空っぽの魔王様に「好き」を教える方法(物理)~無敵の俺と仲間たちの、世界で一番不毛な布教活動~

Gaku

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第五章:『色褪せた伝説と、記されざる魔導書』

第四十七話:バトンを渡すということ

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儀式の朝、谷の空気は死んだように重かった。
夜明けと共に昇るはずの太陽は、まるでこの先の悲劇を予感するかのように、分厚く垂れ込めた灰色の雲の向こうにその姿を隠している。光を失った世界は、彩度の低い水彩画のように、全てがくすんで見えた。風は凪ぎ、鳥の声は聞こえない。聞こえるのは、民たちが押し殺すように漏らす嗚咽と、遠く、しかし確実に近づいてくる帝国軍の進軍が立てる、大地の低い呻き声だけだった。

谷の民たちは、自分たちのために一人の老人がその命を捧げようとしていることを知っていた。彼らは、祈るように、あるいはただ呆然と、谷の中心にそびえ立つ、静まり返った石の塔を見つめている。その視線は、感謝と、罪悪感と、そしてどうしようもない無力感が入り混じった、複雑な色をしていた。

塔の結界は、依然として冷たい光を放ち、何人たりとも寄せ付けない。レンたちは、徹夜で説得を試みた。あらゆる言葉を尽くし、扉を叩き、叫んだ。しかし、塔の中から、ゼフの応答は一言もなかった。時間は、刻一刻と、無慈悲に過ぎていく。絶望が、冷たい雨のように、谷全体をじっとりと濡らし始めていた。

塔の中、ゼフは静かに目を閉じていた。覚悟は、とうにできている。しかし、彼の心の湖面には、昨夜見た一枚の羊皮紙が投げ込んだ小石の波紋が、まだ静かに、しかし確かに広がり続けていた。フィオナが描いた、未完成で、荒削りで、しかし無限の可能性を秘めた術式の走り書き。あの文字の熱が、彼の瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

『ワシが、もう数百年若ければ』

そんな、ありえない仮定が、生まれて初めて彼の頭をよぎった。その、らしくない感傷を振り払うかのように、彼はゆっくりと目を開き、儀式の祭壇へと、最後の一歩を踏み出そうとした。



「じーさんッ!聞こえてんだろ!いい加減にしろよ!」

結界の前で、レンが魂からの叫びを上げていた。その拳は、何度も結界を殴りつけたせいで、血が滲んでいる。彼の無敵の肉体をもってしても、ゼフが魂を込めて張ったこの結界を、内部の術式に影響を与えずに破ることはできない。

「俺、まだあんたに教わってねぇことが、山ほどあんだぞ!一番うまい魚の釣り方とか、昔の女にモテた自慢話とか!そんな勝手に死ぬなんて、俺が許さねぇからな!」

子供のような、しかし、一点の曇りもない純粋な言葉。それは、ゼフの心の扉を、激しくノックした。

「ゼフ殿、聞こえているはずだ」
カインが、静かに、しかし鋼のような意志を込めて続けた。「あなたの知恵は、我々がこの民を導き、帝国という巨大な敵と戦うために、不可欠な力です。ここであなたを失うことは、我々全員の敗北を意味する。騎士として、そして一人の仲間として、そんな無意味な死を、私は決して認めるわけにはいかない」
論理と、仲間への情。その言葉は、扉の鍵穴に、そっと差し込まれた鍵のようだった。

「死ぬことで責任を取るなんて、一番ダサいんですよ、賢者様」
レイヴンが、自らの過去を重ねるように、痛烈な言葉を突きつける。「生き恥を晒してでも、最後まで足掻き続けて、守るべきものを守り抜く。それが、リーダーってもんでしょうが。あんたは、自分の物語を美しく終わらせるために、私たちから未来を奪う気ですか」
過去を乗り越えた者の、厳しい問い。それは、鍵を回そうとする、確かな力だった。

しかし、それでも、塔は沈黙を続けていた。仲間たちの間に、諦めの空気が流れ始める。もう、どんな言葉も、あの頑固な老人の、数百年かけて凝り固まったプライドを溶かすことはできないのか。

