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第1部:出会いと勘違いの旅路
第21話:貿易都市と潮の香り
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馬車が最後の丘の稜線を越えた瞬間、世界は唐突にその姿を変えた。
それまで延々と続いていた、土と草いきれの匂いが支配する緑の丘陵地帯が嘘のように途切れ、眼下に広がるのは、突き抜けるような紺碧の海と、そこに抱かれるようにして広がる巨大な港湾都市の全景だった。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
野太い歓声が、馬車の中から上がった。声の主は、もちろんユウとアレクだ。
二人は狭い窓枠に我先にと顔を突っ込み、身を乗り出さんばかりの勢いで眼下の絶景に見入っていた。
「すげーーーっ!海だ!本物の海だぞ、アレク!」
「おお!なんと壮観な!紺碧の海原と、白亜の街並み!我が冒険譚の新たな一ページを飾るにふさわしい舞台ではないか!」
熱に浮かされたように叫ぶアレクの隣で、レオンは静かに窓の外に視線を送っていた。その瞳は普段の気怠げな光ではなく、知的な好奇心の色を宿している。おそらく彼の頭の中では、都市の区画や港の構造、貿易風の通り道などが高速で解析されているのだろう。ただ、彼が今見ているのが本当に目の前の景色なのか、それとも心の中に広がる明後日の方向の風景なのかは、誰にも分からなかった。
そして、そんな三人の男たちの後ろの席では、ゴードンが「うっ……船がたくさん……」と呟きながら、早くも青い顔で口元を押さえていた。まだ馬車に乗っているというのに、彼の胃袋はすでに未来の船酔いを予期して、忠実に不快感を再現し始めているらしい。
馬車を揺らす風の質が、明らかに変わっていた。丘を越えるまでは、内陸特有の乾いた土の匂いと、木々の葉が擦れる乾いた音を運ぶ風だった。しかし、今、彼らの頬を撫でる風は、しっとりとした湿気と、独特の塩気を帯びている。それはただの塩辛い匂いではない。遠い異国から運ばれてきた香辛料の甘くスパイシーな香り、水揚げされたばかりの魚介類のいきいきとした磯の香り、そして天日に干された麻の網が放つ香ばしい匂い。それら全てが渾然一体となり、この都市――パルミラがどれほど豊かで、活気に満ちているかを雄弁に物語っていた。
白い漆喰で塗られた家々の壁が、傾き始めた午後の日差しを浴びて眩しく輝いている。屋根を彩るオレンジ色の瓦が、まるで一枚の巨大なモザイク画のように陽光を照り返し、街全体がキラキラと光の粒子を振りまいているようだった。空を見上げれば、カモメたちが甲高い声で鳴きながら、優雅な円を描いて舞っている。その鳴き声すら、遠くから聞こえてくる街の喧騒と溶け合い、心地よいBGMとなって彼らの耳に届いていた。
シルフィアは、そんな仲間たちの喧騒から少しだけ距離を置き、窓の外の光景に静かに見入っていた。
眩しい。あまりにも、眩しすぎた。
生命力そのものが形になったような街。希望と活気が、潮風に乗って隅々まで満ち渡っている。一人で灰色の荒野を彷徨っていた頃には、決して見ることのできなかった光景。あの頃の自分が見たら、きっとこの眩しさに目が眩み、その場に泣き崩れていたかもしれない。
(変わった……のね)
彼女は、自分の心の変化に気づいていた。滅びた故郷を思い出すと、今でも胸の奥が鋭く痛む。あの日の絶望は、決して消えることのない傷跡として魂に刻まれている。
しかし、以前とは何かが違った。かつては、こういう活気のある場所を見るたびに、失われたものへの悲しみと、目の前の幸福との断絶感に苛まれた。だが、今は違う。胸の痛みと共に、どこか温かいものが、じんわりと心を温めているのを感じるのだ。
それは、隣でくだらないことで笑い合っている仲間たちの存在があるからだった。
ユウの底抜けの明るさ。アレクの暑苦しいほどの正義感。レオンの的外れな冷静さ。ゴードンの情けないほどの臆病さ。その全てが、いつの間にか彼女の日常になっていた。
