胎生のいきもの

syonanoka

文字の大きさ
2 / 3

しおりを挟む
 ブザー音がドア越しに響く。夢現の脳内で反響した音は、不快な、少し緊張感を煽るいろをしていた。ササキはおもたい体を引きずりながら寝返りを打って、壁掛け時計になんとか視線を移す。時刻は朝六時。自分で通販を頼んだ覚えもないし、なにかの販促かしら。しかし、知り合いにここの住所は教えていないから身内ではない。無視して二度寝してしまおうと毛布をかぶり直すも、間を置いて再度、再々度とドアベルが鳴るもんだから、ササキは渋々ベッドを抜け出した。ざらつくフローリングの上を、ぺたぺた湿った足音を立てながら進む。
 つっかけるような調子でサンダルを履き、インターホンに出る前に、とドアスコープを覗いて。あれ、オレまだ夢でも見てんの。と、思う。魚眼レンズで僅かに歪んだ視界、その中央には、シミズがいた。シミズ・イーヴランド。あの日姿を消したオレの恋人。たしかにその姿がそこにある。
 彼の髪はたっぷりと水分を含んで、ほたほたと雫がしたたっている。早朝の日差しが透けて、彼の輪郭はきらきらと照らされていた。いくつか水滴の流れが筋をつくっているそのおもて、おだやかな微笑み。ササキには彼が浮かべているそれが、屠殺場の笑顔にも、サナトリウムの笑みにも見えた。幻覚じゃない。明確な気づきが脳内でゴシック体の文字になって鎮座している。シミズが、帰ってきた。死したシミズが今際のきわから這いずって、今ここに現れた。海水浴なんてしてきたわけじゃないだろう。シミズの目は嫌に充血していた。その体がぐずぐずと腐敗して、腹が膨らんで、しかし正常に収束する。その現象が目の前にいるシミズが生きた人間ではないことを証明していた。
 フラッシュのように脳内に焼き付いた可能性。そう考えたことが一度たりともなかったと言えば嘘になる。シミズが、あの日、心中をしたあの日、たったひとり死んでしまっていた可能性。しかと繋いでいた手はササキが意識を失ったあと、波の流れに押されて離れ、シミズは溺死してしまったのではないか。あんな浅瀬でも人は死ぬ。不幸なことにその死体は潮にまかれ、人目につかぬところに辿り着き、今もゆっくりと腐っていっているのではないか。現実的に考えればありえない。ササキが見つかったんだから、少なくとも周りの一帯はくまなく調べられたことだろうし、田舎の海とはいえ、まだ夏だ。日中になれば人が来る。きっと死体なんてものがあればすぐに見つかるに決まっている。波は砂浜に向かって寄せているのだ。けれど。そう考えたことが、一度たりともなかったと言えば嘘になる。
 しかし、彼が、帰ってきた。
 ドアスコープの前で硬直していたササキの視界の中、シミズが緩慢な動作で腕を持ち上げる。たっぷりと水を含んだ服から水滴が落ちた音が、かすかに耳朶を刺激した。そして、かち、という乾いた音と共に再度インターホンが鳴る。肩は大袈裟にびくりと跳ねて、額がジンと痺れるような緊張が走った。心拍数がバカみたいに上がっているのが分かる。
「ササキ」
 あ。
「ササキ、僕だよ。開けて」
 シミズがドアに手のひらを触れさせる。かり、と桜貝の爪が表面をかく音がちいさく聞こえた。やさな女が情人の胸にしなをつくって寄りかかるような、わずかに情事のいろを含む仕草だった。そのこびり付くようなにおいが彼の纏う得体の知れない空気と混じって、扉の向こうに気色の悪い歪みが生まれる。
「海の底から、帰ってきたよ」
 彼の瞳孔は深海の黒色をしている。真円にまんまるく広がったそこが、ササキに手を伸ばしていた。
「シミズ?」
 ほとんど吐息みたいな声で彼の名前を呼ぶ。ササキはかすかに震えのはしる指先であやつられたように鍵を開け、ドアノブを掴み、ひねり、引く。扉の隙間から差し込む光の帯が徐々に広がっていく。その光のなかからゆるく差し出された手が、ササキの腕を掴んだ。血の気が引いて血管の透けたシミズの腕は魚の腹みたいな色をしていた。つめたい。どろけた保冷剤をあてられたときのような、粘度をもったつめたさ。ノブを引く手が硬直する。
「ありがとう」
 入れてくれて。固まったままのササキを差しおいて、扉はゆっくりとひらいていく。後ずさった際に足裏を引っ掻いた砂粒が、針で刺されたときに似た鋭い痛みを帯びてササキのやわらかな皮膚をえぐった。ぼたぼたと水滴をしたたらせながら、沓摺を跨いでシミズが家のなかへ入ってくる。そのときにはもうササキはノブを離していた。扉がゆっくりと閉まる。玄関の間接照明に淡く照らされたシミズからは、ほのかな潮のかおりがした。
「…………どうして」
「どうしてってなにさ。不摂生でもしてた? ひどい顔してるよ、ササキ」
 確かに食事なんて適当に済ませていたけれど、今ササキの顔色がまっちろになっているのも、シミズの言うひどい表情をしているのも、全部目の前のお前のせいだろ。どうして、なんで。なんで今になって帰ってきたの。
「ひとりにしちゃってごめんね。あぁ、ササキ、引っ越したんだ」
 家のなかを矯めつ眇めつしながら、シミズが呟く。一拍置いて。
「僕のものも持ってきてたの? かわいいね」
 カッと羞恥でササキの視界は赤く染まった。彼の声は、ひとりでおつかいに行ってきた子どもを褒めるような、そんな調子を含んでいる。帰ってきたらそれはそれだと思っていたのに、ままならない。にこにこ、というかにまにまと笑んでいる彼には返事をせず、口のなかでタオル、とだけもごもご呟いて家のなかに引き返す。バクバクと激しくなっている鼓動が不快だ。遠くなっていく現実のいろがなんとか緊張感で補強されていた。洗面台、鏡のうえの戸棚にしまってあるタオルを雑に三つばかり手に取ってから、理由もなく数秒鏡を見つめる。シミズ。口の形だけで言葉を紡いで、ササキはことさらゆっくりと深呼吸をした。未だ心臓は早いテンポで拍動している。
 幽霊なのか、化け物なのかわからないけれど。シミズが帰ってきた。人間みたいな顔をして。
 だって、彼には、シミズには、影がなかった。否、正確に言えば影のようなものは存在した。けれどただしいのはかたちばかりで、そこには差す光が遮られたトーンの暗い地面ではなく、おだやかにゆらめく水模様があった。シミズが手を持ち上げたり小首をかしげたりする度に、水面のようなものがきらきらと光を透かしてまたたくのだ。それ自体に質量はない。ちょうどプロジェクターで投影しているみたいな見かけ。
 どうしよう。オレがシミズのことを恋しがっていたから、彼は彼岸から戻ってきてしまったのかしら。
 つい考え込んでしまったのに気が付いて、慌てて洗面所を出る。廊下に出ると、シミズは数十秒前と変わらず玄関でおとなしく待っていた。すたすた大股でそちらへ歩いて。はやる心臓を落ち着けるように無理やり言葉を喉から押し出す。
「服持ってくるから、とりあえず、拭いて。そこのスリッパ履いていいから」
 バスタオルを二枚とフェイスタオルを一枚、押し付けるように渡して、ササキは足元に出しっぱなしになっていたサンダルを指差す。シミズの着る服を持ってくるついでにオレもちゃんとスリッパを履いてこよう。意識的に思考を濁らせて、取りとめのないことばかりを考える。頭のなかで台詞を読み上げるみたいに考えごとをした。
 寝室に入るなり、ベッド脇に脱ぎっぱなしにしていたそれを履く。ややかたい中敷きの感触。片方足を突っ込んでから思い至り、いちおう適当にそこらに放ってあったタオルで足の裏を拭った。畳まずバスケットに入れっぱなしにしてあった洗濯物の巣から靴下を二足抜き出して、立ったまま履く。スリッパの中の足の位置を整えながら、何を持っていこうかと引き出しを開きつつ思案する。寝室のワードローブ、いちばん下の引き出しにはシミズの服がしまってあった。ササキはこっちに越してくるときに彼の私物を色々持ち込んだのだけれど、それらのうちのひとつにあたる。ライナスの毛布。家で着るような黒のゆるいスウェットセットを取り出して、ぱたんと引き出しを閉めた。
 そういえば。シミズが昔言っていた覚えがある。両親が随分過干渉だったもんだから、一緒に暮らしていた大学生の頃は、毎日母親がシミズの着る洋服を決めて用意していたとか、そういう話。髪の毛のセットも全部やられるせいで、一人暮らしを始めるまで彼はワックスの使い方を知らなかったと。
 脳みその転回・支離滅裂な思考。次いで、ササキの頭に幼稚園に通っていたころの自分の思い出が薄くにじむ。周りの男の子はみんな園庭で遊んでいるのに、園舎のなかでひとりおにんぎょう遊びをしていた、みたいな、輪郭がぼやけたそんな感じの記憶。すずらん組の教室、窓際の隅。幼いササキが化繊で織られた八分の一スケールのおべべを着せ替えて、セルロイド人形でごっこ遊びをしている。ふと。胸元に抱えた洋服が、チープな作り物の縫製をしているように見えた。瞬きをしてピントを合わせようと試みる。人間用の洋服、ぱちり、おにんぎょうの衣装。シミズの洋服、ぱちり、シミズの衣装。ふー、と長く吐いたササキの呼気が、ゆるく室内の空気と混ざりあう。認識がぐちゃぐちゃと混じっていく。こういうときは、なにか音楽を聴いたりしなくちゃいけないんだけど。幻覚に集中しちゃいけない。さだめて無視しなくちゃいけない。いままではこんなことなかったのに。こんなことなかったのに?
