6 / 15
6. 流れに逆らって船を漕げ
しおりを挟む
最悪だ……。
僕は、自室で頭を抱えていた。
まさか、聖奈ちゃんが堂本さんの娘だったなんて。
堂本という名字自体は、そこまで珍しいわけじゃない。
だから、どこかで「まさかね」と思っていた。
思っていたのに。
親子だった。
本当に。
堂本さん――アダルトコンテンツ専門のレビュアー。
業界ではそこそこ有名で、文章は冷静、分析的。
僕の作品を何度か取り上げてくれたこともある。
しかも、好意的に。
それが今、猛烈に怖い。
僕は堂本さんの顔を知らない。
けれど、レビューを書く関係上、作者の顔写真くらい見ている可能性がある。
いや、可能性というか。
見ていてほしい時もあった。
認知されたいと思っていた時期も、確かにあった。
でも今は違う。
「こうしてはいられない……」
小さく呟いて、立ち上がる。
堂本さんは複数の出版社に寄稿している。
でも、少なくとも、イタリア書院。
あそこは、堂本さんに顔写真を渡していないはずだ。少なくとも僕は、例の件以外でイタリア書院に顔写真を渡した覚えがない。
それだけでも確認しないと、落ち着かない。
僕は矢も盾もたまらず、出版社へ向かった。
「いや、誰にも写真は渡してないですね」
イタリア書院のロビーで山口さんが即答する。
コーヒー片手に、あっさり。
「どれも写真使う案件じゃなかったですし。堂本さんにも、テキストしか送ってませんよ」
「……本当に?」
「本当にです」
即答だった。
膝から力が抜けそうになる。
「安心しました?」
「……はい」
「何かあったんですか?」
山口さんは、少しだけ興味ありげな顔をしている。僕は一瞬、言うか迷ったが、結局曖昧に笑った。
「身内関係が、ちょっと……」
「ああ」
妙に納得したように頷かれる。
「この業界、狭いですからね。ご親戚も官能小説家だったとか?」
違う。
そうじゃない。
でも、これ以上突っ込まれたくなくて、僕は深く言及しなかった。
出版社を出ると、スマホが震えた。
聖奈ちゃんからのメッセージだった。
> 今日、サークル終わったあと時間ある?
> ちょっと、話したいことがあって
心臓が、嫌な音を立てる。
話したいこと。
このタイミングで。
頭の中で、最悪の想像がいくつも浮かぶ。
「……落ち着け」
まだ、何も起きていない。
正体もバレていない。
彼女の父親の職業と、僕のペンネームは、まだ繋がっていない、はず。
自分に言い聞かせてから、返信する。
> うん、大丈夫だよ
夕方、大学近くのカフェ。
聖奈ちゃんは、先に来ていた。
カップを両手で包んで、少し考え込んでいる。
「ごめん、待たせた?」
「ううん」
顔を上げた彼女は、いつも通りだった。
少し安心して、席に座る。
「……ね」
間を置いてから、彼女が切り出す。
「昨日の話、考えてたんだけど」
昨日。
百ノ木ハチトの話だ。
背中に、嫌な汗がにじむ。
「作者と作品って、本当に切り離せるのかなって」
「……急だね」
「うん。でも」
彼女は、真剣な目をしていた。
「お父さんがね、よく言うの。
『作者の人間性が嫌いでも、文章が良ければ評価する』って」
心臓が、どくんと鳴る。
来た。
堂本さんの話題。
「……それで?」
「私、ずっとそれが分からなかった」
聖奈ちゃんは、少し困ったように笑う。
「でも最近、ちょっとだけ分かる気がしてきたの」
胸が、ざわつく。
「嫌いなカテゴリでも、否定できない文章って、あるんだね」
それは、まっすぐな言葉だった。
だからこそ、逃げ場がない。
彼女は評価している。
でも、作者を知らない。
知らないまま、ちゃんと向き合っている。
聖奈ちゃんの、僕の官能小説への感想はつまり、
「身内から聞く、身内じゃない立場の人間からの論評」
に他ならない。
それが、こんなにも怖いなんて思わなかった。
「……正人くんは、どう思う?」
問いかけられて、僕は一瞬、言葉に詰まる。
正直に言うわけにはいかない。
でも、誤魔化しすぎるのも違う。
「……難しい、かな」
そう答えるのが、精一杯だった。
「書いた人間の全部が、文章に出るわけじゃない。
でも、全く何も出ないわけでもない」
自分でも、驚くほど本音だった。
聖奈ちゃんは、静かに頷く。
「うん。そうだよね」
少し沈黙。
そのあと、彼女はふっと笑った。
「ね、正人くん」
「なに?」
「正人くんが書くなら……」
遠く、電車の音が聞こえた。
「どんなジャンルでも、ちゃんと考えて書きそうだよね」
胸の奥が、変なふうに熱くなった。
それは、評価で。
信頼で。
そして、いちばん言われたくて、いちばん怖い言葉だった。
と、少し離れた席から見覚えのある女子大生が近づいてくる。
「……あっれぇ?」
京子が、にやにやしながらこちらを見ていた。
「これ、修羅場の匂いじゃないですか?」
「ち、違うよ。まず付き合えてもいないのに」
……?
今、付き合「え」てもいない、って言った?付き合「っ」てもいないじゃなく?
