クリスマスイブの今夜は

和久ツカサ

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日雇いフリーターの僕は

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 33歳、独身、日雇いフリーター、小説家志望。

 僕の住処でもある六畳の作業部屋にはエアコンなど無い。炬燵なんかも勿論ありゃしない。定職が無けりゃ金は無い。この日本ではある程度の金が無ければ冬に15℃以上の室温を手に入れることさえもできないのだ。
 親のスネをかじろうにも親のスネの肉は綺麗さっぱりに削ぎ落され、もうふくらはぎは骨とアキレス腱が剥き出しの状態になっている。それはある日、僕の頭がへんてこなことなってしまった為に中国地方の港町のの療養所に入ってしまっていたからだ。
 その療養所での生活はまさに村上春樹の「ノルウェィの森」に出てくる直子のような暮らしで、なんだかんだ1年半ほどそこに僕の体を置いていた結果、我が家は僕の療養費にむごたらしいほどの額を費やすこととなった。
「いつか、直木賞でもとって印税で倍返しだ!」
 とジョークを飛ばすと、両親は僕の頭のへんてこさがぐらいに戻ったと涙を流して喜び始める始末。こんな身の毛もよだつようなくだらない僕のふざけ事にさえ、いちいち感極まってしまわれているところを見ると、もはや僕ら家族はもう色々と洒落にならんところにまで辿り着いてしまったことに気付かされる。
 母ちゃん、そこはツッコむとこなんだよ(色々と)。両親は完全に僕に疲れ切っている。
 今僕は両親とは距離を置いて生活をしている。物理的にも精神的にも。そんな感じ。

 1年半も社会から離れていると色々な障害が生まれる。最初なんて綺麗な女性の顔を見るだけで局部がパンパンに膨らみそうになるし、軽減税率や新型の肺炎ウイルスとの共生など目まぐるしく変わった昨今の生活様式には戸惑いを隠せない(そういう感じの療養所では刺激を減らすためにテレビやインターネットというような情報源の大部分も制限されるのだ)。
 何より深刻なのは『就労』への障害だった。1年半の空白という時間は僕を簡単に憶病にさせてしまった。療養所を出て少ししてからは就職活動も行ってはいたが、ことごとく採用担当に切り捨てられてしまった。

「前職を辞められてからの1年半、何をされていたんですか?」

 という問いが採用面接の中で飛んでくる度に、20代の頃より皺が気になりだした額を大きな粒の汗が流れていく。

「じじ、じぶんさがしで農業を手伝ったり、し、しょしょしょっ、小説を読んでました」などと嘘をつかないように、且つ頭がへんてこになっていたことを隠そうと考えて返答をしようとすると、決まって面接会場のエアーはグシャリと歪む。
 そして大体はそのアンサーの後に「過去に前科・前歴などはありますか?」という問いが僕の額の皺に向けて投げつけられるのだった。

 あぁ、やっぱりそういう目で見るんだ。見ちゃうよね。僕の頭が丸刈りだから余計にだよね。違うよ。違うんだよ。単純にちょっと頭頂部に自信が無くなっただけなんだよ。ただの若ハゲなんだよ。許してくれよ。中学生の頃に地元のスーパーでカロリーメイトを万引きをしてバレたことはあるけど、あれはちゃんとブルドッグとセントバーナードのミックス犬みたいな顔した店長にこっぴどく叱れてるよ。そんな疑い方しないでくれよ。

 そんな苦虫を嚙み潰したような想いを何度か経験してからの僕は履歴書もいらない日雇いのバイトをするようになった。
 僕が多く担当したのはマスクを段ボールに入れるという目を瞑ってでもできるような単純作業だった。この職場には就職活動中に僕が数多くの採用担当者かけられた容疑をに認めている人も多くいた。
 週決めで自分の出たい日だけ出たらいいという日雇いバイトは人を堕落させる。
 僕は必要最低限の生きる上で必要な額を稼げたらいいという甘い考えを簡単に持ち、今では気付けば世間一般的な正規労働者が休日を取るぐらいの間隔で働くようになってしまっている。
 正規労働者が働くぐらいの日数を六畳の作業部屋でダラダラと過ごす僕の毎日はツイッターとYouTubeを眺めているだけで大体が過ぎていく。
 どこの誰のおかげなのかはわからないのだが作業部屋にうっすらと入ってくる無料のフリーWi-Fiでインターネットだけはし放題なのだ。
 フリーWi-Fiからパソコンやスマホの情報が抜き取られる犯罪なんかもあるとは聞くが、パソコンには保存しているエロ画像以外(児童ポルノは無いからね。絶対に無いからね)に見られて恥ずかしいものは無いし、クレジットカードや電子マネーなんて持ち合わせてもいなければ、パソコン内に弱みと言えるような情報なんて入っちゃいない。
 そもそも僕は情報を抜き取られるタイプのネット詐欺に遭う資格すら持っていなかった。

 それでも気の小さい僕は今の体たらくな生活を肯定するための「何か」を探していた。それはこの現状を詰めてくる自分の心の番人に許しを請うための言い訳のような物であり、番人ともども道連れに掛けてしまえる強い自己催眠のような物でなくてはならない。

 見つけたのは「小説を書く」ということだった。
 
 それから僕は自作の小説を書いてネット投稿サイトに投稿するという小さな営みを始めた。
 「創造する」という行為は若い頃に趣味に毛が生えたようなミュージシャン(他人にそう言われると腹が立つのだが)をやっていた僕の脳にとんでもない快感物質を与えてくれる。
 作家志望と言ってしまえば今の三食素うどんを食らうような貧乏暮らしさえ後に箔になるやもしれないと、うだつの上がらない現状を簡単に肯定することができる。僕は自分にとことん甘い人間なのだ。

 ここでもう自首してしまおう。僕はとてつもなくプライドが高い。自信が無いくせにプライドだけが以上に高いせいもあって音楽をやっていた頃に周りから受けたチヤホヤを引きずったまま今を生きている。大体のミュージシャンがやらないことだが僕は平気で過去の自分の作品をで観賞できたり、散歩中に口ずさんだりできるのだ。明らかに僕はクリエイティブな現場にいた「過去」に執着している。

 そんなナルシズムの塊を鳩尾あたりに埋め込んで発信するツイッターでの呟きは、多くのフォロワーのアンテナに毒電波を送ってしまっていることだと自分でも分かっている。

「いいねやリツイートが欲しい。恋をするように欲しい」

「さりげないジョークの呟き、気付いてくれてる?」

「小説を褒めて? 誰か読んでないの?」

 あぁ、我ながらうざいうざい。

 需要の無い小説を書いて勝手に供給する日々はいつの間にかそれに対するリアクションを求めて、小説を書くよりもツイッターをつつく時間の方が増えてしまっているし、そのままあれやこれやYouTubeでギャルバンの動画を見てニヤニヤするという元の体たらくなあり様に逆戻りしている。
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