絶望的なまでに「思い通りにならない」現実の中で始まった旅。しかし、その旅を続けるうちに、彼女を取り巻く環境も、人間関係も、そして彼女自身の心も、少しずつ、しかし確実に変化し続けている。
すべてのものは移ろい、一つのところに留まることはない。それは悲しい真理であると同時に、希望でもあるのだと。
シルフィアは、自分の頬を撫でる潮風の感触を確かめるように、そっと目を閉じた。
***
パルミラの城門をくぐった瞬間、一行は音と匂いの洪水に飲み込まれた。
馬車の車輪が石畳を叩く音。様々な言語が入り乱れて飛び交う人々の声。露店の店主が客を呼び込む威勢のいい声。遠くの港から聞こえる、船の出航を告げるであろう、腹の底に響くような低い汽笛の音。
「うっひょー!すげえ活気だな!なあシルフィア、あれ!見てみろよ、あの串焼き!絶対うまいぞ、あれ!」
ユウは完全に野生の子供に戻っていた。彼の鼻は、香ばしい匂いを放つあらゆる露店に正確に反応し、そのたびにシルフィアの袖を引っ張っては目を輝かせている。
「落ち着いてください、ユウ。まずは宿を探すのが先です」
「腹が減っては戦はできぬ、だ!なあ、アレク!」
「うむ!腹を満たすことは、正義を執行するための重要な義務だ!まずは腹ごしらえとしようではないか!」
案の定、アレクがユウの意見に全面的に賛同し、事態はさらに混沌とし始めた。
シルフィアがこめかみを押さえていると、いつの間にか隣からレオンの姿が消えていた。彼女が慌てて周囲を見渡すと、十メートルほど後方の、美しい装飾が施された古地図を売る店の前で、レオンが腕を組んで熱心に一枚の地図を眺めているのが見えた。
「レオンさん!はぐれないでくださいと言ったでしょう!」
シルフィアが駆け寄ると、レオンはゆっくりと彼女の方を振り返り、こともなげに言った。
「ああ。この都市の構造に興味が湧いてね。非常に合理的で、美しい区画整理だ。感心していた」
「……その地図、上下逆さまですけど」
「……フッ。物事は多角的に見るべきだ、ということさ」
キザな台詞と共に地図を元の位置に戻すレオン。その耳が微かに赤くなっているのを、シルフィアは見逃さなかった。
一行は、結局アレクとユウの食欲に負け、まずは街を散策しながら腹ごしらえをすることにした。そこからは、もはやドタバタ劇という名の移動式災害だった。
アレクは、怪しげな薬草を法外な値段で売りつけようとしている露天商を見つけるや否や、「悪は許さん!」と説教を始め、人だかりを作ってしまう。
ゴードンは、港で荷下ろしを手伝っていた屈強な獣人の船乗りの姿に怯え、アレクの巨大な鎧の背後に隠れてブルブルと震えている。
そんな仲間たちの奇行に頭を抱えながら、シルフィアが後始末に奔走している間、ユウは一人、不思議な感覚に包まれていた。
(なんだろうな、この感じ……)
彼は、キョロキョロと周囲を見渡しながら、その感覚の正体を探っていた。活気のある街はこれまでも見てきた。しかし、このパルミラの雰囲気は、どこか違うのだ。懐かしい、とでも言うのだろうか。初めて来た場所のはずなのに、妙に肌に馴染む。
「なあ、シルフィア。この街って、なんか変じゃないか?」
ようやく露天商との一件を片付けたシルフィアに、ユウが尋ねる。
「変、ですか?むしろ、とても活気があって素晴らしい街だと思いますが」
「いや、そうなんだけど、なんというか……日本っぽいっていうか」
「にほん?」
シルフィアが不思議そうに首を傾げる。ユウが時折口にする、その聞き慣れない言葉の意味を、彼女はまだ知らなかった。
「ああ。例えばさ、ほら、あの看板の文字」
ユウが指さしたのは、酒場の看板だった。異世界の文字で書かれているはずなのに、その書体はどこか見慣れたゴシック体のように、角がくっきりとしていて読みやすい。他の街で見てきた、装飾的で読みにくい文字とは明らかに違った。
「それに、道もそうだ。やけに真っ直ぐで、碁盤の目みたいにきっちり分かれてるだろ?普通、街の道って、もっとぐちゃぐちゃになるもんじゃないか?」
