ミステリー研究会は、謎を解かない

Gaku

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第三部:最後のミステリー

第13話「影山の告白」

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冬の夜は深く、そしてどこまでも静かだった。地平線の最後の茜色の名残もとうに藍色の闇に飲み込まれ、空にはまるでダイヤモンドの砂を撒き散らしたかのように無数の星が凍てついた輝きを放っている。空気はガラスの刃物のように冷たく鋭く、息を吸い込むたびに肺の奥深くまでその冷気が突き刺さるようだった。
俺たちはあの古びた児童公園に立っていた。世界から忘れ去られたかのようなその場所を照らすのは一本の頼りない街灯のオレンジ色の光だけだ。その光が俺たちの足元に長く青黒い影を落とし、吐く息の白さをぼんやりと照らし出していた。
影山さんは二つ並んだ錆びついたブランコのその中央に立っていた。彼はゆっくりと俺たちの方を振り返る。その顔は不思議なほど穏やかで、すべての仮面を脱ぎ捨てすべての覚悟を決めた人間の静謐な表情があった。
「待たせたな」
彼はそう一言だけ言うと、冷たい冬の夜空を見上げた。まるでこれから語る物語の言葉を星の海から紡ぎ出そうとするかのように。そして彼は静かに語り始めた。
「彼女の名前はソラ。俺のたった一人の妹だった」
その言葉が冬の冷たい空気に溶けた瞬間、俺たちの世界の時間が止まった。麗華さんがそっと息を呑む音が聞こえ、権田さんの大きな体が微かに強張った。俺のスマートフォンの中で沈黙していた電脳が『…』という三点リーダーだけを画面に表示させた。俺はただ鼓動が大きく耳の中で鳴り響くのを感じていた。
「ソラは不思議な子だった」
影山さんの声は遠い過去を手繰り寄せるように静かだった。
「物心ついた頃からあの子は、俺たちには見えないものが見え聞こえないものが聞こえていたようだった。なくしたおもちゃがどこにあるのかをまるで見てきたかのように言い当てたり、俺が学校で嫌なことがあった日には何も言わないのに『お兄ちゃん、今日は悲しい色をしてるね』なんて言ったりな」
彼の語るソラの姿は超能力者などではなく、ただ少しだけ感受性が豊かでそして兄を心から慕う可愛らしい妹の姿だった。
「あの子は人の感情に色を見ていた。嬉しい時はキラキラの金色、悲しい時は冷たい青色、怒っている時はどろどろの赤色だって。そして空が好きだった。よく空とお話してるんだと言っていたよ。空の向こうには色んな気持ちがたくさん浮かんでるんだってな」
影山さんの口元にほんのわずかに笑みが浮かんだ。それは幸せな過去を思い出す優しい兄の笑顔だった。
「俺はそんなあの子の言葉をただ子供の可愛らしい空想だとしか思っていなかった。むしろその不思議な感性があの子を周りから孤立させないかとそればかりを心配していた。愚かだったよ。俺はあの子の特別な魂の輝きを理解しようともせず、ただ普通であれとそればかりを願っていたんだ」
その穏やかだった声のトーンが少しずつ変わっていく。楽しい思い出のフィルムが終わり、そして悪夢のフィルムが回り始める。
「あの日もそうだった」
彼は目を伏せ足元の乾いた地面を見つめた。
「秋の終わりかけの今日みたいに少し肌寒い日で、俺たちはこの公園で遊んでいたんだ。日が暮れかかって俺はもう帰ろうと言った。だがソラは嫌だと首を横に振った。もっとブランコで遊びたいと」
彼の視線がゆっくりと錆びついたブランコへと向けられる。
「些細な口論だった。どんな兄妹にもあるようなありふれた言い争いだ。だがなあの子はその時、いつになく真剣な顔で言ったんだ」
『お兄ちゃん、私ね、もうすぐ空に呼ばれるんだ』
『だから今日が最後なの。もう少しだけここにいさせて』
「俺はその言葉をまたあの子の空想だって決めつけた。『馬鹿なこと言ってないで帰るぞ』と俺は少し強い口調で言ってしまった。そして…」
