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第10話 ゴースト・ハッカーと電子の戦場
しおりを挟む鬼頭さんと犬飼さんの、壮絶な過去の告白から数日が過ぎた。
八月も半ば。蝉の鳴き声は、もはや断末魔の叫びに近いボルテージに達し、アスファルトの上では、逃げ水が、まるでこの世ならざるもののようにゆらゆらと揺れている。ATSの事務所は、あの告白以来、奇妙な一体感と、そして、嵐の前の静けさにも似た、張り詰めた空気感に包まれていた。俺たちは、もうただの寄せ集めじゃない。共通の敵と、守るべき未来を持った、一つの『チーム』になったのだ。…と、まあ、口で言うのは簡単だが。
その日、俺たちは、新生ATSとして初となる、本格的な作戦会議を開いていた。
休憩スペースのホワイトボードには、鬼頭さんが描いた、敵の親玉・夜月景の似顔絵(あまり似ていない)と、組織の仮称である『ノイズ』という文字が、力強く書かれている。
「いいか、お前ら。夜月の狙いは、全世界の通信網をジャックし、奴が作り出した特殊な『ノイズ周波数』を拡散させることによる、大規模な周波数テロだ。それは、人々の精神を内側から破壊し、世界を大混乱に陥れる」
鬼頭さんの、真剣で、重々しい説明。メンバー全員が、固唾を飲んで聞き入っている。そう、この瞬間までは、完璧にシリアスで、カッコいい特殊部隊のブリーフィング、そのものだった。
だが、次の瞬間。
「なるほど、理解したわ」最初に口を開いたのは、西園寺かおりだった。彼女は、優雅に脚を組み、扇子で自らを扇ぎながら、こともなげに言った。「要するに、その『ノイズ』とやらを、物理的に叩き潰せばいいだけの話でしょう? 私の財力を使えば、米軍から最新鋭のステルス戦闘機F-35を数機、リースすることくらい、わけないわよ。それで、敵のアジトごと、木っ端微塵にしてやればいいじゃない」
「いや、そういう物理的な話じゃねえだろ!」俺のツッコミが飛ぶ。このお嬢様、金で解決できない問題はないと本気で思っているな。
「歌では…ダメでしょうか?」おずおずと手を挙げたのは、星野キララだった。「私の歌の周波数は、人の心を癒す効果があるって、周防さんも言っていました。その力で、夜月さんの『ノイズ』を、中和することは…」
「おお、キララ殿! それは素晴らしい!」田中住職が、ポンと膝を打った。「古文書にも、邪悪な音には、巫女の清らかな歌声が有効とありますぞ! わしも、援護にありがたいお経を唱えましょう! 南無阿弥陀仏!」
アイドルと住職の、奇跡のコラボレーションが生まれようとしている。敵も、まさかJ-POPとお経の同時攻撃を受けるとは思わないだろう。斬新すぎる。
「理屈はいいからよぉ!」業を煮やしたように、姫川さんがテーブルをドンと叩いた。「敵のアジトを突き止めて、あたしと鬼頭さんで殴り込みじゃい! そいつが一番、手っ取り早いだろうが!」
脳筋すぎる。だが、一番分かりやすい。
俺は、この、あまりにもまとまりのない作戦会議を、もはや遠い目で見つめていた。
ステルス戦闘機、J-POP、お経、そして、物理的な殴り込み。
…このチーム、本当に大丈夫か…? 俺たちの未来は、世界の平和より、よっぽど不確かで、危うい気がする。
その、カオスな会議が、最高潮に達した、その時だった。
ブツンッ。
突如、事務所のすべてのモニターが、一斉に暗転した。そして、次の瞬間、全ての画面に、砂嵐のような激しいノイズが走り、その中央に、一つの不気味なシンボルマークが、ゆっくりと浮かび上がった。
それは、円の中に、心電図の波形のような、鋭いノイズラインが描かれた、シンプルながらも、見る者に言いようのない不安感を与えるデザインだった。
『ノイズ』。夜月の、組織のマークだ。
「チッ…!」神代が、誰よりも早く反応した。「ご挨拶がわりってわけか! こっちの会議を、盗聴してたな!」
直後、事務所全体に、再び、あの忌まわしい緊急アラートが鳴り響いた。
『警告! 警告! 外部より、強力なサイバー攻撃を検知! 防御システム、第一、第二隔壁を突破されました!』
周防さんの、いつもより数段、緊張を帯びた声が響き渡る。
照明が、チカチカと激しく明滅し、エアコンが、断末魔のような音を立てて停止した。灼熱地獄の、再来である。
「上等じゃねえか…!」
神代は、猛禽類のような笑みを浮かべると、自らの要塞PCの前に飛びついた。
「周防さん、バックアップは生きてるか!?」
『メインシステムは、敵のウイルスに完全にロックされています。ですが、私が個人的に構築した、独立バックアップシステムは、まだ健在です。…いつでも、いけます』
周防さんもまた、オペレーションルームで、静かに、しかし確かな闘志を燃やしていた。
「よし…始めようぜ。電子の戦場へ、ようこそってな!」
こうして、ATSの事務所という、物理世界の片隅で、常人には決して見ることのできない、もう一つの戦争の火蓋が、切って落とされた。
***
そこからの光景は、俺の陳腐な語彙力では、到底、説明のつくものではなかった。
神代と周防。二人の天才ハッカーは、それぞれ、凄まじい集中力で、目の前のモニターに映し出された、無数の文字列と格闘し始めた。
カタカタカタカタッ! ターンッ!!
