滅びた国の絶望王女が勇者を探していたので、俺(勇者)も一緒に探してみることにした件

Gaku

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第1部:出会いと勘違いの旅路

第11話:お願いの前提が、たぶん違う

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その瞬間、世界から音が消えた。

先程まで空気を引き裂いていた魔族の咆哮も、地を揺るがした魔法の轟音も、恐怖に歪んだ盗賊たちの悲鳴も、すべてが嘘のようにぴたりと止んだ。まるで、性急すぎる指揮者がタクトを振り下ろしたまま舞台袖に引っ込んでしまい、残された楽団員が呆然と静まり返っているかのようだ。

ユウのデコピンによって、空の彼方へと弾き飛ばされた魔族は、やがて小さな、小さな光の点となり、西の空に沈みかけていた太陽の最後の輝きに溶けるようにして、ぷつりと見えなくなった。

後に残されたのは、信じがたいほどの静寂と、夕暮れの茜色に染まる荒れ地だけだった。

乾いた風が、ひゅう、と寂しい音を立てて吹き抜ける。風は、焦げ付いた土の匂いと、先程までユウがキノコ狩りに興じていた名残である、むせ返るような胞子の匂いを一緒くたにして運んできた。ユウの起こした突風の余波だろうか、遠くに見える森の木々が、まだざわざわと囁き合うように葉を揺らしている。

時刻は、逢魔が時。

西の空は、熟しすぎた果実をナイフで裂いたかのように、鮮烈な赤と、どす黒い紫が混じり合ったグラデーションを描いていた。その光は、地面に突き刺さったままの巨大な毒キノコの傘や、根こそぎひっくり返った倒木、そして、目の前で起きたあまりにも非現実的な出来事を脳が処理しきれず、ただ立ち尽くす人々の影を、黒く、長く引き伸ばしている。

誰もが、動けなかった。

盗賊団の団員たちは、埃っぽい地面にへたり込んだまま、半開きになった口から乾いた喉を晒していた。つい先程まで死を覚悟していたのだ。その覚悟のやり場が見つからず、魂が肉体から半分抜け落ちたような、虚ろな目をしている。

女団長のザンナでさえ、いつも小粋に咥えていた小枝を、ぽろり、と力なく地面に落としていた。その美しい顔立ちは驚愕に強張り、切れ長の瞳が信じられないものを見るように、一点だけを見つめている。

その視線の先には、この異常な静寂を作り出した張本人――ユウが、少し困ったような顔で立っていた。

「あれ……思ったより飛んでっちゃったな。もうちょっと手加減すればよかったか」

彼は、魔族が消えた空の方角を見ながら、ぽりぽりと頬を掻いている。その表情には、英雄の威厳も、強敵を打ち破った達成感もない。まるで、フルスイングしたゴルフボールが、想定外の場外ホームランになってしまった時のような、そんな気まずさと戸惑いが浮かんでいた。

(いったい……何が、起きたの……?)

誰もがそう思っていた。誰もが、目の前の青年が人間というカテゴリーから著しく逸脱した、理解不能な存在であることを、改めてその肌で感じていた。

その、時が止まったかのような静寂を最初に破ったのは、王女シルフィアだった。

彼女は、泥と埃に汚れた純白のドレスの裾を、血が滲むほど強く握りしめていた。震える唇をぐっと引き結び、乾いた喉をごくりと鳴らす。彼女のサファイアのような青い瞳には、先程までの絶望の色は、もうどこにもなかった。恐怖も、驚愕も、今はもうない。

ただ一つ、確かな光が宿っていた。

確信。

この人こそが、王国に古くから伝わる古文書に記された、世界が闇に覆われた時に現れるという唯一の希望。

――伝承の勇者。

その揺ぎない確信だけが、凍り付いていた彼女の心を、再び熱く脈打たせていた。王国が滅んだあの日から、彼女の目に映る世界は、まるで色褪せた古い絵画のように、すべての彩度を失っていた。降り注ぐ隕石の炎も、血の赤も、ただの濃淡の違う灰色にしか見えなかった。だが、今は違う。

目の前に立つ、少し困り顔の青年。彼の存在そのものが、この灰色の世界に差し込んだ、あまりにも鮮やかで、強烈な一筋の光だった。

シルフィアは、ふらつく足で一歩、踏み出した。

その一歩は、あまりにも重い一歩だった。滅びた故郷の民の想いを、無念のうちに散った父王の魂を、彼女を守るために命を落としていった騎士たちの願いを、その華奢な両肩にすべて背負うかのような、悲壮な覚悟に満ちた一歩だった。

また一歩、ユウに近づく。

ユウは、その鬼気迫る様子のシルフィアに気づき、「あ、えっと、大丈夫?」と心配そうな声をかけた。

(この方に、すべてを賭けるのよ)