 ササキは思考を断ち切るみたいに視線をくっと持ち上げて、玄関の方へ歩を進める。どうやって体を動かすのか、間違えることがないように仔細まで詳しくイメージする。右脚を持ち上げて、下ろして、左脚を持ち上げて、下ろす。繰り返す。繰り返す。
 一、二、三、四、五……。あと三歩で寝室のドアの枠をまたぐ、そうしたら一歩を挟み、九十度の角度で右に曲がる、廊下と玄関が見える、直進、直進。ざざぁ。ごごぉ、ごお、ごごお。耳鳴りが徐々に大きくなり、波の音の形をとる。ときどきね。夏の夜の浜辺は、貝殻を耳に当てた時みたいに静かな音じゃなくて、飛行機の発着音みたいな低いとどろきに近い音がするんだよ。足元がぬるい。きちんと左脚を持ち上げて。つまさきが床に、水底にかすってる。いつの間にか下がった視線、見つめたフローリングに刻まれたストライプの溝が、ゆらゆら歪んでいた。なんで? そのリズムは海鳴りのそれと一致している。
「ササキ」
 海が声をかけてくる。波の音のひと粒ひと粒を拾ってよくよく眺めると、オレの名前のかたちをしているのだ。直進、直進、直進。足首、脹脛、太腿、腰、胸、首、頭。なまぬるさがせりあがってくる。いきものみたい。
「ササキ、ちゃんと見て」
 声に引っ張られて視線を上げた。少し湿り気を帯びたシミズ。シミズ・イーヴランド。あ、服を持ってきたんだった。そうだ、思い出した。ちゃんと。
「……あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「大丈夫ならいいけど」
 不思議と自分が発した声は非常に鮮明に響いた。波の音が、シミズの声の余韻に収束していくような感覚。腕に伝わる布のやわらかな感触を確かめて、再度言葉を発する。
「これ、着替えね」
 意図して抱えたものを視界に入れないまま、シミズに手渡す。
「ありがとう」
 ぽしゃん。少しの間を置いて、衣擦れのような水音がした。え、と思ってシミズの手元を見れば、ちょうどスウェットのセットが彼の足元、影の代わりにゆらめく集光模様にひょいと投げ入れられたところだった。反射的に視線を持ち上げる。まばたきの間に、シミズの服装はすっかり変わっていた。あの日の濡れた外出着から、いま持ってきたばかりの部屋着へ。なおさらお人形みたいじゃんか。ほら、魔法少女とかが変身するシーンに似てる。シミズは実際のところ魔法少女なんかじゃあなくただの成人男性だったし、今は単なる化け物になってしまったけど。拭いきれなかった髪から滴る水滴が、柔らかなスウェットの肩の部分に染み込んだ。小さく深呼吸をして。
「とりあえず、立ち話もなんだから」
 すこし曲がっている力の抜けた指先で、ササキは廊下の奥、リビングの方を指さす。うん、とうなずいてシミズが脚を動かしたのを横目で確認し、視線をずらす。波打っていたフローリングはとっくに動きを止めていた。ただ静かにそこにあった。
 リビング。買ったばかりでまだ座面がやや硬いソファに、シミズがぽす、と腰掛ける。海水が一滴表面に滴下した。ササキは冷蔵庫にストックしていたボトルのアイスティーをコップに二人分注いでから、彼は果たして飲食ができるんだろうかと思う。さっきの洋服みたいに、あの足元の影もどきに注ぐのかしら。少し気になる。
「どうぞ」
 いくらか空いていた時間のせいですこしぎこちない態度で彼に接する。普段の調子に戻ろうとすればするほど、違和感ばかりが頭に浮かんでうまく動くことができなかった。いまさら緊張しちゃってバカみたい。あんなにシミズが帰ってくることを毎夜泣きながら祈っていたのに。いざ目の前に彼がいると自然体でいられないなんて。
「ありがとう」
