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名医と天才芸術家 

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50畳程の広いホールに所狭しと巨大な彫刻作品がランダムに列び、いくつかは白いシーツで覆われている。

先生はその迫力に圧倒された………

  「ど偉いエネルギーだな…」

先生は昔同じ衝撃に似た体験をした記憶を辿っていた。


その作品の圧倒的存在感…

先生が思い出したのは、ピカソのゲルニカをニューヨークで初めて見た時の戦慄だった。


    「ゲルニカ…!」

ニューヨーク近代美術舘にスペインから貸し出されたままピカソがスペインの政権が変わらない限り返還することを拒んでいた。軍事政権が崩壊した70年代、ピカソも亡くなりスペインと近代美術舘との話し合いで、ゲルニカは‘81年…スペインへ返還された。

  「政治色濃い…反戦を描いた大作か」


町田柊士の作品…それ自体は反戦や政治色濃い物では無いが、強烈なエネルギーをほとばしらせる勢いで見る者を圧倒した。


   ………


先生が作品に魅入ってしまっていたその時…


 『シュウジ…っホールに誰か来てない?』


  『……』


 『ねえっ、ねえっ、ねぇたらぁっ』



 『煩いなぁ…誰も来やしないよ…さあ…もっと脚拡げなよ…』



 『アーンッ!ヤダァ…シュウジったらぁっダメー、ダメダメッ、』



   『いいだろ…な、俺のコックがほら 握ってみ…もう一発しようぜ』


  『…だめよ、次のお客さんが待ってるから…』

  
 『ケチるなよ…金なら払うから…さっ …いーだろ?』


  『だめだってぇ…シュウジィ…ああん そこっ触っちゃヤダぁ』


   ……………


 「残念無念…ダッド、今夜は…先客がいるみたい」


黒崎ユキは日本から来た父親に両手の平を上に向けて小首を傾げた。


   ……!


  「マチダァッ!」


「きゃっ!ダッドォォツ!ダメだってぇ!」

突然、先生は怒声を張り上げ今にも蹴破る勢いでドアに近づいたため、驚いた娘は思わず父親にしがみついた。


 『ほらっ シュウジッ やっぱり ホールに誰かいるわ…』


 「ゲホッ…ゴホッ 誰か…そこにいるのか?」

町田柊士は、ベッドから起き上がると慌てる風でもなく二、三度咳込みながらホールのドア越しに声をかけた。


「町田っ…糞ったれっがっ!!!出て来いっ!こちとらお前の濡れ場なんぞ聴かされているほど暇じゃねえんだよっ」


『ヤダァ!だっ、誰かっ来てるわっ、大声出してるっ!まさか、お巡りさんかもぉ、もうっ、トラブルはゴメンよっ…アタシ帰るわっ!』

女のヒステリックな声が響きわたった。


「ダッド、いくらなんでも失礼よっ!」

娘のユキに非難されても、先生は動じない。

「失礼だと?町田のクソガキに失礼なんて言葉はいらねーんだよっ、もっと男を見る目を養えっ、馬鹿娘」

先生は娘の頭にガツンと手の平を載せた。

  …………


   「ゲホッ、ゴホッ」

扉の向こう側から咳ばらいの声が響いてきた。


「痛いよっ、何すんのよっ、ダッド」

先生は娘の手を掴み動きを封じる。

「しっ、静かにしろっ…」

ユキが先生の手を降り払い抗議の眼差しで睨んだ時、ホールのドアが開き奥から物音と共に乱れた着衣のブロンドの女と…女の背後から顔は無精髭で覆われ短く刈り込んだ漆黒の髪の6フィートを大幅に超える男がシーツを腰に巻き付けただけの裸体で現れた。

  「ゴホッ…ゲホッ…」

咳ばらいを一つして啖を足元へ吐き捨てた。


  (厭な咳だな…)


先生は眉間を曇らせる。


蛍光灯の光のなかに急に出て眩しそうに目を擦りながら、

「誰だ…?‘いいこと’してたのに邪魔するのは……黒崎かぁ?」


その声は至って穏やかで昔の先生が記憶を辿った町田の印象とは掛け離れていた。


   「町田柊士っ」

先生が低い声で名前を呼ぶと

  「You're disgusting!」
    (ゲス野郎!)

