【完結】君の手を取り、紡ぐ言葉は

綾瀬

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2.濡れたグラスの向こう側

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 翌日、目覚まし通りに起きて乾燥機にかけてくれた制服に袖を通して揃って家を出た。学校近くのコンビニで朝ご飯を買って、イートインでモソモソと食べる。ホテルに泊まった翌日のような、家以外で寝泊まりした朝特有の浮遊感と一緒にパンを飲み込む。
 葉山が声を出しながら大きくあくびをする。遥希はそれなりの爽快感とともに目を覚ましたのだが、葉山はそうではないらしく、目を覚ましてからずっとこの調子だった。

「やっぱり、俺の寝相悪かった?」
「いや、佐倉は全然動いてなかったよ……」
「寝てる間はわからなくない?」
「ウン……一晩中起きてなきゃわからないよね……」

 相当眠いのか、意思疎通まで困難になってしまっている。どこかかみ合わない会話を続けていた。パンを食べ終わってカフェオレも飲み干すと、コンビニの前を通る学生の姿が増えてくるころだった。ごみを捨ててコンビニを出ると、早朝の空気はすっかり消え去って、ムウっとした生ぬるい風が遥希の頬を撫でる。

「プリント、埋まってよかったね」
「うん。もうめっちゃ助かった。期末も乗り切れそう」

 このままプリントを提出してくるというので、昇降口で別れることになった。ずっと一緒にいたせいか、思わず引き止めそうになってしまった。そうだ、もう課題は終わったのだから今日から彼が図書室を訪れることはない。こんなことならもっとあの顔を拝んでおけばよかった。
 期末テストの勉強も一緒にやらないか、とはなぜか言えなかった。なぜか、なんて言いながら理由はなんとなくわかっている。職員室へ向かう彼はすでに何名かの友人に囲まれていて、やはり住む世界が違うんじゃないかと思えてくる。

「よお」
「千田か。おはよう」

 背後からのしかかるようにして現れたのは千田だった。センター分けにセットされた黒髪が輝いている。千田もどちらかといえば外交的なタイプで、遥希よりも葉山たちのグループに属する方だとは思うのだが葉山と話すときほど緊張しない。幼馴染だからだろうか。

「昨日大丈夫だったのか?」
「うん。葉山が泊めてくれた」
「葉山? 仲良かったっけ?」

 そういえば話していなかったな、と経緯をかいつまんで話した。どこか納得できない部分があるのか、訝し気な表情のままだ。器用に片方の眉毛だけ吊り上げている。
 千田はよくこの表情をする。周囲からはもともとの顔立ちや風貌から怖いと評されがちだが、遥希はこの顔が嫌いではなかった。洋画に出てくる俳優のようだとこっそり思っている。

「ふうん。カモネギだな」
「誰がカモだ」
「だってそうだろ。勉強に困ってたら成績優秀者が声かけてくるんだから」

 せめて棚から牡丹餅ぐらいにしてほしいものだ。しかし棚ぼた、とするのは葉山にも失礼かもしれないと思いなおす。何も努力していなかったわけではなく、勉強するために訪れた図書室にたまたま居合わせただけである。人事を尽くした結果であり、因果応報とするべきかもしれない。

「その優しさ、俺にも向けられないものかね」
「いつも誰に宿題見せてもらってるんだよ。もう見せないからな」
「あぁ、ごめんて。期末前に喧嘩はよくない。仲直りしよう」

 なんとも調子のいいやつだ。ただ、彼のそういうところが妙に遥希の性格とはまって今日まで幼馴染を続けている。押しが強いのに、遥希が負けてしまうところまでは押してこない。いつもつい許してしまうのだ。きっと、女子相手にもそうなのだろう。喧嘩をしたと言ってはすぐに仲直りを繰り返し、別れたと思ったらもう次の相手がいる。中学の時、気が付けばもうそんな状態で、それでも今まで元カノたちと揉めているのは見たことがない。
 葉山もモテるんだろうなとふと思った。あの顔であの性格だ。モテない方がおかしいだろう。

