ミステリー研究会は、謎を解かない

Gaku

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第三部:最後のミステリー

第14話「ミステリー研究会、最後の事件」

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あの長い告白の夜が明けた。冬の朝の光は薄い白銀の刃のように事務所の窓から鋭く差し込み、空気はガラスの一枚でも割れてしまいそうなほど張り詰めていた。俺、佐藤健太は昨夜ほとんど眠れなかった。瞼を閉じれば泣き崩れる影山さんのあの小さな背中が蘇り、彼の嗚咽が耳の奥で何度も響いた。ソラという少女のあまりにも悲しい物語と、俺たちが追いかけてきた謎の残酷な正体。それらすべてが重い鉛の塊となって俺の心の底に沈んでいた。
どんな顔をして事務所へ行けばいいのか、どんな言葉を彼にかければいいのか。何も分からないまま俺はただ義務のようにあの古びた雑居ビルの階段を上った。ドアを開けると、そこには俺の予想とは全く違う光景が広がっていた。事務所は静かだったが、それは昨日のような重苦しい沈黙ではなかった。嵐の前の、あるいは夜明け前の、神聖でどこか決意に満ちた静けさだった。
麗華さんはテーブルの上で一冊の古い絵本を食い入るように見つめている。その横顔はいつになく真剣で美しい。権田さんは腕を組み、窓の外の冬の空を仁王立ちになって睨みつけていた。そして電脳のノートパソコンは既に起動しており、画面には複雑な回路図のようなものがいくつも表示されている。スピーカーから聞こえてくる彼の本当の声は静かだが、その奥に熱い炎が宿っているのが分かった。
影山さんもいた。彼はデスクに座って目を閉じていたが、その顔はひどく疲れ切ってはいるものの不思議と穏やかに見えた。まるで長い悪夢からようやく目覚めた人のように。
その静寂を最初に破ったのは権田さんだった。彼は空を睨みつけたまま、低く揺るぎない声で言った。
「このまま終わらせるなんてごめんだぜ」
それに呼応するように麗華さんが顔を上げる。
「ええ、そうね。悲劇のまま幕を下ろすなんてわたくしの美学に反するわ」
彼女は手に持った絵本をそっと胸に抱いた。
「最後の舞台の幕は我々自身の手で上げなければ」
そして電脳が言った。
『僕たちが解くべき最後のミステリーです。依頼人はソラさん。依頼内容は…』
そこで全員が言葉を止め顔を見合わせた。目と目で語り合い、もう言葉はいらなかった。俺たちの心は完全に一つになっていた。
「空で泣いているソラちゃんを、笑わせる」
俺がそう呟くと皆が深く頷いた。その瞬間、事務所の張り詰めていた空気がふっと和らぐ。悲しみは消えていない。絶望がなくなった訳でもない。だがその深い悲しみの上に、一つの温かくそしてとてつもなく無謀な決意の光が灯ったのだ。
「よし!」権田さんが叫んだ。「俺たちにしかできねえやり方で、ボスを、ソラちゃんを救うぞ!」
そうだ。これこそが俺たちミステリー研究会の最後の事件、そして最高の事件の始まりだった。