あまりに不意すぎて、聖奈ちゃんがどう言ったか、気にしてなかった。不覚。
一言一句にこだわるべき小説家が、ここ一番というところで、「一句」を聞き漏らすとは。最悪だ。
でも。
ラブコメとしては、見ているぶんには面白いかもしれない。
「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
僕は、喜劇王のそんな言葉を思い出していた。
願わくば僕も、もう少し遠くから見たかった。
僕は、自室で頭を抱えていた。
まさか、聖奈ちゃんが堂本さんの娘だったなんて。
堂本という名字自体は、そこまで珍しいわけじゃない。
だから、どこかで「まさかね」と思っていた。
思っていたのに。
親子だった。
本当に。
堂本さん――アダルトコンテンツ専門のレビュアー。
業界ではそこそこ有名で、文章は冷静、分析的。
僕の作品を何度か取り上げてくれたこともある。
しかも、好意的に。
それが今、猛烈に怖い。
僕は堂本さんの顔を知らない。
けれど、レビューを書く関係上、作者の顔写真くらい見ている可能性がある。
いや、可能性というか。
見ていてほしい時もあった。
認知されたいと思っていた時期も、確かにあった。
でも今は違う。
「こうしてはいられない……」
小さく呟いて、立ち上がる。
堂本さんは複数の出版社に寄稿している。
でも、少なくとも、イタリア書院。
あそこは、堂本さんに顔写真を渡していないはずだ。少なくとも僕は、例の件以外でイタリア書院に顔写真を渡した覚えがない。
それだけでも確認しないと、落ち着かない。
僕は矢も盾もたまらず、出版社へ向かった。
「いや、誰にも写真は渡してないですね」
イタリア書院のロビーで山口さんが即答する。
コーヒー片手に、あっさり。
「どれも写真使う案件じゃなかったですし。堂本さんにも、テキストしか送ってませんよ」
「……本当に?」
「本当にです」
即答だった。
膝から力が抜けそうになる。
「安心しました?」
「……はい」
「何かあったんですか?」
山口さんは、少しだけ興味ありげな顔をしている。僕は一瞬、言うか迷ったが、結局曖昧に笑った。
「身内関係が、ちょっと……」
「ああ」
妙に納得したように頷かれる。
「この業界、狭いですからね。ご親戚も官能小説家だったとか?」
違う。
そうじゃない。
でも、これ以上突っ込まれたくなくて、僕は深く言及しなかった。
出版社を出ると、スマホが震えた。
聖奈ちゃんからのメッセージだった。
> 今日、サークル終わったあと時間ある?
> ちょっと、話したいことがあって
心臓が、嫌な音を立てる。
話したいこと。
このタイミングで。
頭の中で、最悪の想像がいくつも浮かぶ。
「……落ち着け」
まだ、何も起きていない。
正体もバレていない。
彼女の父親の職業と、僕のペンネームは、まだ繋がっていない、はず。
自分に言い聞かせてから、返信する。
> うん、大丈夫だよ
夕方、大学近くのカフェ。
聖奈ちゃんは、先に来ていた。
カップを両手で包んで、少し考え込んでいる。
「ごめん、待たせた?」
「ううん」
顔を上げた彼女は、いつも通りだった。
少し安心して、席に座る。
「……ね」
間を置いてから、彼女が切り出す。
「昨日の話、考えてたんだけど」
昨日。
百ノ木ハチトの話だ。
背中に、嫌な汗がにじむ。
「作者と作品って、本当に切り離せるのかなって」
「……急だね」
「うん。でも」
彼女は、真剣な目をしていた。
「お父さんがね、よく言うの。
『作者の人間性が嫌いでも、文章が良ければ評価する』って」
心臓が、どくんと鳴る。
来た。
堂本さんの話題。
「……それで?」
「私、ずっとそれが分からなかった」
聖奈ちゃんは、少し困ったように笑う。
「でも最近、ちょっとだけ分かる気がしてきたの」
胸が、ざわつく。
「嫌いなカテゴリでも、否定できない文章って、あるんだね」
それは、まっすぐな言葉だった。
だからこそ、逃げ場がない。
彼女は評価している。
でも、作者を知らない。
知らないまま、ちゃんと向き合っている。
聖奈ちゃんの、僕の官能小説への感想はつまり、
「身内から聞く、身内じゃない立場の人間からの論評」
に他ならない。
それが、こんなにも怖いなんて思わなかった。
「……正人くんは、どう思う?」
問いかけられて、僕は一瞬、言葉に詰まる。
正直に言うわけにはいかない。
でも、誤魔化しすぎるのも違う。
「……難しい、かな」
そう答えるのが、精一杯だった。
「書いた人間の全部が、文章に出るわけじゃない。
でも、全く何も出ないわけでもない」
自分でも、驚くほど本音だった。
聖奈ちゃんは、静かに頷く。
「うん。そうだよね」
少し沈黙。
そのあと、彼女はふっと笑った。
「ね、正人くん」
「なに?」
「正人くんが書くなら……」
遠く、電車の音が聞こえた。
「どんなジャンルでも、ちゃんと考えて書きそうだよね」
胸の奥が、変なふうに熱くなった。
それは、評価で。
信頼で。
そして、いちばん言われたくて、いちばん怖い言葉だった。
と、少し離れた席から見覚えのある女子大生が近づいてくる。
「……あっれぇ?」
京子が、にやにやしながらこちらを見ていた。
「これ、修羅場の匂いじゃないですか?」
「ち、違うよ。まず付き合えてもいないのに」
……?
今、付き合「え」てもいない、って言った?付き合「っ」てもいないじゃなく?
あまりに不意すぎて、聖奈ちゃんがどう言ったか、気にしてなかった。不覚。
一言一句にこだわるべき小説家が、ここ一番というところで、「一句」を聞き漏らすとは。最悪だ。
でも。
ラブコメとしては、見ているぶんには面白いかもしれない。
「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
僕は、喜劇王のそんな言葉を思い出していた。
願わくば僕も、もう少し遠くから見たかった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
婚約者の番
ありがとうございました。さようなら
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。
大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。
「彼を譲ってくれない?」
とうとう彼の番が現れてしまった。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる