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ファースト・シーズン

…単艦訓練…ナイトタイム…

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 食器を総て洗い終わり、水滴を切って拭き上げてバケットに入れ終わったぐらいの頃合いで、シエナ・ミュラーが巻きスカートのユニフォームに着替えて戻って来た。

「よく似合うよ、シエナ副長」

「ありがとうございます♡」

「僕は自室に居るから何かあったり、訊きたい事があったら呼んでくれ」

「分かりました。その時にはお世話になります」

「寛いで、落ち着いて、楽しんで進めてくれれば好いよ」

「はい、了解です♡」

「じゃあ、行っておいで。ああ、キスしたらルージュが取れるだろ? 後で好いよ」

「行って来ます♡」

 可愛らしく右手を挙げて自室から出て行く。

 私は手を拭いて、袖を元通りに戻してから、退室して自室に向かった。

 自室に入るとコンピューターに室内気温の5℃アップを命じ、服を脱いでベッドに入るとアラームタイマーを100分後にセットして毛布に包まった。

 アラームが鳴り響き始めて5秒で覚醒し、起き上がる。メッセージ・メモリをチェックしたが、何も無い。どうやら訓練は無事に推移したようだ。バスルームに入って熱いシャワーを浴びるが10分で出る。下着を替えてまた同じ服を着る。コンピューターに換気のレベルを上げさせると、『グレン・グラント』18年物のボトルを引っ張り出してデスクに置き、グラスと灰皿と煙草とライターを並べてから席に着く。グラスにワンフィンガーだけ注いでキャップを締め、1本を出して咥えてからクロノ・メーターを観る。あと1分でベッドに入ってから2時間が経過する。

 点けて喫い、蒸して燻らせながら半口を含む。相変らずの味わいだ。メッセージも問い合わせも無かったから、こちらから通話を繋ぐような事はしない。皆、上手くやってくれている。私の眼に狂いは無い。喫って蒸して燻らせながら、またもう一口を含む。旨い。ゆっくりとした、癒しの時を過ごす。それから3分で喫い終り、飲み干した。デスクの上を片付けて、顔を洗って歯を磨く。身嗜みをチェックしてから自室から出て、バーラウンジに向かう。

 大きな両開きのドアが開いて足を踏み入れると、ざっと観て既に30人ちょっとが思い思いにまとまって席に着き、飲んだり食べたりしている。今はもうナイトタイムだ。シフトメンバー以外は非番の時間帯だから、服装も自由に着熟している。私の姿を観て立ち上がる者もいたが、右手を挙げてそのままでと指示した。訓練が終って、貴重な寛ぎの時間だ。邪魔する気は毛頭ない。

 軽く見渡したが、副長はまだ来ていない。メイン・スタッフも来ていない。それぞれのチーフ・リーダーとして、日誌を書いているのだろう。自然に観えるような足取りで、カウンターに着く。

「いらっしゃいませ、アドル艦長。お疲れ様でした。初日から6隻を相手に無傷で戦い抜かれるとは。本当に驚きましたし、凄いと思いました。これで私もますます安心して、この艦に乗っていられます…」

 そう言いながら、カーステン・リントハート・マスターバーテンダーがお絞りを置いてくれる。

「いや、総てはクルーのお陰ですよ、チーフ。私がブリッジで何をどう喚き散らしたって、クルー全員の見事な働きが無ければ『ディファイアント』はもう沈んでいます…」

「本当に…ご謙遜ですね。さあ、口開けとしては何を?  」

「ジン・リッキーを頼みます。副長を待ってるんで、来たら席を移ります」

「分かりました。少しお待ちを」

 そう言うとチーフは、1mほど右に動いて準備を始める。私の右後ろ奥の客席から1人と、プレートに飲み物を数個置いて、客席のクルーに配って廻っていたサポート・クルーの1人が、私に向かって歩み寄って来る。

 ああ、コディ・ホーンにアーシア・アルジャントだ。2人とも『リアン・ビッシュ』のメンバーで、通常直に於いてコディはサポート・クルーの1人としてここを手伝っているし、アーシアはフィオナ・コアー指揮下の保安部員として配置に就いている。『リアン・ビッシュ』のリーダーでもあるアーシアが声を掛けて来た。

「…あの、艦長…お邪魔してすみません。サラとイリナがまだ医療部で配置に就いているので、私達2人だけですが…『ARIA』を流して下さって、ありがとうございます。ここでこんな形で私達の曲が流されるなんて思っていなかったので、初めは凄く驚いたんですが、凄く感激して感動してしまって、4人とも泣いていました。でも本当に嬉しかったです。ありがとうございました…」

 そう言って2人とも可愛らしく頭を下げる。2人とも22才だが、恐縮して観せられると子供っぽくて可愛い。

「どう致しまして(笑)君達の『ARIA』は以前から気に入っていた曲でね。初出航のシチュエーションでは、ゲームフィールドの全域に流してやろうと決めていたんだよ。好い名乗りになっただろ?  喜んで貰えて僕も嬉しいよ♡」

「…はい、お待ちどおさま。ジン・リッキーです。アドルさん、ミス・ホーンはね、両手で口を押えてポロポロ泣いていたんですよ(笑)」

「…マスター!💦言わないで下さいよ💦恥ずかしいじゃないですか💦!  」

「ゴメンゴメン。泣いていてもすごく可愛かったからさ♡」

「まあまあ、それだけ喜んで貰えて好かったよ。ああ、チーフ…今夜から明日一杯に掛けてで好いから、私の名前で皆に献杯して下さい。好みを訊いた上でね?  」

「畏まりました、アドル艦長…」

 そう応えるとチーフはカウンターから離れてバックへと退がり、2人とも戻って行った。ジン・リッキーを二口飲んでグラスを置き、出入口を見遣るとちょうどシエナ・ミュラーが入って来た。ライト・ピンクのノースリーブ・カクテルドレスを着こなしている(ノースリーブが好きなのかな?  )

「…!  お待たせしました。カウンターですか?  」

「いや、移ろう」

 そう言ってグラスを持ち、スツールから降りて立つ。

「あそこにしよう」

 そう言ってシエナの左手を右手で持ち、それ程離れていない席にエスコートする。

「ありがとうございます」

グラスを置いて彼女の対面に座る。

「日誌を書いていたの?  」

「はい、ちょっと前に終わったので着換えて来ました」

「すごく綺麗だよ、シエナ副長♡」

「ありがとうございます♡」

 シエナがそう応えた処で、さっき話したコディ・ホーンが歩み寄って来る。注文を取りに来たのだろう。

「いらっしゃいませ、アドル艦長、シエナ副長。お疲れ様でした。『ディファイアント』を無傷で守って下さってありがとうございました。何をお持ちしましょう?  」

「僕はこれを飲み終わったら、『マッカラン』の18年物をツーフィンガー、ロックで…」

「私は、ピーチ・ツリー・フィズを。ねえコディ、大丈夫?  最初に『ARIA』が流れたけど、泣いたでしょ?  」

「今は大丈夫です、シエナ副長。心配して下さって、ありがとうございます。確かに4人ともびっくりしちゃって、感動して泣いてしまいましたけれども、嬉しかったんです。ですから今は大丈夫です。ありがとうございました」

「そう…4人とも大丈夫なら、好いんだけどね…アドル艦長はよく、女の娘を感動させて泣かせるから…」

「…本当にそうですね♡それでは少しお待ち下さい」

そう応えて退がって行った。

「…副長💦知らない人が聴いたら、誤解を招くような表現は慎んで貰えるかな💦(笑)」

「はい♡分かりました。申し訳ありません(笑)」

「…うん…訓練はどうだったかな?  どこまで進んだ?  」

「はい、chapter 8迄をそれぞれ反復して終わらせようと思って始めましたが、結局chapter6を反復した処で終わりました」

「そう…分かった。ご苦労さん。それぞれ反復して、時間短縮はできた?  」

「出来ました…僅かですが…」

「僅かでも好いよ、貴重な成果だ。各セクションからのレポートは挙がった?  」

「はい、2時間以内には全セクションから挙がります」

「うん、それで好いよ。ご苦労様。本当によくやってくれた。君にとって副長の職務はどうだい?  」

「まだ初日なので軽口は叩けませんし何とも言えない部分も多々ありますが、マニュアルを読み込んで確認しつつ注意深く観察しながらでしたら、何とかやっていけるのではないかと思いました」

「うん、それで好いと思うよ。慌てないで注意深くやってくれれば好い。それならポカミスも無いからね。好いよ。よくやってくれたよ。それじゃ、シエナ副長の慰労会だ。乾杯しよう…」

 話の途中で届けられたピーチ・ツリー・フィズを掲げて貰い、ジン・リッキーのグラスと触れ合わせた。

「訓練の成功と副長の成長を祝って…乾杯!  」

「乾杯!  」

 副長は一息で3分の1は飲んだ。これはそれ程アルコール度数の高くないカクテルだからな。

「…美味しい…喉も渇いていましたので…すみません」

「好いよ、そのぐらい…何か食べるかい?  」

「いいえ、お腹はもう一杯ですので…」

「そうか…それじゃあ、僕は…」

 そう言うとジン・リッキーを飲み干してグラスを置き、カウンターに向けて指を鳴らした。すると今度は、ララ・ハリスがトレイにボトルとウィスキーグラスを乗せてやって来た。彼女もサポート・クルーの内の1人だが『ミーアス・クロス』のメンバーでもある。『ミーアス・クロス』は4人とも21才で、この艦内では最年少だ。はち切れそうな若さが眩しくてとても瑞々しい娘達だ。

「いらっしゃいませ、アドル艦長、シエナ副長、お疲れ様でした。『ディファイアント』を無傷で守って下さって、本当にありがとうございました。今度は私達『ミーアス・クロス』の曲も流して下さい。宜しくお願いします。ご注文は、こちらでよろしかったでしょうか?  」

 そう言ってボトルとグラスをテーブルに置いて、飲み干したカクテルグラスをトレイに乗せた。

「…ああ、それで好いよ。ララ、『ミーアス・クロス』の曲も、どこかで必ず流すと約束しよう。楽しみにしていてくれ」

「うわあ、本当ですか?  アドル艦長!  ありがとうございます!  嬉しいです…」

 おや?  何だかもう泣きそうになっているのかな?  

