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煩わしい蠅
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「失礼しまぁすっ」
静まり返った研究室の扉が開く。
あれ? 俺 アポ間違えた か
事務所には 人っこ1人いない。大楠は己の声だけが配管剥き出しの低い天井に響くのを虚しく聴いた。
事務所奥には 実験室の扉がいくつも並んでいるが部外者立ち入り禁止の赤い文字に阻まれている。
大楠からは 実験室に職員が居るのか 居ないのか 完全防音、完全無菌の厚い隔たりから分からない。
今日は 帰るか…
踵を返して 入ってきたドアノブを右に回しつつ扉を引いた瞬間、背後に気配を感じ、無意識に振り返ると 大楠の視界に白衣に身を包んだひっつめ髪の女性が コーヒーメーカーのスイッチに人差し指をかけていた。
一瞬、大楠波彦は この女性が誰なのか思い出せなかった。
あれ? 誰だっけ… えっ? 誰
頭の中はガチャガチャと記憶をひっくり返すが …
まっいいか…
「いやー 先生っ いらっしゃったんですか、皆さまご在籍でなかったので、 私 日を間違えてしまったのかと…」
大楠の声は人を不快にしない 耳障り良いと形容できる声色を持っていた。馴れ馴れしい言葉すら 万人に好感を持たれた。
その自信からか 見識のない女性研究者にも話しかけたが、
白衣の女性は完全に彼を無視して コーヒーの入った紙コップを持って出てきた実験室に戻ろうとした。
「先生ぇ 先生 少し お時間いただけませんか? 先生っ」
やり手の営業マンは食い下がった。
「見ての通り 誰もいないので 日を改めて お越しください。」
その視線は さも煩わしそうに冷ややかだった。
「先生っ 先生がいらっしゃるじゃ無いですか!初めてお会い出来たので これも何かのご縁かと、是非 お近づき頂ければっ」
とびきりの笑顔と濁りのない爽やかな声色を駆使してその女性研究者に食い下がったが、
今度は 大楠波彦の顔を真正面に直視して
「おたく、勘違いしてますよ
私は ここの者じゃないので、営業しても 時間の無駄。
悪いことは言わないから 日を お改めなさい。」
面と向かって拒絶された経験のなかった大楠は、女研究者がそのまま実験室のドアを開けて入っていくのを 見送るしかなかった。
そこへ いつも愛想が良く接客上手な 女性事務員が戻ってきた。
「あら 大楠さん。 今日は皆さん 学会やら勉強会やらで出張してるんです。 室長も事務局長から呼び出されて行っちゃってるし…」
事務員は自分の持ち場に着席しながら 大楠に笑顔で職員の不在理由を説明した。
「いやー、そうとは知らず… 私とした事が …」
「室長まで居ないのはイレギュラーですよ」
滅多に出張や外出しない室長が不在なのは 運が悪かったと慰めている。
「ところで…あの お 一人 研究者の方が先ほどいらしたのですが、どうも 私の存じ上げない先生で…」
お人よしの事務員に それとなく女研究者の事を探ってみる。
「あー ユミ先生っ! 」
思わず 事務員は普段の呼び名で発した。
大楠の困惑顔を察して、
「T大学から 時々来られるんですよ、 岸井先生達と産学連携で協同開発中の案件があるみたいで… あっ!」
事務員は思わず手のひらで口を塞いだ。
内容は気になるが、知ったところで情報を漏らせば首が飛ぶ。
なまじ 聞かされれば 機密漏洩時は疑われる。
君子危うきに近寄らず…
それより、T大学に在籍しているという肩書きの女性が気になった大楠は、事務員にさりげなく ユミと呼ばれている研究者について率直に尋ねてみた。
「あー、ダメダメ ユミ先生は T大学基礎のホープですよっ、多分 噂だと もうすぐハー○ードに行かれると…」
事務員は大楠がまた新しい研究資材の売り込み先に繋がらないか探り出したと思い込んでいた。
T大学か… どうりで お高くとまっているはずだ…
今日は退散だな…
「今日は この辺でおいとまします。また皆さんがご在籍のおりに出直してきます。」