ブロンドの女性は振り返りざまヒステリックに罵り 真正面のユキに向かって 

   「Fuck you bitchi!!」
     (○ねっメス豚!)

唖然としている黒崎ユキを突き飛ばしてアトリエを飛び出して行った。


不意をつかれたユキはよろけ…ながら、

「なっ、なっ、なんでぇ!アタシがぁ、んっなこと言われなきゃなんないのぉ!!」


ユキは手元にたまたまあった彫刻道具を町田柊士に向かって投げつけた。

投げつけたのはパレットナイフ。町田柊士の頬を掠めた。


柊士の頬から赤く細い筋が一筋流れた… ………


  「黒崎ぃ…やたら手直な物を投げるなっ…お前、どんだけやんちゃなんだ」

町田柊士は飄々とパレットナイフが掠めた頬を撫でた。


  「ユキっ!」

先生は娘の所業に天を仰いだ。
一番詫びたくない相手に頭を下げざるを得ない。 

頭から冷水を浴びせられたように 先生の怒りの熱量が一気に冷め、傷をおった町田柊士を哀れみを込めて見つめ、


「申し訳ない事をした…これが女性なら詫びだけでは済まない訴訟ざただ…どう責任を取ればいいかな…」

娘がやらかした不始末で
町田柊士に文句を付けにわざわざニューヨークまで来た先生は、町田柊士に借りを作ってしまったと…内心穏やかではいられない。


「黒崎……先生…ですよね、何年ぶりですかね、 まさか…彼女の…‘御父上さま’ とは………」

チェックメイトを先に取った町田柊士が余裕を持って話し出す。


「先生に詫び入れてもらおうなんて、これっぽっちも思ってませんから…お嬢さんには何時も世話になってるんですよ。いい娘さんをお持ちで…羨ましい限りです」

町田柊士の髭面がはにかんだ笑顔に変わった。

「すまないね…しかし、娘が男の世話とは…親として容認しがたい」

先生は反対に怪訝な表情で町田柊士を見返した。




  「先生、誤解しないで下さいよ…俺…ロリでは無いので…」


町田柊士が勇み足だと笑う。


「なによっ…二人で勝手な話しして」

ユキが拗ねて二人を睨みつけた。



  「お前は、黙ってなさい…」




  「先生、お忘れでしょうか…昔、先生が俺にした無茶ぶりを……ゴホッ…」

町田柊士は風邪でもひいているのか、時折篭った咳ばらいを繰り返しながら話す。

「カリスマドクターの無茶ぶりに…俺も純也も、格好いい‘おやじ’だなって盛り上がってました…」


「…全く思い出せないな…第一! 無茶ぶりなど、ただの一度もした覚えはない、…お前さんのことは見覚えはあるんだ…確か…*々苑の焼肉弁当を御馳走したような…だが、純也なんてチャラい名前の奴は知らない」


黒崎先生は全く印象にない場合は、思いだそうともしない。

「マチダ先生っ、ダッドはダメっです!この人は自分が一番だから…自分以外は余程でないと覚えてないから」


「先生っ、飛島純也ですよ」

町田柊士がニヤニヤと笑いを堪えて捻押しすると…

  「しらねぇな…誰だそれっ?」

…この人、テレビもネットも見ないのか…勉強ばっかしてるんだろな…

  「パパっ、演芸ばっかり見てないで映画とかドラマ見れば!飛島純也ってめちゃくちゃ有名な俳優さんよ!ネイティブだし、今度ブロードウェイのミュージカルだってケ◯ワ◯◯ベの代役するってタイムスに載ったよ」


