精霊にさよならを。~巻き戻った世界で君は笑う~

真白 わゆ

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一章

7

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 目覚めてからほぼ一年が経とうとしていた頃。
 
 邸には慌ただしい雰囲気が漂っていた。ちょうど今も、使用人たちの足音がいつも以上に忙しなく響いている。
 これらはすべて、きたる数日後のビッグイベントに向けてだ。


 この一年、毎朝のランニングで基礎体力を、日中の鍛錬で苦手な剣術の克服を。
 そして、以前は埃をかぶっていた他国関係の資料を読み漁り、少しの興味もなかった異文化や歴史を、ある程度頭に入れた。
 まだ誰にも自慢してはいないけれど、東の隣国に関してならばそこらの大人には負けない知識量を得たと思う。何せ、スラングまで分かるようになったのだ。それらは書物からではない、生身の人間とのやりとり――実地仕込みの学びたち。
 夜限定の短期授業――あの同年代教師のおかげだ。

(……彼、どうしてるかな)
 出逢いも突然、別れも突然だったセラスの”夜のおともだち”、もとい専属教師。

 名前は聞いていない。勝手に呼べと言われたから適当につけた。こちらも名乗ってない。だから、糸くずとか、おい、とか呼ばれていた。おそらく、ひょろくて色素が薄いからだと思うけれど、いささかその名づけのセンスはどうかと思う。
 
 異国でできたお気楽な関係。
 きっかけは、忌々しいアイツに隣国へ放置されたことだ。 

 まず前提として、エテルニアの人々はあまり外の国を好まない。純粋に魅力を感じないのだ。空気は粘ついた淀みを含んだように感じられるし、いくら清浄な血が身に流れていようとも、拭いきれない不快感がまとわりつく。
 極端に例えるなら、無菌状態の空間で慣れた者が、無数の微生物がうごめく場所に放り込まれたようなものだ。
 それは血が濃いほどに過敏になる。
 決して耐えられない程の苦痛ではないが、力は非常に制限されるし、かつ、清らかな環境と共にを本能が強く求めるからこそ、好んでいくほどではないのだ。
 だから、四大家やそれに連なる分家でさえも、外に関しての教育は”とりあえず困らない程度”で十分とされる。深入りする必要はない、どうせそこまで関わらないのだから――そう判断されて。

 故に、教師選びが難航したのだ。
 書籍以上に詳しい人が思い浮かばす、かといって父に頼むのも忙しい時間を割かせることになる。
 結果、行き詰ってしまった。そんなときに現れたのだ。あの憎たらしいにやけ面を携えたアイツが。「とっておきの方法があるよぉ」などと言い放ち、気付けば、セラスは見知らぬ土地に、ぽん、と一人放り出されていた。
 そこは、今まさに物騒な取引が行われていますよといわんばかりの現場のど真ん中で。
 どう考えても、前の仕返しとしか思えなかった。

 それからの展開はお決まり――そいつらとの追いかけっこ。
 いきなり紛れ込んだ、身なりのいい、ひ弱そうな身一つの少年。そして見目も悪くない。
 さぞ、カモがネギを背負ってきたように見えたことだろう。どこから来たのかとか、現場を見られてしまったとか、そんなことを考えてもお釣りがくるくらいに。
 一斉に”獲物”を見る目に変わった大人どもから逃げ、理解不能な罵声や大量の足音に身を潜めて……また逃げて。
 スズメの涙ほどでも体力をつけておいて良かった――と、あれほど己の選択に感謝したのは初めてだ。

 とにかく逃げた。逃げまくった。
 知らない路地に、知らない曲がり角。右も左も分からず、とりあえず人がいそうなところへ向かって。なのに人影はゼロ。
 アイツの首を脳内で何度もはねていた、その時だった。
 いきなり腕をぐいと引かれ、狭い空間に引き込まれたのだ。そして、事なきを得た。
 それが彼との出逢いだった。

 それからというもの、あれよあれよと、その少年はセラスの先生となった。国の言葉から常識、市井の暮らしに至るまで手取り足取り教えてくれた。
 なにも頼み込んだわけではない。
 どうも、こちらの曖昧な反応に彼の方がイラついたらしい。
 心外だ。分からないなりに、受けがいいと評判の頷きと微笑みをひたすら繰り返していたというのに。その薄っぺらいごまかしはあっけなく見破られてしまった。
 あとで聞けば「バカにしようが、卑猥な言葉連発しようが、お人形みてーな反応しやがってよ。どう見てもおかしいだろーが。あれでわかんねぇやついると思ってんのか?」と鼻で笑われた。
 

