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イリベロトスドルイワ2
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光太はぼーっとした頭でどこでもない場所を見ている。
実際に、視覚的な情報を得ているわけではなく、その頭の中で再生されるような映像をこそ見ている。
とぎれとぎれの記憶を。
どうして、と思う。
なんで、と思う。
一瞬、何かを殴りたいような気分になる。
それも、すぐに消えてしまう。沈んでいってしまう。
ここで根っこでもはって、ただ空を見て生きる生物になりたいと、そんなくだらないことが思い浮かぶ。
何も考えない植物になってしまいたいと思う。
(植物が何も考えてないとかどうとかは知らないけど……どうでもいいか……)
思い出す。
思い出が流れる。
思い出が半ば自動的に再生されるのは、嬉しくも許しがたい。
(まるで、整頓されているみたいだ。なかったことになっていくみたいだ)
ぐちゃぐちゃな部屋を、少しずつ。
整えられているような気分だった。
深く沈み込んで暗闇になることは、どうやら光太は自分自身に許してないらしい。
まばゆいそれを見ることは、お片付けされていくように感情を揺らしてしまう事は、確かに許しがたい事でありながら、目を離せない事であった。
涙が流れない。
立ち上がることができない。
歩いて、歩いて、歩き疲れて。座った瞬間に複雑骨折していたことに気付いてしまったように。立ち上がりたくなくなる気分。その足の様を見て、立ち上がれないんだと思ってしまうような。
何もしたくはないから、光太はただそれに抵抗することもできずに、流れるに任せるほかになかったのだ。
よくわからない空手に似た何からしい格闘技を習いだして数年。
不定期すぎるそれが行われ、片隅で汗を拭きながら座り込む。
時折、習い事をしている道場の先生の目が不穏なことに、幼いながら光太は気付いていた。
「せんせー、ちょっといない事多すぎない?」
それを気取られないようにか、なんてことない口調でクレームを申し渡す。
「ん? あぁー、すまんな」
汗もかいていない、鍛え上げられた体は余裕が見える。
申し訳なさそうに歳のわりに白さが目立つ頭をかきながら喋る時には、すでにその目は優し気なものに戻っていた。
けれど、光太は心配だった。嫌いだった、その目が。
まるで、漫画で読むような悪役めいていると思ったのだ。
鋭くて、冷や汗が流れるような。
誰かを簡単に、無表情で殺しせしめてしまえるような凍えるような。
きっと、それは光太ではない何かに対する敵意のようなものなのだと、見ているうちに光太は理解していた。
強く、圧倒されるような敵意というものを、光太は先生と呼ぶこの男から知ったのだ。
「おうおうせんせーよう。ごめんで済むなら警察いらねぇって社会なんだぜぇ……出すもんだしてくれや……」
「おう、飴玉をやろうな」
「ガキ扱いはともかくさぁ、胴着でちょっと暖かくなった感じのある飴玉渡すってもはや嫌がらせのりょーいきだってことは知っておいて欲しい」
「懐で温めておきました」
「誰がうつけだ」
くっくっくと、目を閉じて笑う。
始めは怖いと思った人だった。
数年前に引っ越してきたこの先生は、最初は誰かに何かを教えるようなことをしていなかった事を光太は知っている。
自分や、友達がやってみたいとせがんだことで教えてくれるようになったことを知っている。
子供は態度に敏感だ。
見た目が怖かろうが、この人が子供に優しい人だという事を光太は知っている。
見た目は目つき鋭く、がたいもよく、子供には初対面ではよく泣かれるか怖がられるかする外見の先生と呼ばれる男は、子供相手には本当に気を遣う事知っている。それが、知らない他人だろうと。
知り合いならばなおさら、その雰囲気を抑え、感情を抑え、怖がらないように、負担を書けないようにすることを自然にしていることを知っている。
だから、心配だった。
たまにするその嫌な目を、最近頻繁にすることが。
威圧的な雰囲気が――時折、もう抑えられないとばかりに噴出していることがある様子が。
こうして、和やかに話していても――いつまでたっても、どこかふとした瞬間消えてしまいそうな雰囲気が抜けないことも。
「ま――もうちょっと。もうちょっとだよ」
「大人のもうちょっとって長いよな。もうちょっとってなんだよ。10秒かよ。10秒にしろよ」
光太にとって、先生は友達なのだ。
歳が離れていようとも、友達だと思っているから。