 「知らねえもんは知らねえ…たしか君ともう1人6フィート超えの金髪ヤンキーいたな?あー二人ともあほヅラ晒して飯誘ったら飛びついてきたよな…」

世界的芸術家も天下無敵の黒崎先生にかかると、ウドの大木扱い。


「ダッド! 失礼よっ 町田先生は世界的な彫刻家だよっ!」

ユキがその場で地団駄踏む。

親子のやり取りを愉快げに見ていた町田は再び咳込み、手で口を塞いだ。

しかし、口を塞いだ手は見る見るどす黒い吐瀉物で汚れてきた。


  「ギヤァー先生っ!」

そのまま前傾して町田の躯を黒崎ユキが支えられずに、二人は床に倒れ込んだ。


町田の腰に巻き付けていたシーツが真っ赤に染まっている。



  「マチダァーッ」




「ユキ…お前っ動くなっ!そのままダディに近くのERを教えろっ」

※ER:救命救急センター

「NYセントラルメモリアルがいちばん近いっ ダッド…私のスマホを使って…ポケットに…」

黒崎ユキは町田柊士をしっかり抱きしめ彼の脈拍を肌で感じ取る、

「ダッド! ヤバい※Vfっかもっ」

 「退けっ!ユキっ!」


先生はユキに被さり意識を失っている町田柊士を引き離して心臓マッサージを始めた。

町田柊士の吐血で顔まで汚れている黒崎ユキはNYCM病院の救命センターに直接連絡した。


「ダァーッ!どうしよっ どうしよっう、消化器外科医が不在だってぇ!!!」

黒崎ユキが悲鳴に近い声を張り上げた。

「ユキっ 落ち着けっ!NYCMに伝えろっスタ◯◯ードの名誉教授のドクター黒崎が行くからとっ! いいかっ、ID言うからな 1発でおぼえろ!******-*** だっ」

先生は体力の続く限り町田柊士の胸を何度も圧迫し、マウストゥマウスで人口呼吸を続けながら娘に指示を出した……

『……………』

「ダッド 代わってって!」

ユキは先生の口元に携帯電話を押し付けた。

『バカヤローッ早く来ないかっ、遅れたら黒崎が訴えるぞぉ!!!黒崎が全て責任を負うと担当者に伝えろっ!!』

先生が携帯電話に向かって怒鳴っている間に救急車のサイレンの大音響が近付いてきたかと思うとさっと消えた。


  ……………


※Vf
Ventricular fibrillationの略
(心室細動)

NYCM:架空の病院です






「黒崎先生、覚えてますか?」



「 アメリカ渡航寸前の救命だったな…たしか、思い出したぞカスタムバイクのヤンキー兄ちゃん…」

先生の眼差しは時としてこの上なく優しかった。


「あの時は…大盛りの焼肉弁当ご馳走様でした…美味かったなぁ…
そして…今度は命を助けて貰った…退院できたら、是非お礼をさせて下さい」


町田柊士が微笑む。


「俺への礼は…高くつくぞ、オペを辞めて一年経つからな…お前さんは知らないだろうが、俺のオペを願う患者はごまんといるんだ…………」


「俺は“もって”ますね?」


「ふん、まあ…悪運強いって事だな…バルセロナ時代に比べれば、今なら金には不自由してないだろう?…学生に三万$で自分作品売り付けているしなっ…お前さんの頬のキズの賠償でチャラはどうだ?」


「先生っ、それじゃぁ先生が大損ですよ…」

…………

町田柊士はかなり進行したマーゲンクレブス(胃癌)だった。

運良くニューヨークセントラルメモリアル病院の救命センターに黒崎先生の教え子が勤務していたのも町田柊士には幸いした。

緊急オペにも関わらず勤務中のドクター達は取っ替えひっかえ交替で先生の何年ぶりかのアメリカでの手術を見学にきた。

先生がアメリカに来た目的は全く違っていたのに…

 「お前さんのクレブスは一応今の俺が出来る最善の力で取り切っているが、再発の確率…つまり転移の確率は非常に高いぞ…
………………この後…の人生にピリオドを突き付けられた訳だ…もう一度生き方についてじっくり考えてみるチャンスかもな…」

