必死に抵抗するが、平和な谷での暮らしに慣れ始めていた彼らと、常に戦場を生き抜いてきた帝国の精鋭との間には、埋めがたい練度の差が歴然と存在した。谷は、瞬く間に炎と煙、そして人々の悲鳴に包まれていった。
塔の最上階、その窓から、ゼフはその地獄絵図を、血が滲むほど唇を噛み締めながら見下ろしていた。
自分の聖域が、土足で踏み荒らされている。自分が、静かな余生を送るためだけに維持してきたこの結界が、いとも容易く破られ、無辜の民が蹂躏されている。
そして何より、あの小娘どもに「あなたの理論は古い」「あなたの杖はガラクタだ」と、自分の存在そのものを否定された、屈辱の記憶。
その全てが、彼の心の中でどす黒いマグマとなり、沸騰し、そしてついに臨界点を超えた。
「ワシの谷を荒らすなど、万死に値するわ!」
◇
ゼフは、フィオナたちの言葉で傷ついたプライドを、その身に纏う魔力の嵐で覆い隠すかのように、塔から飛び出した。その姿は、もはや腰痛に苦しむ好々爺ではない。かつて、たった一人で魔王軍と対峙したと謳われる、伝説の大魔導師のそれだった。
「下がっておれ、小娘ども!伝説の力が、どういうものか、その目に焼き付けてやるわ!」
彼は、民兵たちが必死に支える防衛線の、そのさらに前に、一人で立ちはだかる。その痩身から放たれる魔力は、確かに凄まじかった。大地がビリビリと震え、空気が重く圧し掛かるように密度を増していく。
「いでよ、獄炎の蛇!」
彼の詠唱に応え、地面が裂け、灼熱のマグマでできた巨大な蛇が、帝国兵たちに襲いかかった。それは、もはや魔法というよりは、天変地異だった。
しかし、帝国軍の兵士たちは、その神話的な光景を前にしても、怯まない。彼らは、ゼフが一人であること、そして、その絶大な威力の魔法には、詠唱と魔力充填という、致命的な「隙」があることを、即座に見抜いていた。
「第一隊、防御障壁!第二、第三隊は左右に展開!術者を叩け!」
指揮官の冷静な声が響く。一人の兵士が、仲間を守るため自ら盾となり、獄炎の蛇に飲み込まれて炭になる。その、ほんの数秒の隙に、左右に展開した兵士たちが、まるで黒い疾風のように、ゼフへと肉薄する。
「なっ!」
ゼフは、慌てて次の防御魔法を放とうとするが、老いた身体は、彼の全盛期の思考スピードについていけない。息が、上がる。魔力の集中が、焦りによって僅かに乱れる。かつては、指先一つでまとめて塵にできたはずの、ただの雑兵に、彼は、完全に翻弄されていた。
そしてついに、一人の兵士の剣が、彼の防御魔法の僅かな綻びを突き破り、その喉元へと迫る。
(ここまで、か)
ゼフが、自らの衰えと、惨めな死を覚悟した、その時だった。
彼の目の前に、巨大な、そしてあまりにも場違いなほど呑気な影が、立ちはだかった。
「じーさん!だから、無理すんなって言ったろ!」
レンだった。
帝国兵の、渾身の一撃が、レンの背中に当たり、キィン!という甲高い金属音と、大量の火花を散らして、明後日の方向へと弾け飛んだ。
それを合図にしたかのように、戦場の流れが、完全に、そして劇的に変わった。
「ゼフ先生!詠唱の補助は任せて!」
フィオナの声が響くと同時に、彼女の膨大な魔力が、まるで澄んだ湧水が枯れた川に流れ込むかのように、ゼフの魔力回路へと接続された。ゼフの口が、次の詠唱のために動く前に、彼の頭の中で、完璧な術式が勝手に完成していく。
「エネルギー効率が悪すぎるのよ、じーさん!こっちに流しなさい!」
ベルが、地面に設置した奇妙な機械から何本ものケーブルを伸ばす。その先端は、ゼフが制御しきれずに周囲に漏れ出していた余剰魔力を、掃除機のように吸収していく。そして、吸収されたエネルギーは、機械内部で増幅され、敵の足元に隠されていた無数の小型装置へと送られる。次の瞬間、帝国兵たちの足元から、強力な電撃の罠が炸裂し、彼らの完璧な陣形を内側から崩壊させた。
「先生は、大技の詠唱だけに集中してください!雑魚の掃除は我々の仕事です!」
アレクが、まるで舞うように、しかし寸分の無駄もない華麗な剣技で、ゼフに近づこうとする兵士たちを次々と薙ぎ払っていく。彼の剣は、もはやキザな貴族の飾りではない。仲間を守るための、鋼鉄の牙だった。
そして、その全ての、混沌としているようで、しかし完璧に計算され尽くした動きを、戦場の後方、最も高い岩の上から、エリスが完璧にコントロールしていた。
『ゼフ』
エリスの声が、テレパシーのように、彼の脳内に直接響き渡る。
『あなたの役割は、もはや単独で戦場を支配する、旧世代の殲滅兵器ではありません。あなたは、このチームという新しいシステムの、最も強力で、かけがえのない『エンジン』です。あなたの生み出す膨大なエネルギーを、我々が最適な形に変換し、戦場という盤面に再分配します。あなたは、ただ、あなたの最も得意なこと――魔力を、可能な限り最大出力で、放出し続けることだけに、集中してください』
ゼフは、呆然としていた。
自分の魔法が、自分の知らないものになっていく。
自分の意志ではない。しかし、自分の力を遥かに超えた、全く新しい形の「魔法」が、今、この戦場で、仲間たちの手によって、生まれようとしていた。
彼は、もはや孤独な英雄ではない。
一つの、巨大で、予測不能で、そしてとてつもなくしなやかな生命体(チーム)の、かけがえのない心臓部となっていたのだ。
「…面白い」
ゼフの口元に、数百年ぶりに、心の底からの、獰猛な笑みが浮かんだ。
「小僧ども!この老いぼれの、最後の魔力、根こそぎ吸い尽くしてみせい!」
彼の絶叫と共に、谷の空そのものが震えるほどの、神話の時代の魔力が、解き放たれた。
◇
偵察部隊は、文字通り、壊滅した。
戦いが終わった後、谷には再び静寂が戻った。しかし、それは以前の停滞した静寂ではない。死闘を乗り越えた者たちが放つ、確かな生命力に満ちた、温かい静寂だった。
ゼフは、その場にへたり込んだまま、動けなかった。
彼は、負けたのだ。帝国軍にではない。自分の古いプライドと、抗いがたい時代の流れに、完膚なきまでに。
しかし、その心にあったのは、屈辱ではなかった。
自分がいなくても、いや、自分一人ではもはや守ることができないこの世界を、見事に守り抜き、そして未来を創っていく、頼もしく、そして少し生意気な若者たちの姿。
その光景は、彼が何百年という孤独の中で、すっかり忘れてしまっていた、温かい感情を思い出させていた。
それは、安堵であり、そして、未来への、かすかな希望の光だった。
物語は、自分の時代の終わりを静かに受け入れ、そして、新しい時代の始まりを目の当たりにした老賢者の、複雑で、しかしどこか晴れやかな表情を映し出して、幕を閉じる。
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