忘却の蝶は夜に恋う

北畠 逢希

文字の大きさ
6 / 6
一章 変わり者令嬢と平民の政官

第6話

しおりを挟む
 ノクスは鐘の音で目を覚ます。
 城下町の北側には城の外壁くらい高く聳える時計塔がある。その塔は現皇帝・ヴィルジールが即位した年に建てられたもので、日に三回鳴るようになっている。

 耳に馴染んだ音色を聴きながらベッドから出ると、真っ先に向かうは洗面所だ。冷たい水で顔を洗い、粗末な素材で織られた布で顔を拭く。貴族が使う柔らかなものを山のように買えるだけの財はあるというのに、ノクスの生活の基準は昔と変わらない。

 ひと通りの身支度を終えた頃、ノクスはカーテンを少しだけ開け、雲の切れ目から差し込む早朝の日差しに、すうっと目を細めた。

「おはようございます。ノクス様」

 食堂に入ると、エプロン姿のセバスチャンが笑顔で出迎えた。見ている方まで変な気分になるエプロンはイスカからの贈り物だと、昨夕セバスチャンが嬉しそうに語っていたことを思い出した。

「……ご令嬢は?」

「私ならここだよ、婚約者殿」

 イスカは厨房から顔を出した。セバスチャンの手伝いをしていたのか、右手には調理器具が、左手にはひと月前にセバスチャンと市で選んだ皿を持っている。

 その姿から嫌な予感がしたノクスは、ごくりと喉を鳴らした。

「……まさか」

「まさかにございます。ノクス様」

 ノクスの予感は当たったようだ。テーブルの上に並ぶ料理を見て、ノクスは眉根を寄せた。

 毎朝必ず飲んでいる野菜くずのスープは、セバスチャンが作ったもののようで間違いない。匂い、見た目、盛り付け方からそう判断したノクスは、その一品があることだけでも有り難いと思い、静かに席に着いた。

「ふふふ、驚いたようだね」

 ノクスは白湯を喉に流し込んでから、イスカが作ったと思われる料理に目を遣った。サラダと思われる皿には、不揃いに千切られた葉物野菜がくたくたに盛られている。彩りで添えられたのであろう赤色の実はなぜか切り込みが入っており、そこから橙色の液と黄緑色の種がこぼれ出ていた。

 徒歩数分の場所にあるパン屋で買ったであろういつものパンは、黒い塊へと変わっていた。そのままお皿に乗せて出すだけで良いというのに、何があったのだろうか。

「……セバスチャン」

 ノクスは恨めしげにセバスチャンの名を呼ぶ。何故彼女を厨房に入れたのだと責めるように睨めつけたが、セバスチャンは嬉しそうに笑っている。

「パンは少々焦がしてしまったが、初めてにしては良い出来栄えだと思わないか? 特にこのソテーなんて」

「どこがだ。焦げの塊にしか見えない」

 そうかな、と自信満々に語るイスカはノクスの向かいに腰を下ろすと、黒焦げになったパンを齧り始めた。

 ノクスはため息を零してから、渋々フォークを手に取った。斜向かいに座ったセバスチャンは嬉々とした表情でパンを頬張っている。見た目は残念だが、味は変わらないのだろうか。

 手に取って一口齧ってみたが、とても食べられたものではなかった。


 元気いっぱいなイスカとセバスチャンに見送られ、ノクスは家を出た。ほんの少しでも走ろうものなら、朝食が全て出てきてしまいそうなくらい、今のノクスの身体は不調だ。

 ノクスは目に被さるくらいまでフードを引き下げ、重い足を動かし続けた。

 やっとの思いで皇城の前に到着すると、城門前で騎士たちが騒いでいた。その中から見知った人物を見つけたノクスは、フードを下ろして近づいていった。

「──宰相、デューク卿」

 ノクスの声で、二人の男が振り返る。先に反応したのは騎士であるデューク卿──アスラン・デュークだ。

 アスランはノクスの姿を捉えると、ほんの少しだけ目元を和らげた。

「ノクス。いいところに来たな」

 はあ、とノクスは気のない返事をする。アスランの隣にいる宰相──ノクスの直属の上司である宰相のエヴァン・セネリオは焦げ茶色の髪をくしゃりと掻くと、困ったように眉尻を下げた。

「いいところと言えばいいところですけどねぇ」

 エヴァンはポリポリと頬を掻く。その視線を追った先には、十数名の騎士に囲まれている一人の少女の姿があった。

「私を誰だとお思いなの!? そこを退きなさい!」

「……あのご令嬢は?」

 ノクスの問いに、エヴァンは肩を落としながら答える。

「行政府工務省副官のお嬢様です」

「……ああ、あの間抜けの」

 ノクスの酷い言いように、エヴァンとアスランは苦笑を浮かべた。

 行政府工務省とは、国土の管理を任されている部署のことだ。その副官に任じられている男の娘が、朝から騒ぎを起こしているらしい。

「それで、あのご令嬢の用件は?」

「ジルに会いたいそうだ」

 ジルとはヴィルジールの愛称である。いくら幼馴染とはいえ皇帝を愛称で呼ぶのは如何なものかと思うが、アスランにはそれが許されている。

 ノクスはキリキリと痛む胃に手を添えながら、重く苦しいため息を吐いた。

「即位からもうじき一年。妃が一人もいないからと、押しかけてくる令嬢は増えるばかりですね」

「そうですねぇ。ここはひとつ、五年ぶりに建国祭でも開催して、陛下に誰かと踊って頂くしか」

「……あの陛下が承諾されるとは思えないのですが」

 愚かな先代皇帝のせいで開催できなかった祭事を利用するよりも、半年前に和平を結んだ西側の国から王女に嫁いでもらった方が早いのではないだろうか。

 そう思うノクスだったが、じわじわと強くなっていく胃痛には耐えられず、薬を求めて医務室へと向かったのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

隠れた花嫁を迎えに

星乃和花
恋愛
(完結済:本編8話+後日談1話) 結婚式を控えた同居中の婚約者・リリィには、ひとつだけ困った癖がある。 それは、寝癖が直らないだけで、角砂糖を落としただけで、屋敷のどこかに“こっそり”隠れてしまうこと。 けれど、完璧超人と噂される婚約者・レオンは、彼女が隠れるたび必ず見つけ出し、叱らず、急かさず、甘く寄り添って迎えに来る。 「本当に私でいいのかな」——花嫁になる前夜、ベッドの下で震えるリリィに、レオンが差し出したのは“答え”ではなく、同じ目線と温かな手だった。 ほのぼの王都、屋敷内かくれんぼ溺愛ラブ。 「隠れてもいい。迎えに行くから。」

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
王宮の華やかな裏側で繰り広げられる、夫婦の微妙なすれ違いと崩壊の物語。 公爵夫人エレナは、幼なじみの夫ヴィクトルとの静かな絆を大切にしていた。特に、夕暮れの庭園散策は二人の聖域。 穏やかな日常が、花びらのように儚く散り始めるきっかけは、新参の侯爵令嬢イザベルの登場だ。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

処理中です...