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王子の鎧、あるいは泥だらけの王冠
第5話(最終話):旅の終わり、そして始まりの地図
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新幹線の窓を流れる景色が、ものすごい速さで後方へと飛び去っていく。 僕は座席に深く身を沈め、隣や向かいで繰り広げられるカオスな会話に耳を傾けていた。
「なあなあ、京都着いたら、まず何食う? 抹茶パフェっしょ! 絶対!」 「いや、杏。君の思考は、あまりにも短絡的だ……」 「おう! 旅の基本は、食糧確保だからな!」
杏さん、秋葉くん、そして駅弁を二個も平らげようとしている輝。通路を挟んだ席では、麗奈さんがガイドブックと睨めっこしながら、分刻みのスケジュールを確認している。 以前の僕なら、この状況を「統率が取れていない」「騒がしい」と眉をひそめていたかもしれない。あるいは、クラスの委員として「静かにしよう」と注意していたかもしれない。 でも今の僕は、ただ笑っていた。 「……はは、みんな、自由だな」
口をついて出た言葉は、呆れではなく、純粋な感嘆だった。 誰かの顔色を窺うこともなく、自分の欲望や興味に忠実に生きる彼ら。その自由さが、かつて僕を苦しめていた「あるべき姿」という鎖を、跡形もなく溶かしてくれているようだった。
京都に着いてからも、僕たちの旅はハプニングの連続だった。 金閣寺では、秋葉くんが舎利殿の構造をロボットアニメの合体変形に例えて熱弁し、それを麗奈さんが建築学的見地から論破しようとする。 清水寺の舞台では、眼下に広がる紅葉の海に感動する間もなく、輝がとんでもないことを言い出した。
「なあ、水無月。ここから飛び降りたら、助かる確率、何パーセントだと思う?」
正気か、こいつは。 しかも麗奈さんが真顔で「生存率は八割五分四厘」などと江戸時代のデータを持ち出すものだから、輝が目を輝かせて「いっちょ、願掛けに……」と身を乗り出し始めた。
「やめろ、馬鹿!」
僕は杏さんと一緒に、慌てて輝の腕を掴んだ。 心臓が止まるかと思った。でも、その直後にこみ上げてきたのは、怒りではなく、どうしようもない笑いだった。 こんな馬鹿げたやり取りを、修学旅行という一生に一度のイベントのハイライトにするなんて。 なんて贅沢で、なんてくだらないんだろう。 最高だ。
その夜。老舗旅館の広い和室。 先生の見回りが終わったのを確認してから、僕たちの本当の戦いが始まった。
「第一回、二年三組頂上決戦! 枕投げ大会、開始!」
輝の号令と共に、宙を舞う白い枕。 僕は、サッカーで鍛えた体幹と動体視力をフル活用した。 以前なら、「怪我をさせないように」「部屋を散らかさないように」と手加減していただろう。 でも今は違う。 狙うは、輝の顔面のみ。
「うらあ! 覚悟しろ、輝!」 「うおっ! 颯太、お前マジ投げじゃねーか! 速すぎんだよ!」
ドスッ、と重い音がして、僕の投げた枕が輝に見事にヒットする。 「甘いですね、颯太先輩! 僕の『全方位防御障壁(ふとん)』の前には無力……ぐわっ!」 布団に隠れていた秋葉くんが、流れ弾に当たって撃沈する。
汗だくになって、息を切らして、腹を抱えて笑った。 王子様? ヒーロー? 知ったことか。 今ここにいるのは、ただの負けず嫌いの男子高校生だ。
深夜。 遊び疲れた秋葉くんや他の男子たちが泥のように眠る中、僕はふと目を覚ました。 喉が渇いた。 水を飲もうと起き上がると、輝の布団がもぬけの殻になっていることに気づいた。
(トイレか?)
なんとなく気になって、部屋を出る。 廊下の突き当たり、中庭に面したロビーのガラス戸が開いていた。 月明かりが差し込む濡れ縁に、二つの人影が見えた。
輝と、水無月さんだ。
二人は並んで座り、何かを静かに話しているようだった。 いつもの騒がしい輝ではない。静かで、穏やかな背中。 僕は、声をかけるのをやめた。 あそこは、僕が入ってはいけない場所だ。いや、邪魔をしたくない場所だった。
(……やっぱり、敵わないな)
僕は苦笑して、そっと踵を返した。 輝は、僕の鎧を壊してくれた恩人であり、ライバルであり、そして最高の悪友だ。 彼が今、大切な人と向き合っているのなら、僕はそれを全力で見守るだけだ。
部屋に戻り、布団に潜り込む。 天井の木目を見つめながら、僕はこれからのことを考えた。
冬が来れば、受験生になる。 サッカーも引退して、進路という現実と向き合わなきゃいけない。 不安がないわけじゃない。 でも、不思議と怖くはなかった。
僕にはもう、「完璧な冬馬くん」という重い鎧はない。 失敗しても笑い飛ばしてくれる仲間がいる。 「ダッセー」と本音で罵ってくれる奴がいる。 計画通りにいかないことを、「面白い」と言える強さを知った。
(……さてと)
僕は目を閉じた。 明日は奈良だ。きっとまた、輝が鹿に襲われたり、秋葉くんが大仏の構造について語り出したりするに違いない。 その騒がしい未来を想像すると、自然と口元が緩んだ。
