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鬼の首28
しおりを挟む「そんなところでいいでしょう。いくら並べ立てても、今のあなたでは理解が及ばないところが多いでしょうし」
何にせよ、論よりも証拠でしょう。
その意思があるからここに来たと信じていますよ。
そういって、本上は竹中に向かって手を差し出してくる。
心の準備ができたらこの手を取れと。
(俺は、)
前に進まなければ。
取り返しがつかない予感が止まらないから。
前に進まなければ。
それがいくら怪しげに見えて、そう操作されていると、誘導されていると思われるような現実でも。
取り返しがつかなくても、そこに後悔がもうないように。
ぐっと力を入れて、すっと抜く。
ふぅと1息吐いてから――その差し出された手を掴んだ。
真っ暗闇の中。それでいて目が日の光を初めて目た時のようなまぶしさに痛んでいる。
遠くに、遠くに何かが見える。
見えるような気がする。正確にはわからない。
怖い何かがそこにいる気がする。
ひび割れ。
ひび割れている。
この場所はひび割れている。
それが、自分にはどうしようもない、致命的にどうしようもない、治しようのない傷であることが理解できる。何をどうこねくり回しても。
あれはダメだ。
ここが持たなくなってしまう。
あれが直接の原因になるのだろうか。
それとも、その向こうからこちら側を覗こうとしている無数の何かが原因になるのだろうか。
今はまだひび割れの隙間が小さくて入ってこれないし、支えられている。
少しずつ、見てわからない程度に進行しているのがわかってしまう。
このまま割れてしまったら。
そうでなくとも、これ以上ひび割れが進んでしまったら――まるごと、どうなってしまうのだろう。
その向こう側からいくつもの、何種類もの無数の何かが見ている。そもそも割れてしまえば、それらが入ってくるもこないも、がらがらとどこかに崩れ落ちてしまうかもしれない。
想像がつかない。何が起こるのかわからない。
ただ、ろくでもないことが起こることだけがわかる。
そこまで始まってしまえば、もうどうしようもなく突き進んでしまう事だけがわかる。
体が無い。
意思だけ漂っているが如き今、震えることもできないことがより恐ろしい。
何かを掴まなければならない。
逃げなければ。
逃げなければ、滅びてしまう。
1人残ることもなく。
死んでしまう。
人間が終わってしまう。
逃げることさえできない。このままでは。
どうにかできる?
どうにもできない。
自分ではどうにもできはしない。
どうにかできないか、何かできはしないか、生き残るためには――
ぐるぐると回る。
ぐるぐると思考だけが空回る。
動かす手足もないのにもがき続けて、ないはずの手が何かを掴んだ気がした。
「……大丈夫ですか?」
はっとした。
目の前には、竹中からはぼやけているが神妙な顔をしているらしいこちらをみる本上と蒲原。どちらもその顔は馬鹿にしたものではない。その顔は、見るに同調と共感だろうか。
短い間、確かに意識が飛んでしまっていたらしい。
蒲原から差し出されたタオルを訝し気に思えば、顔が濡れている気がしていた。
「深く見えてしまう性質だったようですね、気遣いが足りませんでした」
涙どころの話ではなかったようだ。
少しずつ冷静になってきたのか、竹中は己の顔から水分という水分が出てしまったような有様になっていることにようやく気付くことができた。
汗も、大量にかいている。
全身がびしょ濡れだった。漏らしていないのが奇跡かもしれないと、どこか他人を見るように思う。
息も切れている。
見たのは、幻覚でも白昼夢でもない。夢のように時間が過ぎれば記憶から消えてくれる類のそれではない。
鮮明に思い返すことができるし、少しでも考えれば勝手に鮮明に再生されもする。
また、どっと汗が噴き出たのがわかる。心臓がかつてないほどのスピードで血を送り出していくのがわかる。
竹中は、目が焼かれそうな気がして強くつぶってタオルを当てた。少しもほっとはしなかった。
あぁ――と、納得する。
具体的でも何でもない。
胡散臭い言葉でしかない。
きっと、他の誰かも疑いばかりで信じてくれないもののほうが多いだろう。
それでも。
それでも、行動せずにいられなかったのだと。
そうしなければ、動けなくなってしまうか狂ってしまいそうなのだと。
(あんなもの、確かに滅びというしかない。確かに、あれをどうにかしてくれる人がいるってんなら、それは誰でもいい。この恐怖の根源をどうにかしてくれるのなら、俺だって、いくらでも持ち上げるし差し出してやるって思ってしまう)
受け取ったタオルで拭けるところを拭きながら、息を整える。
ホラーが苦手な人間が古今東西様々なホラー的な何かが襲ってくるお化け屋敷を全力で駆け抜けてもこうまでならないだろう。
体感だが、この一瞬で竹中は気は重いのに反するように物理的には軽くなった――体重も減ってしまっているような気がする。
竹中自身勝手だとは思いながら、怒りのようなものが湧いてくる。
夢で誘惑してきたやつにも、ここでこんなものが見えると――こうまでなるのは予想外のようではあるが――通告せずに実行した本上達にも。
夢で誘惑してきたやつはもとよりそんな愉快犯じみたところがあるやつだから言っても仕方ないのだとわかっているし、本上達にすればやらなければいくら口で説明しようがうさん臭さの証明にしかならないということを知っているからだとわかっている。
わかっていても、ちょっと後悔もしたし怒りも湧くのは止められない。
久しぶりに、人間らしい人間をしているなと思ったが、こんなところで感じたくないというのも竹中の本音である。
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