シルフィアは心に誓う。もう迷いはない。プライドも、王女としての矜持も、この世界の未来の前では、塵芥にも等しい。

そして、ユウの目の前までたどり着くと、シルフィアは、一切のためらいもなく、その場に両膝をついた。ごつごつとした石くれが転がる、乾いた土の上に。

「わっ!? ちょ、ちょっと待って!?」

ユウは、その予想外すぎる行動に、本気で驚き、慌てて声を上げた。

彼の常識では、人が人の前で膝をつくというのは、よほどのことだ。ましてや相手は、見るからに高貴な雰囲気を漂わせる、自分より年下の少女である。

(え、なんで!? 俺、何か無礼なことした!? いや、してないはずだ! 助けた側だよな!? それとも、この世界ではこれが標準的な感謝の挨拶なのか!? いや、だとしても、こんな泥だらけの地面に膝をつかせるなんて、人としてどうなんだ!?)

彼は、目の前で起きている事態の異常さに、ただただ困惑し、焦っていた。

「だ、だめだよ、こんなところで! とにかく顔を上げて、話を聞くから!」

ユウが慌てて手を差し伸べようとするが、シルフィアはそれを制するように、地面に額をこすりつけんばかりの勢いで、深く、深く頭を垂れた。そして、震える声で、しかしはっきりと、彼女の願いを紡ぎ出した。

「お……お願いが、あります」

その絞り出すような声に、ユウは思わずごくりと唾を飲んだ。これは、ただ事ではない。ふざけて対応していい場面ではないことだけは、彼の常識がはっきりと告げていた。

「……うん。何?」

ユウは、できるだけ穏やかな声で応えた。

シルフィアがゆっくりと顔を上げる。その美しい顔は泥と涙で汚れ、しかし、その瞳は夜空で最も明るく輝く星のように、強い光を放っていた。大粒の涙がはらはらと零れ落ち、泥の頬を伝って、一条の綺麗な筋を描く。

その姿に、ユウは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。彼女が、計り知れないほどの悲しみと苦しみを背負っていることだけは、痛いほどに伝わってくる。

シルフィアは、その潤んだ瞳で真っ直ぐにユウを見つめ、魂の底から叫ぶように、その願いを告げた。

「どうか……! この私を、お助けください! そして……あなた様のお力で、この世界を……この世界を、お救いください!!」

その言葉の重みに、ユウは息を呑んだ。

「世界を、救う……?」

彼は、その言葉をゆっくりと反芻する。目の前の少女の涙、その悲壮な覚悟、そして「世界」という、あまりにも巨大な言葉。すべてが、彼の想像を遥かに超えていた。

ユウは、真剣な眼差しでシルフィアを見つめ返した。彼女が、決して冗談や誇張で言っているのではないことは、火を見るより明らかだった。彼女は本気で、自分に「世界を救え」と懇願しているのだ。

(どういうことだ……? この子は、一体何者で、何と戦っているんだ……? さっきの魔族とかいうのも、ただのデカいモンスターじゃなかったのか……?)

彼の頭の中は、疑問符で埋め尽くされる。しかし、一つだけ確かなことがあった。

それは、目の前で、助けを求めて泣いている人がいる、という紛れもない事実だった。

彼女が背負っているものの大きさも、彼女が言う「世界」が何を指すのかも、今のユウには分からない。だが、そんなことは、今はどうでもよかった。理屈や状況判断の前に、彼の心は、とっくに決まっていた。

ユウは、静かにシルフィアの前にしゃがみ込むと、彼女の震える手を、両手でそっと包み込んだ。

「……分かった」

彼の声は、穏やかで、そしてどこまでも真摯だった。

「君がどうしてそんなに苦しんでいるのか、君が言う『世界』がどんなものなのか、正直、今の俺には何も分からない。でも、君が助けを求めているのは、分かった。だったら、俺にできることがあるなら、何でもするよ」

それは、ただ、困っている人を目の前にして、自分にそれだけの力があるのなら、手を差し伸べるのは当たり前だという、彼の中に根付いた、ごく自然で、常識的な善意から生まれた言葉だった。

勘違いは、それでも、静かに成立した。

シルフィアは、ユウが勇者としての宿命を受け入れてくれたのだと、心の底から感激し、安堵の涙をさらに流した。「ああ、これで、故郷は……世界は救われる」と。

ユウは、目の前の少女が背負う「何か」を、共に背負う覚悟を決めた。「よし、まずはこの子を泣き止ませて、安全な場所に連れて行って、それからゆっくり話を聞こう」と。

この時、二人の認識には、致命的なまでのスケール感のズレが生じていた。

ユウが想像する「助け」とは、彼女の故郷を脅かす盗賊団の討伐や、悪徳領主の懲罰といった、彼が理解できる範囲の、いわば個人的な問題解決の手伝いであった。

しかし、シルフィアが求める「救い」とは、文字通り、この惑星そのものを脅かす魔族の軍勢との全面戦争に勝利し、世界の秩序を回復するという、神話レベルの救世活動だったのである。

