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第二部:深まる謎とメンバーの過去
第10話「予言する少女と歪む未来」
しおりを挟む十一月も半ばを過ぎると秋はもうその華やかな装いを解き、冬へと続く静かな小道を歩み始めていた。空は高く澄んでいるがその青色はどこか淡く、太陽の光は地上に暖かさよりもむしろ世界の輪郭を際立たせるための鋭い光を投げかけるだけだ。事務所の窓から見える桜並木は葉をほとんど散らせて、今は黒く細い枝々が繊細な切り絵のように空を背景にその姿を晒している。風が吹けば残った数枚の枯れ葉がカサリと最後の名残惜しそうな音を立てて舞い落ちた。街全体が少しずつ彩度を失い、静かで物寂しいモノクロームの世界へと移り変わろうとしていた。
空気はひやりと冷たい。外を歩けば頬を刺し、吐く息はうっすらと白く染まる。金木犀の甘い香りももうどこかへ消え去り、代わりに乾いた土と落ち葉そして近づいてくる冬自身の潔癖な匂いがした。
公園の事件以来、ミステリー研究会の事務所には静かだが確かな変化があった。影山さんは以前よりも口数が減り、よく窓の外の何もない空をただじっと見つめている。その横顔は俺、佐藤健太だけがその意味をおぼろげに理解できる深い悲しみに沈んでいた。俺たちの間には言葉にできない秘密がガラスの壁のように横たわっている。他のメンバーはその壁に気づいているのかいないのか、変わらず陽気に振る舞って事務所の温かい日常を守ろうとしているようにも見えた。その変わらない日常が、かえって俺と影山さんの間の静かな断絶を浮き彫りにしていた。
その日事務所のドアを開けて入ってきたのは一人の女子高生だった。制服の着こなしは少しルーズで、その瞳には年の割には大人びた諦観のような影が浮かんでいる。しかしその奥には怯えた迷子の子供のような頼りなさが同居していた。
「あの…」
彼女は事務所の中を値踏みするように見回した後、小さな声で言った。
「ここで占いの相談、できますか」
彼女はリサと名乗った。近所の駅前でタロットカードを使い、道行く人の未来を占うのが彼女の放課後の日課らしい。
「最初はただのお遊びだったんです。でも…」
彼女の声が震えた。
「最近私の占いが当たりすぎるんです」
恋愛の成就、試験の合否、失くし物の行方。彼女が告げた「未来」が次々と現実になっていくという。
「私にはそんな力なんてないはずなのに。まるで私の言葉が人の未来を勝手に作り変えているみたいで、それが怖くて…」
彼女は自分の両手をまるで恐ろしいものでも見るかのようにじっと見つめた。
影山さんは彼女をじっと観察していた。その目はオカルトや心霊現象を見る目とは違い、もっと深く彼女の心の裡を見通そうとするような鋭い分析の眼差しだった。
「なるほど。望まざる預言のパラドックスか。面白い。その未来を歪めるという呪いの正体、我々が見極めてやろう」
◇
「よし!まずはその予言の力が本物かどうか俺が試してやる!」
権田さんが自信満々に胸を張り、リサの前にどっかりとあぐらをかいて座った。
「俺の明日の晩飯を当ててみろ!」
あまりにも庶民的な挑戦状にリサは少し戸惑った顔で、権田さんの鍛え抜かれた巨体を上から下まで眺めた。そしておずおずと答える。
「ええと…たぶん、とんかつとかステーキとか…。お肉をたくさん食べそうです」
「ふん!そうか!」
権田さんは満足げに頷いた。
そして翌日、事務所に現れた権田さんは得意満面に報告した。
「昨日の俺の晩飯は月見そばだったぜ!どうだ、予言は外れたじゃねえか!」
彼はリサが肉と答えたのを聞いてわざと違うものを食べたのだ。未来は変えられると証明したかったらしい。その子供のような対抗心に俺たちは呆れるやらおかしいやらだった。
「もう、権田さんたら野暮なんだから」
今度は麗華さんが前に出た。彼女はどこからか取り出した大きな水晶玉をテーブルの上に置く。それはどう見てもただのガラス製の文鎮だった。
「いいこと?未来というものはもっと詩的で運命的なものなのよ。わたくしとあなた、どちらの霊能力が上か勝負といきましょう」
麗華さんは頭に紫色のスカーフを巻き、水晶玉に両手をかざして目を閉じた。
「見える…見えるわ!この事務所の未来が!近いうちにここに翼の折れたペガサスが舞い降り、そしてその涙が乾く時、失われた虹のかけらが見つかるでしょう…!」
壮大で意味不明なデタラメに、リサはただきょとんとした顔でその奇妙な霊能力対決を眺めていた。
