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結ばれた手と手
旅立ちと二人の同行者(1/5)
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「はあぁぁ……」
今日何度目かの深い溜息。
白が混ざってきた頭髪、皺が深くなってきた顔。老いは確実に迫ってきていたがその鷹の目と呼ばれる眼光の鋭さは衰えることを知らない。
厳密には知らなかった。つい先日までは。
エルガス・フォン・ラドカルミア三世。大陸屈指の大国であるラドカルミア王国を治める王にして、大戦では自ら先陣を切って突撃していく勇猛さが知られている武王である。勇猛さのみならず、その卓越した剣技と不正を許さない毅然とした思想から若き頃は騎士王などとも呼ばれた国民からの支持も厚い名君である。
もっとも、それも気の抜けたような顔で王宮の執務室から窓枠にもたれかかり頬杖などついていては形無しである。
「王よ……王がその体たらくでは兵達に示しがつきません……」
傍らに控えた理性の光を双眸に湛えたスラリとした体躯の男。宮中の侍女たちから絶大な人気を誇る色男にしてこのラドカルミア王国の頭脳、宰相ケイネスは頭を抱えた。
「王よ、気落ちするのは分かります。ですが落ち込んだところでどうにかなる問題ではありません。それになんですかその態勢は。恋する令嬢ですか」
年下の宰相に恋する令嬢呼ばわりされたかつての武王はフンッと鼻を鳴らした。エルガス王に対してこのような物言いをするのはケイネスぐらいのものである。大抵の者はその眼光に一瞥されただけで委縮してしまうのだ。ケイネスがそうならないのは単純に共に過ごした時間の長さと、その聡明さでエルガス王がこの程度で気を害するような器の小さい男ではないと見抜いているからである。
「十年……十年だぞ。十年かけて儀式の方法を解明し、魔法式を描く素材を集め、優秀な魔法師を募り、占星術師や預言者をも共同で研究し星の巡りがもっともよい日、時間を割り出した。運命、因果律、その他諸々全てが世界を救う勇者が召喚されると決まっていたはずなのだ。それが……」
エルガス王は頬杖をついたまま、眼下に視線を落した。
その窓枠から王宮の中庭が見える。石畳が敷かれた広間の中心で、剣に振り回されている小さな人影があった。
この国では珍しい漆黒の髪。まだ幼さの残る愛くるしい顔立ちで訊くと年齢は十四だと言う。
その少女は兵士による指導の元、剣を握っていた。言われるがまま、それを振るうたびにあっちへふらふらこっちへふらふらと落ち着かない。
確かに剣は重い。だが少女の持っているそれは最初こそ本物だったが、とっくの昔に騎士見習いの子供が鍛錬に使う木剣へと変えられている。危ないので。
しまいには木剣が手からすっぽ抜けてしまったので、困った兵士は近くの侍女を呼び止めた。すると侍女は何やら屋内へと入っていき、しばらくするとあるものを持って出てきた。
それを受け取った少女は一つ頷いて素振りの練習を再開する。今度は重さに振り回されることはない。
その様子を見てうんうんと頷いた兵士はふと視線を感じて上を向く。そしてこちらを凝視している鷹の目を見つけて硬直した。
鷹の目の持ち主、エルガス王はもう一度深あぁぁく溜息を吐くと窓枠から離れて執務室の机に突っ伏した。執務室には机と椅子、本棚以外にはほとんど何もない。装飾らしい装飾は壁に盾と剣が飾られているぐらいだ。王でありながら過度に飾り立てることを嫌うエルガス王の気質を体現した空間と言える。
「お玉じゃ魔族は倒せんだろう……」
少女は木製のお玉で素振りをしていたのだった。
「運動能力をテストしてみましたが、そこらの町娘と同等……いやそれより低いぐらいです。本人曰くタイイクは苦手とのこと。タイイクが何なのかは分かりませんが……」
