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11.聖なる夜にカマかけて
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夜の部屋は、やけに静かだった。ベッドの上で仰向けになって、スマホを天井にかざしたまま、私は溜息をつく。
(……絶対、ズルいよね)
頭では分かっている。
やろうとしていることが、どれだけ卑怯か。
正人先輩は、何かを隠している。それは、あの日のカフェではっきり分かった。
聖奈先輩と向かい合って話している正人先輩は、いつも通り優しくて、落ち着いていて、余裕があるように見えた。
でも、私には見えてしまった。
言葉を選ぶ間。
視線が一瞬だけ逃げる癖。
話題が踏み込みそうになると、わずかに空気が変わること。
(ああ、これ……)
(絶対、何かある)
でも、それが何なのかまでは分からない。
分からないままなのに――。
(……クリスマス、先輩と二人で遊びたい)
その思いが、どうしようもなく強まっていく。
かといって普通に誘ったら、あの朴念仁、『文学サークルのみんなも誘っていこう』なんて言い出しかねない。
(何かを知っているふりをして、『黙っているかわりにクリスマスにデートしてくれ』ってお願いする。ふと思いついたこの作戦。バカみたいで卑怯で……それでも私の心から出ていかない)
先輩の秘密なんて知らないし、知らなくてもいいのだ。
ただ、クリスマスにあの人と並んで歩きたい。
それだけ。
(……だからって、知ってるふりして利用するのは、最低だよね)
スマホを胸に抱えて、目を閉じる。
バレたらどうなる?
信頼を失う。
軽蔑される。
「そういう子だったんだ」と距離を取られるかもしれない。
それでも。
(恋人たちの夜。何もしないで、先輩を眺めてるだけの方が、私は、もっと嫌だ)
私は、ゆっくり息を吸った。
(……一回だけ)
(一回だけ、踏み込もう)
そう決めた。
翌日。
大学構内の中庭。
「正人先輩」
背後から声をかけると、先輩は少し驚いた顔で振り返った。
「鴨下か。どうした?」
「ちょっと、いいですか?」
わざと曖昧な笑いを浮かべて言う。
「先輩って、自分で思ってるより、あの件、顔に出てますよ」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、正人先輩の表情が止まった。
(……かかった)
でも、すぐに元の穏やかな顔に戻る。
「何の、こと?」
「分かってるくせに。昨日も、ちょっと怪しかったですし」
「昨日?」
「はい」
それ以上は言わない。
言えない。
ただ、含ませるだけ。
「……まぁ、いいです。言わないであげます」
正人は京子を見つめたまま、数秒沈黙した。
「……それで?」
「え?」
「それを言いに来たわけじゃないだろ」
心臓が跳ねる。
(鋭い……)
でも、ここで引いたら全部が無駄になる。
「クリスマス、空いてます?」
私は、できるだけ軽く言った。
「え?」
「デート、しません?」
一瞬、空気が固まる。
「……急だな」
「急です。でも、チャンスは今しかないかなって」
「その『隠し事』と関係ある?」
私はにこっと笑った。
「どうでしょう、遊んでくれたら、黙っとくよ、みたいな?」
先輩は、しばらく考えてから、溜息をついた。
「……分かった。空けるよ」
(……勝った?)
分からない。
でも、約束は取り付けた。
罪悪感を覚えながら心の中でガッツポーズする。
そしてクリスマス当日。
街は、やたらと明るかった。
イルミネーションが溢れていて、人も多い。
並んで歩きながら、私は何度も横目で先輩を盗み見る。かっこいい。
「……さっきから、何か言いたそうだな」
「分かります?」
「まあ」
「やっぱり、鋭い」
くすっと笑いながら、わざと間を置く。
「先輩って、何も言わないですね」
「今日は、鴨下がよく喋るからな」
「それ、逃げですよ」
「そうかもな」
(……ずるい)
何を言っても、正面から受け止めて、かわされる。
だから、少しだけ踏み込む。
「……あのカフェの時」
「うん?」
「先輩、ちょっと怖い顔してました」
「自覚ないな」
「たまにしてますよ。ああいう顔」