そこからの俺たちの行動は、傍から見ればひどく滑稽でそして意味不明なものに見えただろう。だが俺たちにとってはそれらすべてが真剣で切実な祈りの儀式だった。
最初に動いたのは電脳だった。彼は事務所の床に巨大なブルーシートを広げると、その上にこれまでの事件で作り上げてきた全てのガラクタ発明品を並べ始めた。霊音声分析装置、高感度心霊音響探知システム、対異星文明用コミュニケーション装置、そして多次元エネルギーフィールド・スキャナー。彼はそれら全てのガラクタをおびただしい数のケーブルで繋ぎ合わせ、一台の巨大なサーバーへと接続していく。
「ソラさんの『想い』を可視化する装置です」
彼は汗を拭うのも忘れ一心不乱に作業を続けていた。
「彼女の感情は強力なエネルギーとしてこの空間に偏在している。その微弱な霊的あるいは次元的な波動を僕の全てのセンサーで捉え増幅し、そして映像として再構築するんです。名付けて『魂の可視化装置(ソウル・ビジュアライザー)』!」
それは科学とオカルトがごちゃ混ぜになったあまりにも荒唐無稽な挑戦だったが、彼の瞳は本気だった。彼の信じるロジックとテクノロジーのすべてを賭けて、彼は目には見えない友の心を救おうとしていた。
麗華さんはその間ずっと、あの古い絵本を読み込んでいた。影山さんが教えてくれたソラが生前一番好きだったという絵本、『空色うさぎと星のしずく』だ。彼女はただ読むのではなかった。影山さんにソラの声のトーンや笑い方、好きだった言葉の響きまで細かく質問し、そのすべてを台本に書き込んでいく。そして事務所の隅で何度も何度もその台詞を練習する。それはもういつもの大げさな舞台女優の演技ではなく、どこまでも優しく温かい声だった。まるで本当の姉がすぐそばにいる大切な妹に語りかけるように。彼女は自分の持つ最高の技術と表現力のすべてを、たった一人の空にいる観客のために捧げようとしていた。
そして権田さん。彼はその日事務所にはいなかった。彼は一人あの公園へと向かっていったのだ。その両手には箒とちりとり、そして雑巾とバケツが握られていた。彼は公園に着くとまるで神社の境内を清める神主のように黙々と掃除を始めた。落ち葉を一枚残らず掃き集め、空き缶やゴミを拾い、そしてあの二つの錆びついたブランコを雑巾でピカピカに磨き上げた。彼は力任せに壊すのではない、守るために清めているのだ。これから始まる最後の舞台を神聖な場所に変えるために。そしてソラの魂が安心してそこに降りてこられるようにと。
俺はそんな三人の姿をカメラに収めながら彼らの間を行き来していた。電脳の複雑な配線を⼿伝い、麗華さんの練習相⼿となり、そして権田さんのために温かいお茶をポットに⼊れて届けた。何よりも俺は影山さんの隣にいるように努めた。彼はその日何もしなかった。ただデスクに座り俺たちのそのハチャメチャで必死な活動を静かに見つめているだけだった。俺は彼に安易な慰めの言葉はかけず、ただ黙って隣でコーヒーを飲む。彼が淹れてくれた相変わらず地獄のようにまずいコーヒーが、今はなぜかひどく温かく感じられた。あんたは一人じゃないと、その沈黙の時間がそう告げているようだった。

やがて太陽がゆっくりと西に傾き、空が冬の澄んだオレンジ色に染まり始めた。決行の時だ。俺たちは全ての機材を運び込み、あの公園に集結した。権田さんが完璧に清掃した公園は、まるでこの日のために用意された野外劇場のようだった。
公園の中央に設置された電脳の「ソウル・ビジュアライザー」は異様な存在感を放っている。無数のケーブルが絡み合い、いくつものモニターが怪しげな光を放っていた。権田さんは公園の入り口に仁王立ちになり、これから始まる神聖な儀式を邪魔する者が入ってこないよう番をしている。そして麗華さんがブランコの前に立った。その手にはあの絵本が握られている。彼女の周りに観客はいない。あるのはただ俺たち仲間と、そして見上げる果てしない冬の空だけ。
俺はカメラを構えた。この馬鹿げていてそして世界で一番美しい光景を記録するために。影山さんは俺の隣でじっとその光景を見つめている。その瞳は不安とかすかな希望に揺れていた。
「始めるわね」
麗華さんが小さく呟いた。彼女は大きく息を吸い込むと、その物語を語り始める。その声はマイクもないのに冬の澄み切った空気の中をどこまでもまっすぐに響き渡った。
「むかしむかしあるところに、空の色をした毛皮を持つ小さなうさぎがおりました。空色うさぎはいつも一人ぼっち。だって周りのうさぎたちはみんな、白や茶色の毛皮をしていたからです…」
それはもう演技ではなかった。彼女の声そのものが物語だった。その言葉一つ一つにソラへの愛と優しさが込められていた。
彼女が物語を紡ぐにつれて不思議なことが起きた。それまでただ唸りを上げていただけだった電脳の装置のモニターが微かに反応を示し始めたのだ。ノイズだらけの画面に淡い光の粒子のようなものが現れ、そして彼女の声の抑揚に合わせてその色を変えていく。金色になったり青色になったり。
そして何よりも、この場所に満ちる空気が変わっていくのが分かった。肌を刺すような冬の冷気は和らぎ、代わりに温かい何かにそっと包み込まれるような感覚。悲しみは消えない。でもその悲しみに寄り添う巨大な優しさを感じた。
俺はファインダーを覗きながら確信していた。届いている。俺たちのこのハチャメチャで必死で、そしてどうしようもなく純粋な想いは、今確かに、空で一人泣いていた少女の心に届き始めているのだと。
物語はまだ終わらない。俺たちの最後の事件はまだ始まったばかりだ。
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