言われてみれば、確かにそうだ。大通りから伸びる路地は、まるで定規で線を引いたかのように整備され、建物の壁には番地らしきものが記されたプレートまで取り付けられている。
そして、極めつけは匂いだった。
ユウは、魚を焼いている露店から漂ってくる匂いに、くんくんと鼻を鳴らした。
「この匂い……!ただ魚を焼いてるだけじゃない。なんだろうな、この甘じょっぱくて、めちゃくちゃ飯が食いたくなる匂い……」
それは、醤油とみりんが焦げる、日本人の魂に直接訴えかけてくる、あの香ばしい匂いに酷似していた。
シルフィアには、ユウが感じている違和感の正体は分からなかった。だが、彼の真剣な横顔を見ていると、それが彼にとって何かとても重要な意味を持つことだけは伝わってきた。
***
小一時間ほど街の散策(という名の道草)を楽しんだ後、一行はようやく本来の目的地である冒険者ギルドにたどり着いた。
ギルドの中は、外の喧騒に輪をかけて凄まじい活気に満ちていた。屈強な船乗りたちがエールを呷りながら豪快に笑い、商人風の冒険者たちがテーブルを囲んで次の儲け話に花を咲かせている。空気中には、汗とアルコールと、そして一攫千金を夢見る者たちの野望の匂いが色濃く漂っていた。
「さて、まずは情報収集だな。何か面白い依頼は……」
アレクが依頼掲示板へと向かう。壁一面にびっしりと貼られた羊皮紙の中から、一行は目ぼしい依頼を探し始めた。ゴブリン退治、薬草採集、商隊の護衛。ありふれた依頼が並ぶ中、ひときわ大きく、そして高額な報酬が記された一枚の依頼書が、全員の目に留まった。
『緊急護衛依頼』
依頼主:港湾都市パルミラ 地主 アシュフォード家
依頼内容:当主の一人娘、リリア・アシュフォード嬢の護衛。最近、正体不明の集団に付きまとわれており、身の危険を感じているため、腕利きの冒険者による二十四時間の警護を求む。
報酬:金貨三百枚
「き、金貨三百枚!?」
ゴードンが素っ頓狂な声を上げた。それは、彼らがこれまでこなしてきた依頼とは桁が違う、破格の報酬だった。
「ほう、これはやりがいがありそうだな!Sランクである我々が受けるにふさわしい依頼だ!」
アレクが腕を組み、満足げに頷く。
「お、これで美味いもん食い放題じゃん!よし、やろうぜ、これ!」
ユウの動機は、いつも通り食欲と直結していた。
シルフィアは、「令嬢の護衛」という言葉に、一瞬だけ、かつての自分の立場と、彼女を守るために命を落とした騎士たちの姿を思い出し、胸の奥が微かに痛んだ。
守られるだけの、無力な王女だった自分。
しかし、すぐに彼女は小さく首を振って、その感傷を振り払った。今は違う。自分はもう、守られるだけの存在ではない。信頼できる仲間たちと共に、誰かを守るために戦うことができる。
この旅が、自分を変えてくれたのだ。過去は消えない。だが、今の自分は、過去の自分とは違う。それでいい。
「私も、賛成です。困っている方がいるのなら、助けるのが私たちの役目ですから」
彼女がそう言うと、ユウがニッと笑って彼女の頭をわしわしと撫でた。
「だよな!さっすがシルフィアちゃん!」
「や、やめてください!子供扱いしないで!」
顔を赤くしてユウの手を振り払うシルフィア。その光景を、アレクたちが微笑ましげに眺めている。
こうして、一行の意見は満場一致でまとまった。
受付で依頼を受注し、アシュフォード家の館の場所が記された地図を受け取る。ギルドの外に出ると、夕暮れのオレンジ色の光が、街の石畳を長く照らし、彼らの影を一つに繋いでいた。
この新たな出会いという「縁」が、彼らという予測不能な集団(システム)に、いかなる化学反応を、そして予測不能な未来(創発)をもたらすことになるのか。
今はまだ、誰も知る由もなかった。
それまで延々と続いていた、土と草いきれの匂いが支配する緑の丘陵地帯が嘘のように途切れ、眼下に広がるのは、突き抜けるような紺碧の海と、そこに抱かれるようにして広がる巨大な港湾都市の全景だった。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