先輩は、何も言わなかった。
その沈黙が、私を少し楽しくさせる。
(やっぱり、何かある)
でも、確証はない。
「ねえ先輩」
「なんだ?」
「私、結構、知ってると思いますよ」
正人先輩が歩みを止める。
真剣な顔。
「……どこまで?」
私は、答えない。
ただ、笑う。
「言わないって言ったじゃないですか」
「むむむ……」
うなりながら歩き出す彼の横顔を見ながら、私の胸はざわついていた。
(私、何してるんだろ)
(最低だ)
でも、止められない。
公園のベンチはカップルでいっぱいだった。私たちなんかと違う、ほんとにほんとのカップルたちが。
街灯の下に腰掛け、寒いですね、と私が言うと、先輩は「そうだな」と短く答えた。
少しの沈黙。
「……手、つないでもいいですか」
「いいよ」
あっさり了承されて、逆に戸惑う。
私は、そっと彼の手を取った。
温かい。
「ねえ先輩」
「うん?」
「そのまま……ポケットに手、入れてください」
正人先輩は、一瞬だけ私を見る。
「……寒いから?」
「そういうことに、しておいてください」
少しの間の後、正人は頷いた。
自分の手が、先輩のコートのポケットに入る。
(……触ってるけど触れない)
秘密の中心には、届かない。
ただ、境界線の外側。
それが、余計に苦しくなる。
耐えきれなくなった。
「……ねえ、先輩」
「どうした」
「私」
一度、深呼吸する。
「私、実は何も、知らないです」
先輩が、こちらを見る。
「全部、ハッタリでした」
「……」
「何かを知ってるふりして、カマかけて、デートに誘っただけです」
視線を逸らす。
「ごめんなさい」
しばらく、沈黙。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
「……怒ってます?」
「いや」
先輩は、静かに言った。
「楽しかったよ」
私は、思わず顔を上げる。
「……え?」
「今日」
それだけ。
責めない。
問い詰めない。
でも、肯定も否定もしない。
(……どっち?)
(私、掴めた?)
(それとも、全部見透かされて、遊ばれただけ?)
答えは出ない。
私は、視線を逸らした。
帰り道。
並んで歩きながら、二人ともあまり喋らなかった。
別れ際、先輩はいつも通り言った。
「じゃあな鴨下。気をつけて帰れよ」
「……はい」
胸の奥が、熱い。
(分からない)
(でも)
(何もしなかったよりは、ずっと)
少なくとも、今日の正人先輩の横顔は、ちゃんと自分のものだった。
――そう、思いたかった。
「おい」
先輩に呼び止められて振り返る。
「また誘ってくれよ、京子」
間。
「き、きょう……!!」
先輩が私のことを下の名前で呼んだ。顔が火照るのがわかる。
「なんてな、今日の仕返しだよ、鴨下」
一矢報いた感があるのか、先輩は心なしか足取りも軽く帰っていった。
「……もう」
私も、ポケットの中でまだ少し残っている温もりを握りしめながら、帰宅の途についた。
(……絶対、ズルいよね)
頭では分かっている。
やろうとしていることが、どれだけ卑怯か。
正人先輩は、何かを隠している。それは、あの日のカフェではっきり分かった。
聖奈先輩と向かい合って話している正人先輩は、いつも通り優しくて、落ち着いていて、余裕があるように見えた。
でも、私には見えてしまった。
言葉を選ぶ間。
視線が一瞬だけ逃げる癖。
話題が踏み込みそうになると、わずかに空気が変わること。
(ああ、これ……)
(絶対、何かある)
でも、それが何なのかまでは分からない。
分からないままなのに――。
(……クリスマス、先輩と二人で遊びたい)
その思いが、どうしようもなく強まっていく。
かといって普通に誘ったら、あの朴念仁、『文学サークルのみんなも誘っていこう』なんて言い出しかねない。
(何かを知っているふりをして、『黙っているかわりにクリスマスにデートしてくれ』ってお願いする。ふと思いついたこの作戦。バカみたいで卑怯で……それでも私の心から出ていかない)
先輩の秘密なんて知らないし、知らなくてもいいのだ。
ただ、クリスマスにあの人と並んで歩きたい。
それだけ。
(……だからって、知ってるふりして利用するのは、最低だよね)
スマホを胸に抱えて、目を閉じる。
バレたらどうなる?