それでも、光太には何をすることもできない。相手が大人であることも、不本意ながら光太はわかるから。子供に、そんな相談などできようがないこと。ましてやそれを漫画の主人公のように軽やかに解決する力などが自分にないことをも、光太はわかっているから。
せめてできるのは、それを不満に思っている様をみせて負担をかけるようなことをしないくらいだった。
「ここで私が登場した!」
「ぅぶぎびぃ」
「おお……潰れた豚のような声を」
ぐだぐだと道場で話していると、いつきたのか光太に妹がのしかかって光太を潰す。考えながら話していたせいか、油断からか、濁った音が出る。
いきなりすぎたか奇妙な悲鳴を上げる光太を不憫に思ったか、先生が妹から光太を苦笑しながら救出。『うごうご』唸りながら引きずりだされる。
「うぐぐ、見えていただろうに教えなかった罪を、こうして助けることで帳消しに使用とするんだ……大人は、汚い!」
「いや、そんな強い感情で非難する場面ではないだろうが」
「私知ってる! マッチでポンなプップクプーのやつだよこれは! おとなめ!」
「ボケてるのかそうでないのかわからんのだが。あと、大人は別に罵倒の言葉ではない」
「わかるわかる。マッチよりガスバーナーのほうが強そうだよな」
「せやな!」
話を聞かない兄妹の連係プレーに先生は酷く疲れたようにため息を吐く。
「お前ら2人そろうとフリーダムすぎるからな。俺の歳を考えてくれ」
「おいおい、せんせー、そんな『私何歳に見えますぅ?』女みたいなめんどせーこといいだすなよなー」
「私当てる! うーん……3歳!」
「そういう意図は込めてないし、それにしたって1ケタはおかしいからな……」
もう1つ、疲れたように溜息をつく。
「まー、3歳にしては老けすぎだよなー。実年齢にしてもだけどさぁ。もうちょっとコミカルになれない?」
「その白髪そめれ? 少しはましになるだろぅ……私のような女児にもうける……いやごみん、そりゃ無理じゃった……」
「急に外見いじりだすのもヤメロな。大人によっては怒られるからな」
「人は選ぶよ!」
「馬鹿にすんなよなー!」
「俺も怒る時は怒るぞ」
わざとらしく怒る演技を見せる様に、ギャースカいいながら逃げる。
しかし、その顔が穏やかなことに、どうしたって光太は安心を覚えてしまうのだった。
歳が離れていようが、自分が何もできなかろうが。
やっぱり、光太は近しい人は穏やかで、笑っていてほしいと願っているから。
実際に、視覚的な情報を得ているわけではなく、その頭の中で再生されるような映像をこそ見ている。
とぎれとぎれの記憶を。
どうして、と思う。
なんで、と思う。
一瞬、何かを殴りたいような気分になる。
それも、すぐに消えてしまう。沈んでいってしまう。
ここで根っこでもはって、ただ空を見て生きる生物になりたいと、そんなくだらないことが思い浮かぶ。
何も考えない植物になってしまいたいと思う。
(植物が何も考えてないとかどうとかは知らないけど……どうでもいいか……)
思い出す。
思い出が流れる。
思い出が半ば自動的に再生されるのは、嬉しくも許しがたい。
(まるで、整頓されているみたいだ。なかったことになっていくみたいだ)
ぐちゃぐちゃな部屋を、少しずつ。
整えられているような気分だった。
深く沈み込んで暗闇になることは、どうやら光太は自分自身に許してないらしい。
まばゆいそれを見ることは、お片付けされていくように感情を揺らしてしまう事は、確かに許しがたい事でありながら、目を離せない事であった。
涙が流れない。
立ち上がることができない。
歩いて、歩いて、歩き疲れて。座った瞬間に複雑骨折していたことに気付いてしまったように。立ち上がりたくなくなる気分。その足の様を見て、立ち上がれないんだと思ってしまうような。
何もしたくはないから、光太はただそれに抵抗することもできずに、流れるに任せるほかになかったのだ。
よくわからない空手に似た何からしい格闘技を習いだして数年。
不定期すぎるそれが行われ、片隅で汗を拭きながら座り込む。
時折、習い事をしている道場の先生の目が不穏なことに、幼いながら光太は気付いていた。
「せんせー、ちょっといない事多すぎない?」
それを気取られないようにか、なんてことない口調でクレームを申し渡す。
「ん? あぁー、すまんな」
汗もかいていない、鍛え上げられた体は余裕が見える。
申し訳なさそうに歳のわりに白さが目立つ頭をかきながら喋る時には、すでにその目は優し気なものに戻っていた。
けれど、光太は心配だった。嫌いだった、その目が。
まるで、漫画で読むような悪役めいていると思ったのだ。
鋭くて、冷や汗が流れるような。