完璧な地図なんて、もういらない。 泥だらけのスニーカーで、僕自身の足で歩いていけばいい。 道に迷ったら、またあいつらと笑い合えばいいんだから。
心地よい疲労感と共に、僕は深い眠りへと落ちていった。 夢の中でも、きっと僕は笑っているはずだ。
「なあなあ、京都着いたら、まず何食う? 抹茶パフェっしょ! 絶対!」 「いや、杏。君の思考は、あまりにも短絡的だ……」 「おう! 旅の基本は、食糧確保だからな!」
杏さん、秋葉くん、そして駅弁を二個も平らげようとしている輝。通路を挟んだ席では、麗奈さんがガイドブックと睨めっこしながら、分刻みのスケジュールを確認している。 以前の僕なら、この状況を「統率が取れていない」「騒がしい」と眉をひそめていたかもしれない。あるいは、クラスの委員として「静かにしよう」と注意していたかもしれない。 でも今の僕は、ただ笑っていた。 「……はは、みんな、自由だな」
口をついて出た言葉は、呆れではなく、純粋な感嘆だった。 誰かの顔色を窺うこともなく、自分の欲望や興味に忠実に生きる彼ら。その自由さが、かつて僕を苦しめていた「あるべき姿」という鎖を、跡形もなく溶かしてくれているようだった。
京都に着いてからも、僕たちの旅はハプニングの連続だった。 金閣寺では、秋葉くんが舎利殿の構造をロボットアニメの合体変形に例えて熱弁し、それを麗奈さんが建築学的見地から論破しようとする。 清水寺の舞台では、眼下に広がる紅葉の海に感動する間もなく、輝がとんでもないことを言い出した。
「なあ、水無月。ここから飛び降りたら、助かる確率、何パーセントだと思う?」
正気か、こいつは。 しかも麗奈さんが真顔で「生存率は八割五分四厘」などと江戸時代のデータを持ち出すものだから、輝が目を輝かせて「いっちょ、願掛けに……」と身を乗り出し始めた。
「やめろ、馬鹿!」
僕は杏さんと一緒に、慌てて輝の腕を掴んだ。 心臓が止まるかと思った。でも、その直後にこみ上げてきたのは、怒りではなく、どうしようもない笑いだった。 こんな馬鹿げたやり取りを、修学旅行という一生に一度のイベントのハイライトにするなんて。 なんて贅沢で、なんてくだらないんだろう。 最高だ。
その夜。老舗旅館の広い和室。 先生の見回りが終わったのを確認してから、僕たちの本当の戦いが始まった。
「第一回、二年三組頂上決戦! 枕投げ大会、開始!」
輝の号令と共に、宙を舞う白い枕。 僕は、サッカーで鍛えた体幹と動体視力をフル活用した。 以前なら、「怪我をさせないように」「部屋を散らかさないように」と手加減していただろう。 でも今は違う。 狙うは、輝の顔面のみ。
「うらあ! 覚悟しろ、輝!」 「うおっ! 颯太、お前マジ投げじゃねーか! 速すぎんだよ!」
ドスッ、と重い音がして、僕の投げた枕が輝に見事にヒットする。 「甘いですね、颯太先輩! 僕の『全方位防御障壁(ふとん)』の前には無力……ぐわっ!」 布団に隠れていた秋葉くんが、流れ弾に当たって撃沈する。
汗だくになって、息を切らして、腹を抱えて笑った。 王子様? ヒーロー? 知ったことか。 今ここにいるのは、ただの負けず嫌いの男子高校生だ。
深夜。 遊び疲れた秋葉くんや他の男子たちが泥のように眠る中、僕はふと目を覚ました。 喉が渇いた。 水を飲もうと起き上がると、輝の布団がもぬけの殻になっていることに気づいた。
(トイレか?)
なんとなく気になって、部屋を出る。 廊下の突き当たり、中庭に面したロビーのガラス戸が開いていた。 月明かりが差し込む濡れ縁に、二つの人影が見えた。
輝と、水無月さんだ。
二人は並んで座り、何かを静かに話しているようだった。 いつもの騒がしい輝ではない。静かで、穏やかな背中。 僕は、声をかけるのをやめた。 あそこは、僕が入ってはいけない場所だ。いや、邪魔をしたくない場所だった。
(……やっぱり、敵わないな)
僕は苦笑して、そっと踵を返した。 輝は、僕の鎧を壊してくれた恩人であり、ライバルであり、そして最高の悪友だ。 彼が今、大切な人と向き合っているのなら、僕はそれを全力で見守るだけだ。
部屋に戻り、布団に潜り込む。 天井の木目を見つめながら、僕はこれからのことを考えた。
冬が来れば、受験生になる。 サッカーも引退して、進路という現実と向き合わなきゃいけない。 不安がないわけじゃない。 でも、不思議と怖くはなかった。
僕にはもう、「完璧な冬馬くん」という重い鎧はない。 失敗しても笑い飛ばしてくれる仲間がいる。 「ダッセー」と本音で罵ってくれる奴がいる。 計画通りにいかないことを、「面白い」と言える強さを知った。
(……さてと)
僕は目を閉じた。 明日は奈良だ。きっとまた、輝が鹿に襲われたり、秋葉くんが大仏の構造について語り出したりするに違いない。 その騒がしい未来を想像すると、自然と口元が緩んだ。
完璧な地図なんて、もういらない。 泥だらけのスニーカーで、僕自身の足で歩いていけばいい。 道に迷ったら、またあいつらと笑い合えばいいんだから。
心地よい疲労感と共に、僕は深い眠りへと落ちていった。 夢の中でも、きっと僕は笑っているはずだ。
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