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第58話 冷徹な観察眼
貴族の小競り合いなどではありえない事態だった。イザベラとギルバートは、スラムの路地裏で腐ったパンを奪い合う野良犬の姿そのものだった。
「……おお、神よ。なんというおぞましい光景だ」
「下着を買いに行かせただの、変態だの……聞いていられん。耳が腐る」
「信じられん……これが、あの美しい公爵夫人の、ありのままの姿なのか……」
「あれが、彼らの言う『真実の愛』の成れの果てか。虫唾が走るわ」
「貴族として、あまりにも見苦しい振る舞いだな」
周囲を取り囲む数百人の貴族たちは、扇で顔を隠して明らかな嫌悪感を露わにして後ずさった。
先ほどまでの笑いは完全に消え失せていた。そこに残っていたのは人間の最も底辺の、最も醜悪なエゴイズムのぶつかり合いに対する純粋な吐き気だけだった。
「……ふふっ。あははっ」
私はバルコニーの陰で、扇の裏でこらえきれずに笑い声を漏らした。
「最高です。お姉様、ギルバート様。これ以上ないほどの結末でした」
二人が、どれほど美しい言葉で自分たちの不倫を飾ろうとも金という現実の前に、そのメッキは一瞬で剥がれ落ちた。
「これこそが、私からすべてを奪おうとしたお姉様とギルバート様への、私なりの真実の愛の答え合わせ」
互いを罵り、罪をなすりつけ合い、公衆の面前で下着の話まで持ち出して泥沼の喧嘩を繰り広げる二人。
「もう十分だ。見苦しい」
クライド義兄様が、冷たく言い放つと衛兵たちに顎でしゃくった。
屈強な衛兵たちが数人がかりで、互いの髪を掴み合って離れない二人を無理やり引き剥がし、大理石の床に押さえつけた。
「離せ! 悪いのはこの女だ!」
「私じゃない! 私は被害者よ! クライド、助けて!!」
床に顔を押し付けられながらも、二人はまだ互いを罵り、見苦しい命乞いを続けていた。
その声は、重厚な扉の向こうへと引きずり出されていくにつれ、徐々に小さくなってやがて完全に消え去った。
鏡の間に、深い静寂が戻る。床には、引きちぎられたイザベラのドレスの切れ端と、ギルバートが落とした闇金の借用書だけが、生々しい傷跡のように残されていた。
「皆様。私の元・妻と、その愛人がお見苦しいところをお見せし、誠に申し訳なかった」
クライド義兄様は、何事もなかったかのようにグラスを掲げた。
「だが、これで我が公爵家も、そしてこの国も、膿を出し切ることができた。……さあ、夜会を続けようではないか」
楽団が、少し震える手で再びワルツを奏で始める。
私はバルコニーからゆっくりと階段を降り、一人で立つ義兄様の隣へと歩み寄った。
「お疲れ様でした、義兄様」
「ああ、アリーナ。……これで、君の目の上のたんこぶは消え去ったな」
義兄様は、私に向かって初めて、微かな愛情を含んだ笑みを向けた。
私はカーテシーをして、最高の笑顔で応えた。
「……おお、神よ。なんというおぞましい光景だ」
「下着を買いに行かせただの、変態だの……聞いていられん。耳が腐る」
「信じられん……これが、あの美しい公爵夫人の、ありのままの姿なのか……」
「あれが、彼らの言う『真実の愛』の成れの果てか。虫唾が走るわ」
「貴族として、あまりにも見苦しい振る舞いだな」
周囲を取り囲む数百人の貴族たちは、扇で顔を隠して明らかな嫌悪感を露わにして後ずさった。
先ほどまでの笑いは完全に消え失せていた。そこに残っていたのは人間の最も底辺の、最も醜悪なエゴイズムのぶつかり合いに対する純粋な吐き気だけだった。
「……ふふっ。あははっ」
私はバルコニーの陰で、扇の裏でこらえきれずに笑い声を漏らした。
「最高です。お姉様、ギルバート様。これ以上ないほどの結末でした」
二人が、どれほど美しい言葉で自分たちの不倫を飾ろうとも金という現実の前に、そのメッキは一瞬で剥がれ落ちた。
「これこそが、私からすべてを奪おうとしたお姉様とギルバート様への、私なりの真実の愛の答え合わせ」
互いを罵り、罪をなすりつけ合い、公衆の面前で下着の話まで持ち出して泥沼の喧嘩を繰り広げる二人。
「もう十分だ。見苦しい」
クライド義兄様が、冷たく言い放つと衛兵たちに顎でしゃくった。
屈強な衛兵たちが数人がかりで、互いの髪を掴み合って離れない二人を無理やり引き剥がし、大理石の床に押さえつけた。
「離せ! 悪いのはこの女だ!」
「私じゃない! 私は被害者よ! クライド、助けて!!」
床に顔を押し付けられながらも、二人はまだ互いを罵り、見苦しい命乞いを続けていた。
その声は、重厚な扉の向こうへと引きずり出されていくにつれ、徐々に小さくなってやがて完全に消え去った。
鏡の間に、深い静寂が戻る。床には、引きちぎられたイザベラのドレスの切れ端と、ギルバートが落とした闇金の借用書だけが、生々しい傷跡のように残されていた。
「皆様。私の元・妻と、その愛人がお見苦しいところをお見せし、誠に申し訳なかった」
クライド義兄様は、何事もなかったかのようにグラスを掲げた。
「だが、これで我が公爵家も、そしてこの国も、膿を出し切ることができた。……さあ、夜会を続けようではないか」
楽団が、少し震える手で再びワルツを奏で始める。
私はバルコニーからゆっくりと階段を降り、一人で立つ義兄様の隣へと歩み寄った。
「お疲れ様でした、義兄様」
「ああ、アリーナ。……これで、君の目の上のたんこぶは消え去ったな」
義兄様は、私に向かって初めて、微かな愛情を含んだ笑みを向けた。
私はカーテシーをして、最高の笑顔で応えた。
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