 隣に座って視線をそちらへずらし、ひとこと礼を言ってコップを受け取ったシミズをじぃと観察する。彼の動作は寸分違わず記憶のままおなじだった。ほんとうにシミズなんだ。シミズの皮を被ったなにかに見えていたいきもののぼやけた輪郭が、急速に収束して個人のかたちをとっていくのがわかる。グラスのふちに彼のくちびるが触れる。やわらかい肉が押しつぶされるコンマの動き。薄くひらいた上下のあいだから冷えた紅茶が彼の体内へそそがれていく。あぁ、飲めるのね。うすい喉の皮膚のしたで筋肉が動くのが鮮明に見えた。妊婦のはらがうごめくさまが思考に浮かぶ。すこし似ているな、と思った。口内を湿らせて、言葉を口にする。
「……シミズ、は、どうしてたの。あれから」
 目線を落とし、机の上に縫い止める。とうてい彼の目なんか見られそうになかった。数秒の沈黙が一生にも感じられる。緊張で拍動が増して、じくじくと指先が傷んでいた。無情な静寂と、やがておとずれる返答。
「僕はね、ひとりで死んだよ」
 彼の瞳がこちらをひたと見つめているのが、その鋭さが、見なくてもはっきりとわかった。ぐわんと視界がブレるみたいにゆれる。机の輪郭がぼやける。拍動に合わせて振動している。
「でも、ササキをひとりにしちゃったから」
 帰ってきた。シミズの冷えた手のひらが、ひたりとササキのそれに重ねられた。接した場所からシミズのいちぶが流れ込んでくる。海のさざなみが血管を滑る音。熱がじわじわと覚まされる。心臓に冷えた刃を突きつけられたみたいだった。純粋な罪悪感がぎりぎりと脳みそをさいなんだ。絶対に犯してはならない過ちを、オレは犯してしまったのだ。
「……ごめん」
 シミズの一生を奪って。こんな化け物にしてしまって。シミズは安らかに眠らねばならなかった。溺死したのならば、そのままに水底で腐っていかなくてはならなかった。こんなところに十全なからだを持ってあらわれちゃいけなかった。……一度罪を犯したのなら、もう、なんど犯そうが変わらない。
「シミズ」
 かすれきった声で彼の名前を呼ぶ。カラカラに乾いた口内がくちびるの動きで引き攣った。重ねられた手を取って、ぎゅうと握る。その低温を生者の体温でぬるませて、架空の現象に懺悔した。やわらかい。こうしてみればシミズはまるきりにんげんと変わらなかった。見かけの違いなんてなかった。しかしきっと、今のシミズは二十一グラムしかない。それだけを引きずって、彼は海の底から戻ってきた。
 シミズがオレのことを思って死後のさだめをゆがめた事実がうれしかった。また再び彼に会えたことが、ササキにとって胸が引き絞られるほどのさいわいだった。今まで幾夜を再会の祈りで埋めただろう。いったい何度枕に涙を染み込ませたことだろう。ただただ彼の帰りを待っていた。生きた彼が帰ってくることを願っていた。
「うん」
 かすかに語尾がかすれた声。
「オレね、シミズのことずっと待ってたんだよ」
 あんなこと言わなければよかった。いっしょに死のうなんて、バカなこと。何度もそう思った。
 これからの時間を捨てて、ふたりのぜんぶを終わらせようとした。おとずれるはずの日々から目を逸らして、安易な手段を選ぼうとした。死ねば、いちばんのしあわせで終われると思ったのだ。幸福の仔細を眺めて瑕疵を探しだす前に、いっさいを終わりにしたかった。オレのエゴのせいでシミズは化け物になった。
「……でも、こういうのは違うだろ」
 海鳴りの響く砂浜で、一本のロープに繋がれて、手をぎゅうと握りあって、ふたり、ひとつになった幻覚。だが、赤い糸はふたりのことを繋がなかった。死後の行路どころか、生死を違えた。しかし、それが事実だ。それが現実というものだ。さだめられたことを自分のためにねじ曲げるな。仮想の叫び声がぐわんぐわんと頭蓋で反響している。
 やっぱり、殺さなきゃいけないんだ。オレが犯した罪なんだから、自分ですすがなくちゃ。オレの自意識をていねいに汲み取って訪れたこの悲しいにんげんもどきを、オレが殺してやらなくちゃいけない。