「ごめんねー 大楠さん。室長には大楠さんがいらしていた事 必ず伝えます。」
事務員は 大楠波彦が室長のお気に入りの営業マンだと承知していた。
その日以来 波彦は都内の顧客回りのたびに、必ずこの研究室に顔を出していたが、〝お高く止まった女研究者〟に再会する事は無かった。
数ヶ月経つと 自意識過剰な営業マンは 冷たくあしらわれた事も忘れて その美声で営業成績を伸ばしていった。
「大楠君 台京工科大学の孫教授が君の事をえらく褒めていたそうだよ、君を台湾に出張させてよかったよ!」
「 恐縮です」
「実は 来週末 N東京ホテルで、産学協同研究開発チーム発足のレセプションがあるんだが、孫教授も招かれていてな、そのお供に君が推挙されたんだよ、 頼んだよ 部長は英会話がからっきしだから、通訳と解説も兼ねてなっ よろしくな…」
通称 N東京 世界のセレブ御用達ホテル。
地下3階地上35階の五つ星ホテル。
最上階のロイヤルスイートはミナトミライから遠く木更津辺りまで東京湾を一望できる。
大楠は 部長と共にN東京正面玄関車寄せに降り立った。
部長が普段使っている社用車の前後には 黒塗りハイヤーが車列を作っていた。
続々と医学系 工学系 理学系の 名だたる研究者を乗せたハイヤーが到着する。世界的に名の通った医薬工学系商社など一同に会するレセプションだった。
会場は 所狭しと参加者達がグラス片手に親交をあたためている。
場違いな所に来てしまったと、珍しく弱気が首をもたげた波彦だった。
『大楠さん その節はありがとうございました』
背の高い波彦を見つけて声を掛けてきたのは孫教授だった。
「孫先生か?」
横にいる部長が小声で囁いた。
「ええ、」
『孫教授 こちらこそ 大変お世話になりました。』
二人は歩みよると、軽くハグして 握手を交わした。
波彦はすぐさま 部長を孫教授に紹介する。
出世街道を進む大楠波彦は この晴れがましい場所では徹底的に黒子に徹しなくては先が無い事を重々承知している。
部長と教授の間で流暢に通訳もこなしつつ、場を和ませていると、波彦の視界に1人の女性が一瞬だけフォーカスした。
誰だ… 何処で 会ったような?
誰だ…あの女(ひと)
どこかで 会ってるよな…
部長は、大楠波彦が上の空で視線を泳がせている事を見逃さず、
聞こえよがしな咳払いをした。
孫教授は 波彦の視線の先を見て
『大楠さん 白井先生をご存知ですか?』
シライ?
『孫先生、白井先生とは?』
『貴方が見ていた女性ですよ ほらあそこの』
孫教授は 失礼 と部長に会釈してから 女性の方に向かって歩き出した。
「大楠くん! 困るじゃないかっ 孫教授と何をコソコソ話していたんだ?」
「部長、申し訳ありません 実は孫先生が今話しかけている女性、私何処かで お会いした記憶が御座いまして …思い出せなくて…」
部長は したり顔でニヤついた。
「大楠君 白井ユミ先生だよ! ゲノム解析の第一人者じゃないか!確か今はハー◯ードで研究しているはずだが…」
シライユミ… ユミ…
そうだ! ユミ先生
「ッ 君ぃ…白井ユミをチェックしていなかったのかっ!ゲノム新薬をマインツェル製薬資金で開発間近 らしいぞ
チャンスじゃ無いか! さぁ 僕達も挨拶だよ」
部長も その女(ひと)白井ユミ目指して歩き出した。
しくった… 式次第の出席者一覧の白井ユミをチェックしていない…
俺とした事が
相手が日本人となると 昔はその人ありと噂されるほどの営業マンだった部長は 孫教授と白井ユミの間に割って入り いきなり
「白井先生、初めてお目にかかります 私 こういう者でして…」
名刺を彼女に突き出した。
そのやり口が 半世紀前の日本特有のモーレツ社員が下品に営業する姿と被って 白井は 苦笑いし、
『教授っ 申し訳ありません、 化石のような日本のビジネスマンがまだ存在したとは、恥ずかしいですわ、 失礼をお許しください。』
『化石⁈』
孫教授は ぷっと吹き出し
大楠波彦は笑いを必死でこらえた。
化石ってか?
