山桜記 陰謀渦巻く北信越のご城下 幕府御庭番の目を潜り御家騒動断絶を乗り越えられるか‼️

高野マキ

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見世替え《花籠楼》

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桃の節句の夜

下働きの女童お幸は、初見世に高値を付けた下前田藩主御側衆田宮左兵衛(たみやさひょうえ)の酒席に披露目が決まっていた。

しかし三笠屋女将お繁は、自らの差配で先に下前田遊郭花籠楼の楼主にお幸の品定めをさせた。


「お繁さん…良い目の保養をさせて頂きましたよ。それで…見世替えの値は如何程かね」


花籠楼の楼主は、意外にも不器量なお幸を身請けすると言い出した。


「だっ旦那ぁ…まさか、お幸を…」
お繁もうろたえる。


   大きな取り引きになるやもしれない…


(童好みの田宮様のお内儀は、飾り物とのお噂…その噂は満更戯言でもないような…)


お繁は両者を天秤にかけて胸算用を始める。

お繁は結局武士の懐より[花籠楼]との取り引きを選んだ。

「お繁さん…今度の初見世さんに50両積みましょ」

「ひっ…ごっごじゅうう」

腰を抜かさんばかりに驚いた。


「一つ…駒というおぼこを世話役に付けてもらえませんか…それで20両  合わせて70両でどうですか?」


花籠楼の楼主の注文に

「そっそりゃあもう‥駒だけと言わずお路でも誰でも…」


お繁は弥比古との約定をすっかり忘れていた。
書き付けまで交わしていたはずだが…

この成り行きを若い衆から聞き付けた花籠楼の若羽木太夫こと元神鶴藩江戸上屋敷奥女中の萩は、内心自分の手元に置く事で、駒の先行きを見届けることが出来ると喜んだ。

それから数日後、お幸の見世替えを隠れ箕に駒は花籠楼に移った。

初夏、半年ぶりに三笠屋に現れた猟師の弥比古は、別段お繁を責めるわけでもなく、お繁から駒のくら替え先を聞くと、約定違犯を不問にする代わり、今後猟師仲間の定宿としていつでも部屋を用意する事を約束させた。

次 約定を反故した場合は、今回の事をお上に申し出ると脅かす事も忘れなかった。


かつて 弥比古の使いで若羽木太夫を訪ねて以来の花籠楼の暖簾の前で駒は弥比古との約束すら果たせず、三笠屋を後にしなければならない我が身のさだめを初めて恨んだ。

紅い弁柄格子が四、五間は続こうかと思われる広い間口のほぼ中央の弁柄下地に深緑に染め抜かれた花籠紋様の暖簾。
これを潜れば もう別世界が広がっていた。

駒は目まぐるしく変わってゆく視界に映る景色とむせかえるような白粉の匂いで気を失いそうになる。

「これっ しっかり歩くんだよっ 旦那様がお待ちだ 急ぎなっ」

使用人の男衆に引き摺られるように腕を抱えられ楼主が待つ部屋へ通される。

二間続きの控え間で 派手な鶴亀を描いた襖の前で待たされていた駒は、襖が開けられたその先の主人の横の花魁の姿に目が釘付けになった。
三笠屋で見慣れていたはずの女郎達とは 全く違う女子(おなご)を眺めていた。長襦袢に羽織を一枚重ねて現れた太夫の肌が青白いほどに胸元から首筋にかけて透き通っていた。首の上にちょこんと乗った顔は、恐ろしく小さく真っ白な白粉に埋もれた漆黒の目 眉毛はもとより無く、鼻筋をたどれば 毒毒しまでに真っ赤な紅を引いた唇が艶かしく濡れていた。
子供ながらに異世界に迷い込んだような恐怖すら感じていた。

「今日からこちらの若羽木太夫の身の回りの世話をお駒にしてもらいますよ。お幸は新造になる為に廓のしきたり 行儀 芸事 手習の一通りを身につけて 早く初見世できるように励んで下さいよ」


姉さん格のお幸に隠れるように 身を屈め 握り拳二つを小さな膝の上に行儀良く揃えて俯いている駒に、

「ささ、お駒 太夫に付いて身支度するんだよ」
いつからか 女将がその場に同席していた。

「太夫 頼みましたよ、ようく見たらなかなかの器量だ、磨けば大化けするやもしれませんよ、」
女将は お幸より 駒に期待を寄せている。

 「あちきも これから楽しみが増えたと言うものでありんす。今年の主様のお座敷には 駒を連れて出られるよう 習わすでありんす。」

太夫は 駒に近づき 不安でこわばった駒の握り拳を優しく解すように両の掌ひらで包みこんだ。

楼主人の部屋を若羽木太夫 男衆と出た駒は 太夫に手を引かれ西日さす中庭の回廊を歩いて行く。

「お駒ちゃん これからは ずっと一緒だよ‥」

駒の耳に優しい聴き慣れた人の声が聞こえた。
駒は頭を上げあたりをキョロキョロ見渡す。

「お駒ちゃん ! あたしよ」
その声は頭越しに聞こえてた。
駒が声のする頭上を見上げると 白粉の中の黒い大きな瞳がキラキラ輝き 真っ赤な紅をさした唇の口角が柔らかい角度で上がっている。