野太い歓声が、馬車の中から上がった。声の主は、もちろんユウとアレクだ。
二人は狭い窓枠に我先にと顔を突っ込み、身を乗り出さんばかりの勢いで眼下の絶景に見入っていた。
「すげーーーっ!海だ!本物の海だぞ、アレク!」
「おお!なんと壮観な!紺碧の海原と、白亜の街並み!我が冒険譚の新たな一ページを飾るにふさわしい舞台ではないか!」
熱に浮かされたように叫ぶアレクの隣で、レオンは静かに窓の外に視線を送っていた。その瞳は普段の気怠げな光ではなく、知的な好奇心の色を宿している。おそらく彼の頭の中では、都市の区画や港の構造、貿易風の通り道などが高速で解析されているのだろう。ただ、彼が今見ているのが本当に目の前の景色なのか、それとも心の中に広がる明後日の方向の風景なのかは、誰にも分からなかった。
そして、そんな三人の男たちの後ろの席では、ゴードンが「うっ……船がたくさん……」と呟きながら、早くも青い顔で口元を押さえていた。まだ馬車に乗っているというのに、彼の胃袋はすでに未来の船酔いを予期して、忠実に不快感を再現し始めているらしい。
馬車を揺らす風の質が、明らかに変わっていた。丘を越えるまでは、内陸特有の乾いた土の匂いと、木々の葉が擦れる乾いた音を運ぶ風だった。しかし、今、彼らの頬を撫でる風は、しっとりとした湿気と、独特の塩気を帯びている。それはただの塩辛い匂いではない。遠い異国から運ばれてきた香辛料の甘くスパイシーな香り、水揚げされたばかりの魚介類のいきいきとした磯の香り、そして天日に干された麻の網が放つ香ばしい匂い。それら全てが渾然一体となり、この都市――パルミラがどれほど豊かで、活気に満ちているかを雄弁に物語っていた。
白い漆喰で塗られた家々の壁が、傾き始めた午後の日差しを浴びて眩しく輝いている。屋根を彩るオレンジ色の瓦が、まるで一枚の巨大なモザイク画のように陽光を照り返し、街全体がキラキラと光の粒子を振りまいているようだった。空を見上げれば、カモメたちが甲高い声で鳴きながら、優雅な円を描いて舞っている。その鳴き声すら、遠くから聞こえてくる街の喧騒と溶け合い、心地よいBGMとなって彼らの耳に届いていた。
シルフィアは、そんな仲間たちの喧騒から少しだけ距離を置き、窓の外の光景に静かに見入っていた。
眩しい。あまりにも、眩しすぎた。
生命力そのものが形になったような街。希望と活気が、潮風に乗って隅々まで満ち渡っている。一人で灰色の荒野を彷徨っていた頃には、決して見ることのできなかった光景。あの頃の自分が見たら、きっとこの眩しさに目が眩み、その場に泣き崩れていたかもしれない。
(変わった……のね)
彼女は、自分の心の変化に気づいていた。滅びた故郷を思い出すと、今でも胸の奥が鋭く痛む。あの日の絶望は、決して消えることのない傷跡として魂に刻まれている。
しかし、以前とは何かが違った。かつては、こういう活気のある場所を見るたびに、失われたものへの悲しみと、目の前の幸福との断絶感に苛まれた。だが、今は違う。胸の痛みと共に、どこか温かいものが、じんわりと心を温めているのを感じるのだ。
それは、隣でくだらないことで笑い合っている仲間たちの存在があるからだった。
ユウの底抜けの明るさ。アレクの暑苦しいほどの正義感。レオンの的外れな冷静さ。ゴードンの情けないほどの臆病さ。その全てが、いつの間にか彼女の日常になっていた。
絶望的なまでに「思い通りにならない」現実の中で始まった旅。しかし、その旅を続けるうちに、彼女を取り巻く環境も、人間関係も、そして彼女自身の心も、少しずつ、しかし確実に変化し続けている。
すべてのものは移ろい、一つのところに留まることはない。それは悲しい真理であると同時に、希望でもあるのだと。
シルフィアは、自分の頬を撫でる潮風の感触を確かめるように、そっと目を閉じた。
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パルミラの城門をくぐった瞬間、一行は音と匂いの洪水に飲み込まれた。