部長は 白井ユミが早口で孫教授に話しかけた内容を大楠に尋ねた。
「私も全て聴き取れませんでしたが、日本の営業マンは 抜け目がない とお二人が納得されていたようです。」
と、波彦は部長の耳元で囁いた。
一瞬 部長に意識を向けていた間に、
白井ユミは孫教授から離れて モデル体型の欧米人男性にエスコートされて次のテーブルへ向かって歩き出していた。
っ 部長っ あんたが足を引っ張ってるんですよ、
表情には出さないが 今日のように、後手後手に回る事のない大楠は焦った。
こうなったら 一か八か、
「部長っ 孫先生から離れないでください、私は何とか白井先生に接触を試みてみます!」
お、おう… そうだな、
部長はこの時ばかりは世界共通言語が使えない自分を悔やんだ。
もう一人話せる者を連れて来ればよかった
今 旬の研究者白井ユミの周りはたちまち人垣が出来上がっていた。
いかにも理系女子を地で行く外見、手入れはされているような艶だが後頭部できつく引っ詰めた長い黒髪。その身を飾る宝飾品は小粒の真珠のイヤリングだけ。
飯もろくに喰ってなさそうだな ギスギスの躰じゃん
波彦は 人垣の中央で 愛想笑いだろとバレバレの会釈をしているユミを遠巻きに観察していた。
そこにはトップセールスマンの野生の勘が働く。
焦るな 波彦…勝負はこれから
大楠波彦は根気強くその時を待った。
彼の頭の中は部長の事も営業成績の事も消え失せ、ただひたすら目の前でチヤホヤされている女研究者を振り向かせる事だけに神経を研ぎ澄ませていた。
『失礼、少し此処を離れても、よろしいかしら?』
ユミはエスコート役のモデル体型の男性に問いかけた。
用足しを察した男性は 機転を効かせて取り巻きの人垣から彼女を解放に導く。
しめた!
ユミは 軽く人々に会釈すると小ぶりのクラッチバッグを小脇に挟み軽やかな足取りで化粧室へ向かって歩き出した。
レセプション会場では 今回主催の日本遺伝子研究学会会長の開催挨拶が始まろうとしているにもかかわらず、
白井ユミは自然現象を我慢しない。
会長が演壇に登壇するのも無視して 会場の後ろの扉から出て行った。あろう事か 大楠波彦の視界にも会場演壇は入っていない。
白井ユミの後を追う。
行き先は 女子トイレ
中に、入って彼女に詰め寄りたい衝動を 不思議と客観視しながら、自らの行動に ククッと吹き出してしまった。
俺 馬鹿?
女子トイレの入り口に並行してその奥に男子トイレが並んでいる。
廊下を行き交う人に妙な嫌疑を抱かせないように、波彦は男子トイレ側の壁にもたれ掛かりスマホを弄っていた。
時々 エロサイトの画像が割り込んでくる。
普段なら目障りで煩わしいモノであるはずが、変に見入ってしまっていた。
女子トイレの密室で 白井ユミはショーツを膝まで下げて排尿している。我慢の限界だったのか、やけに大量の尿が出る。その後始末は…
消音された動画のアニメの女はM字に開脚された脚の中央に伸びた自分の手首を細かく動かしている。
アニメ動画の女の表情は まさに今…というリアル感に
ヤバっ
白井ユミが排尿の後の拭き取る作業の姿と重なって波彦の脳内妄想が
股間にむず重い脈動を起こした。
このまま 男子トイレに飛び込んで1発抜くか…
その時 女子トイレの扉が開き お目当ての白井ユミが出てきた。
ッチ
アッ
波彦は咄嗟に背後から白井ユミの手首を掴むと 男子トイレの向かいにある多目的トイレに彼女を連れ込んだ。
彼女の唇を自分の唇で塞ぎながら 華奢な女の躰を壁に押し付け 片手でトイレのスライドドアに施錠した。
うんっ うんっ、 口を強く塞がれ右半身を若い男性の力でホールドされては、左手でバタバタと襲ってきた男の躰を叩く事しかできない。
急撃に口を塞がれ 取り込む酸素量が減るとユミの躰は脱力し男への抵抗も虚しく空振り始めた。
「ごめん 大丈夫ですか ごめんなさい」
同時に 波彦は 唇離し 口をついて出た言葉は謝罪だった。
しかし 強い力のホールドは続いたままだった。
「いいから いいから 離しなさいよ 」
いきなり唇を奪われたと言うのに 全く動じていない目の前の女。
波彦は口をポカンと開け 惚けてしまった。
「離しなさいったら!」
あっ あー
「ごっごめんなさい すみません 許してください
ぼっ僕は 一体 なっなんて事をしてしまって…」
その場に崩れ落ちた若く見栄えのする男に向かって
「大丈夫よ 騒ぎゃしないから お立ちなさい」
波彦の肩をポンと叩くと だらりと伸ばした肘をスーツの袖越しに引っ張った。
男を立ち上がらせてから 平然と鏡で乱れた髪を正すと
「貴方、トイレの前でエロサイトでも見ていたの?そりゃ 相手構わず襲いたくもなるわね、分からなくも無いけど 相手を選びなさいよ
… それから 貴方 虫歯は?」
この女(ひと)何を言ってるんだ?