少女に関しての資料なのだろう。ケイネスは手元の羊皮紙をペラペラと捲りながら答えた。
「ならば魔法はどうだ。ずば抜けた魔力量を持っていたりはしないのか」
一縷の望みを託してエルガス王は尋ねる。
例え剣技ができなくとも、この世界には戦う術があった。それが魔法だ。
呪文によって内に秘められたる不可視の力、魔力を引き出し世界に干渉する万能の法。各々が持ち得る魔力量は個人差が大きく、いわゆる才能が物を言う技法でもある。
天才が数人集まって念入りに準備をし、相応しい場所、相応しい時に行使すれば世界の理すら変えると言われる。
例えば世界を救う勇者を別世界から召喚するといったことも可能だ。そのはずなのだ。
「それに関してはまだなんとも……」
エルガス王の期待とは裏腹に、ケイネスの口調は重い。
「彼女のいた世界では魔法という技は存在しないらしく、まずは魔法理論から習得していただく必要がありました。そのために一流の魔法師の教えの元、基礎から学んでいただいているのですが……その……」
なんとも歯切れの悪い様子のケイネスをエルガス王が怪訝に思い急かす。
「なんだ。早く言え」
頼まれていた手伝いをサボっていたことが母親にバレた子供のように、ばつの悪い表情でケイネスがポツリと。
「……講義の最中にいつも寝てしまわれるので……」
ガタンッと机が鳴り、置かれていたインク壺から飛沫が飛んだ。エルガス王が机に額を打ちつけたからである。
「そもそも最初からおかしかったのだ……あの幼い少女が勇者だと?私の娘とそう歳も変わらんのだぞ!」
エルガス王には娘がいる。歳は今年で十二。いずれ国一番の美人に成長すると父は確信しているが、それゆえに嫁に出すのが心底躊躇われるのが父の悩みである。
「ええ、歳が近いこともあって勇者様とリンシア姫は大変仲がよろしく、二人が遊んでいる様子などは見ていて微笑ましいと侍女達から報告を受けています」
「それは大変けっこうだが、私は娘の友人を召喚するために十年の歳月を要したわけではないッ!」
今度は両の拳で机を叩いたので、その振動で倒れそうになったインク壺を慌ててケイネスが抑える。
鼻息を荒くした王は浮いた腰をもう一度椅子に降ろし、人差し指で机をコツコツと。
「あれを見ても、預言者共は儀式は成功したと抜かしておるのか」
「はい。勇者召喚は滞りなく成功し、彼女こそ世界を救う星の元にあると。それは運命であり、歴然とした事実であると。まぁ、話している最中に預言者達は決して目を合わそうとしませんが」
むぅぅと王は唸る。
確かに儀式には何の不備もなかった。それはエルガス王自身がその目で確認している。預言者達も態度はどうあれ保身のために王に嘘を吐くような連中ではない。
「ではどうしろと言うのだ!このまま放っておけばいずれあの勇者がお玉で魔族ども退治してくれると?馬鹿馬鹿しいッ」
そう吐き捨てた後、また深い溜息。
「あの者が本当に我らの希望なのか、その是非はどうすれば見極められる……。失敗したというのなら、早々に見切りをつけるべきだ。それがあの者のためにもなる。人間全ての未来など、あの小さな双肩には重すぎる荷物だ。適当な貴族の養子にでもしてやったほうがよっぽど幸せだろう……」
その言葉は決して自暴自棄になった諦観ではない。
王は王なりにあの娘のことを案じているのだとケイネスには分かった。
異世界からの召喚は一方通行。少女を元の世界に戻すことはもはや叶わない。言ってしまえば無理やり連れてきて魔族と戦えと強要しているのだ。エルガス王はそのことに少なくない罪悪感を覚えていた。相手が娘のような年齢の少女ともなればなおさらだ。
本当に勇者としての力を備えているのなら、なんとしてでも協力してほしい。だがそうでないのなら魔族との戦いに巻き込むことなどできない。
それをどうすれば判断できるのか、王は悩んでいた。
