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鬼の首8

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 ちり、と焦げ付くような嫌な予感がした。
 なんとも見逃せない予感に従って、ぐっと踏み込んで素早く近づく――瞬間、神田町がいる付近の足元が大きく崩れた。

「あっ――」
「神田町っ」

 馬鹿げた身体能力を久しぶりに総動員したが、全力を出す機会などそうなかったせいなのか安全に助けることは不可能だった。
 落下する。
 そう認識できた時点で手を掴み、引き寄せることは成功した――それだけでも十分異常だが――が、落下は防げない。
 俵を担ぐような体制で担いで、着地態勢に入る。
 上で驚きの声を上げているらしい声がよく聞こえた。
 スローモーションの中にいるような感覚の中、浮遊感。
 足元を見る。
 先にふった元床であった瓦礫等のものが影響がないか判断する。

「おっ……と……っとぉ」
「ぐふぅっ!」

 最小限のダメージで着地すれば、担いだ神田町から年頃の女が出すにはちょっとアレな声が漏れた。
 2人分の重さで着地した本人はといえば、ノーダメージである。余裕すら感じる。
 そっと地面に卸すと、ちょっと離れたところでうずくまった。予想以上に腹にダメージがあったらしい。
 なんとなく、きらきらとしたようなものと少し酸い臭気が漂ってきたような気がするが、さすがにそれを指摘するほど啓一郎も酷い奴にはなれそうになかった。

「おおい!」
「こっちは大丈夫だ。少し尊い犠牲は発生したが、2人とも何も問題はない。それより、危ないから覗き込もうとはするなよ」
「わかった!」
「こっちは大丈夫だから、降りるなら気を付けて、ゆっくりな。盛大に崩れたんだ、他も痛んでいる可能性がある」
「おー!」

 竹中の焦ったような声に返事をしてから、辺りを見回――そうと思ったところで、懐中電灯がないことに気が付く。
 神田町からも光が漏れていないことから、持っている様子はない。

(なくても結構見えるんだけど……夜目が効きすぎることがわかるとそれはそれでうるさそうだから嫌なんだが)

 足元がほとんど見えていたように、啓一郎自身はほとんど光がなくても大体何があるのか把握できる程度にはものをみることができる。
 父をして、鬼と評されたのは何も才能からだけでくるものではないということだ。
 溜息をつきながら部屋を見回す。

(運が悪い……というのは、落ちた時点でそうなんだけども。ここまでくると図られたようにすら思えるな)

 落ちた部屋の出入り口は、何か棚やら何やらを押し詰めたような状態になっている。

(どっかの同じように肝試しか何かをしにきた馬鹿がいたずらにやったかなにかか。あまりにも作為的過ぎる。自然でそうはならんだろう)
「懐中電灯はお互い失くしちゃいましたか」

 気分が戻ったか、どこかすっきりしたような声をした神田町がすぐそばまで来ていた。

「ん? 吐き終わった?」
「おいてめぇデリカシーどこに落としてきた」
「すまんな。水は手持ちに無いんでな。口をゆすぐのはもう少し我慢してくれ」
「続けるのやめてくださいよ。空気読んでください。女子ちからが死んでしまいます」
「女子て」
「お? 文句あるんか? お?」

 ポケットからティッシュを取り出して渡すと、割合素直に受け取って口を拭いだす。
 その紙をちょっとどうするか迷った挙句自らのポケットに入れた。その場に捨てる気にはなれなかったらしい。吐しゃ物は置き土産扱いなのかもしれない。

「さっきから浅井が憑依してるぞ。奴ほど言葉に迫力もないからかなり滑稽だなあ」
「いてまうぞぉ! ……いてまうってなんなんですかね? どこにいってしまうんですか?」
「暴力しちゃうぞ! の方言だろう? 使ったことがないからよくは知らないが」
「しちゃうぞ! っていうとちょっと可愛らしいですね。内容は全く可愛らしくありませんし、言っている人も可愛くないのが難点ですが」
「暴力しちゃうぞ」
「無表情で繰り返すのやめてください。近いと案外見えるんですからね! なんですか! 謝ればいいんですか! あやまりますよごめんなさいね! あと受け止めてもらってありがとうございます! でも、正直できれば横抱きとかが良かったです!」
「着地点が不安定すぎると手を使う可能性があったのと、地面がどうなってるかわからなかったから尖ったところ等に落としたりすることを考えると、選択時点である程度衝撃を与えることになっても落とす可能性が低い方を選んだんだ。すまんな」
「なんか申し訳なくなるからちゃんとしたっぽい理由いうのやめてくださいよ……」

 割れた壁から微量に差し込む程度の光があるだけでほとんど見えないはずなのだが、神田町も夜目が効く方らしい。
 夜目が効くも何も窓もないので見える方がおかしいほどの暗さなのだが、啓一郎は自分が見えているのでそこまで不自然には思わなかった。
 見える人間もいるだろう程度のものだ。

「……すみません。何か巻き込んじゃったみたいで」

 さて、どこから出ようかと考えていると、先ほどの勢いが嘘のように無くなった声がかけられた。
 啓一郎には神田町が何を言っているのかがよく理解できない。
 巻き込まれたも何も自分から勝手に手を出しただけだし、崩れたのは偶然だ。神田町は運の悪かった被害者でしかない。

「自意識過剰か? 実はお前が知らないうちに四股でも踏んだせいで地面が崩れたのか?」
「誰の体重がヘビー級ですか……じゃなくてですね、致命的に運が悪いんですよ、私」
「うーん」
「おもしろくないです」
「すまんな」

 何か重ための自分語りが始まりそうな予感がしたので茶化してみようとしたらしい。盛大に失敗してしまっていた。

「昔からそうなんです。私は、いるだけでよくないことばかり起きる」
「自意識過剰なのでは?」
「そうですね。そうだったらいいですね。でも、そうは思えないほどに不運が重なりすぎてきたんですよ。それでも付き合ってくれている友人がいなければ、強気でいてもどこかで折れてしまうか、性格がねじれ切ってしまっていたかもしれませんね」
「性格は手遅れなのでは?」
「おい」
「すまん」
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