馬車の車輪が石畳を叩く音。様々な言語が入り乱れて飛び交う人々の声。露店の店主が客を呼び込む威勢のいい声。遠くの港から聞こえる、船の出航を告げるであろう、腹の底に響くような低い汽笛の音。
「うっひょー!すげえ活気だな!なあシルフィア、あれ!見てみろよ、あの串焼き!絶対うまいぞ、あれ!」
ユウは完全に野生の子供に戻っていた。彼の鼻は、香ばしい匂いを放つあらゆる露店に正確に反応し、そのたびにシルフィアの袖を引っ張っては目を輝かせている。
「落ち着いてください、ユウ。まずは宿を探すのが先です」
「腹が減っては戦はできぬ、だ!なあ、アレク!」
「うむ!腹を満たすことは、正義を執行するための重要な義務だ!まずは腹ごしらえとしようではないか!」
案の定、アレクがユウの意見に全面的に賛同し、事態はさらに混沌とし始めた。
シルフィアがこめかみを押さえていると、いつの間にか隣からレオンの姿が消えていた。彼女が慌てて周囲を見渡すと、十メートルほど後方の、美しい装飾が施された古地図を売る店の前で、レオンが腕を組んで熱心に一枚の地図を眺めているのが見えた。
「レオンさん!はぐれないでくださいと言ったでしょう!」
シルフィアが駆け寄ると、レオンはゆっくりと彼女の方を振り返り、こともなげに言った。
「ああ。この都市の構造に興味が湧いてね。非常に合理的で、美しい区画整理だ。感心していた」
「……その地図、上下逆さまですけど」
「……フッ。物事は多角的に見るべきだ、ということさ」
キザな台詞と共に地図を元の位置に戻すレオン。その耳が微かに赤くなっているのを、シルフィアは見逃さなかった。
一行は、結局アレクとユウの食欲に負け、まずは街を散策しながら腹ごしらえをすることにした。そこからは、もはやドタバタ劇という名の移動式災害だった。
アレクは、怪しげな薬草を法外な値段で売りつけようとしている露天商を見つけるや否や、「悪は許さん!」と説教を始め、人だかりを作ってしまう。
ゴードンは、港で荷下ろしを手伝っていた屈強な獣人の船乗りの姿に怯え、アレクの巨大な鎧の背後に隠れてブルブルと震えている。
そんな仲間たちの奇行に頭を抱えながら、シルフィアが後始末に奔走している間、ユウは一人、不思議な感覚に包まれていた。
(なんだろうな、この感じ……)
彼は、キョロキョロと周囲を見渡しながら、その感覚の正体を探っていた。活気のある街はこれまでも見てきた。しかし、このパルミラの雰囲気は、どこか違うのだ。懐かしい、とでも言うのだろうか。初めて来た場所のはずなのに、妙に肌に馴染む。
「なあ、シルフィア。この街って、なんか変じゃないか?」
ようやく露天商との一件を片付けたシルフィアに、ユウが尋ねる。
「変、ですか?むしろ、とても活気があって素晴らしい街だと思いますが」
「いや、そうなんだけど、なんというか……日本っぽいっていうか」
「にほん?」
シルフィアが不思議そうに首を傾げる。ユウが時折口にする、その聞き慣れない言葉の意味を、彼女はまだ知らなかった。
「ああ。例えばさ、ほら、あの看板の文字」
ユウが指さしたのは、酒場の看板だった。異世界の文字で書かれているはずなのに、その書体はどこか見慣れたゴシック体のように、角がくっきりとしていて読みやすい。他の街で見てきた、装飾的で読みにくい文字とは明らかに違った。
「それに、道もそうだ。やけに真っ直ぐで、碁盤の目みたいにきっちり分かれてるだろ?普通、街の道って、もっとぐちゃぐちゃになるもんじゃないか?」
言われてみれば、確かにそうだ。大通りから伸びる路地は、まるで定規で線を引いたかのように整備され、建物の壁には番地らしきものが記されたプレートまで取り付けられている。
そして、極めつけは匂いだった。
ユウは、魚を焼いている露店から漂ってくる匂いに、くんくんと鼻を鳴らした。
「この匂い……!ただ魚を焼いてるだけじゃない。なんだろうな、この甘じょっぱくて、めちゃくちゃ飯が食いたくなる匂い……」