優しいが故の葛藤。戦場で多くの敵兵を討ち取った鷹の目の武王も一人の父親に過ぎない。だからこそ多くの臣下が忠義を尽くすのだ。
「――では王よ、私に考えがあります」
悩める王に道を示すことこそ宰相の役目。ケイネスはかねてより考えていた提案を王に持ちかけた。
今日何度目かの深い溜息。
白が混ざってきた頭髪、皺が深くなってきた顔。老いは確実に迫ってきていたがその鷹の目と呼ばれる眼光の鋭さは衰えることを知らない。
厳密には知らなかった。つい先日までは。
エルガス・フォン・ラドカルミア三世。大陸屈指の大国であるラドカルミア王国を治める王にして、大戦では自ら先陣を切って突撃していく勇猛さが知られている武王である。勇猛さのみならず、その卓越した剣技と不正を許さない毅然とした思想から若き頃は騎士王などとも呼ばれた国民からの支持も厚い名君である。
もっとも、それも気の抜けたような顔で王宮の執務室から窓枠にもたれかかり頬杖などついていては形無しである。
「王よ……王がその体たらくでは兵達に示しがつきません……」
傍らに控えた理性の光を双眸に湛えたスラリとした体躯の男。宮中の侍女たちから絶大な人気を誇る色男にしてこのラドカルミア王国の頭脳、宰相ケイネスは頭を抱えた。
「王よ、気落ちするのは分かります。ですが落ち込んだところでどうにかなる問題ではありません。それになんですかその態勢は。恋する令嬢ですか」
年下の宰相に恋する令嬢呼ばわりされたかつての武王はフンッと鼻を鳴らした。エルガス王に対してこのような物言いをするのはケイネスぐらいのものである。大抵の者はその眼光に一瞥されただけで委縮してしまうのだ。ケイネスがそうならないのは単純に共に過ごした時間の長さと、その聡明さでエルガス王がこの程度で気を害するような器の小さい男ではないと見抜いているからである。
「十年……十年だぞ。十年かけて儀式の方法を解明し、魔法式を描く素材を集め、優秀な魔法師を募り、占星術師や預言者をも共同で研究し星の巡りがもっともよい日、時間を割り出した。運命、因果律、その他諸々全てが世界を救う勇者が召喚されると決まっていたはずなのだ。それが……」
エルガス王は頬杖をついたまま、眼下に視線を落した。
その窓枠から王宮の中庭が見える。石畳が敷かれた広間の中心で、剣に振り回されている小さな人影があった。
この国では珍しい漆黒の髪。まだ幼さの残る愛くるしい顔立ちで訊くと年齢は十四だと言う。
その少女は兵士による指導の元、剣を握っていた。言われるがまま、それを振るうたびにあっちへふらふらこっちへふらふらと落ち着かない。
確かに剣は重い。だが少女の持っているそれは最初こそ本物だったが、とっくの昔に騎士見習いの子供が鍛錬に使う木剣へと変えられている。危ないので。
しまいには木剣が手からすっぽ抜けてしまったので、困った兵士は近くの侍女を呼び止めた。すると侍女は何やら屋内へと入っていき、しばらくするとあるものを持って出てきた。
それを受け取った少女は一つ頷いて素振りの練習を再開する。今度は重さに振り回されることはない。
その様子を見てうんうんと頷いた兵士はふと視線を感じて上を向く。そしてこちらを凝視している鷹の目を見つけて硬直した。
鷹の目の持ち主、エルガス王はもう一度深あぁぁく溜息を吐くと窓枠から離れて執務室の机に突っ伏した。執務室には机と椅子、本棚以外にはほとんど何もない。装飾らしい装飾は壁に盾と剣が飾られているぐらいだ。王でありながら過度に飾り立てることを嫌うエルガス王の気質を体現した空間と言える。
「お玉じゃ魔族は倒せんだろう……」
少女は木製のお玉で素振りをしていたのだった。
「運動能力をテストしてみましたが、そこらの町娘と同等……いやそれより低いぐらいです。本人曰くタイイクは苦手とのこと。タイイクが何なのかは分かりませんが……」
少女に関しての資料なのだろう。ケイネスは手元の羊皮紙をペラペラと捲りながら答えた。
