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出生の秘密

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「ごめんくださいましよー」
珍しく 女将のお繁が膳を運んできた。

「お待たせして 申し訳ござんせんね‥何せ、お駒もお幸もあっちに行ったもんだから、女手が足らなくて‥」

半刻は待たされていたが、弥比古達にとってはかえって好都合だった。

お繁は、訊ねてもいない事までペラペラと話しながら膳を並べていく。後ろに付いて来た未だ幼い女童がお繁に徳利 盃を渡す。

 「嫌だねぇ お鶴ったら 盃は面向けてお出しするもんじゃないんだよっ すみませんねぇ まだ来たばっかりのおぼこでして‥みっともないところお見せしました‥」

お繁はあいも変わらず、裏で童の人買いをしていると見えた。

 「女将 もういいから 下がってくれっ 用向きがあったら手代を寄越しなっ」

助蔵がお繁に強い口調で言いうと、桃吾は露骨に うせろ と目で合図する。弥比古は素知らぬ顔で 手酌酒を口元に運んでいた。


  「そう、そう 佐助っ 御贔屓のマタギの旦那様だよ 挨拶しておくれでないかい」

お繁は離れを退室する際 思い出したように庭先で控えていた手代を呼んだ。

左助という男を三月の桃の節句時に雇い入れ、抜かり無い仕事ぶりを見た上で新しく手代として仕込んでいるという…。

廊下の向かいの離れ座敷に面した庭に控えていた左助は、
 
「えー、あぁー、この度 ご縁あって三笠屋さんで働かせて頂く事にあいなりやした、左助 と申しやす。生まれは紀州長田観音脇に捨てられていやした。寺で育てて頂いたあと、大和 尾張と流れながれて やっと三笠屋さんで拾っていただける事になりやした。どうかお見知り置きくださっておくんなさいやし。」


「てな 理由でして 今後は何でも御髄に佐助に申し付けてくださいましな」

長々と居座っていた お繁一行がやっと下がっていった。

 「助蔵、佐助とやら 我等に氏素性明かしおったな‥」

弥比古は手酌で盃の酒をグイッと飲み干し 助蔵に飲み干した盃を渡すとなみなみと酒を注いだ。

 「御意 やくざ者の様な語り口ではありましたが、所作身のこなしは 侍か?‥」

助蔵は 酒を呑み干し 盃を弥比古に返しながら 今しがたお繁が閉めていった障子戸に目をやった。

「まさか、岩井の間者では‥」

桃吾がすっと脇に控えた大刀に手を添えた。

「ふんっ…あの男 わざわざ 紀州と謎を掛けていったわ‥」

弥比古の視線が天井の板目を追う。

「もしや、御公儀か‥」
助蔵がぽろっと口を滑らしそうになり 慌てて徳利の酒を口に流し込んだ。

「吉宗公は、我が藩への仕置き改めて詮議し直すと沙汰下されたばかり‥佐助と言う男 あながち我等を見張っているぞと楔打ったやもしれぬな‥」

弥比古は酒で湿った唇を親指で拭った。

 「しっ、しかし、となれば 我等 動きづろうなりますまいか?」
桃吾は心配げに助蔵を見た。

助蔵に代わって 弥比古が答えた。

 「吉宗公とて 紀州より江戸城の魑魅魍魎巣食う巣窟に丸腰でお入りなるまいよ、ましてや 元禄狂乱の後始末を何の後ろ盾も無く押し付けられたのだ。先の幕閣が沙汰した諸藩のお取り潰し 改易 転封等が果たして幕府に正しき利をもたらしているのか‥ここは紀州の側近に改めて調べ直させて 誤った御政道を正そうとなさっておるのやもしれぬ‥」

弥比古は間者に聴かれている事を承知で 新将軍を評価した。

 「水埜様、で、あるならば、我等の思い 上様に何としても奏上しなければ、江戸屋敷で謹慎なされている殿の無念晴らせませぬっ」

助蔵が酒の勢いで 弥比古の苗字を声にだした。

 「助よ、先程の話しは あくまでも〝仮に″ だ。もう少し御公儀の動きを注視せねばならぬ。我等は 今まで通り直訴のため岩井共の悪行 動かぬ証拠を集めるだけ集めねばならぬ。」

弥比古の決意は固い。


   ……水埜彦四郎‥安藤直胤との衆道の契りは命より尊いとその躰に叩き込まれておるな… 今、直胤の命が尽きた事知れば 彼奴ら配下の者 連座して自害に及ぶであろう…早急に沙汰仰がねばなるまい…