誰かを簡単に、無表情で殺しせしめてしまえるような凍えるような。
きっと、それは光太ではない何かに対する敵意のようなものなのだと、見ているうちに光太は理解していた。
強く、圧倒されるような敵意というものを、光太は先生と呼ぶこの男から知ったのだ。
「おうおうせんせーよう。ごめんで済むなら警察いらねぇって社会なんだぜぇ……出すもんだしてくれや……」
「おう、飴玉をやろうな」
「ガキ扱いはともかくさぁ、胴着でちょっと暖かくなった感じのある飴玉渡すってもはや嫌がらせのりょーいきだってことは知っておいて欲しい」
「懐で温めておきました」
「誰がうつけだ」
くっくっくと、目を閉じて笑う。
始めは怖いと思った人だった。
数年前に引っ越してきたこの先生は、最初は誰かに何かを教えるようなことをしていなかった事を光太は知っている。
自分や、友達がやってみたいとせがんだことで教えてくれるようになったことを知っている。
子供は態度に敏感だ。
見た目が怖かろうが、この人が子供に優しい人だという事を光太は知っている。
見た目は目つき鋭く、がたいもよく、子供には初対面ではよく泣かれるか怖がられるかする外見の先生と呼ばれる男は、子供相手には本当に気を遣う事知っている。それが、知らない他人だろうと。
知り合いならばなおさら、その雰囲気を抑え、感情を抑え、怖がらないように、負担を書けないようにすることを自然にしていることを知っている。
だから、心配だった。
たまにするその嫌な目を、最近頻繁にすることが。
威圧的な雰囲気が――時折、もう抑えられないとばかりに噴出していることがある様子が。
こうして、和やかに話していても――いつまでたっても、どこかふとした瞬間消えてしまいそうな雰囲気が抜けないことも。
「ま――もうちょっと。もうちょっとだよ」
「大人のもうちょっとって長いよな。もうちょっとってなんだよ。10秒かよ。10秒にしろよ」
光太にとって、先生は友達なのだ。
歳が離れていようとも、友達だと思っているから。
それでも、光太には何をすることもできない。相手が大人であることも、不本意ながら光太はわかるから。子供に、そんな相談などできようがないこと。ましてやそれを漫画の主人公のように軽やかに解決する力などが自分にないことをも、光太はわかっているから。
せめてできるのは、それを不満に思っている様をみせて負担をかけるようなことをしないくらいだった。
「ここで私が登場した!」
「ぅぶぎびぃ」
「おお……潰れた豚のような声を」
ぐだぐだと道場で話していると、いつきたのか光太に妹がのしかかって光太を潰す。考えながら話していたせいか、油断からか、濁った音が出る。
いきなりすぎたか奇妙な悲鳴を上げる光太を不憫に思ったか、先生が妹から光太を苦笑しながら救出。『うごうご』唸りながら引きずりだされる。
「うぐぐ、見えていただろうに教えなかった罪を、こうして助けることで帳消しに使用とするんだ……大人は、汚い!」
「いや、そんな強い感情で非難する場面ではないだろうが」
「私知ってる! マッチでポンなプップクプーのやつだよこれは! おとなめ!」
「ボケてるのかそうでないのかわからんのだが。あと、大人は別に罵倒の言葉ではない」
「わかるわかる。マッチよりガスバーナーのほうが強そうだよな」
「せやな!」
話を聞かない兄妹の連係プレーに先生は酷く疲れたようにため息を吐く。
「お前ら2人そろうとフリーダムすぎるからな。俺の歳を考えてくれ」
「おいおい、せんせー、そんな『私何歳に見えますぅ?』女みたいなめんどせーこといいだすなよなー」
「私当てる! うーん……3歳!」
「そういう意図は込めてないし、それにしたって1ケタはおかしいからな……」
もう1つ、疲れたように溜息をつく。
「まー、3歳にしては老けすぎだよなー。実年齢にしてもだけどさぁ。もうちょっとコミカルになれない?」
「その白髪そめれ? 少しはましになるだろぅ……私のような女児にもうける……いやごみん、そりゃ無理じゃった……」
「急に外見いじりだすのもヤメロな。大人によっては怒られるからな」
「人は選ぶよ!」
「馬鹿にすんなよなー!」
「俺も怒る時は怒るぞ」
わざとらしく怒る演技を見せる様に、ギャースカいいながら逃げる。
しかし、その顔が穏やかなことに、どうしたって光太は安心を覚えてしまうのだった。
歳が離れていようが、自分が何もできなかろうが。
やっぱり、光太は近しい人は穏やかで、笑っていてほしいと願っているから。
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