先生が核心に踏み込んだ。


「ダッドォ…あれはぁ、あの買物はアタシが勝手にしたことで先生は知らなかったのっ」

ユキは町田の深刻な病状に激しく動揺している。


ユキの知らない町田柊士の過去


《ユキ……死ぬかもしれん男に惚れやがって…………俺は知らんぞっ!!!!!!!!!!!!!!》


親と娘…同じような人生の輪廻が黒崎先生を悩ませる。

  「ユキっ、ちょっと出てろっ」

先生は恐ろしいほど強く娘に退室しろと言った。

「どうしてよっ!ダディっ、先生の傍にはアタシがいないとっ!」

娘はまるで子供のように駄々をこねた。

  「黒崎…お父さんの言うことを聞きなさいよ…君がすべきことは病人の付き添いじゃないはずだ…」

  「…先生」

気の強い娘の瞳が潤んでいるのを黒崎先生は胸が軋む思いで無視した。


「いいから、出なさい…大人の話しに子供が口を挟んではいけないよ…ゴホッ…」

「せっ、先生っ、無理しないでっ ダディの話しなんか無視していいからねっ、アタシ外で待ってるから…」

ユキは町田柊士の言う事を素直に聴き入れた。

娘が病室を出ていくのを見届けた先生は大きなため息を一つつき、町田柊士に話し始めた。

「実は、君に申し訳なかったんだが、Opeの身元保証人は俺にした。
Opeの後 君は強制的にICUで1週間眠ってもらった。その間に君の日本での関わりのある人間を全て調べさせて貰ったよ…勿論例の何とかって言う俳優な…丁度ニューヨークに来てたからとっ捕まえて白状させた。だから 今からする俺の質問に嘘はつくな…わかってるな」


「…わかってます、この先は二度目の人生を進む為に過去はきっちり落とし前付けたいんですよ…」



「まずは、俺が聞きたいのは…娘が買ったお前さんの作品の事だけじゃ無いんだ…何故…あのブロンズ像を売りに出したのか、その真意が知りたい」

町田柊士は黒崎先生がどんないきさつにせよ…[amante]の何かを知っていると察した。


「先生…あのブロンズのいきさつを誰かから聞きましたか…?」

「つくづくお前さんとは縁があるみたいだな
あの像のモデルの妹が俺のところでナースしてるんだ、
ユキが俺に送りつけて来た時ナースの動揺は尋常じゃなかった。お前さんがガキの頃付き合ってた藍川何とかって女子学生だろ?」


「彼女…は、藍川繭…さんは、元気なんですか?」

柊士の心の箍が外れたのか顔つきはいたって穏やかだった。


(気に入らねぇな…もっと心配か、動揺しそうなもんだが…)

「嫌、うちのナース…つまりその、藍川繭の妹とは全く接触が無いらしいんだ…それで地元の興信所に依頼したら直ぐに居場所は割れたよ…ただし、お前のヤンキー友達はまだ何か知ってそうだよなあー」

先生の表情の方が険しくなった。

「それで、彼女は元気なんですか?」

(かなんだっ気になるんじゃねえか…)

「元気は元気だ 都内の私立高校で美術の非常勤で飯食ってるみたいだな…ただちょっと気になるのは…妹が言ってた姉とは全く別人の様な暮らしぶりだな…」


 急に口を濁した先生に…

「先生、言いにくければ言わなくても…俺からも先生に相談があって、先生がわけをご存知なら…話しが早いんで…実は…藍川さんと別れた後彼女が妊娠していたこと…そして今は彼女との間に息子がいると純也から聞いていました。」


