病弱な幼馴染を溺愛する彼に、愛想が尽きました。

小野 まい

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第43話 胸の感情と思い

ローゼンクロイツ公爵邸のプライベートサロンには、春の陽だまりのような穏やかな空気が満ちていた。

大理石のテーブルには最高級の茶葉で淹れられた紅茶が湯気を立て、色とりどりの小菓子が宝石のように並べられている。

上座に座る公爵が、王家の紋章が入った一通の書状をテーブルに置いた。


「……たった今、国王より正式な書状が届いた。ユリウスは完全に王籍を剥奪され、平民として郊外の労働施設へ送られたそうだ。二度と、我々の前にその姿を現すことはない」


威厳をたたえつつも穏やかな公爵の声がサロンに響く。

その言葉を聞いてエレオノーラは小さく息を吐き、膝の上で組んでいた両手の力を緩めた。



「そう……ですか。陛下とフレッド殿下には、最後までご苦労をおかけいたしましたわね」

「ああ。王室からの謝罪と、我が公爵家への多大な譲歩も記されている。これで、十年に及んだあの愚か者との茶番劇も、幕引きというわけだ」


公爵は深く安堵のため息をつくと目元を片手で覆った。


「エレオノーラ……本当によく耐えてくれた。父親として、娘に十年間もあのような茨の道を歩ませたこと、いくら国のためとはいえ、後悔してもしきれん」

「お父様、どうかご自分を責めないでくださいませ。わたくしはローゼンクロイツの娘として、当然の義務を果たしたまでですわ」


エレオノーラはいつものように美しい微笑みを浮かべた。

彼女にとって感情を押し殺して毅然と振る舞うことは、呼吸と同じくらい自然なことになっていたのだ。

その時だった。



「……っ、うぅ……っ」


不意に、隣に座っていた妹のセシリアが小さな嗚咽を漏らした。

彼女は、両手で顔を覆って華奢な肩を小刻みに震わせていた。


「セシリア? どうしたの、どこかお加減でも……」


エレオノーラが驚いて身を乗り出した瞬間。

セシリアは椅子から飛び降り、エレオノーラのドレスの裾にすがりつくようにして、ポロポロと大粒の涙を零し始めた。



「お姉様……っ、お姉様ぁっ……!! よかった……っ、本当によかったぁ……っ!!」


「えっ……セシリア、ちょっと、そんなに泣いて……」

「だって! だってぇ……っ! お姉様、ずっと、ずっと無理してたじゃないですかぁっ!!」


セシリアは子供のように顔を真っ赤にして、しゃくりあげながら叫んだ。


「あの馬鹿な王子が、他の女の人と腕を組んで笑っている時も……お姉様が一生懸命公務をしているのに、誰も褒めてくれない時も……お姉様はいつも、一人で部屋で難しい顔をして、書類の束と睨めっこして……っ! 私の前では『大丈夫よ』って笑うけど、全然、大丈夫そうじゃなかった……っ!」

「セシリア……」

「私、ずっと悔しかった! お姉様は世界で一番綺麗で、賢くて、優しいのに……どうしてあんなに酷い扱いを受けなきゃいけないのって……! でも、私には何もできなくて……っ」


セシリアの悲痛な叫びは、止めどなくあふれ出した。

彼女は、エレオノーラの冷たく強張った手を自分の両手で包み込み、ボロボロと涙をこぼしながら言った。



「お姉様が、やっと……あの重たい鎖から解放されて、自由になって、本当に嬉しい……っ! もう、無理して笑わなくていいんだよ……っ! 嫌な時は嫌って言って、泣きたい時は泣いていいんだよぉ……っ!!」


その言葉は、鋭い矢のようにエレオノーラの胸の最奥に突き刺さった。


(ああ……)


エレオノーラは目を見開いた。

十年間。『次期王妃だから』『公爵家の長女だから』『私がしっかりしなければ、国が傾くから』

そうやって自分に言い聞かせ、幾重にも心に分厚い氷の鎧を纏ってきた。ユリウスの裏切りにも冷遇にも、怒りや悲しみを感じることすら自分に禁じてきた。


(感情を動かせば、心が壊れてしまうとわかっていたから)


けれど、一番近くにいた妹は氷の奥で凍えそうになっていた姉の本当の心に、ずっと気づいてくれていたのだ。

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