精霊にさよならを。~巻き戻った世界で君は笑う~

真白 わゆ

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一章

5

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「うわぁ、やぶれてる、いったそぉ」
 深夜の自室――。
 耳障りな高音が場を穿つ。

 セラスは仄かな灯りの下、自らの手のひらを見つめていた。傍らに、今しがた外したばかりの包帯を置き、手には消毒液をしみ込ませたコットンを持って、皮の剥けた痛々しい右手と向き合う。
 ほんの数時間、木剣を握り続けた結果だ。たったそれだけでこの有り様。
 予想出来ていたとはいえ、あまりの情けなさに思わずため息がこぼれる。
「いくら慣れたって、いたーいのきらいなのにねぇ、よちよち」
 新しい傷は、ひりひりと痛む。
 軽くコットンを押し当てると、ツン、と沁みた。


 精霊を失った身体は思った以上に役立たずであった。もはやレオンの百分の一、いや千分の一程度も動けていたか怪しいくらいに。
 すぐに呼吸は乱れ、滝と化した汗は止まらず、あっという間に腕は痺れ、構えるのもやっとだった。なにより、足は鉛のごとく重さで、踏み込むことすらままなかったのだ。

 どうみても数か月そこらのブランクの程度ではなかったが、そこは雑の権化レオン。彼は目を丸くしながらも、結局は『病み上がりっすからね』と流した。
 いい意味であの適当さに助かった。

 とはいえ、少し危ない場面もあった。それは木剣を回収されそうになった時。
 柄の部分にセラスの血がついてしまっていたのだ。
 それは――ありえないこと。
 ”水”は清らかなる癒しの一面を持つ。だから、ある程度聖力を持つ者なら、ちょっとした傷くらい瞬く間に治癒することができる。たとえ深い傷であっても、精霊の祝福を受けた水で清めれば、回復は格段に早まる。
 ゆえに、この邸では血を流すような生々しい怪我は滅多に見られない。
 ましてや、直系であるセラスならなおのこと。
 ”精霊に愛された坊ちゃん”――そんな自分の木剣に血が付着していたとなれば、さすがに異変を捉えられてしまう。
 だから、絶対に見つかってはならないのだ。

 というのに、つい癖でレオンに手渡そうとしていた。なんとか間一髪でひっこめたが、あの時の、びりっと皮が剥がれるような痛みがなければそのまま彼の手に渡っていたかもしれない。
 あれは、本当に焦った。嫌いな痛みに感謝したほどに。
 そのあとは、自主練するといって持って帰ってきた。まぁ、嘘ではない。
 レオンはまたもや目が飛び出るほど驚いていたが、あまりの動きのひどさを思い出したのか、普通に励してきた。
 
 そんな木剣は今は夜風にあてて乾かしている最中だ。念入りに水場でごしごしと洗ったが、なかなかに落ちにくくて大変だった。

 
「てかさぁ、そんなムダなことするよりもボクがあげた力もっと使いなよ。便利だよぉ」
 ゆらゆらとセラスの後ろに浮いていた雑音は、そのもやっぽく、けれど確かに見える幼い指先を伸ばしてくる。そして、つーっと、傷口をピンポイントに刺激してきた。それも、わざとゆっくりめになぞってくる。
 その指は少年セラスのものよりはるかに小さい。だが、その仕草は到底子供らしくなく悪意に満ちている。
「……原理も分からないのに、使えって?」
 はっ、と鼻で嘲笑する。影響も危険も見えないものに、簡単に手を伸ばせるわけがない。
 だが答えが気に入らなかったのだろう。
 傷を撫でる指の圧が、徐々に強くなっていく。
「原理ぃ? そんなもの知ったところで何になるのさぁ」
 消毒液で敏感になっているところを、執拗に、何度も抉られる。ねちっこい。
「今のキミには利益しかないよぉ、そもそも、ボクの飴ちゃんに頼り切ってるキミが言えたもんじゃないよねぇ」
 痛いところをついてくる。
 セラスは唇を噛んだ。
 あれがなければ、いまだに日中の行動さえもままならない。 
 だから一時的な麻痺で誤魔化す。効き目が切れればまた蝕まれ、再度それを飴で塗りつぶす――悪循環であることは分かりきっている。だが、拒絶反応からの解放、それがどれだけ救いに満ちているか。
 たとえ以前の身体と比べて雲泥の差、それこそ一般の国民よりも劣るほどだとしても、それでも、”ましな”生活を送れる。
 最初から、口にしていなければ……。
 そんな自嘲めいた考えが過るが、いや、とすぐに否定する。どう考えても緩和なしという選択肢はつぶされていた。歪む視界に、体中を掻き回されるような不快感。神経を焼き切れるような痛みに、極めつけは巨大な何かに押しつぶされるような圧迫感だ。
 肺は悲鳴を上げ、喉は痙攣し、息をしようとしても空気は一切通らない。
 限界まで耐えようとして、意識が遠のきかけるまでがセット。
 結局、甘言に乗り、今では自ら取り込んでいる。

 それに「慣れるまで」、その言葉に一縷の希望を抱いていたのだ。成長すれば、得体のしれないモノなしで自分の足で立てる、そう思っていた。
 だが、最近うっすらと、ある考えが芽生えている。
 慣れるまで――それは一体どういう意味なんだろうか、と。
 そもそもこの蝕みが軽くなる未来なんてない。見放されたのは、セラスが異物だから。つまり、この邪者と関係を持ったからだ。それを断ち切ることなど、もはやできない。それこそ生まれ直すくらいしか方法はないだろう。
 
 ”慣れ”と”しんどさ”は別に反比例しない。どころか、身体が大きくなるぶん、圧迫も強まる気がしてならなかった。
「ほらほら、変なこと考えなくていいんだよぉ。飴ちゃんは最低保証……安心安全なお薬だからねぇ」
 こちらの葛藤をいともたやすく見透かし。
「ちゃぁんと馴染めばアメなしで生活できるようになるさ。その時まで、すこーしのガマン。ね、わかったぁ?」
 まるで未来が決まっているかのように、甘ったるくささやかれる。それも、取るに足らないことのように。
 しかし、どうにも信用できない。
 というか、腑に落ちない。喉に小骨が引っかかってる感じだ。
 それに、

 ――馴染む?
 
「……慣れるじゃなくて?」
「んー、そう言ったっけぇ。ま、どっちも同じだよぉ、同じ。ニュアンスの違いかなぁ」  
 ゆらりと目の前まで来ては、その冷たい指先をセラスの頬に添えた。そうして、ゆっくりと輪郭をなぞりはじめる。 
「あの時、ボクの手を取った。それでキミの道は決まったんだ。だから――」
 そこで、ふいに話が途切れた。
 こいつは、もったいぶるようなタイプではない。むしろ沈黙とは一番縁遠い存在のはずだ。
 その饒舌な舌が、突如として動きを止めた。
 セラスは思わず眉間を寄せた。とそのとき、目のまえにある顔が見るみるうちに醜くひきつっていくのが分かった。軽薄な笑みは消え、獣のようなむき出しの苛立ちが表情に宿る。
 
「……ちっ、うっとおしいなぁ」
 そして、鋭い舌打ちが闇の中に弾けた。
 その不機嫌さは、さっきまでとはまるで別物。周囲の温度は一気に下がり、空間そのものが軋むような気配がする。
 ぞくり、と背筋に寒気が走った。

 動けない――。

 セラスは思わず息を詰めた。
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