  「なっ、何だって!」


「純也から聴かされたとき…何とか中絶だけは止めてくれと頼んだのは俺です。バルセロナでどん底のホームレス同然だった俺が頼めるのはあいつだけでした。あいつは…全て責任を持ってやるから必ず大成しろと励ましてくれた…」


(お前達二人はあの男のおかげで今があるんだな…)



「ふ~ん…それで芸能人がガキの面倒を見たのか…つまり…お前達二人はあの男におんぶに抱っこってわけだ…」

先生は病み上がりの町田柊士にも容赦無く辛辣な言葉を投げかけた。



「そう言われると全くその通りです……今となっては、純也は別として…も、藍川さんには会う事すら許されないと思っています…俺はあの時藍川さんを踏み台にした。俺の命が短いのなら…なおのこと、」

(こいつ…案外腹が据わってやがる…いや、藍川繭に未練が無いと言うことか…)



「で、お前さんはこれからどうするんだ…」

先生は町田柊士の次の言葉を待った、


「はい、一番憎まれる方法をとらせて頂きたいと思っています…」



「カネか?」

「…、手元の小切手で1000万$…」


「いっ、一千万だとおお!!!!」

さすがの先生も、天才と言われる芸術家の凄さに仰天した。


「それから……」

穏やかな笑みをたたえながら、なおも先生を仰天させた。

「俺が死んだら…今ある作品の所有権は息子に…と言っても、無理に町田にならなくても良いように弁護士に頼むつもりです…残りの著作権肖像権これから作り出す物については…全てバルセロナと合衆国へ………」


「お前ぇ………スケール半端ねぇな…もういい、俺の出る幕はない、な」

先生は天井を仰いだ。


「いえ…先生には…これから俺の主治医になってもらわないと…」


「なんだぁ!!!」


「それは…断る…
お前を認めたら、馬鹿娘が暴走しかねないからな…末期癌寸前の中年に娘を関わらすわけにいかねぇだろ…お前さんには良いドクターを紹介してやる…」


「そうですか…残念だなぁ~」

柊士は先生の娘、黒崎ユキの事は一言も発しない。

(こいつっ…まさか、………)


「ところで、藍川繭に何と言えばいいんだ…妹に連絡してやったから今頃は姉妹で昔話でもしてるころだろうよ…まさか妹は知らぬ間に叔母さんになってるなんて知ったら…ククク」



「先生…そんな簡単な事、“アメリカで嫁も子供もいる、あの男はすっかり忘れて幸せそうだった”  なんてどうですか?」



(町田柊士………藍川繭にとことん憎まれてあの世に行くつもりか…………………)



「俺が考えるに…その流れじゃ…まだ甘いな、まあ、俺にまかせろっ、二度と藍川繭に会わなくても良いんだな…二度と会えなくなるぞっ」



(藍川繭にも…ガキを飛島に預けっぱなしのつけを払ってもらわないとな…しかも…一瞬で億万長者になるんだから…よ)

いつもの慇懃な笑みを浮かべながら先生が念を押すと、



「ブロンズを手放せたが最期、やっと俺が自身をがんじがらめにしてきた罪の呪縛から解き放たれた思いですよ…身勝手ですが…ね……最低な男です」



「最低な男は、お前だけじゃない…俺も今…最低な事を二つ考えてる」


先生がぎらついた視線を柊士に向けた。


  「何ですか…?」


「優秀な弁護士も、ついでだからお前さんに紹介したい、ハーバード出身の…」


町田柊士はげらげらと笑い出した。


「………」

解せない先生を尻目に彼が答えた。


「申し訳ない…すでにお嬢さんから、黒崎タクヤ弁護士を紹介してもらい顧問になって頂いてまして…」


「………」

(タクヤっ!!!)

先生は息子と娘に一敗食わされた。


先生の企み①は消えた。


「ユキっ!…そこで聞き耳たててんだろっ…入って来いっ!」



(どおりでタクヤの野郎っ、町田の情報よこさなかったハズだ…っく…てめぇの金づるクライアントの情報を流すバカはいねえよな……)



結局のところ、先生は町田柊士に関わっている間に公開オペのライブ解説を他人に任せてボストンへは行けなかった。


現地の会場では、先生がNYCMで実際にマーゲンクレブスの最難関オペを腹腔鏡とロボットアームでほぼ完璧にやり遂げた話題で持ち切りだった。しかも患者は今や話題の天才彫刻家……………
翌日の医療情報ネットニュースはボストンの学会講演をボイコットして致命的症状の癌患者を初見でOpeに踏み切り大成功を納めたProfessor of medicine Krosaki と大々的に放送され、患者が有名彫刻家とあって二人の関係性を記事にしようとマスコミまでがNYCMに押しかけた。
学会全日程終了翌日にはニューヨークにいる先生の下へ原稿依頼や講演依頼が殺到していた。


せっかくのニューヨーク滞在も町田柊士に関わったおかげでホテルに缶詰め状態で滞在最終日を迎えてしまった。


「…全く何しにニューヨークくんだりまで来たんだ、俺は…
町田柊士にはこの借りはしっかり返して貰うまで生かしておかなきゃ割があわねぇな…」




先生のアメリカ滞在最期の日、町田柊士は退院していた。

アメリカでは周知の通り日本のように入院期間を多く取らない。彼の傷口はラッピングされほぼ普通の生活を送る事ができた。抗がん剤治療は通院で行われる。


彼から夕食に誘われた。



「なっなんだぁ!dinerじゃんかっ」


アメリカなら何処にでもあるファミレス!?


[Diner]



町田柊士お気に入りの[Diner]はソーホーのアトリエから歩いてそう遠く無いところにあった。


毎日忙しく働くニューヨーカー達は雑誌に出てくるようなオシャレな生活をしている訳ではなく、時間に追われ気が付けば深夜…な事もざら。

そんな時、24時間年中無休の身近にある[Diner]は、ニューヨーカーのお腹と安らぎを満たしてくれる場所の一つだった。


ビジネスマンからOL、肉体労働者知的労働者 様々な階級 様々な人種のニューヨーカーが気軽に良く利用している。


「先生っ、ここの肉は案外イケますよ」

禁酒を指示された町田柊士はメニューを見ながらミネラルウォーターで我慢している。


「肉っなあ…どうせお決まりの大味だろっ」

先生は[Diner]と決まった時点で味覚を満足させる事は諦めて空腹だけを満足させることに決めてかかる。


「アタシぃ、ティボーン38オンスにするわ、ミディアムレアで、あーマッシュポテトもぉ~♪」

娘のチョイスは先生を興ざめさせる。

《若いレディーが選ぶメニューか、まるでカウボーイだー》

「俺は…チーズマカロニとオーガニックサラダ…」

先生のオーダーを聞きながら町田柊士は、

「フィッシュ&チップス、リブ.アイ38オンスレアと…ソイソースにアップルパイ…」


町田柊士の馬鹿げた注文に…

「お前ぇっ!!!胃を切ったばかりだぞっ!ヘビー過ぎるっ…もっと躯を気遣えっ、せめて白身魚のグリル程度にしろっ…俺がせっかく命を繋ぎ止めてやったのに、台なしにする気かっ……馬鹿がっ」