この絶望的なまでの前提の違いに、二人はまだ気づいていない。

「……おい、話はまとまったのか?」

いつの間にか背後に立っていたザンナが、呆れたような、それでいて少し感心したような、複雑な声色で言った。

「お人好しにも程があるぞ、お前。何を頼まれたか知らねえが、とんでもない厄介事を背負い込んだ顔してるぜ」

「そうかもね。でも、まあ、いいんだ」

ユウは立ち上がると、シルフィアに「行こう」と手を差し伸べ、ニカッと笑った。

一行は、盗賊団のアジトへと帰路につく。

夕闇が、ゆっくりと森を支配し始めていた。木々の葉の色は深い緑から黒へと沈み、空には一番星が瞬き始めている。昼間とは全く違う、ひんやりとした空気が肌を撫で、どこからか夜行性の獣の低い唸り声が聞こえてくる。

道中、ユウはシルフィアの隣を歩きながら、心配そうに口を開いた。

「まずは、アジトでゆっくり休むといい。それで、落ち着いたら、君の話を聞かせてくれるかな。敵のこととか、どんな奴らなのかとか」

「はい……! もちろんです!」

シルフィアは、彼が早速具体的な計画を立てようとしてくれているのだと思い、力強く頷いた。

「それで、その……敵っていうのは、全部で何人くらいいるんだ?」

ユウとしては、相手の戦力を把握するための、ごく当たり前の質問だった。山賊なら数十人、軍隊でも数百人くらいを想定してのことだ。

しかし、シルフィアの答えは、彼の想像の斜め上を遥かに超えていた。

「数……でございますか……。正確な数は、もはや誰にも。先遣隊だけでも、我が国の騎士団数千を蹂躙するほどの軍勢でした。その本隊は、大陸の東を埋め尽くしていると……」

「……え? せ、先遣隊で数千? 本隊は大陸を埋め尽くす?」

ユウは思わず足を止め、目をぱちくりさせた。彼の脳内の常識辞書には、そんな規模の「敵」は登録されていない。

(騎士団って、あの鎧着た人たちのことだよな? それが数千……? なんだその規模。国同士の戦争とかそういうレベルの話か? いやいや、まさか……。きっと、この子、よっぽど怖い目に遭ったから、ちょっと大袈裟に言ってるだけだよな。うん、そうに違いない)

彼は、少女が受けた精神的ショックを慮り、自分に都合のいいように情報を下方修正した。

「そ、そっか……。それは大変だったな……。じゃあ、その……一番偉いやつを叩けば、残りは逃げていく、とかそういう感じかな?」

彼の頭の中では、盗賊団の頭を捕まえれば、子分たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく、というイメージが描かれていた。

シルフィアは、その質問に真剣な顔で頷く。

「おそらくは。魔族の頂点に立つ『魔王』を討てば、奴らの統率も乱れましょう。しかし、それはあまりにも危険です。まずは、奴らが各地に築いた要塞を一つずつ攻略し、戦力を削いでいくのが現実的かと……」

「魔王!? 要塞!?」

パワーワードの連続に、ユウの思考は完全に追いつかない。

(魔王って!すごい二つ名だな!厨二病か! いや、この子の真剣な顔つきからして、本気でそう呼んでるのか。それに要塞って……アジトとかじゃなくて、要塞!?)

あまりの情報量の多さとスケールのデカさに、ユウの頭はパンク寸前だった。しかし、彼は目の前で必死に説明しようとする少女の健気な姿を見て、力強く頷いてみせた。

「なるほどな!よく分かった! とにかく、やるべきことはたくさんあるってことだな!よし、任せとけ!」

彼は、まだ何も分かっていなかった。

シルフィアは、ユウがすべてを理解し、その上で覚悟を決めてくれたのだと解釈し、彼の頼もしさに胸を熱くしていた。

(よかった……この方なら、きっと……!)

一方、ユウは、

(うん、まあ、なんだかよく分かんないけど、とりあえず目の前のこの子が困ってるのは事実だし、俺にできることを一個ずつやっていけばいいか!)

と、問題を極限までシンプルに捉え直すことで、思考のパンクを回避していた。

夕暮れの森に、話している内容は壮大なのに、どこか全く噛み合っていない、不思議な会話が響く。

シルフィアは、この頼もしくも、どこか話のピントがずれている救世主と共に、途方もない道のりを歩んでいかなければならないことを、まだ本当の意味では理解していなかった。

その小さな、しかし決定的な認識のズレが、やがて世界中を巻き込む大騒動へと発展していくことになる。物語は、そんな二人の奇妙な足並みとともに、静かに、そしてとんでもなく騒々しく、その第一歩を踏み出したのだった。
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