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第五章:『色褪せた伝説と、記されざる魔導書』
第四十八話:世代を超えたオーケストラ
しおりを挟む谷の入り口では、世界の終わりを告げるような、鈍い轟音が断続的に響き渡っていた。
帝国軍が持ち込んだ巨大な破城槌が、谷を覆う結界に、無慈悲な衝撃を与え続けているのだ。空は、帝国軍の魔導師たちが放つ攻撃魔法の閃光で、鉛色に染まり、大地は不気味な振動に絶えず揺れている。
ドゴォォン!
結界の表面に、巨大な蜘蛛の巣のような亀裂が走り、悲鳴のような甲高い音を立てる。しかし、次の瞬間には、その亀裂は青白い光と共に辛うじて修復される。民たちは、その一進一退の攻防を、ただ息を殺して見守るしかなかった。自分たちの命が、今まさに、あの薄紙一枚のような光の壁に託されているのだ。
一方、その喧騒が嘘のように、谷の中心に位置する湖の祭壇は、嵐の前の静けさに包まれていた。これから始まる、この世界の誰も見たことのない、前代未聞の大魔法のために、七人の仲間たちは、それぞれの持ち場についていた。
空気は、張り詰めた硝子のように、極度の緊張感で満ちている。しかし、その硝子を支えているのは、互いの背中を預け合う、静かで、しかし絶対的な信頼だった。そして、この世界の運命を左右する儀式に臨む、神聖な覚悟が、七人全員の魂を一つの色に染め上げていた。
風が止み、鳥の声が消え、世界が息を殺して、その瞬間を待っているかのようだった。
◇
「――始めろッ!」
ゼフの、老いてなお、岩を砕くほどの張りのある声が、合図だった。
彼は、儀式の中心、古びた祭壇の上に立ち、指揮棒の代わりに、長年使い込まれた杖を、決然と天に突き上げた。
【指揮者】ゼフ
彼の唇から紡ぎ出されたのは、もはやこの世の誰も知らない、古代語の詠唱だった。その声は、谷に眠る大地の気脈を呼び覚まし、湖の水を震わせ、風の流れを捉え、一つの巨大な魔法回路へと導く、古の道筋そのものだった。彼の皺深い顔には、もはや過去の栄光にすがる老人の姿はなく、世界の調和を司る、一人の偉大な賢者の顔があった。
【エンジン】フィオナ
ゼフが描き出したその古の道筋に、フィオナが、自らの若く、奔流のような膨大な魔力を、惜しげもなく注ぎ込む。彼女の足元から、黄金色の魔力が渦を巻き、ゼフの描いた古代術式と激しく衝突し、そして融合した。それは、古い葡萄酒に、搾りたての果汁を注ぎ込むような化学反応。かつて誰も見たことのない、力強く、そしてどこか優しい、新しい時代のエネルギーが、祭壇を中心に満ち溢れていく。
「先生!エネルギー量が予測を上回ります!」
「案ずるな!お前の力を信じろ!」
【調律師】ベル
暴走寸前のエネルギーの奔流を、ベルが祭壇の周囲に寸分の狂いもなく設置した、無数の機械群が、精密に制御する。彼女の指が、まるでピアニストのように、コンソールの上の無数のダイヤルとレバーの上で踊った。
「第3シークエンサー、同調開始!エーテル循環ポンプ、圧力120パーセント!増幅したエネルギーを結界の第7象限、最も脆いポイントへ、指向性を持って転送!」
暴れ馬のような魔法エネルギーが、彼女の作り上げた機械の鞍と手綱によって完全に乗りこなされ、一滴の無駄もなく、結界の修復へと送り込まれていく。
【守護者】カイン&レイヴン
二人は、儀式の外周、祭壇へと続く唯一の橋の上で、背中合わせに立っていた。帝国軍の魔導師たちが放つ、儀式を妨害するための魔法の矢が、雨のように降り注ぐ。二人は、その全てを、カインの剣とレイヴンの槍で、切り払い、弾き返す。
カインの剣は、飛来する魔法を「点」で捉え、その核だけを正確に砕く、精密無比の迎撃術。