神代のタイピングは、まるで嵐のようだった。攻撃的で、情熱的で、トリッキー。彼の指がキーボードの上を舞うたびに、モニター上には、敵の攻撃を防ぐための、鮮やかな色のファイアウォールが、いくつも構築されていく。
「くそっ、このウイルス、自己増殖するタイプか! しつこいゴキブリみてえだな! なら、こっちも、とっておきの殺虫剤をくれてやる!」
彼は、カウンターとして、敵のシステムに、無数のトラップ(罠)を仕掛けていく。それは、まるで、複雑なチェス盤の上で、相手のキングを追い詰めていく、名人の指し手のように、華麗で、そして狡猾だった。
一方、周防さんのタイピングは、まるで静かな深海の流れのようだった。無駄がなく、冷徹で、そして、恐ろしいほどに正確。
『…敵性ウイルスの構造パターンを解析。擬態性を持つ、ポリモーフィック型。ですが、その核となるルーチンに、微弱な、しかし致命的な脆弱性を発見』
彼女は、敵の猛攻を受け流しながら、冷静に、その構造を分析し、弱点を突くための、完璧なワクチンプログラムを、一行、また一行と、リアルタイムで構築していく。それは、名医が、未知のウイルスの特効薬を、顕微鏡を覗きながら作り上げていくかのような、神聖さすら感じさせる作業だった。
だが、そんな、神々の戦いを、俺たちアナログ組は、ただ、固唾をのんで見守ることしかできない。
いや、できなかった。
「が、頑張れ、二人とも!」俺は、居ても立ってもいられず、叫んだ。「なんか、こう、もっと、エンターキーを、こう、ターンッ! って感じで、強く叩くんだ!」
「先輩、それは、たぶん、意味ないです…」ひかりちゃんが、冷静にツッコむ。
「神代さん! 周防さん! 脳を使ったら、糖分補給が必要です!」
ひかりちゃんは、そう言うと、キララが差し入れてくれた高級チョコレートを、二人の口元へと、せっせと運び始めた。
「もぐっ…ひかりちゃん、ありがと…でも、今、手が離せないから…もぐもぐ…」
「…感謝します、橘さん。ですが、集中が…もぐ…」
二人は、超絶的なハッキングをしながら、ひかりちゃんに餌付けされる、という、シュールな光景を繰り広げている。
「PCが、すごい熱を持ってるぞ! そうだ、物理的に冷やせばいいんだ!」
姫川さんは、どこからか、業務用の巨大な扇風機を「うおおおお!」と運び出すと、その強風を、二人のPCに叩きつけた。
「ぶはっ!」「ごほっ!」
凄まじい風で、二人の髪はめちゃくちゃになり、机の上の書類が、事務所中に舞い散った。
「やめろ、物理攻撃! 俺の計算されたエアフローが乱れる!」神代が叫ぶ。
「南無三! システムに巣食う悪霊よ、退散したまえ! 悪霊退散! 悪霊退散!」
田中住職は、おもむろに、神代のPCサーバーに向かって、ありがたいお経を唱え始めた。その手には、いつの間にか、本格的な数珠まで握られている。サーバーが、心なしか、厳かなオーラに包まれていく。
その、あまりにもカオスな応援団に、ついに、二人の天才が、同時にキレた。
「「うるさーーーーい(です)!!!」」
綺麗にハモった。その絶叫に、俺たちアナログ組は、びくっと体を震わせ、壁際で小さくなるしかなかった。
***
攻防は、一時間を超え、膠着状態に陥っていた。
敵のハッカーも、相当な手練れらしい。神代と周防の鉄壁の守りを、じわじわと、しかし確実に、削り取っていく。
「くそっ…! こいつ、俺の攻撃パターンを、完全に読んできやがる…!」
神代の額に、大粒の汗が浮かぶ。
「まさか…! この手口、この思考の癖…! 鷹宮(たかみや)さんか…!? あの研究所にいた、俺の師匠みたいな人だ…! あの人も、夜月側に寝返ったっていうのかよ!」
