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第3話 子供の証言
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夕闇に沈みかけた庭園の大きなガゼボの影。馬車に乗るはずのギルバートが、なぜかそこにいる。そして姉も。
二人は向かい合っていた。姉が何かを囁き、ギルバートが俯く。次の瞬間、姉の手がギルバートの頬に伸びた。
愛おしげに、指先でその輪郭をなぞる。ギルバートは、その手に自身のあごを擦り付けるようにして目を閉じた。
ドクン、と心臓が跳ねた。
(それは挨拶? 義姉としての、激励? ……違う)
あの空気は、もっと粘着質で甘ったるいものだ。見ているだけで、肌が粟立つような感覚。
彼らはキスこそしなかったけれど、唇を重ねるよりも遥かに親密な空気が二人の間には流れていた。
姉が何かを言って笑い、ギルバートの胸元を軽く叩く。その仕草は、私が見たこともないほど少女のようで、同時に艶めかしい女のものだった。
私はパッとカーテンを閉めた。見てはいけないものを見てしまった罪悪感と、正体のわからない吐き気。
「……考えすぎよ。アリーナ」
自分に言い聞かせる。お姉様は、尊敬する完璧な人。ギルバートは、私を選んでくれた優しい人。
二人が私を裏切るはずがない。これは私の心が卑しいから、そんな風に見えてしまうんだ。
その時、コンコンと控えめなノック音がした。
「アリーナおばさま、いる?」
その愛らしい声に、私は張り詰めていた糸がふっと緩むのを感じた。扉を開けると、そこには天使がいた。
姉の息子で四歳になるレオだ。ふわふわの金髪に、旦那様譲りの賢そうなブルーの瞳。手にはクマのぬいぐるみを引きずっている。
「レオ! どうしたの?」
私はしゃがみ込み、彼を抱きしめた。温かい。子供の高い体温が、冷え切った私の心を溶かしてくれる。
レオは私の首に小さな腕を回して顔を埋めてきた。
「……ママ、またあのお兄ちゃんと遊んでるの」
レオの言葉に、私は息を呑んだ。
「遊んでるって……お話しているだけよ」
「ううん。ずっと遊んでる。ボクが『絵本読んで』って言っても、『あとでね』って」
レオの声は震えていた。寂しさが滲んでいた。
「ママ、あのお兄ちゃんが来ると、ぼくのこと見てくれないの。……パパも帰ってこないし」
私はハッとした。姉は言っていた。
『旦那様が帰ってこなくて寂しいから、ギルバートが話し相手になってくれている』と。
夫が不在なら、母親は子供に寄り添うものではないのか? それなのに、姉は息子を放って、私の婚約者と話し相手をすることに夢中になっている?
(一番寂しい思いをしているのは、この子じゃない)
違和感が確信へと変わり始めていた。あの庭での距離感とレオの放置。そして、あなたがいないからという私への責任転嫁。
私はレオの小さな背中を撫でながら、窓の方を睨みつけた。厚いカーテンの向こうに、まだ二人がいるような気がした。
「大丈夫よ、レオ。今日はおばさまがいっぱい本を読んであげる」
「……ほんとう?」
「ええ、本当よ。今日は一緒に寝ましょうね」
レオが嬉しそうに微笑む。その笑顔は、どこか諦めを知ってしまった大人のように見えて私の胸を締め付けた。
(もし。もしも、私の予感が当たっていたとしたら)
あの完璧な姉が、意図的に私から彼を奪おうとしているのだとしたら? そして、ギルバートもそれを受け入れているのだとしたら?
(……まさか。でも、もしそうなら)
私はレオを抱き直した。尊敬していた姉の像に、修復不可能なヒビが入る音が聞こえた。
これはまだ、ほんの入り口に過ぎない。私がクローゼットの裏で、決定的な言葉を聞くことになるのはまだ少し先の話だ。
二人は向かい合っていた。姉が何かを囁き、ギルバートが俯く。次の瞬間、姉の手がギルバートの頬に伸びた。
愛おしげに、指先でその輪郭をなぞる。ギルバートは、その手に自身のあごを擦り付けるようにして目を閉じた。
ドクン、と心臓が跳ねた。
(それは挨拶? 義姉としての、激励? ……違う)
あの空気は、もっと粘着質で甘ったるいものだ。見ているだけで、肌が粟立つような感覚。
彼らはキスこそしなかったけれど、唇を重ねるよりも遥かに親密な空気が二人の間には流れていた。
姉が何かを言って笑い、ギルバートの胸元を軽く叩く。その仕草は、私が見たこともないほど少女のようで、同時に艶めかしい女のものだった。
私はパッとカーテンを閉めた。見てはいけないものを見てしまった罪悪感と、正体のわからない吐き気。
「……考えすぎよ。アリーナ」
自分に言い聞かせる。お姉様は、尊敬する完璧な人。ギルバートは、私を選んでくれた優しい人。
二人が私を裏切るはずがない。これは私の心が卑しいから、そんな風に見えてしまうんだ。
その時、コンコンと控えめなノック音がした。
「アリーナおばさま、いる?」
その愛らしい声に、私は張り詰めていた糸がふっと緩むのを感じた。扉を開けると、そこには天使がいた。
姉の息子で四歳になるレオだ。ふわふわの金髪に、旦那様譲りの賢そうなブルーの瞳。手にはクマのぬいぐるみを引きずっている。
「レオ! どうしたの?」
私はしゃがみ込み、彼を抱きしめた。温かい。子供の高い体温が、冷え切った私の心を溶かしてくれる。
レオは私の首に小さな腕を回して顔を埋めてきた。
「……ママ、またあのお兄ちゃんと遊んでるの」
レオの言葉に、私は息を呑んだ。
「遊んでるって……お話しているだけよ」
「ううん。ずっと遊んでる。ボクが『絵本読んで』って言っても、『あとでね』って」
レオの声は震えていた。寂しさが滲んでいた。
「ママ、あのお兄ちゃんが来ると、ぼくのこと見てくれないの。……パパも帰ってこないし」
私はハッとした。姉は言っていた。
『旦那様が帰ってこなくて寂しいから、ギルバートが話し相手になってくれている』と。
夫が不在なら、母親は子供に寄り添うものではないのか? それなのに、姉は息子を放って、私の婚約者と話し相手をすることに夢中になっている?
(一番寂しい思いをしているのは、この子じゃない)
違和感が確信へと変わり始めていた。あの庭での距離感とレオの放置。そして、あなたがいないからという私への責任転嫁。
私はレオの小さな背中を撫でながら、窓の方を睨みつけた。厚いカーテンの向こうに、まだ二人がいるような気がした。
「大丈夫よ、レオ。今日はおばさまがいっぱい本を読んであげる」
「……ほんとう?」
「ええ、本当よ。今日は一緒に寝ましょうね」
レオが嬉しそうに微笑む。その笑顔は、どこか諦めを知ってしまった大人のように見えて私の胸を締め付けた。
(もし。もしも、私の予感が当たっていたとしたら)
あの完璧な姉が、意図的に私から彼を奪おうとしているのだとしたら? そして、ギルバートもそれを受け入れているのだとしたら?
(……まさか。でも、もしそうなら)
私はレオを抱き直した。尊敬していた姉の像に、修復不可能なヒビが入る音が聞こえた。
これはまだ、ほんの入り口に過ぎない。私がクローゼットの裏で、決定的な言葉を聞くことになるのはまだ少し先の話だ。
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