 「‥‥姉ちゃん⁈ 萩の‥」
駒は消え入りそうな声で 尋ねてみた。
二人の前を先導する男衆も聴こえて聴こえないふりに徹している。

 「驚かせちゃったね もう辛い目には絶対あわせないからね 安心してね」

駒は太夫の柔らかく温かい手をギュッと握りしめた。


今年は駒も数え年10歳になる。
春三月から 花籠楼の花魁 若羽木太夫の数名いる禿(かむろ)の一人に加えられた。

禿と言えど 花の吉原では 必ずしも花魁になれると言うわけではない。
売られてきた女童の内から将来有望と見込まれた女童だけが花魁の身の回りの世話と称して遊女見習いに入る。
花魁ともなれば 読み書き 算術 歌舞音曲 位の高い武家 公家などを相手に渡り歩ける教養が必要であった。その為見た目だけでは花魁にまで辿り着けず 中途で年齢も上がり最後は悲惨な末路を辿る者が殆どだった。

地方の公許遊廓である花籠楼は 吉原のような熾烈な競争は無いものの、下前田藩の御城下で廓を営んでいるとあって藩の上級武士や中山道沿いの商人 江戸を目指す上方 尾張の大商人が旅の疲れを癒すために黄金を落としていく。

花籠楼には 若羽木太夫を筆頭複数の人気遊女が在籍して客の嗜好にあわせて客を飽きさせないような商売を展開していた。

駒が花籠楼の禿に取り立てられてから早二月

皐月の頃、 弥比古が下前田の御城下に姿を現し 毎年のように馬具屋で馬を係留し 上総屋に脚を向けた。

 その後、花籠楼の暖簾を潜り 湯殿で伸び切った髭を落とし 若羽木太夫の部屋の障子を無遠慮に開けると、若羽木と源氏物語絵巻を並んで見ている駒がいた。

「お駒か?」

突如開いた障子から落日の西日の逆光で顔の判別が出来ない男が突っ立っていた。

「おんつぁん!」

駒は 顔も判別できないのに 決して忘れる事のない弥比古の声に引き寄せられるように 飛び跳ね 一目散に男の腹部にしがみついた。

「元気にしていたか‥」

弥比古は急に背がのび 娘らしくなってきた駒を戸惑いつつも 女童扱いのまま 頭を撫でる。




…こうして見ると、吉野様に生き写し…駒
  其方…この先我等の窮状を救ってくれるか?…


「おら おんつぁ‥ ひっ比古さんと約束したのに‥すまねー事して‥疾風の世話をしてないよ‥読み書きは萩の姉ちゃんに毎日教わってたけど、疾風は桃の節句からこっち 会ってもいねぇんだ‥ちゃんとまんま喰わせてもらってるんだか?‥」
駒の大きな瞳が潤んできた。

 「疾風なら 心配しなくても大丈夫だ。馬具屋が良い馬飼に世話をさせているからな‥ 暫くしたら疾風に乗ってみるか?」

弥比古は 駒の頭を撫でながら 駒が1番喜ぶ提案をした。

 「おとっつぁんには、未だ馬っこさ乗るのは無理だと止められてただよ、比古さん 大丈夫かな?おらでも 疾風は乗っけてくれるだろか?」

駒は乗りたい気持ちがはやるのを隠して 食い入るように弥比古を見た。



 「お駒‥ お前は誰に似たんだ?背丈を測って貰っていないのか?
随分と背が高くなっているぞ、お前のおとっつぁんが 今のお駒の姿を見たら、直ぐ様 馬に乗せてくれただろう… お駒のおっかさんも木曽の暴れ駒だってあっという間に手懐けていたぞ、」

駒が知らない父母の姿に目を輝かせた。

「おっ母ぁも 馬っこさ乗れただか しらねぇかった、おらも馬っこ上手く乗りてぇなぁ…」



「そうだっ お駒ちゃん 今から背丈測ってみたら?」



駒の背丈を測りながら、 弥比古も萩もほんの一時 命がけの企てを忘れていた。…



「お駒ちゃんったら、凄い 三尺超えてるぅっ! もうすぐ越されてしまいそう‥」

萩が目を丸くして驚いている。

 「お駒に似合う 着物を作ってやろう…」
弥比古が 駒の着物を仕立て屋に頼むといい出せば、

萩が
 「反物は上総屋さんに見繕って届けてもらいましょうよっ、ねっ…比古様ぁ!」


 「うむ‥そうだな‥」


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