血迷った男に襲われたんだぞ…
「早く 答えなさい 虫歯は?」
「あっ えー 虫歯は有りません。歯医者は幼稚園の時に行った記憶しかありません」
「そっ ならいいわ 今日の事は無かった事にしてあげるから
さっさとお帰りなさいなっ」
白井ユミはそう言い放ち
堂々と多目的トイレのスライドドアを開けて出て行った。
俺… 何してた
廊下をレセプション会場に向かって歩き出したユミ。
全く 発情期の若い男って 脳みそアレの事しか無いのよね、蝿の方がよっぽど真っ当な生殖行動しているわ
そんな事を考えていると
『ユミ 随分と遅いじゃ無い? 会長の挨拶終わっちゃったよ』
波彦はレセプション会場入り口で 初めから彼女の傍らでエスコートしているモデルのようなイケメン外人に話しかけられている白井ユミの後ろ姿を眺めていた。
彼女は クラッチバックでイケメンの背中をポンと叩いてそのまま男の、腰に手を回して会場に消えて行った。
静まり返った研究室の扉が開く。
あれ? 俺 アポ間違えた か
事務所には 人っこ1人いない。大楠は己の声だけが配管剥き出しの低い天井に響くのを虚しく聴いた。
事務所奥には 実験室の扉がいくつも並んでいるが部外者立ち入り禁止の赤い文字に阻まれている。
大楠からは 実験室に職員が居るのか 居ないのか 完全防音、完全無菌の厚い隔たりから分からない。
今日は 帰るか…
踵を返して 入ってきたドアノブを右に回しつつ扉を引いた瞬間、背後に気配を感じ、無意識に振り返ると 大楠の視界に白衣に身を包んだひっつめ髪の女性が コーヒーメーカーのスイッチに人差し指をかけていた。
一瞬、大楠波彦は この女性が誰なのか思い出せなかった。
あれ? 誰だっけ… えっ? 誰
頭の中はガチャガチャと記憶をひっくり返すが …
まっいいか…
「いやー 先生っ いらっしゃったんですか、皆さまご在籍でなかったので、 私 日を間違えてしまったのかと…」
大楠の声は人を不快にしない 耳障り良いと形容できる声色を持っていた。馴れ馴れしい言葉すら 万人に好感を持たれた。
その自信からか 見識のない女性研究者にも話しかけたが、
白衣の女性は完全に彼を無視して コーヒーの入った紙コップを持って出てきた実験室に戻ろうとした。
「先生ぇ 先生 少し お時間いただけませんか? 先生っ」
やり手の営業マンは食い下がった。
「見ての通り 誰もいないので 日を改めて お越しください。」
その視線は さも煩わしそうに冷ややかだった。
「先生っ 先生がいらっしゃるじゃ無いですか!初めてお会い出来たので これも何かのご縁かと、是非 お近づき頂ければっ」
とびきりの笑顔と濁りのない爽やかな声色を駆使してその女性研究者に食い下がったが、
今度は 大楠波彦の顔を真正面に直視して
「おたく、勘違いしてますよ
私は ここの者じゃないので、営業しても 時間の無駄。
悪いことは言わないから 日を お改めなさい。」
面と向かって拒絶された経験のなかった大楠は、女研究者がそのまま実験室のドアを開けて入っていくのを 見送るしかなかった。
そこへ いつも愛想が良く接客上手な 女性事務員が戻ってきた。
「あら 大楠さん。 今日は皆さん 学会やら勉強会やらで出張してるんです。 室長も事務局長から呼び出されて行っちゃってるし…」
事務員は自分の持ち場に着席しながら 大楠に笑顔で職員の不在理由を説明した。
「いやー、そうとは知らず… 私とした事が …」
「室長まで居ないのはイレギュラーですよ」