先生が怒りだした。

「そうですかね…むしょうに…腹が減って…」

当の柊士は全く気にしていない。


「ふざけんなよっ!何が腹減ってだっ………お前の胃は全摘に近いんだぜっ!自覚しろやっ…」


「ダッドっ!声がでかいよぉ…皆…クレージーだって見てるよ」


……………


「ダッド…先生の運動はいつ頃再開出来そう?」

マッシュポテトをほうばりながら話す娘の姿が妻ミチルの面影と被り先生をドキリとさせた。


「運動って…ジムにでも通っていたのか…」

白身魚を物足りなさげにほうばる町田柊士は首を左右に振った。



「違うよっ…先生の運動って、セックスだよっハードなやつっ」



「バカッか!…下品な事を口走るんじゃない」

娘を嗜める黒崎先生に…町田柊士も苦笑いする。


「ダッドォ…どうでもいい事で一々目くじら立てないでよねっ、ほらっ…」


娘はフォークに突き刺した肉片を先生の口に強引に突っ込む。


いきなり口元に突き出された肉片を収めない訳にも行かず…食べると


(案外美味いじゃないか…)

父親の表情の変化を見て娘は



「ねっ、結構美味しいでしよ?最近はこっちもね、量より質なの…南部じゃまだまだアメリカンだけど、ニューヨークは健康&グルメ」


娘がしかつめらしく父親に説明する。


  「…俺も肉にするか」


町田柊士は父娘のたわいない会話を楽しく聞いていた。


「先生っ…復活の最初の運動の相手…………アタシじゃ駄目かな?」


「なっ!!!………………」


突如のユキの過激な告白。


柊士が絶句し 、黒崎先生の顔が真っ赤に紅潮しだした。


「ユキっ、お前っ、自分で言ってる意味がわかるのか…よくも…親の前ので!!!!‘ウリ’の話しなんぞぉっ」


「ダッドっ、落ち着いてよっ…意味が違うよっ意味がっアタシ…先生が好き…先生が死んじゃうくらいなら、………………一緒に死ねないけど………………先生の残りの時間をアタシに少しだけ分けて欲しいの……一方通行でもいいから、絶対に忘れられないマチダ先生との思い出が、欲しいんだもん!!!」


娘が父親に訴えた。
感情が昂ぶり 涙が溢れていた。



「黒崎っ、か…馬鹿だな………俺は何時だってお前の近くにいるだろ…?」


  「…先‥生‥」


娘は父親の目の前で中年の訳ありな男に抱きしめられた。

二人の間に黒崎先生の入る余地は無かった。



「よしっ、場所を替えるぞっ…二人とも俺のホテルへ来いっ」


  



先生は息子の黒崎タクヤが何時も利用しているアッパーウエストサイドの大衆的なホテルをこの旅の宿にした。


先生の好みからすればアッパーイーストサイドが鉄板だが自分で旅の準備をする手間を省いた。


歩いてもそう遠く無い距離だが…夜間となるとさすがに日本のような訳にも行かず、三人はイエローキャブを拾う事にしたが…

二人の厳つい東洋人とボーイッシュな女の子の組み合わせにタクシー運転手もお嬢様とSPか…と逆に用心して停まらない。

トラブル回避か


結局[Diner]からタクシーを手配して貰うと金曜日の渋滞にも関わらず10分程度でアッパーウエストサイドのホテルに着いた。



「パパ…やっぱりアタシ…先生のアトリエに行くっ、今夜は先生と寝るからっ」


父娘の立場を察して町田柊士は


「先生…今夜はお嬢さんに指一本手出しはしませんから……」

二人はタクシーの後部席でピタリと躯を寄せ合い…先生の出る幕はもう無かった。



「指は触れないが躯は触れるんだろ、ユキッ、明日は見送り要らん。忌々しいっ」


(…来るんじゃ無かった…こいつらをわざわざくっつけに来たようなもんじゃないか…)




先生は親娘揃って先の無い恋愛に身を委ねる運命を、諦めを持って受け入れるしか無いと思った。


一週間後 日本出身の シュウジ・マチダの作品がパリ国際ビエンナーレ大賞展大賞受賞が紙面を飾り、同日多発テロで崩壊したビル跡地の再開発メインモニュメントコンペにも第一席に選出された。



 










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