ミステリー研究会は、謎を解かない

Gaku

文字の大きさ
12 / 15
第三部:最後のミステリー

第12話「最後の依頼人」

しおりを挟む


十二月。冬はもうためらうことなくその冷たい支配の手を広げていた。空気はガラスのように冷たく澄み渡り、吐く息は白い雲となって虚空に消える。太陽は空の低い位置にかろうじてその姿を留めているだけで、その光はもはや地上に暖かさを届ける力を持っていなかった。それはただ世界の色彩を奪い去り、すべてのものの影を鋭く長く引き伸ばすための冷たい照明装置のようだった。
事務所の窓から見える桜並木は完全にその葉を落とし、黒く濡れた枝々がまるで助けを求めるように空へとその指を伸ばしている。その骸骨のような木々のシルエットはこの世界の終わりと始まりの季節を静かに象徴していた。
あの事務所のモニターに巨大な円環模様が映し出された日以来、ミステリー研究会の空気は一変していた。これまでのどこかのんびりとして馬鹿馬鹿しくも温かい雰囲気は消え失せ、代わりに張り詰めた静寂が部屋を支配している。誰もが口には出さないが皆分かっていた。俺たちはもう後戻りの出来ない場所まで来てしまったのだと。麗華さんはただ静かに窓の外を見つめ、権田さんは腕を組んだまま微動だにしない。電脳のパソコンも今日はいつものAAを表示させることなく、ただ黒い画面のまま沈黙している。皆が待っているのだ。俺たちのリーダーである影山さんがその重い口を開くのを。
その氷のように張り詰めた静寂を破ったのは、カランと鳴ったドアベルの乾いた音だった。
ドアを開けて立っていたのは一人の小さな男の子だった。歳の頃は七つか八つくらいだろうか。分厚いダウンジャケットに身を包み、赤い毛糸のマフラーを首に巻いている。冬の冷たい空気で少し赤らんだその小さな顔には、子供特有の純粋な光と大人が失ってしまった揺るぎない確信を宿した大きな黒い瞳が、まっすぐに俺たちを見つめていた。
彼は事務所の中をゆっくりと見回すと、ためらうことなくまっすぐに部屋の中心へと歩いてきた。そしてデスクに座る影山さんの前にぴたりと立ち、その顔を見上げる。その場の全員が息を呑んだ。この小さな訪問者がただの迷子でないことを誰もが直感的に理解したからだ。
少年がその澄んだ瞳で影山さんをじっと見つめ、冬の澄んだ空気のように凛とした声で言った。
「お兄ちゃんたちは、探偵さんなんでしょ?」
「…ああ、そうだ」と影山さんがかすれた声で答える。
「お願いがあるんだ」
少年は続けた。
「空の上で、女の子が泣いてるんだ。助けてあげて」
そのあまりにも純粋で、そしてあまりにも核心を突いた言葉。それはもはや子供の空想などではなく、俺たちがずっと追い求めてきたこの一連の悲しいミステリーの本質そのものを指し示していた。
麗華さんがそっと口元を手で覆う。権田さんの大きな拳が強く握りしめられる。電脳の沈黙していたモニターにただ『…!』という驚愕の記号だけが映し出された。俺の心臓を冷たい氷の手が鷲掴みにしたような衝撃があった。
そして影山さん。彼はその少年の言葉をまるで宣告を受ける罪人のようにただ黙って聞いていた。彼の顔からすべての表情が抜け落ちていく。いつもまとっていた皮肉や韜晦の鎧が、一枚また一枚と剥がされていく。やがてその仮面の下から現れたのは、傷つき疲れ果てたただ一人の人間の素顔だった。
彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、少年の前に膝をついてその目線を合わせた。
「教えてくれてありがとう。君はとても優しい子だ」
その声は感謝と、そしてどうしようもない諦めに満ちていた。
「約束するよ。俺たちが必ずその子を助けてあげると」
少年はこくりと深く頷いた。その使命を果たしたというように、その小さな顔には安堵の表情が浮かんでいる。彼は俺たちに一度だけ深々とお辞儀をするとくるりと背を向け、そしてまた冬の冷たい空気の中へと消えていった。

嵐のような訪問者が去った後、事務所は再び死んだような静寂に包まれた。だがその静寂の質は先程とはまるで違っていた。それはもうただの待つ時間ではなかった。覚悟を決めるための、最後の時間だった。
影山さんは窓際に立ち、ガラスに映る自分の顔をじっと見つめていた。やがて彼は決心したように振り返り、俺たち一人一人の顔を見つめた。
「皆、聞いてくれ」
その声は静かだったがもう震えてはいなかった。
「今夜、日没の後、あの公園に集まってほしい。地図が示していたあの中心の場所に」
彼は一度言葉を切り、そして続けた。
「すべてを話す時が来たようだ。俺の過去のこと。そして俺がこの手で未来を奪ってしまった一人の少女のこと。ソラのことを」
ソラ。彼が初めてその名前を口にした。その名が告げられた瞬間、彼の覚悟に応えるかのように世界が動いた。事務所の大きな窓の外、それまで弱々しい光を投げかけていた冬の太陽がふっとその力を失った。そして次の瞬間、世界が白く染まった。
一本の巨大な光の柱が天から地上へと突き刺さったかのような凄まじい閃光。それは今までのどんな怪奇現象とも比べ物にならない圧倒的なエネルギーの奔流だった。虹色の光でも不気味な影でもない、ただひたすらに純粋でそして神々しいほどの白金の光。その光は音もなく俺たちの頭上の空を切り裂き、そしてまっすぐにあの公園の方角へと流星のように突き進んでいった。
それはまるで狼煙のようだった。長い長い沈黙を破り兄がようやく自分と向き合う覚悟を決めたことに応えた、妹の魂の叫び。あるいは最後の幕開けを告げる天からの合図。光が消え去った後も俺たちは誰も動けなかった。ただその残像が焼き付いた網膜の痛みと、現実が完全に書き換えられてしまったという畏怖の念に打ち震えるだけだった。

夕暮れ。空は深い深い藍色と地平線に残る血のような赤色とに分かたれていた。一番星が凍てついた空で針で刺したような小さな光を放っている。空気は刃物のように冷たく鋭く肺を刺した。
俺たちはあの公園に集まっていた。示し合わせた訳でもないのに一人また一人と、まるで見えない力に導かれるように。麗華さんが来て権田さんが来て、俺の持つスマホの画面の中で電脳が静かに起動した。俺たちは何も語り合わず、ただ黙ってその時を待った。
やがて最後の一人がやってきた。影山さんだ。彼は俺たちの方には目もくれず、公園の中央へとゆっくりと歩いていく。そしてあの二つの錆びついたブランコの前で足を止めた。
彼は俺たちの方を振り返った。その顔は不思議なほど穏やかだった。すべての仮面を脱ぎ捨て、すべての覚悟を決めた人間の静かな表情。
「待たせたな」
彼はそう一言だけ言うと、冷たい冬の夜空を見上げた。これから語られる真実の重さに耐えるかのように、世界はただ深くそして静かに沈黙していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!

野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。  私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。  そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

処理中です...