レイヴンの槍は、降り注ぐ魔法の雨を「面」で捉え、薙ぎ払い、嵐のように受け流す、絶対的な制圧術。
二人の研ぎ澄まされた集中力が、儀式のための、神聖で不可侵な安全空間を確保していた。
【詩人】アレク
彼の戦場は、剣や魔法のそれではない。彼は、不安に震える民たちの前に立ち、そのバリトンの美声を、谷全体に響かせていた。
「聞け、友よ!夜が深ければ、夜明けは近い!我らが流す涙は、明日咲く花の、恵みの雨となるだろう!」
その芝居がかった、しかし魂からの言葉が、民たちの不安を、希望へと、そして祈りへと変えていく。その純粋な祈りの力が、目に見えない魔力となって祭壇へと流れ込み、儀式全体の精神的な支柱となっていた。
【アース】レン
儀式の副作用として発生する、規格外のエネルギーの余剰分が、制御しきれない奔流となって、大地を揺るがし、仲間たちを危険に晒す。レンは、そのエネルギーが暴走するポイント、祭壇の真下に、ただ一人、仁王立ちになっていた。
「ぐおおぉっ!?」
凄まじい魔力の雷が、彼の身体に叩きつけられる。常人なら一瞬で塵と化すほどのエネルギー。
「今の、ちょっとビリっときたぞ!っていうか、すげぇ痺れたぞ!」
彼は、文句を言いながらも、その全ての衝撃を、その無敵の肉体で受け止め続け、大地へと逃がしていく。彼の存在そのものが、この狂気のオーケストラを破綻から守る、最後の、そして最強の安全装置(アース)となっていた。
【観測者】エリス
そして、その全てのプロセスを、エリスが丘の上から、静かに観測していた。彼女の瞳には、もはや世界は風景としてではなく、無数のパラメータと、エネルギーの流れを示すグラフとして映し出されていた。
『フィオナ、魔力出力、3%下げなさい。ベルの機械の許容量を超えます』
『ベル、第3制御弁を7度開いて。フィオナの魔力との共振率が最適化される』
『カイン、5秒後、右上からの魔法飛来に備えよ。軌道予測、誤差0.02%以内』
彼女の的確な指示が、テレパシーのように、寸分の遅れもなく全員の脳内に響き渡る。この奇跡のオーケストラを、完璧な調和へと導く、感情のない、しかし誰よりも仲間を信じる指揮者だった。
◇
ついに、儀式はクライマックスを迎えた。
七つの異なる才能、七つの異なる魂が、エリスの指揮の下、一つの意志となって結実する。
祭壇から放たれた七色の光の奔流が、天を突き刺した。
光は、鉛色の空で、巨大な、そしてあまりにも美しい魔法陣を描き出す。それは、谷全体を覆う古い結界を、ただ修復するのではない。
ゼフの古代の知恵、フィオナの新しい才能、ベルの科学、カインとレイヴンの武、アレクの心、そしてレンの無敵の肉体。その全てを編み込んだ、全く新しい、より強固で、よりしなやかなものへと、「再創造」していく、創世の光景だった。
ドゴォォン!
帝国軍の破城槌が、再生した結界に当たり、今度は甲高い金属音と共に、それ自体が粉々に砕け散った。降り注いでいた魔法の雨も、新しい結界に触れた瞬間、もはや何の傷もつけることなく、無力な光の飛沫となって、静かに消えていった。
戦いの音が、止んだ。
後には、静寂だけが残された。
そのあまりにも荘厳で、あまりにも美しい奇跡を、仲間たちが、そして谷の民たちが、涙を流しながら、ただ呆然と見上げていた。
エリスもまた、その光景を、じっと見つめていた。
『観測報告。個々の要素の能力の総和を、遥かに超える現象の発生を確認。これは、論理的には説明不能。しかし――』
彼女は、自らの頬を、一筋の温かい何かが伝うのを感じた。
『――美しい、と、結論付けます』
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