 夜の数時間。たったそれだけの関わり合い。
 それは一か月、二か月と続いた。
 それでも、彼のことは良く知らなかった。前の世界でも会ったことはなかったし、もしかしたら死んでいたのかもしれないけど。
 だけど、互いに干渉しなかった。向こうも何も聞かなかったし、こちらも何も言わなかった。なぜ地図にもない抜け道にやたらと詳しいのか、セラスがどこから現れどこへ帰っていくのかも、何も。
 興味がないから、とかそういうことではない。
 ただ、少しの時間を隣で過ごす同い年の少年。それだけの関係が心地よかった。

 だが、そんな気楽な夜のお付き合いもそう長くは続かなかった。
 ある夜、彼はいつもの場所に来なかったのだ。
 もとより約束もない、どちらかが来なくなれば切れる脆い関係。いつかは終わると分かっていた。だから、ついに振られたちゃったかと、思いのほか冷静ではあった。というのに、どこか残念な気持ちが湧いてくるのはなんだかおかしくて。
 きっとそれはあまりに急だったからだろう。一言くらいは何かあると、思った以上にあの細糸のような時間を信頼していたのだ。
 ゆえに、その場で二十分も待ったし、足は知らぬ間に彼の拠点へと向かっていた。

 我ながら諦めの悪い。
 さすがに引き返そうと踵を返しかけたところで、動きは止まった。
 中から微かな呻き声が聞こえたからだ。
 迷ったものの、念のためと覗きこめば――。
 そこには、深い傷を負った彼がいた。息も絶え絶えで、ぼろぼろの服には血が滲んでいて……駆け寄り、すぐに手当をした。できることなど、たかが知れていたが、汗を拭い、傷口をおさえ、せめて痛みだけでも、と痛覚を和らげた。
 ついでに、様子を窺っていた追手らしきものをどうにか気絶させ、身ぐるみ剝がして縛り上げた。

 そうして、彼が意識をはっきりさせたのはその一時間後。
「……く、そが」
 開口一番、掠れていた。
 けれど、いつも以上に荒々しく、鮮烈な怒りに燃えていた。その声には、自分など比ではないほどの生への執念が滾っていた。
 と同時に悟った。彼はここを離れる、だから別れの時だと。
「それ、好きに使いなよ。僕からのお礼。今までありがとね」
 あの時助けてくれたお礼、そして気軽な関係を築けたお礼して、彼を助けた。
 目の前に転がしておいた刺客は、殺すのか、手中に収めて利用するのか、それは彼次第だ。そこまでは踏み込むつもりのないセラスにとってはどうでもよかった。


「また逢うことがあったら、名前教えてね」

 もうないだろう。
 けれど、そんな言葉が口をついて出たのは、あの短い時間が案外に気持ちよくて、彼の”生”への熱に少しあてられてしまったからだ。

 その夜は濃い満月だった。





 他にも、からもらった力を試してみたりもした。
 いまだ忌避感は半端ではない。絡みつく生理的嫌悪はちっとも薄れない。だが、いつまでも避けていては意味がないことも理解していた。それに、肯定したくはないが、便利なのもまた事実なのだ。
 そもそも今や一心同体。
 ならば、逆に吞み込まれないように制御する術を身に着ける方が大事。
 あの時……子供っぽい不安を爆発させて、身勝手に情けなさに陥った、あれ以降、どこかストッパーが緩んでしまったような感覚はたしかにある。けれど、手数は多ければ多いほどいい。
 だから、ほんの少しだけ。溺れない程度に、行使を始めた。

 手始めに、囁き。
 見えない糸で他者の行動を誘導する、とかの類だ。
 例えば、レオンからの厳しいしごきへの意趣返しとして、彼の心に僅かな誘惑を垂らしてみたり――「にゃん吉が君を待ってる」と。意識の隙間に迷いの種を植えこんで、発芽するように。
 いくらレオンといっても鍛錬中は非常に真面目な男だ。
 だから、一瞬でも視線を裏庭の方へ向けた、それだけでもかなりの効果がある。まあ、今のセラスの力なんてまだ初歩の初歩にすぎないのだが。

 あとは、存在の希薄化。
 人々の認識から一時的に逃れてみたりもした。
 最初はさんざんで、半身だけが残っていたり、足だけがうっすらと消えていたり、見るも無残であったが、最近は鋭いルルディとルカスの追っかけも欺けるようになっている。

 まだいろいろできることは多そうである。



 なぜ、十一歳という微妙な時期に目覚めたのかは定かではない。ただ、もろもろの受け入れと準備期間を与えられていたのかもしれない、と漠然と考えている。
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