滅多に出張や外出しない室長が不在なのは 運が悪かったと慰めている。
「ところで…あの お 一人 研究者の方が先ほどいらしたのですが、どうも 私の存じ上げない先生で…」
お人よしの事務員に それとなく女研究者の事を探ってみる。
「あー ユミ先生っ! 」
思わず 事務員は普段の呼び名で発した。
大楠の困惑顔を察して、
「T大学から 時々来られるんですよ、 岸井先生達と産学連携で協同開発中の案件があるみたいで… あっ!」
事務員は思わず手のひらで口を塞いだ。
内容は気になるが、知ったところで情報を漏らせば首が飛ぶ。
なまじ 聞かされれば 機密漏洩時は疑われる。
君子危うきに近寄らず…
それより、T大学に在籍しているという肩書きの女性が気になった大楠は、事務員にさりげなく ユミと呼ばれている研究者について率直に尋ねてみた。
「あー、ダメダメ ユミ先生は T大学基礎のホープですよっ、多分 噂だと もうすぐハー○ードに行かれると…」
事務員は大楠がまた新しい研究資材の売り込み先に繋がらないか探り出したと思い込んでいた。
T大学か… どうりで お高くとまっているはずだ…
今日は退散だな…
「今日は この辺でおいとまします。また皆さんがご在籍のおりに出直してきます。」
「ごめんねー 大楠さん。室長には大楠さんがいらしていた事 必ず伝えます。」
事務員は 大楠波彦が室長のお気に入りの営業マンだと承知していた。
その日以来 波彦は都内の顧客回りのたびに、必ずこの研究室に顔を出していたが、〝お高く止まった女研究者〟に再会する事は無かった。
数ヶ月経つと 自意識過剰な営業マンは 冷たくあしらわれた事も忘れて その美声で営業成績を伸ばしていった。
「大楠君 台京工科大学の孫教授が君の事をえらく褒めていたそうだよ、君を台湾に出張させてよかったよ!」
「 恐縮です」
「実は 来週末 N東京ホテルで、産学協同研究開発チーム発足のレセプションがあるんだが、孫教授も招かれていてな、そのお供に君が推挙されたんだよ、 頼んだよ 部長は英会話がからっきしだから、通訳と解説も兼ねてなっ よろしくな…」
通称 N東京 世界のセレブ御用達ホテル。
地下3階地上35階の五つ星ホテル。
最上階のロイヤルスイートはミナトミライから遠く木更津辺りまで東京湾を一望できる。
大楠は 部長と共にN東京正面玄関車寄せに降り立った。
部長が普段使っている社用車の前後には 黒塗りハイヤーが車列を作っていた。
続々と医学系 工学系 理学系の 名だたる研究者を乗せたハイヤーが到着する。世界的に名の通った医薬工学系商社など一同に会するレセプションだった。
会場は 所狭しと参加者達がグラス片手に親交をあたためている。
場違いな所に来てしまったと、珍しく弱気が首をもたげた波彦だった。
『大楠さん その節はありがとうございました』
背の高い波彦を見つけて声を掛けてきたのは孫教授だった。
「孫先生か?」
横にいる部長が小声で囁いた。
「ええ、」
『孫教授 こちらこそ 大変お世話になりました。』
二人は歩みよると、軽くハグして 握手を交わした。
波彦はすぐさま 部長を孫教授に紹介する。
出世街道を進む大楠波彦は この晴れがましい場所では徹底的に黒子に徹しなくては先が無い事を重々承知している。
部長と教授の間で流暢に通訳もこなしつつ、場を和ませていると、波彦の視界に1人の女性が一瞬だけフォーカスした。
誰だ… 何処で 会ったような?
