もうあなた達を愛する気持ちはありません。

小野 まい

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第1話 姉と婚約者

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その日、王都の空は絵画のように澄み渡り、昼下がりの陽光がレンガ造りの街並みを柔らかく照らし出していた。  

けれど、私の心には小さなとげが刺さったままだ。学園からの帰り道、馬車の窓から流れる景色を眺めながら、私は膝の上でギュッと鞄を抱きしめた。


「……今日は会えないって、言ってたわよね」

 
独り言が、馬車の車輪の音にかき消される。私の婚約者であるギルバート・ロンベルク子爵令息。蜂蜜色の髪と甘いマスクを持つ彼は、学園でも人気の優男だ。

私、アリーナにとっては過ぎた相手だと周囲に言われることもあるけれど、彼なりに私を大切にしてくれていると信じていた。

今日の放課後。彼をお茶に誘ったとき、彼は申し訳なさそうに眉を下げてこう言ったのだ。 



『ごめんよ、アリーナ。今日は父の名代で社交の集まりがあるんだ。男同士の退屈な付き合いだよ』  


だから私は大人しく引き下がった。彼には彼の立場がある。将来、家を継ぐ彼にとって人脈作りは重要だ。


「わがままを言うような女にはなりたくない」


馬車が速度を緩め、どっしりとした鉄門をくぐる。私が現在身を寄せているのは、姉のイザベラが嫁いだアークライト公爵家のタウンハウスだ。


王宮に近い一等地に建つこの屋敷は、公爵家の威信を示すように壮麗だ。広大な敷地には手入れの行き届いた庭園が広がり、季節ごとの花々が咲き乱れている。  

実家から通うには学園が遠すぎるという理由で、私は姉の好意に甘えてここで暮らしていた。



「アリーナ様、お帰りなさいませ」

 
玄関ホールで出迎えてくれた執事に軽く会釈をし、私は自分の部屋へ荷物を置きに行こうとした。その時だった。  

サロンの方から、楽しげな笑い声が聞こえてきたのは。


「――本当に? うふふ、ギルバートったら、お上手なんだから」 

「いや、本当ですよイザベラ義姉上ぎしうえ。あなたに比べたら、どんな花も霞んでしまう」

 
足が止まる。聞き間違えるはずがない。鈴を転がすような、完璧なソプラノの笑い声は姉のもの。

そして、その甘ったるい声に応えているのは間違いなくギルバートだった。

 

(……社交の付き合いじゃなかったの?)

 
胸の奥で嫌な予感が警鐘を鳴らす。私は音を立てないようにサロンの扉へと近づいた。少しだけ開いた隙間から中を覗く。

そこには、私の知っている日常があった。いや、日常になりすぎていて感覚が麻痺していた光景だ。

 
最高級のダージリンの香りが漂うサロン。猫足のソファに優雅に腰掛けているのは、私の自慢の姉イザベラだ。

艶やかなプラチナブロンドを緩く巻き、陶器のように白い肌は窓からの光を反射して輝いている。


五つ年上の彼女は、かつて学園で生徒会長を務め、才色兼備を絵に描いたような女性だった。学業優秀、スポーツ万能、そして誰にでも優しい聖女のような微笑み。

私は彼女を心から尊敬していた。姉のようになりたいと何度願ったことだろう。

 
(どうして?)


その姉の向かい側。いや、向かい側というには少し距離が近すぎる位置にギルバートが座っていた。

彼は上機嫌で身を乗り出し、何かを熱心に語っている。


姉はそれを聖母のような眼差しで見つめ、時折、彼の手元にあるティーカップに自ら紅茶を注ぎ足していた。執事がいるにも関わらずだ。



「……あ」

 
私が小さな声を漏らした瞬間、姉がこちらに気づいた。彼女の表情に、焦りは一切浮かばない。むしろ、待っていたと言わんばかりに花が咲くような笑顔を向けた。


「お帰りなさい、アリーナ! 早かったのね」 

「ア、アリーナ……!」

 
ギルバートだけが、バツが悪そうに肩を跳ねさせた。私は努めて冷静を装い部屋に入った。


「ただいま戻りました、お姉様。……ギルバート様も、いらしていたのですね。今日は社交の集まりがあると伺っていましたが」

 
私の視線がギルバートに向くと、彼は目を泳がせ助けを求めるように姉を見た。すると姉は優雅に扇子を開き、口元を隠してコロコロと笑った。
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