影山さんの声が震え始めた。
「そして俺はあの子に背を向けたんだ。先に帰るぞと怒った振りをしてな。すぐに泣きながら追いかけてくるだろうとたかをくくって…」
彼は一度言葉を止め、苦しそうに息を吸い込んだ。その肩が微かに震えている。
「公園の出口で五分待った。十分待った。だがなあの子は来なかった。おかしいと思って俺はここへ戻ってきたんだ。そしたら…」
そこにはもう誰もいなかった。ソラの姿はどこにもなかったのだ。ただ彼女がさっきまで乗っていたはずのブランコだけが、誰も乗っていないのに、風も吹いていないのに。
キイ…、コーン…。キイ…、コーン…。
まるでさっきまで誰かが乗っていたかの名残のように、ゆっくりと揺れていた。
「そこからのことはあまり覚えていない」
彼の声はもうほとんど囁きに近かった。
「必死であの子の名前を叫びながら辺りを必死で探した。警察に連絡し近所の人たちも一緒に探してくれた。だがなあの子は見つからなかった。まるで最初からこの世界に存在しなかったかのように、煙のように消えてしまったんだ。いや」
彼は強くかぶりを振った。
「煙のようにじゃない。あの子は自分の言葉通り、空に還ってしまったんだ。俺が、あの子の手を離してしまったあの瞬間に」
その時だった。今まで必死にこらえていた影山さんの瞳から一筋、熱い雫がこぼれ落ちた。それは一度流れ出すともう止まらなかった。彼の頬を次々と涙が伝い、そして乾いた冬の地面に小さな染みを作っていく。
「俺のせいなんだ…!」
それはもう告白ではなかった。彼の魂からの慟哭だった。
「俺があの子のSOSを信じてやらなかったからだ!俺があの子の孤独を理解してやらなかったからだ!俺が、あの子の手を離したからあの子は空に消えてしまったんだ!」
彼はその場に崩れ落ちるように膝をついた。その背中はあまりにも小さくそして無防備だった。長い長い歳月たった一人で彼が背負い続けてきた、罪悪感と後悔のそのあまりにも重い十字架。
「だから俺はこのミステリー研究会を作った」
彼は嗚咽混じりに続けた。
「この世界のあらゆる謎を解き明かせば、いつかソラがどこへ消えたのかその最大の謎も解けるんじゃないかって。他の誰かの心の謎を救うことで、あの子を救えなかった俺自身の罪が少しでも軽くなるんじゃないかって。馬鹿げた自己満足だ。独りよがりの贖罪ごっこなんだよ…!」
すべての謎が解けた。なぜ彼がこの事務所をやっているのか。なぜ彼は俺たちのくだらない悩みに真剣に付き合ってくれたのか。なぜ彼はあれほど悲しい瞳をしていたのか。すべては空に消えたたった一人の妹への、届くことのない恋文のような祈りだったのだ。
そのあまりにも悲痛な告白に俺たちは誰も言葉を発することができなかった。どんな慰めの言葉もこの巨大な悲しみの前ではあまりにも無力で陳腐に響いてしまうだろう。
麗華さんが美しいその顔を涙で濡らしながら、そっと自分のマフラーを外して彼の震える肩にかけた。権田さんは唇を強く噛み締め、その大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼしながらただ天を仰いでいた。俺のスマートフォンから聞こえてくる電脳のかすかな電子音は、まるで静かなすすり泣きのようにも聞こえた。
俺も泣いていた。会ったこともないソラという少女のために。そして何よりもこの不器用で優しくて、そして誰よりも深い悲しみを一人で抱え続けてきた俺たちのリーダーのために。
俺たちは何も言わなかった。ただそこにいた。冷たい冬の夜の公園で泣き崩れる一人の男のそのそばに。彼の孤独な魂に寄り添うように。俺たちはミステリー研究会という一つの家族として、ただ静かに彼の悲しみを分かち合っていた。
星だけが何もかもを見透かしているかのように、冷たくそして美しく輝いていた。

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