誰だ…あの女(ひと)
どこかで 会ってるよな…
部長は、大楠波彦が上の空で視線を泳がせている事を見逃さず、
聞こえよがしな咳払いをした。
孫教授は 波彦の視線の先を見て
『大楠さん 白井先生をご存知ですか?』
シライ?
『孫先生、白井先生とは?』
『貴方が見ていた女性ですよ ほらあそこの』
孫教授は 失礼 と部長に会釈してから 女性の方に向かって歩き出した。
「大楠くん! 困るじゃないかっ 孫教授と何をコソコソ話していたんだ?」
「部長、申し訳ありません 実は孫先生が今話しかけている女性、私何処かで お会いした記憶が御座いまして …思い出せなくて…」
部長は したり顔でニヤついた。
「大楠君 白井ユミ先生だよ! ゲノム解析の第一人者じゃないか!確か今はハー◯ードで研究しているはずだが…」
シライユミ… ユミ…
そうだ! ユミ先生
「ッ 君ぃ…白井ユミをチェックしていなかったのかっ!ゲノム新薬をマインツェル製薬資金で開発間近 らしいぞ
チャンスじゃ無いか! さぁ 僕達も挨拶だよ」
部長も その女(ひと)白井ユミ目指して歩き出した。
しくった… 式次第の出席者一覧の白井ユミをチェックしていない…
俺とした事が
相手が日本人となると 昔はその人ありと噂されるほどの営業マンだった部長は 孫教授と白井ユミの間に割って入り いきなり
「白井先生、初めてお目にかかります 私 こういう者でして…」
名刺を彼女に突き出した。
そのやり口が 半世紀前の日本特有のモーレツ社員が下品に営業する姿と被って 白井は 苦笑いし、
『教授っ 申し訳ありません、 化石のような日本のビジネスマンがまだ存在したとは、恥ずかしいですわ、 失礼をお許しください。』
『化石⁈』
孫教授は ぷっと吹き出し
大楠波彦は笑いを必死でこらえた。
化石ってか?
部長は 白井ユミが早口で孫教授に話しかけた内容を大楠に尋ねた。
「私も全て聴き取れませんでしたが、日本の営業マンは 抜け目がない とお二人が納得されていたようです。」
と、波彦は部長の耳元で囁いた。
一瞬 部長に意識を向けていた間に、
白井ユミは孫教授から離れて モデル体型の欧米人男性にエスコートされて次のテーブルへ向かって歩き出していた。
っ 部長っ あんたが足を引っ張ってるんですよ、
表情には出さないが 今日のように、後手後手に回る事のない大楠は焦った。
こうなったら 一か八か、
「部長っ 孫先生から離れないでください、私は何とか白井先生に接触を試みてみます!」
お、おう… そうだな、
部長はこの時ばかりは世界共通言語が使えない自分を悔やんだ。
もう一人話せる者を連れて来ればよかった
今 旬の研究者白井ユミの周りはたちまち人垣が出来上がっていた。
いかにも理系女子を地で行く外見、手入れはされているような艶だが後頭部できつく引っ詰めた長い黒髪。その身を飾る宝飾品は小粒の真珠のイヤリングだけ。
飯もろくに喰ってなさそうだな ギスギスの躰じゃん
波彦は 人垣の中央で 愛想笑いだろとバレバレの会釈をしているユミを遠巻きに観察していた。
そこにはトップセールスマンの野生の勘が働く。
焦るな 波彦…勝負はこれから
大楠波彦は根気強くその時を待った。
彼の頭の中は部長の事も営業成績の事も消え失せ、ただひたすら目の前でチヤホヤされている女研究者を振り向かせる事だけに神経を研ぎ澄ませていた。
『失礼、少し此処を離れても、よろしいかしら?』
ユミはエスコート役のモデル体型の男性に問いかけた。
用足しを察した男性は 機転を効かせて取り巻きの人垣から彼女を解放に導く。
しめた!