◇
馬鹿げた「実験」は何の成果ももたらさなかった。俺は騒いでいるメンバーから少し離れ、一人静かに座っているリサに声をかける。
「疲れただろ」
「あ、いえ…」
「あんたのその力のことじゃなくて、あんた自身のことを聞いてもいいか?」
俺はただ彼女に質問をした。学校のこと、友達のこと、好きな音楽のこと、そして家族のこと。最初は戸惑っていた彼女も、俺が何の下心もなくただ彼女という一人の人間に興味を持っていると分かると、少しずつ自分のことを話し始めてくれた。
彼女の物語は決して平坦なものではなかった。絶え間なく続く両親の諍いや、大人たちの押し付ける過剰な期待。その中で生き抜くために彼女は幼い頃から、相手の表情や声色からその望みを敏感に察知するという、悲しい処世術を身につけなければならなかったのだ。
彼女の「予言」の正体もそこにあった。彼女は未来を見ているのではない。目の前の人間の心の奥底をあまりにも鮮明に見通してしまっているだけなのだ。恋に悩む友人には「彼はあなたのことを気になってる」と告げる。その言葉が友人に勇気を与え結果として恋を成就させる。試験に不安な後輩には「あなたなら絶対大丈夫」と背中を押す。その安心感が後輩の本来の力を引き出し合格へと導く。彼女は無意識のうちに相手が最も望む「未来」を告げ、そして人々はその「予言」を現実にするために自ら行動するのだ。それは予言ではなく、カウンセリングであり優しい暗示だった。
「私、今まで自分の言葉で話したことなかったかも…」
リサはぽつりと呟いた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「いつも誰かが言ってほしい言葉を探してた。でも皆さんは違う。私に何も求めてこない。ただ、そこにいるだけ…」
そうだ。権田さんはただ真っ直ぐに勝負を挑んでくるだけ。麗華さんはただ自分の世界に浸っているだけ。俺たちは彼女に何も期待しない。その当たり前の事実が、彼女を長年縛り付けていた見えない呪縛から解き放ったのだ。
彼女は涙を拭うとふっと息を吐いた。その顔はここへ来た時とは別人のように晴れやかで、年相応の少女の無邪気さを取り戻していた。
◇
「ありがとうございました。なんだかすっきりしました」
リサは帰り際、俺たち一人一人に深々と頭を下げた。
「もう占いはやめるつもりです。これからはちゃんと私の言葉で話せるようになりたいから」
その晴れやかな笑顔に俺たちも皆、温かい気持ちになった。
彼女がドアに手をかけ事務所を出て行こうとしたその時、彼女はふと動きを止め、そして俺のことだけをまっすぐに振り返った。さっきまでの明るい少女の顔ではなかった。その瞳は再び深くそして真剣な光を宿していた。それは人の顔色をうかがう目ではない。もっと別の何か、俺たちの理解を超えた何かを見通しているかのような、静かでそして少し恐ろしいほどの眼差し。
彼女は俺のそばに歩み寄ると、周りに聞こえないようにその唇を俺の耳に近づけた。そして囁いた。その声は低く、そして切迫感を帯びていた。
「気をつけて」
「え?」
「あなたの一番近くにいる人が、空に還りたがってる」
その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、俺の心臓は氷水に浸されたかのように冷たくそして固くなった。
一番近くにいる人。それは間違いなく影山さんのことだ。
空に還る。それはソラが消えたあの空。俺たちが見た謎の光。そして彼が見つめていたあの公園。
この少女は今、確かに俺たちの秘密の核心を言い当てたのだ。これはもう心理分析などではない。これは本物の「予言」だ。
俺は弾かれたように影山さんの方を見た。彼は何も気づいていないかのように、窓の外の夕暮れの空をただ静かに眺めている。その背中が今にもふっと消えてあの空に溶けていってしまいそうな、そんな錯覚に襲われた。
俺が再びリサの方を向き直った時、彼女はもうそこにはいなかった。まるで最初から誰もいなかったかのように静まり返った事務所。
俺は一人立ち尽くした。彼女が残していった恐ろしくそしてあまりにも悲しいその予言の言葉を、胸の中で何度も何度も反芻しながら。晩秋の冷たい空気が事務所の窓の隙間から吹き込み、俺の火照った頬を冷たく撫でていった。
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