「目的が見えました」周防さんが、冷静に告げる。「敵の本当の狙いは、システム破壊ではありません。彼らが執拗にアクセスしようとしているのは、ATSが保管している『エクトの観測データ』。特に…」
周防さんは、ちらりと、ひかりちゃんと、そして、モニターに映るキララの似顔絵を見た。
「橘さんと、星野キララさんの、特殊な『生体周波数データ』です」
「なるほどな!」鬼頭さんが、拳を叩いた。「夜月の野郎、この前の黒いエクトを、さらに強化するつもりだ! そのために、ひかりちゃんたちの、エクトを引き寄せる特殊な周波数をサンプルとして、取り込みたいってわけか!」
敵の目的が判明した、その時だった。
モニターに、赤い警告表示が、激しく点滅した。
『最終防衛ライン、突破されます! 5、4、3…』
まずい! データが、盗られる!
誰もが、息を呑んだ、その瞬間。
「…間に合いました」
周防さんが、静かに、呟いた。
そして、彼女は、一つのキーを、そっと、押した。
『対敵性情報兵器…コードネーム、『デウス・エクス・マキナ』。起動します』
次の瞬間、周防さんのモニターから、純白の、天使の翼を思わせるような、美しい光のプログラムが放たれた。それは、敵の黒いウイルスを、浄化するように、次々と消し去っていく。
「今だ、神代!」
「言われなくても!」
神代は、敵がワクチンに気を取られている、その一瞬の隙を突き、最後のトラップを発動させた。
「喰らえ! 俺の、愛と、友情と、そして、ちょっぴりの殺意を込めた、カウンター・バーストだ!」
神代のプログラムが、敵のシステムの奥深くへと、光の矢のように突き刺さっていく。
そして、敵のモニターに映し出されていた『ノイズ』のシンボルマークに、大きな亀裂が走り、粉々に砕け散った。
ぴたり。
あれほど激しかったサイバー攻撃が、まるで、嘘のように、止んだ。
事務所に、静寂が戻る。
止まっていたエアコンが、再び、優しい風を送り出し始めた。
***
「…勝った…のか…?」
俺が、呆然と呟くと、神代が、椅子に深くもたれかかりながら、ニヤリと笑った。
「ああ…。ギリギリ、こっちの勝ちだ。…だが、ただで帰したわけじゃねえぜ」
彼は、モニターに、一つの地図を表示させた。その地図上の、とある一点が、赤く点滅している。
「最後のカウンターを仕掛ける時、あっちさんのシステムに、ちっぽけな『お土産』を置いてきてやった。敵のログを逆探知して、発信源を追跡する、俺特製のスパイウェアだ。…時間はかかるが、これで、奴らのアジトの、おおよその見当はつくはずだぜ」
敵の攻撃を撃退しただけでなく、反撃の糸口まで掴んだ。
絶望的な状況から、初めて、俺たちが、確かな一歩を、前に進めた瞬間だった。
「…よっしゃああああああ!」
誰かが叫んだのをきっかけに、事務所は、歓声に包まれた。俺も、姫川さんも、ひかりちゃんも、みんなでハイタッチをして、勝利を分かち合った。
「…よし!」鬼頭さんが、力強く言った。「今夜は、ささやかだが、祝杯だ! ピザ取るぞ! 一番高いやつだ!」
「やったー!」
その夜、俺たちは、事務所で、大量のピザとコーラを囲んでいた。
サイバー戦で最も活躍した神代と周防が、「俺はパイナップルが乗ってるハワイアンが食いたい」「いえ、パイナップルは邪道です。ここは、クアトロフォルマッジに蜂蜜でしょう」と、ピザの最後のワンピースを巡って、極めて低レベルな争いを繰り広げている。
その、あまりにも平和で、あまりにもいつも通りの光景を見ながら、俺は、コーラの紙コップを片手に、一人、静かに笑っていた。
まあ、なんだかんだ、この、むちゃくちゃで、まとまりのない、最高のチームなら。
世界の終わりだって、きっと、笑い飛ばせるのかもしれないな。
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