その、重苦しい沈黙を切り裂いたのは、二人の少女の声だった。

「――待った!その作戦、致命的に非効率よ!」

フィオナとベルが、息を切らしながら、一枚の巨大な設計図を広げて、結界の前に立った。その瞳には、徹夜で議論を戦わせたのであろう、熱と狂気が宿っていた。

「ゼフ先生!聞こえますか!」
フィオナが、まるで講義に反論する優秀な生徒のように、叫んだ。
「あなたの最後の魔法、確かに理論上は強力です!でも、あまりにもエネルギー効率が悪すぎる!あなたは、自分の生命力という、この世で最も貴重で高密度なエネルギーの、推定92.4%を、自分自身という触媒ごと消し飛ばすという、全くの無駄に使おうとしているのよ!歴史に名を残す大魔導師が、そんなもったいないオバケみたいな術を使うなんて、私が弟子として許しません!」

その隣で、ベルが自作の、古風なデザインの拡声器を構え、フィオナの言葉に重ねた。その声は、機械を通しているはずなのに、熱っぽく震えていた。
「合理的に考えなさい、この石頭!あんたの目的は、帝国軍を殲滅することであって、伝説としてカッコよく死ぬことじゃないはずよ!私たちは、あんたのエネルギー効率を、理論上300%、いや、私たちの腕次第では500%以上にまで改善する、全く新しいプランを持ってきたの!」

二人が示したのは、ゼフの「最後の魔法」の術式を、根底から書き換える、あまりにも大胆で、革命的な計画だった。
それは、ゼフ一人の生命力という、あまりにも脆く、有限なエネルギーに頼るのではない。
ゼフの持つ古代魔法の知識を、揺るぎない「設計図(アーキテクチャ)」として、
フィオナの、若く、奔流のような膨大な魔力を、儀式の「主動力(メインエンジン)」として、
ベルの、無数の精密機械を、暴走しがちな魔力を増幅・制御し、一滴の無駄もなく結界核へと送り込む「制御装置(レギュレーター)」として、
そして、この谷に満ちる、膨大な自然エネルギーそのものを、尽きることのない「燃料(フューエル)」として利用する。
それは、魔法と科学、古代の知恵と現代の才能、その全てを融合させた、前代未聞の「合体魔法」だった。

「あなたの役割は!」
フィオ-ナが、魂を振り絞るように、最後の言葉を叩きつけた。

「命を燃やす、使い捨ての燃料になることじゃない!」

「あなたは、この前代未聞のオーケストラの、『指揮者』になるのよッ!!」



その言葉は、ゼフの心の最も深い場所に、雷鳴のように突き刺さった。

――指揮者。

そうだ。ワシは、いつから、自分の役目を勘違いしておったんじゃ。
自分の物語を、過去の栄光のまま、美しく完結させることばかりを考えていた。英雄として、華々しく散ることこそが、自分の最後の役目だと、そう思い込んでいた。
だが、違う。
ワシの目の前には、ワシの知識を、経験を、魂そのものを、未来へと繋いでくれる、眩いばかりの才能があるではないか。
ワシの役割は、過去の伝説のソリストとして、孤独に最後の音を奏でることではない。
未来を創る、この新しい才能たちの力を束ね、彼らが奏でる、まだ誰も聴いたことのない、新しい時代の交響詩を、導き、完成させる。
それこそが、今、この瞬間の、ワシにしかできん、本当の役目ではないのか。
死ぬことではない。生きて、この手で、未来を託すこと。

彼は、自らのプライドが、いかに小さく、そして傲慢なものだったかを、生まれて初めて悟った。それは、敗北の味ではなかった。むしろ、重い鎧を脱ぎ捨てたかのような、途方もない解放感だった。

ゆっくりと、しかし確かな意志を持って、塔の結界が、内側から、朝霧が晴れるように、静かに解かれていく。

ギィィ、と。何十年も開かれることのなかった重い扉が、軋みながら開かれた。
逆光の中に立っていたのは、数時間前よりもずっと老け込んだように、やつれたゼフだった。しかし、その瞳には、もう過去の栄光にすがる光も、死を決意した悲壮な光もなかった。そこにあったのは、嵐が過ぎ去った後の、穏やかで、澄み切った、静かな光だった。

彼は、設計図を抱きしめて息を呑むフィオナとベルに、そして、涙を浮かべて自分を見つめる仲間たちに、ぶっきらぼうに、しかし、その声には確かな敬意と、隠しきれない喜びを込めて、こう言った。

「小娘どもめが」

「その、ふざけた設計図、ワシにも見せてみろ」

「どうせ、欠陥だらけのはずじゃ。ワシが、完璧なものに、手直ししてやる」

その不器用な言葉は、彼が、英雄として過去に死ぬという役割を捨て、師として未来を創るという現在の役割を受け入れた、最も美しい降伏宣言だった。
安堵と、歓喜。仲間たちの間に、声にならない涙が、静かに広がっていった。
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