「そういや葉山って告白全部断るらしいな」
「え!?」
「そんな驚くことか?」

 タイミングよく葉山の話をされたものだからつい大きな声を出してしまった。
 教室はすでに賑わっていて、あまり目立つことはなかったがそれでも数人が遥希たちを振り返る。なんでもないと手を振って、そそくさと席についた。鞄から教科書を取り出しながらそれとなく先を促す。

「全部って、全部?」
「なんか好きな人がいるらしい」
「へえ、誠実だ」
「女子たちも初めはそう言ってたんだけどさ、一年経った今でもおんなじこと言うから、ただの断る口実なんじゃないかって」

 確かに、好きな人がいる、付き合っている人がいる、というのは漫画や小説なんかでもよく見るお決まりの断り文句だ。相手に期待を持たせないようきっぱり振るために用いられる文言だが、どこか遥希のなかの葉山像とは一致しない。嘘でごまかすような男ではないように思えるのだ。

「でも嘘つくようなやつかな」
「って庇う女子たちのなかで有力なのがアレ」

 千田が教室の廊下側を指さした。その指は静止しておらず、右から左へ流れていく。対象は動いているようだ。指先を追うと、教室の外には平井美佳の姿。二人の女子生徒と話しながら歩いている。髪型は毎日変わるが、今日はふわふわとしたみつあみだ。白い肌、丸くて大きな目に長い睫毛。多くの男子生徒が可愛いと認める女子でありながら、葉山の幼馴染で誰も手を出せない存在。

「ゆうりょく」
「そ。両片思いなんじゃないのーって」
「でも、それなら付き合うんじゃないの?」
「上手くいかなくなったら友達という関係までなくなっちゃうから勇気がでないんだって」
「聞いたの?」
「うん。俺の彼女から」

 要はゴシップということだ。美男美女が幼馴染で同じ学校に通っていては噂したくなるというものだろう。二人とも少女漫画に出てきそうなヒーローとヒロインそのもので、そういう物語として楽しむことで嫉妬やらなんやらをやりすごしているのかもしれない。

「お、噂をすれば」

 再び千田の指をさすほうを見ると、葉山が職員室から帰ってくるところだった。ドキリと心臓がなぜか音を立てる。噂をしていたせいだろうか。葉山に気が付いた平井が手を振って歩み寄っていく。なにか話しているが、聞こえない。親し気に話す二人を見ると、あながち突飛な噂とは言えないかもしれないと思える説得力があった。
 親し気なのだ。醸し出す雰囲気は親密そのもので、お似合いと言いたくなる気持ちがわかる。ただ話しているだけなのに、まるでドラマのワンシーンのようだ。

「お前はそういうのないの?」
「そういうの?」
「彼女とか、好きな人とか」
「ないない。むしろあると思う?」

 恋人はおろか、友人の数だってこれまでの人生において数える程度しかいないというのに。千田が妙に器用な男なので、おおよそ友人関係に必要なすべてを彼が担っていた。そのせいか、特に友人が少ないことにコンプレックスを抱いたことはなく、孤独感も抱いたことがない。恋愛においては疎いという自覚はある。千田を含め、多くの男子生徒が口にする彼女が欲しいというような欲も持ち合わせたことはなかった。
 枯れている、と千田は笑うが焦る気持ちもない。独身貴族という言葉ができてからもう久しく、これからどんどんおヒトリ様なんて珍しくなくなっていくだろうと確信している。食べ物と同じように娯楽に溢れている世の中だ。生物としての本能が欠落していると言われてしまっては返す言葉もないが。
 
 人の色恋沙汰にも興味はない。はずだった。
 遥希は予鈴が鳴るまで、話し続ける葉山と平井の姿をちらちらと気にしていた。
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