「ねぇ、シミズ。もう一度オレに殺されて」
 その最後の音が響き切る前に、彼の首に手を伸ばす。ガタガタ震えた指が彼のおとがいにかすった。そうして触れた白い首のやわらかさ。シミズは身じろぎすらしない。ただ黙ってオレのことを見つめている。両手の親指を重ねて、首を包むように掴む。添えた手の痙攣がシミズの皮膚を揺らしていた。駆けた鼓動が頭の中で反響している。シミズがこちらを見つめている。耳鳴りと拍動がぐちゃぐちゃに混ざって、奇妙なサイレンの様相を呈していた。指の腹に彼の脈動は伝わってこない。こうして、生きているのに。カミサマごめんなさい。許してください。
「……いいよ。ササキがそうしたいなら」
 だって僕はササキのものだから。その言葉がくちびるから切り離されて落下したのを合図に、息を吸って、思い切り手のひらに力を込める。人の肉が圧されて沈んでいく感覚。なるべく苦しくないように側部に力を集中させて、彼の膝に乗り上げて。押し付けるみたいに全体重をかけ、ぎゅうときつく、きつく締める。引き攣った彼の喘鳴が鼓膜を鋭く苛んだ。
「ァ、カ……ッ゛、ぅ」
 シミズの顔が徐々に赤く染まっていく。彼の体と同期しているみたいに頭がガンガン痛んだ。無言で数をかぞえる。いち、にぃ、さん、よん。ぎりぎり締め付ける。指に感じるさざなみ。指紋に触れた皮膚が波打っている。ごぉ、ろく、なな、はち。カウントを重ねる。ソファを握りしめたシミズの指に力が入っていく。太ももの下にある彼の脚がばたばたと暴れるのをおさえこむ。眼圧が増した彼の目に涙がにじんでいる。きゅう、じゅう。布擦れのノイズが波の形をとっている。祝祭のラッパが突き抜けるような高音で脳みそを深く刺した。じゅういち、じゅうに、じゅうさん。輪郭をすべっていく涙が水滴になって彼の服に落ちる、沈む。存在しない水音。へこむ首に指がこのまま際限なく沈んでいってしまうのではないかという恐怖。じゅうよん、じゅうご。思考に空白ができる。無意識下で進むカウント。視界が揺れて、ブレて、滲んでいく。
 ……あれ、幾つだ? あぁ、ひゃくじゅうろく。意識が浮上する音。じぃとシミズを見つめて指に力をかけるだけの時間。焦点の合っていないシミズの瞳がうつろに光を反射していた。もう抵抗はなくなって、ほとんど意識が飛んでいる。ダメ押しみたいに手に込める力を強くする。握力が弱り緩まっていた締め付けが再度きつくなった。シミズの口の端からこぼれた泡がてらてら光り、奇妙な反射をもたらしていた。きつく食いしばられた彼の歯がすり減る音が鼓膜をこすっている。頭が痛い。ハンマーで頭蓋を殴られているみたい。シミズ、もう少しで眠らせてあげれるからね。普段使わない筋肉に力が入っているのか、二の腕がじくじくと痛んだ。あちこちの痛みで弱い贖罪をしているみたいだと思う。からだの痛み、こころの痛み。あ、これで、さんびゃくななじゅうに。……ぱたり。しんたいをさいなんでいた痛みが不意に止まった。明確な気づき。かれは、死んだ。
 彼の体からゆっくりと降りて、頭から爪先までを眺める。人って、ばけものって、こうやって死ぬのか。赤色に変色した頭がまともな胴体と首に繋がっている様子が、なにか気色の悪いバグみたいだった。聞こえていた耳鳴りはとっくに止んでいた。さざなみはどこかへ去っていた。
 こうして、オレはふたつめの罪を犯した。しかし、これで終わりではなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

悪役Ωは高嶺に咲く

菫城 珪
BL
溺愛α×悪役Ωの創作BL短編です。1話読切。 ※8/10 本編の後に弟ルネとアルフォンソの攻防の話を追加しました。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...