信頼を失う。
軽蔑される。
「そういう子だったんだ」と距離を取られるかもしれない。
それでも。
(恋人たちの夜。何もしないで、先輩を眺めてるだけの方が、私は、もっと嫌だ)
私は、ゆっくり息を吸った。
(……一回だけ)
(一回だけ、踏み込もう)
そう決めた。
翌日。
大学構内の中庭。
「正人先輩」
背後から声をかけると、先輩は少し驚いた顔で振り返った。
「鴨下か。どうした?」
「ちょっと、いいですか?」
わざと曖昧な笑いを浮かべて言う。
「先輩って、自分で思ってるより、あの件、顔に出てますよ」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、正人先輩の表情が止まった。
(……かかった)
でも、すぐに元の穏やかな顔に戻る。
「何の、こと?」
「分かってるくせに。昨日も、ちょっと怪しかったですし」
「昨日?」
「はい」
それ以上は言わない。
言えない。
ただ、含ませるだけ。
「……まぁ、いいです。言わないであげます」
正人は京子を見つめたまま、数秒沈黙した。
「……それで?」
「え?」
「それを言いに来たわけじゃないだろ」
心臓が跳ねる。
(鋭い……)
でも、ここで引いたら全部が無駄になる。
「クリスマス、空いてます?」
私は、できるだけ軽く言った。
「え?」
「デート、しません?」
一瞬、空気が固まる。
「……急だな」
「急です。でも、チャンスは今しかないかなって」
「その『隠し事』と関係ある?」
私はにこっと笑った。
「どうでしょう、遊んでくれたら、黙っとくよ、みたいな?」
先輩は、しばらく考えてから、溜息をついた。
「……分かった。空けるよ」
(……勝った?)
分からない。
でも、約束は取り付けた。
罪悪感を覚えながら心の中でガッツポーズする。
そしてクリスマス当日。
街は、やたらと明るかった。
イルミネーションが溢れていて、人も多い。
並んで歩きながら、私は何度も横目で先輩を盗み見る。かっこいい。
「……さっきから、何か言いたそうだな」
「分かります?」
「まあ」
「やっぱり、鋭い」
くすっと笑いながら、わざと間を置く。
「先輩って、何も言わないですね」
「今日は、鴨下がよく喋るからな」
「それ、逃げですよ」
「そうかもな」
(……ずるい)
何を言っても、正面から受け止めて、かわされる。
だから、少しだけ踏み込む。
「……あのカフェの時」
「うん?」
「先輩、ちょっと怖い顔してました」
「自覚ないな」
「たまにしてますよ。ああいう顔」
先輩は、何も言わなかった。
その沈黙が、私を少し楽しくさせる。
(やっぱり、何かある)
でも、確証はない。
「ねえ先輩」
「なんだ?」
「私、結構、知ってると思いますよ」
正人先輩が歩みを止める。
真剣な顔。
「……どこまで?」
私は、答えない。
ただ、笑う。
「言わないって言ったじゃないですか」
「むむむ……」
うなりながら歩き出す彼の横顔を見ながら、私の胸はざわついていた。
(私、何してるんだろ)
(最低だ)
でも、止められない。
公園のベンチはカップルでいっぱいだった。私たちなんかと違う、ほんとにほんとのカップルたちが。
街灯の下に腰掛け、寒いですね、と私が言うと、先輩は「そうだな」と短く答えた。
少しの沈黙。
「……手、つないでもいいですか」
「いいよ」
あっさり了承されて、逆に戸惑う。
私は、そっと彼の手を取った。
温かい。
「ねえ先輩」
「うん?」
「そのまま……ポケットに手、入れてください」
正人先輩は、一瞬だけ私を見る。
「……寒いから?」
「そういうことに、しておいてください」
少しの間の後、正人は頷いた。
自分の手が、先輩のコートのポケットに入る。
(……触ってるけど触れない)
秘密の中心には、届かない。
ただ、境界線の外側。
それが、余計に苦しくなる。
耐えきれなくなった。
「……ねえ、先輩」
「どうした」
「私」
一度、深呼吸する。
「私、実は何も、知らないです」
先輩が、こちらを見る。
「全部、ハッタリでした」
「……」
「何かを知ってるふりして、カマかけて、デートに誘っただけです」
視線を逸らす。
「ごめんなさい」
しばらく、沈黙。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
「……怒ってます?」
「いや」
先輩は、静かに言った。
「楽しかったよ」
私は、思わず顔を上げる。
「……え?」
「今日」
それだけ。
責めない。
問い詰めない。
でも、肯定も否定もしない。
(……どっち?)
(私、掴めた?)
(それとも、全部見透かされて、遊ばれただけ?)
答えは出ない。
私は、視線を逸らした。
帰り道。
並んで歩きながら、二人ともあまり喋らなかった。
別れ際、先輩はいつも通り言った。
「じゃあな鴨下。気をつけて帰れよ」
「……はい」
胸の奥が、熱い。
(分からない)
(でも)
(何もしなかったよりは、ずっと)
少なくとも、今日の正人先輩の横顔は、ちゃんと自分のものだった。
――そう、思いたかった。
「おい」
先輩に呼び止められて振り返る。
「また誘ってくれよ、京子」
間。
「き、きょう……!!」
先輩が私のことを下の名前で呼んだ。顔が火照るのがわかる。
「なんてな、今日の仕返しだよ、鴨下」
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