離れ座敷の様子を伺う御庭番衆がその場を離れた。





 「急ぎ江戸屋敷の 片岡に御公儀の動きに注意せよと伝えよ」
弥比古は、助蔵に江戸に向かうよう指示した。


しかし、藩主直胤の自刃に連座した…
 片岡魚丸頼矩はもうこの世にはいない‥

 「殿の言われなき御乱心の奏上、御方様とてわかっていようものを…武士道と奥向きの男女の契りを内混ぜにされては、我等小姓組が命捧げ奉るに、立つ背がござらぬ‥」

  …桃吾の嘆きもわからぬでもないが、女子(おなご)の情念など 我等には到底計り知れぬ‥

弥比古はゆっくり盃を傾けてた。

衆道とは 血と血 肉と肉の交わりを持って死んだ後も主従関係は切れないものと躰に染み込ませる刻印であった。


‥‥ 

下前田藩 別邸 杏林殿に藩主池田斉彬(なりあき)が静養に訪れ早くも3年の歳月が過ぎていた。

斉彬は、8歳で下前田藩10万石の家督を継いだが、幼年だった為 筆頭国家老岩井弾膳が補佐役と称して藩の政を独断で行ってきた。それは、斉彬が成人しても変わる事が無かった。

 藩主とは名ばかり、幕府 時の権力者間部詮房と内通している岩井弾膳が間部詮房の意向を汲みながら執政していたため、藩士 領民の不満が溜まり 藩政に反対する小競り合いが彼方此方で起こっていた。その度岩井の独断で首謀者一族郎党死罪とし、恐怖で民心を押さえ込んでいた。

斉彬は 理想とする藩政への憧れはあったものの 岩井に反論は出来ず、杏林殿に引き篭もるようになっていた。

しかし斉彬にも 希望の光が一つだけ灯されていた。それは、斉彬が生まれる前の出来事。


~斉彬出生前の下前田藩~


藩主には、正妻と数人の側室がいたが、男子に恵まれず、また生まれた子供はほとんど幼少期に流行病で亡くなっていた。
そんな中 ある側室が男子を出産した。

今までの子供があまりにも短命だった為 菩提寺の僧侶が 

 「若君を一度お捨てなされよ」と助言した。

僧侶が話すには 町民農民の子供らは皆相対的に健康で成人する。生まれの卑しいものほど長生きしている。
それに倣って 一旦城主の若君を捨て 領民に拾わせた上で養子として育てていけば健康で長生きする という説だった。


側室が生んだ赤子は御城下菩提寺の門前に捨てられた。


直ぐに家臣宅の下人に拾ろわせた後、家臣が養子とし、藩主から遣わされた乳人に預けられる手筈となっていた。が、下人が門前に来た時には 赤子は忽然と消えていた。


内密に、行われた事であり大っぴらな捜索 また関わった者の詮議も出来ず、幕府にあらぬ疑いをかけられぬよう内密に、消えた若君を捜すしかなかった。

しかし、この一件の後 懐妊していた正妻が男子を出産したため 藩主、関わった者たちの記憶から 消えた若君の事は霞のように薄れて行った。
下前田藩は、藩主亡きあと、藩主に仕えていた側近は全て刷新され 実質岩井弾膳の天下となってしまう。


下前田藩菩提寺門前前に 藩主の嫡男が捨てられた事は菩提寺住職はじめ、関わりあった全ての者に口を閉ざすよう下命があり、嫡男は生まれて直ぐに薨った(みまかった)事とされた。


側室が産んだ男子が捨てられた菩提寺の寺男は、住職と藩主の間で内密に丈夫な体で無事に成人するようにと 子捨ての習わしを、まさか世継ぎの赤子で行うなど思いもよらず、まさに捨てられるその時を 目撃していた。

捨てた人物は頭巾を頭から被った薄汚れたなリをした百姓風情の男のようだった。

「あぁ… やれ 難儀なことよ、また捨て子か、今月に入ってもう三度目じゃ…和尚様にお知らせしなくては…」


手に持った箒をその場に立てかけ 捨てられた赤子を確かめもせず本堂に向かった。
知らせを受けた和尚は 別段驚きもせずに、


「よう知らせてくれた、どれ また赤子の身受け先を探さなくてはならぬのぉ…」


毎度の事と、寺男はゆっくり立ち上がる和尚を待って、三箇所ある寺の門のうち 檀家がいつででも墓参りが出来る出入り自由な墓地に近い門に向かって案内した。
 


…さても 奇怪な 確か若君をお捨てするは、正面の大門のはず………

~ 16年後…神鶴藩 城下~


1人の初老の藩士が城での勤めを終えて帰宅した。


「父上 お帰りなさいませ。」


城の勤めを終え、帰宅した父を出迎えたのは この家の嫡男
水埜彦四郎であった。
彦四郎は今年元服し、近く神鶴藩主の側近くで仕える小姓組に取り立てられる事になっていた。


彦四郎の出自について、養父彦左衛門は下前田の親戚筋から跡継ぎの無い水埜家に養子にどうか と話しが持ち上がり其れを受けたと聴いていた。
当の彦左衛門も 水埜家の婿養子だった。

水埜家の跡取り娘との間に子は無く、その娘も親より先に亡くなってしまい、彦左衛門は義理の両親を先立った妻に代わり最期まで看取った。
幾度も再婚話しはあったものの、生来律儀者で義理父母の手前 再婚を遠慮していた。


義理両親が亡くなった後 再婚の決断時期に 彦四郎の養子縁組話しが先に進み まだ乳飲み子の彦四郎を養育することを決めた。


50石の下級藩士の彦左衛門にとっては 乳母、下働きの使用人 炊事 家事全般を任せていた女中の給金を払い 幼児の節句の度の祝い行事に費用が嵩み 暮らし向きは決して楽ではなく 寺子屋の師範 剣術道場での代替え師範など、城勤めの妨げにならぬ程度の内職をして、使用人の給金の足しにしていた。


彦四郎は、16歳で元服式を行ったが、当時の神鶴藩の武家の子息の元服年齢と比べると、遅い年齢であった。水埜家の台所事情も遅くなった一因かも知れなかった。

藩士子息の学問所、剣術道場に於いて、彦四郎の右に出る者が無いほどの 稀に見る秀才と学問所の儒学者 朱子学者のお墨付きを取り、また剣術道場では 藩剣術指南役が 小姓組取り立てを藩主に推挙した。

衆道を好む神鶴藩主 安藤直胤は 学者 指南役からの推挙を受け 水埜彦四郎に目通りを許し その場で気に入り、小姓に取り立てたのだった。


これをもって 水埜家は50石取りの下級藩士から一挙に300石のご加増となった。


其の後、藩主の信頼厚き彦四郎は、とんとん拍子に出世し、最終的には三万石の小藩ながら 異例の千石の江戸詰め家老兼御側御用人として 藩主に1番に目通りが叶う重役になっていた。





  …兄上っ…

斉彬が向けた視線の先に 商人姿の彦四郎が姿をあらわした。

政務を岩井弾膳一派が思いのままに出来るのも、斉彬が杏林殿に引きこもり、岩井の所業も見て見ぬ振りに徹しているからであり、岩井が斉彬の身辺に注意を、払わないのも斉彬が従順で穏やかな藩主を演じていたからだった。

 「越後屋っよう参ったっ 近こうっ 近こうよれ」

江戸日本橋の大商人 越後屋の大番頭彦四郎が、江戸の流行りの品々を直接持参する事 早三年になる。

 「誰かあるっ 越後屋彦四郎にたっての相談があるゆえ、余が呼ぶまで人払いしておけっ」


………




斉彬は、下前田藩で密かに岩井弾膳一派の所業に異を唱える藩主お側衆から、実の腹違いの、兄君がいるかもしれないと注進された。
草の根わけても探し出せと命を発し、たどり着いた下前田藩菩提寺の先代住職が残していた過去帳に 下前田藩藩主世継ぎの一件の経緯が記されていた。

当時の下男を探し出し、その日先祖供養に来た檀家をしらみつぶしに調べあげた結果 檀家が出入り自由な入り口に捨てられた赤子を下前田下級足軽水埜何某が拾い上げ、後継ぎ無くお家断絶の危機にあった神鶴藩の水埜家本家に捨て子の養い親になってはどうかと打診して その捨て子は神鶴藩下級役人水埜彦左衛門の養子となったところまで調べあげていた。


そこからは、行方不明のご落胤が水埜家当主水埜彦四郎と判明し、直ぐに本人を確かめる為に脱藩した彦四郎が、下前田城下に マタギの弥比古として表れたところ接触し、今に及んでいた。





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