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鬼の首20

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 神田町代子という人間は、生まれた時から特別だった。
 身体能力が高く、人の機嫌もよく察することができる。
 危険な人間を避けることだってできたし、してきたのだ。

 勘がいい。
 そういうことにしている。
 実際は、勘がいいというのは少し違う。
 いうなれば、それはテレパシーのようなものだ。
 勘というレベルではなく、伝わってくる。

 特に、害意に触れることが多かったからか、害意に対してよく受信するようになったアンテナ。
 何を思っているのか、害意の強さに応じてわかるのだ。
 弱ければ、思っていることくらい。
 強ければ、より正確に何をしようとしているのかというレベルまで。

 ただ、それを受信しなくすることはできない。
 わかることは、幸福だろうか。
 確かに、助けられてきたという事実がそこにはある。
 神田町自身、この力を持っていなかったらと思うとぞっとする場面は思い出すときりがない。
 助かっている。助かってはいるのだが、メリットばかりではない。

 人が悪意の生き物である。
 それをこれでもかと思い知らされてきたのだ。
 物心ついて初めてしったのは、親の利用しつくしてやろうという強い強い気持ちだった。
 より不幸なのは、その気持ちよりも、そこに愛情というものがかけらもなかったことだろうか。
 どれだけ笑顔であろうとも。
 どれだけ普段が優しそうでも。
 心の押し入れにひっそり見つからないように、へそくりのように隠されていようが、神田町はその害意を見つける。

 それは、その事実自体が毒でしかない。
 子供でなくとも当然そう。しかし、幼い子供にとっては特にそうだ。
 人なんて、信じられるものではないのだと。
 そう結論付けたとして、なんの不思議もなかった。
 神田町代子という人間にとって、自分が生きる世界とは、自分以外は敵しかいない世界だったのだ。
 容姿が優れ、覚えも悪くなかったことが、幸い側に作用しなかった。

 もし、それでも好意のほうが多くて。
 害意があってもそれより大きな愛で包む両親やそれに応じた存在がいたなら、もっと神田町の世界は救いを信じられるものだっただろう。
 しかし、そうはならなかった。元より、1番信用できる存在であってほしい、近しい存在がその害自体であり、信じられない人間の1号2号だったのだから。
 これがもし、もっと強い存在だったら逆にそういうものも遠ざけたかもしれないが、神田町の異才というのはそこまで強くなかったのだ。
 夜にちょうどいい明かりは、辺りが見やすくなって便利ではあるが、寄せたくない虫を引き付けてしまう。

 まるで誘蛾灯だった。
 とてもおいしそうで、誘われてしまうように。
 目を焼くほど強い明かりであったなら、孤独だけで済んだだろう。
 人は悪意だけの生き物ではない。
 そう感じることができたのは、引っ越しをして――またくだらない人間がよってくる前に、印象を粉砕するべくどこにでもあるいじめというやつを拳で止めた時だった。

 浅井、という少女は絶望した顔をしていた。
 やせっぽちで、自信がなさそうで、青白い。
 目が助けてくれとは言っているが、どうやら害意という害意が薄いということがわかり、それが意外だった。
 こちらを見る目が、どこかきらきらとしているように思えたから。
 だから、初めて神田町という人間はそこで自分以外の人間に、本当に久しぶりに戸惑ったのだ。

『感じるものがあった』

 そう。
 感じるものがあった。
 その目以外にも、何か引きつけられるような何かが。何かを。
 浅井という少女に、神田町は確かに感じていたのだ。
 神田町という人間にとって、どこか他人は格下に思えてしまう生物だった。
 その中で、まるで自分に近いみたく感じたのは、神田町には初めてだった。
 それが、ただの願望だったのか――悪意がほぼ感じ取れなかったからなのか。それともそれ以外の理由によるものなのかは、神田町にはわからない。

『友達になった』

 あまりにも、あけすけに、伝わってくるのが善意ばかりで。
 受信しにくい善意がわかるくらいに、毎回感じられるのは初めてのことで。

『その幼馴染も』

 浅井という少女には、幼馴染がいた。
 男だ。
 今まで、同性もそうだが、それ以上に異性というものには碌な害意を向けられていなく、反射的に強く当たってしまった。
 それでも、その竹中という男には害意というには小さすぎるものしか感じ取れなかった。

 おかしなことだった。
 竹中には、引きつけられるようなものは感じ取れなかったが、だからこそなのか、余計に戸惑った。
 それが傲慢とはまだ思わず、邪な思いや恐怖や気持ち悪さなどを覚えるのが当たり前のはずの群れの1部のはずなのにと。
 浅井とはまた違う、竹中には受け止められるような、でこぼこの感情をその形にあったパズルピースでハメてもらえるような気持ちにさせられる。

 戸惑い。戸惑い。
 戸惑い続けて、でも、害意ではないから切り離すこともできず。
 悪くない気持ちになった。

『心地よかった。初めての居場所だった。受け入れられた気持ちだった』

 ほっとできたのだ。
 今まで、ほっとできないままでいたことに気が付くことができたのだ。
 それは安らぎだった。同時に、恐怖でもある。
 恐怖。
 恐ろしいと思う気持ち。

『今まで手にしたものがないものだった』

 友人。
 そう呼んでいいと思った。呼びたいと思ったのだ。
 けれど、続け方は知らなかった。
 だから恐怖した。
 恐怖して、でもどうすればいいのかわからなくて。
 たまらなく不運がそんな気持ちに同調したか、運が悪くなって。

『ついでなんていって、同じく運が悪かったらしい浅井祥子の周りの物理的なもので解決できるものを解決していった』

 それは――ついでだっただろうか。
 あまりに、不器用なすり寄り。
 わかりやすいごますりなんて、嫌いだったはずだったのに。
 便利使いされるなんて御免だと思っていた。
 そういうものから、関係というものは崩れるのだと。
 頼りきりにならなければ解決できない人間など惰弱であるとさえ。

『ぎこちなく、2人の近くにいた』

 そう。
 そう思われるのが怖かった。
 それでも――2人が変わらずに、強く利用しようと思わない人間だったことは――きっと、神田町にとって生まれて初めて強く自覚できる幸運というやつだったのかもしれない。
 何をしても、失敗しても成功しても、巻き込んでも巻き込まれても。
 2人は基本的に何も変わらずに神田町という人間に接してくれる。

 そうか、始まりは助けた事だったかもしれないが、役に立つとか立たないとかでこの2人は自分を見ていないのか。
 ストンと気持ちが落ち着いたことを覚えている。
 そのままでいいと、何か理解できたから。
 少し息がしやすくなった。
 息切れするような気持ちで生きていたのだと気付くことができた。
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