「…そうだな…そうだ!  『モーニング・アドベンチャー』!  これを明日の朝に流そう。それで明日の夜の入港直前に『マイン・キャプテン』を流す。それでどうだい?  」

 ララはもう右手でトレイを持ち、左手で口を押えて眼を瞠っている。

「…あ、あの…ありがとうございます…嬉しいです。直ぐに…皆に報せます…!  」

「ああ!  楽しみにしていてくれ!  」

 私がそう応えると、彼女は口を押えたまま、ピョコッと頭を下げて退がって行った。

「…まったく、よく思い付きますね、アドルさん…」

 少し呆れたような体でそう言うと、シエナはピーチ・ツリー・フィズをまた二口飲んだ。

「女の子の喜びそうな事を考えるのが好きだし、得意なんだよ。副長…君だって、もう判っているだろ?  」

 そう言いながら私は『マッカラン』のボトルキャップを開けて、既に大きい氷がひとつ入れられているグラスに、ツーフィンガー(ダブル)で注いだ。

「ええ、充分に判っているつもりでしたけれどもね(苦笑)」

「それじゃ、改めて乾杯だ。初日の夜に…」

「初日の夜に…」

 グラスを触れ合わせて口を付ける。シエナはこの一口で飲み干したので、私は近くを通り掛かったもう1人のサポート・クルー、マルト・ケラーを呼び止め、私と同じ氷の入ったグラスを頼んだ。

「…それじゃこの後は、また君の部屋で打ち合わせかな?  」

「…そう…ですね…よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく頼むよ。それにしても、他のスタッフは来ていないのか?  」

「来てますよ。ハンナもハルもエマもリーアもパティもカリーナもマレットも来てます。皆、私達に気を遣って顔を見せないようにしているだけです…」

「何だよ…飲むくらい一緒に呑めば好いのにな…」

「パーティじゃありませんからね」

 それを聴きながら届けられた氷入りのグラスにダブルでマッカランを注いで、シエナの前に置く。

「それじゃ、また改めて」

「はい」

「乾杯」

「乾杯」

「そうか。パーティーか…初出航記念だし、勝ったんだからパーティーぐらいやっても好いよな…」

「そうですね…」

「明日は無理だろうけど、来週のどこかでやれたらやりたいよな?  来週のどこかの平日の夜に集まって相談しよう?  」

「分かりました。皆に伝えて置きます」

「頼むよ。それで…こいつの味はどうだい?  」

「美味しいですね。好きな味です…」

「好かった…気に入って貰えたのなら、好かったよ」

 そう言って、香りを楽しんでからまた一口含み、口腔の中での味わいを楽しみ、飲み、咽喉越しでの味わいも楽しむ。

「ここでは煙草が喫えないのが残念だな。まあ別に好いけど…。僕がリストから選び抜いた君達と出会って、80何日かになる…君達と一緒に出航出来たのが本当に嬉しい…でも飲み過ぎには注意しないとな。僕が選ばれた事も、僕が君達を選んだ事も、絶対に外には洩らせない秘密だったから、君達との顔合わせや打ち合わせや読み合わせや様々な準備は、土日と平日の夜に人目を忍んでやるしか無かった…だから、僕と同じ艦長が他に19人いる筈だけど、どこの誰なのかまだ知らない。いずれどこかで出遭うだろうけどね。まあその前に、配信が始まれば全部判るし、全部外に知られる事になる。別に何も怖くはないが、かなり煩く騒がれるだろうなってのが煩わしい。面倒だろうなってのはそれだけだ。それは君達も同じだろうとは思うけどね。今迄誰にも報せられなかったのは、辛かっただろう?  気苦労を掛けたね…済まなかった…」

「いいえ、アドルさん…そんなに辛いなんて思いませんでしたよ。皆もそうだったと思います。だって私達は皆、仲間ですから…この80日間は楽しかった思い出の方が多いです。アドルさんの方が辛かったのでは?  家族にも、お友達にも、会社の人にも言えないで、黙って動いていましたからね?  」

「ああ、うん…確かに…辛いと言うか、もどかしかったな。でも配信が始まれば、またガラッと変わる。そっちの方が、不安とまでは言わないが気掛りではあるな。だがまあ、気に病んでも仕方ない。なるようにしかならないだろう」

「…そうですね…」

「何だか君にこれだけ話せて気持ちが軽くなったよ。酔いが回ったって言うだけじゃない。やっぱり、人に話をするって言うのは精神的に好いね。ハンナにも色々と話すよ。カウンセラーだからね」

「それが好いですわね」

 私もシエナも、残っていて氷が融けて薄められたマッカランのモルトを飲み干し、グラスを置いた。

「それじゃ、そろそろ場所を変えて打合せしようか?  」

「はい、分かりました」

 それで2人は立ち上がり、私はボトルを左脇に抱えて、2人して連れ立ってバーラウンジを後にした。
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