それは、醤油とみりんが焦げる、日本人の魂に直接訴えかけてくる、あの香ばしい匂いに酷似していた。
シルフィアには、ユウが感じている違和感の正体は分からなかった。だが、彼の真剣な横顔を見ていると、それが彼にとって何かとても重要な意味を持つことだけは伝わってきた。
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小一時間ほど街の散策(という名の道草)を楽しんだ後、一行はようやく本来の目的地である冒険者ギルドにたどり着いた。
ギルドの中は、外の喧騒に輪をかけて凄まじい活気に満ちていた。屈強な船乗りたちがエールを呷りながら豪快に笑い、商人風の冒険者たちがテーブルを囲んで次の儲け話に花を咲かせている。空気中には、汗とアルコールと、そして一攫千金を夢見る者たちの野望の匂いが色濃く漂っていた。
「さて、まずは情報収集だな。何か面白い依頼は……」
アレクが依頼掲示板へと向かう。壁一面にびっしりと貼られた羊皮紙の中から、一行は目ぼしい依頼を探し始めた。ゴブリン退治、薬草採集、商隊の護衛。ありふれた依頼が並ぶ中、ひときわ大きく、そして高額な報酬が記された一枚の依頼書が、全員の目に留まった。
『緊急護衛依頼』
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依頼内容:当主の一人娘、リリア・アシュフォード嬢の護衛。最近、正体不明の集団に付きまとわれており、身の危険を感じているため、腕利きの冒険者による二十四時間の警護を求む。
報酬:金貨三百枚
「き、金貨三百枚!?」
ゴードンが素っ頓狂な声を上げた。それは、彼らがこれまでこなしてきた依頼とは桁が違う、破格の報酬だった。
「ほう、これはやりがいがありそうだな!Sランクである我々が受けるにふさわしい依頼だ!」
アレクが腕を組み、満足げに頷く。
「お、これで美味いもん食い放題じゃん!よし、やろうぜ、これ!」
ユウの動機は、いつも通り食欲と直結していた。
シルフィアは、「令嬢の護衛」という言葉に、一瞬だけ、かつての自分の立場と、彼女を守るために命を落とした騎士たちの姿を思い出し、胸の奥が微かに痛んだ。
守られるだけの、無力な王女だった自分。
しかし、すぐに彼女は小さく首を振って、その感傷を振り払った。今は違う。自分はもう、守られるだけの存在ではない。信頼できる仲間たちと共に、誰かを守るために戦うことができる。
この旅が、自分を変えてくれたのだ。過去は消えない。だが、今の自分は、過去の自分とは違う。それでいい。
「私も、賛成です。困っている方がいるのなら、助けるのが私たちの役目ですから」
彼女がそう言うと、ユウがニッと笑って彼女の頭をわしわしと撫でた。
「だよな!さっすがシルフィアちゃん!」
「や、やめてください!子供扱いしないで!」
顔を赤くしてユウの手を振り払うシルフィア。その光景を、アレクたちが微笑ましげに眺めている。
こうして、一行の意見は満場一致でまとまった。
受付で依頼を受注し、アシュフォード家の館の場所が記された地図を受け取る。ギルドの外に出ると、夕暮れのオレンジ色の光が、街の石畳を長く照らし、彼らの影を一つに繋いでいた。
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まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。
閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。
追伸、
雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。
気になった方は是非読んでみてください。
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
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