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序章
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時は、慶長二年(1597)四月十一日
麗らかな春の日差しを受けたこのめでたい日に、京・伏見城城下の徳川屋敷において、一人の姫が産声を上げた。
その名は……
千姫
江戸幕府第二代将軍となる・徳川秀忠を父に持ち、かつて近江を統治していた・浅井長政と織田信長の妹にして絶世の美女と謳われた・お市の方との間に生まれた・江の一の姫である。
初めて授かった子に、江と秀忠は満たされる思いに浸った。いずれ夫となる大名と幸せな日々を送れるよう、大切に育て上げる事を誓い合った。
ところが、千姫の人生は、抗いようもなく政の道具として利用されてしまう事になる。
それは、千姫が産まれて間もない慶長三年(1598)、五月の事。急な病に臥せっていた時の天下人・豊臣秀吉が家臣である徳川家康を病床の枕元に呼び寄せた。
「秀頼に千を輿入れさせ、元服を迎えるまで政の一切を家康殿に託す」
と、今わの際に告げたのだ。
やがて秀吉がこの世を去ると、徳川家康は幼い秀頼の代わりに権勢を振るった。それから二年の月日が過ぎ、やがて豊臣と徳川を二分する【関ヶ原の戦い】が慶長五年(1600)に始まった。
五カ月にも及んだ双方の争いで多くの者達が命を落とし、歴史にも残る天下分け目の大戦として、現在に至るまでその名を知らぬ者はいない。
勝利を収めた徳川家康は、西軍に荷担した諸大名らに対し、刑死・自刃・流罪・追放・蟄居・改易・減封という、厳しい処罰を下した。処分を受けた多くの大名衆の中には、豊臣家にとって必要不可欠な重臣も存在した。
戦後の論功行賞で、豊臣家の所領は、東軍ら諸将に分配され、二百二十二万石あった豊臣家は、摂津国・河内国・和泉国の三ヶ国を含めた、六十五万石の諸大名並の石高と成り下がってしまった。
斯くして、家康は天下人の座を豊臣家から奪い取った形となったのだった。
豊臣方が敗戦を喫した事によって、秀頼と千姫の婚儀が沙汰止みになるかと思われていた。ところが、関ヶ原から三年が経った慶長八年(1603)春、再びこの輿入れの話が、豊臣家側からもたらされた。
これは、徳川家に生まれ、悲劇的な運命を歩んだ一人の姫が、多くの人々と出会い、別れ、女としての幸福を見出す物語である。
*この小説は史実に基づき、脚色を加えた作品です。
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ところが、千姫の人生は、抗いようもなく政の道具として利用されてしまう事になる。
それは、千姫が産まれて間もない慶長三年(1598)、五月の事。急な病に臥せっていた時の天下人・豊臣秀吉が家臣である徳川家康を病床の枕元に呼び寄せた。
「秀頼に千を輿入れさせ、元服を迎えるまで政の一切を家康殿に託す」
と、今わの際に告げたのだ。
やがて秀吉がこの世を去ると、徳川家康は幼い秀頼の代わりに権勢を振るった。それから二年の月日が過ぎ、やがて豊臣と徳川を二分する【関ヶ原の戦い】が慶長五年(1600)に始まった。
五カ月にも及んだ双方の争いで多くの者達が命を落とし、歴史にも残る天下分け目の大戦として、現在に至るまでその名を知らぬ者はいない。
勝利を収めた徳川家康は、西軍に荷担した諸大名らに対し、刑死・自刃・流罪・追放・蟄居・改易・減封という、厳しい処罰を下した。処分を受けた多くの大名衆の中には、豊臣家にとって必要不可欠な重臣も存在した。
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豊臣方が敗戦を喫した事によって、秀頼と千姫の婚儀が沙汰止みになるかと思われていた。ところが、関ヶ原から三年が経った慶長八年(1603)春、再びこの輿入れの話が、豊臣家側からもたらされた。
これは、徳川家に生まれ、悲劇的な運命を歩んだ一人の姫が、多くの人々と出会い、別れ、女としての幸福を見出す物語である。
*この小説は史実に基づき、脚色を加えた作品です。
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