ユミは 軽く人々に会釈すると小ぶりのクラッチバッグを小脇に挟み軽やかな足取りで化粧室へ向かって歩き出した。
レセプション会場では 今回主催の日本遺伝子研究学会会長の開催挨拶が始まろうとしているにもかかわらず、
白井ユミは自然現象を我慢しない。
会長が演壇に登壇するのも無視して 会場の後ろの扉から出て行った。あろう事か 大楠波彦の視界にも会場演壇は入っていない。
白井ユミの後を追う。
行き先は 女子トイレ
中に、入って彼女に詰め寄りたい衝動を 不思議と客観視しながら、自らの行動に ククッと吹き出してしまった。
俺 馬鹿?
女子トイレの入り口に並行してその奥に男子トイレが並んでいる。
廊下を行き交う人に妙な嫌疑を抱かせないように、波彦は男子トイレ側の壁にもたれ掛かりスマホを弄っていた。
時々 エロサイトの画像が割り込んでくる。
普段なら目障りで煩わしいモノであるはずが、変に見入ってしまっていた。
女子トイレの密室で 白井ユミはショーツを膝まで下げて排尿している。我慢の限界だったのか、やけに大量の尿が出る。その後始末は…
消音された動画のアニメの女はM字に開脚された脚の中央に伸びた自分の手首を細かく動かしている。
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ヤバっ
白井ユミが排尿の後の拭き取る作業の姿と重なって波彦の脳内妄想が
股間にむず重い脈動を起こした。
このまま 男子トイレに飛び込んで1発抜くか…
その時 女子トイレの扉が開き お目当ての白井ユミが出てきた。
ッチ
アッ
波彦は咄嗟に背後から白井ユミの手首を掴むと 男子トイレの向かいにある多目的トイレに彼女を連れ込んだ。
彼女の唇を自分の唇で塞ぎながら 華奢な女の躰を壁に押し付け 片手でトイレのスライドドアに施錠した。
うんっ うんっ、 口を強く塞がれ右半身を若い男性の力でホールドされては、左手でバタバタと襲ってきた男の躰を叩く事しかできない。
急撃に口を塞がれ 取り込む酸素量が減るとユミの躰は脱力し男への抵抗も虚しく空振り始めた。
「ごめん 大丈夫ですか ごめんなさい」
同時に 波彦は 唇離し 口をついて出た言葉は謝罪だった。
しかし 強い力のホールドは続いたままだった。
「いいから いいから 離しなさいよ 」
いきなり唇を奪われたと言うのに 全く動じていない目の前の女。
波彦は口をポカンと開け 惚けてしまった。
「離しなさいったら!」
あっ あー
「ごっごめんなさい すみません 許してください
ぼっ僕は 一体 なっなんて事をしてしまって…」
その場に崩れ落ちた若く見栄えのする男に向かって
「大丈夫よ 騒ぎゃしないから お立ちなさい」
波彦の肩をポンと叩くと だらりと伸ばした肘をスーツの袖越しに引っ張った。
男を立ち上がらせてから 平然と鏡で乱れた髪を正すと
「貴方、トイレの前でエロサイトでも見ていたの?そりゃ 相手構わず襲いたくもなるわね、分からなくも無いけど 相手を選びなさいよ
… それから 貴方 虫歯は?」
この女(ひと)何を言ってるんだ?
血迷った男に襲われたんだぞ…
「早く 答えなさい 虫歯は?」
「あっ えー 虫歯は有りません。歯医者は幼稚園の時に行った記憶しかありません」
「そっ ならいいわ 今日の事は無かった事にしてあげるから
さっさとお帰りなさいなっ」
白井ユミはそう言い放ち
堂々と多目的トイレのスライドドアを開けて出て行った。
俺… 何してた
廊下をレセプション会場に向かって歩き出したユミ。
全く 発情期の若い男って 脳みそアレの事しか無いのよね、蝿の方がよっぽど真っ当な生殖行動しているわ
そんな事を考えていると
『ユミ 随分と遅いじゃ無い? 会長の挨拶終わっちゃったよ』
波彦はレセプション会場入り口で 初めから彼女の傍らでエスコートしているモデルのようなイケメン外人に話しかけられている白井ユミの後ろ姿を眺めていた。
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「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
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快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
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