「ならば魔法はどうだ。ずば抜けた魔力量を持っていたりはしないのか」
一縷の望みを託してエルガス王は尋ねる。
例え剣技ができなくとも、この世界には戦う術があった。それが魔法だ。
呪文によって内に秘められたる不可視の力、魔力を引き出し世界に干渉する万能の法。各々が持ち得る魔力量は個人差が大きく、いわゆる才能が物を言う技法でもある。
天才が数人集まって念入りに準備をし、相応しい場所、相応しい時に行使すれば世界の理すら変えると言われる。
例えば世界を救う勇者を別世界から召喚するといったことも可能だ。そのはずなのだ。
「それに関してはまだなんとも……」
エルガス王の期待とは裏腹に、ケイネスの口調は重い。
「彼女のいた世界では魔法という技は存在しないらしく、まずは魔法理論から習得していただく必要がありました。そのために一流の魔法師の教えの元、基礎から学んでいただいているのですが……その……」
なんとも歯切れの悪い様子のケイネスをエルガス王が怪訝に思い急かす。
「なんだ。早く言え」
頼まれていた手伝いをサボっていたことが母親にバレた子供のように、ばつの悪い表情でケイネスがポツリと。
「……講義の最中にいつも寝てしまわれるので……」
ガタンッと机が鳴り、置かれていたインク壺から飛沫が飛んだ。エルガス王が机に額を打ちつけたからである。
「そもそも最初からおかしかったのだ……あの幼い少女が勇者だと?私の娘とそう歳も変わらんのだぞ!」
エルガス王には娘がいる。歳は今年で十二。いずれ国一番の美人に成長すると父は確信しているが、それゆえに嫁に出すのが心底躊躇われるのが父の悩みである。
「ええ、歳が近いこともあって勇者様とリンシア姫は大変仲がよろしく、二人が遊んでいる様子などは見ていて微笑ましいと侍女達から報告を受けています」
「それは大変けっこうだが、私は娘の友人を召喚するために十年の歳月を要したわけではないッ!」
今度は両の拳で机を叩いたので、その振動で倒れそうになったインク壺を慌ててケイネスが抑える。
鼻息を荒くした王は浮いた腰をもう一度椅子に降ろし、人差し指で机をコツコツと。
「あれを見ても、預言者共は儀式は成功したと抜かしておるのか」
「はい。勇者召喚は滞りなく成功し、彼女こそ世界を救う星の元にあると。それは運命であり、歴然とした事実であると。まぁ、話している最中に預言者達は決して目を合わそうとしませんが」
むぅぅと王は唸る。
確かに儀式には何の不備もなかった。それはエルガス王自身がその目で確認している。預言者達も態度はどうあれ保身のために王に嘘を吐くような連中ではない。
「ではどうしろと言うのだ!このまま放っておけばいずれあの勇者がお玉で魔族ども退治してくれると?馬鹿馬鹿しいッ」
そう吐き捨てた後、また深い溜息。
「あの者が本当に我らの希望なのか、その是非はどうすれば見極められる……。失敗したというのなら、早々に見切りをつけるべきだ。それがあの者のためにもなる。人間全ての未来など、あの小さな双肩には重すぎる荷物だ。適当な貴族の養子にでもしてやったほうがよっぽど幸せだろう……」
その言葉は決して自暴自棄になった諦観ではない。
王は王なりにあの娘のことを案じているのだとケイネスには分かった。
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本当に勇者としての力を備えているのなら、なんとしてでも協力してほしい。だがそうでないのなら魔族との戦いに巻き込むことなどできない。
それをどうすれば判断できるのか、王は悩んでいた。
優しいが故の葛藤。戦場で多くの敵兵を討ち取った鷹の目の武王も一人の父親に過ぎない。だからこそ多くの臣下が忠義を尽くすのだ。
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