A Brave-man's Crown -伝説の勇者の息子-

ビタミンZ

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第零章 プロローグ

伝説の勇者の息子

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警察署にファイルを戻し、先程まで二人がいる場所に向かうクロエは、誰もいない路地を走っていた。

ファイルを返却してから今に至るまで、誰にも見付からなかったのは幸いだったが、しかしクロエの胸中は穏やかではなかった。

そして、事件が起こったことに対して心当たりがあるかというヨエルの問い掛けに対し、言い掛けた言葉の先が脳裏に蘇っている。


事件の心当たりならある。

それは確かなものではないし、証拠も何もない。

でも、事件が起こり始めた時と、事件を捜査していく中で、どうしても浮かび上がるもの。

ずっといなかったのに、事件が起こり始めたぐらいの時に急に再会した人物。

疑いたくなかった。

だけは、そんなことをする人ではなかったし、何よりもにそんなことができるとは思えない。

だけど、が現れてから事件が起きるようになったのは事実だし、捜査線上にの名前が挙がったのも事実。

そして、を見た時から、何か違和感があったのも…、私が知らない、私の知らない人物のような感覚があったのも事実。

それを確かめる為に、今私はこうしている。

でも、もしも本当だったら…。

もしも事実だったら…。

私は…。


そう思いながら走っているうちに、そろそろ別れた場所まで近付いていたことにクロエは気付く。

全力で走っていたことで疲労も溜まってきており、息も絶え絶えになりながら動かしていた足の速度を緩めた。


「…あれ?」


二人と別れたのはこの辺だったはず、と思いながら、クロエは周囲を見渡す。

しかし、人影一つすらそこにはなく、ただ静けさに包まれた路地が広がるばかりだった。

こんなに急いで走ってきたというのに、どうして男は約束したことも守れないのかとクロエは内心呆れた。

すると、ふわりと一陣の風が吹き、それによって地面に落ちていた葉や砂埃が舞う。

それと同時に、飛ばされた何かがクロエの頬に張り付き、彼女は慌ててそれを摘まんで目元まで運んだ。

暗くてよく見えなかったが、目を凝らして見てみると、それは黒い布の小さな切れ端であった。


「…?これ…」


布を摘まむクロエの指先には、ひやりとした感触と纏わりつく感覚があり、濡れているように感じた。

しかし、薄っすらと見える指先には跡が付いており、光が灯る場所まで指を掲げて見直してみるが、それを見たクロエは大きく目を見開いた。


「血…?」


黒い布である為、細かくまでは分からないが、恐らく布全体が血で染まっている。

頬に触れても同様で、全身が一気に鳥肌が立ったクロエは、慌ててその布を振り落とした。


「な、何なの!?」


血で染まった布が、何故こんな場所にあるのか。

しかも、冷たくなっているとはいえ、頬や指に血が付着したことから、布が血に染まってからそこまで時間は経過していない。

そう考えた時、身の危険を察したクロエは、ホルスターから拳銃を抜き取ってそれを構え、周囲を見回した。

地面には僅かだが血痕が点々と残っており、目線だけを動かしてそれを辿ると、血痕は路地裏の方へと道標のように続いていた。

まるで何かに襲われ、何かから逃げ出したのか、しかし耳を澄ませても何も聞こえず、目を凝らしても何も見えはしない。

しかし、このままいるわけにはいかないと意を決したクロエは、拳銃を構えたままゆっくりと足を路地裏の方へと進める。


「……………」


見えない恐怖に心拍数が上がり、ドクン、ドクンと心臓が高鳴る音だけが煩く耳の中を刺激する。

未だ体験したことがない恐怖に圧し潰されそうになりながらも、クロエは一歩ずつ確実に路地裏へと足を動かしていった。

あと一歩踏み出せば路地裏へと行ける距離まで進んだクロエは、最後に周囲を確認するが、やはり路地には何の気配もない。

ここに行けば何かがあり、何かがいる。

このままここにいても埒が明かないと悟ったクロエは、素早く路地裏の入り口に立ちはだかって拳銃を暗闇に向けた。


「…!?」


身構えるクロエは、路地裏の中で座り込む人影の存在に気付く。

改めて耳を澄ましてみると、小さく絞り出す呻き声が聞こえた。

クロエは右手で拳銃を構えたまま、すかさず左手をポケットに突っ込み、ハンディライトを取り出してそのスイッチを押す。

眩いライトの光は、建物の壁に背を預け、息を切らしながら座り込むフランツの姿を捉えた。


「フランツ!?」


クロエは慌てて拳銃を下ろし、変わり果てたフランツの名を呼ぶ。


「ク…、クロ…エ…」


激痛が全身を襲っているのか、フランツはクロエの名前を呼ぶことすらままならず、苦悶の表情を浮かべて肩で息を切らしていた。

壁にはフランツのものであろう血が付着しており、何が起きているのか分からないクロエは動揺することしかできなかった。

時間にしてそこまで経っていないにもかかわらず、自分がこの場を離れた間に何があったのだろうか。


「大丈夫!?」


クロエは駆け寄ろうとするが、突如として彼女の左手が何かに掴まれる。

ふと背後を振り返ると、そこには今まで姿を見せなかったヨエルが立っており、クロエの左手を掴んでいる張本人でもあった。

クロエとそこまで変わらない背丈であるというのに、一歩も動かずに制止するヨエルの力は凄まじく、何度彼女が力を入れてもビクともしなかった。


「ヨエル君!?は、放してよ!!」


「行くのはやめとけ」


離すことを求めるクロエに対し、ヨエルは今までの彼からは聞いたことがない、低く冷酷な声で言い放つ。

その目つきも鋭く、取調室で見せた姿とはまるで別人のようなヨエルに一度は怯むが、対するクロエも負けるわけにはいかなかった。


「な、何を言って…!!」


「あんたが死にたいっていうなら、話は別だけどな」


ヨエルはクロエの左手からハンディライトを奪い取り、見やすいようにフランツの身体を光で照らした。

そう言われたクロエは、混乱しながらも傷を負ったフランツをもう一度見てみる。

傷を負っており、息も絶え絶えになったその姿は危険であり、早く手当をしなければならないことが嫌でも分かった。


「そこのお前も、いい加減胡散臭え三文芝居はやめたらどうだよ?」


動揺するクロエとは違い、ヨエルはただ静かに路地裏で座り込むフランツに言い放つ。

こんな状態でいることが芝居などと思えるはずがなく、ますます頭の整理が追い付かなくなったクロエは、どちらを信じれば良いのか分からなかった。


「た…、助け…てくれ…、クロエ…」


残る力を振り絞るかのように、震える手を差し伸べるフランツだったが、ヨエルが照らすハンディライトの光に照らされた手は、全くの無傷だった。

さらに、それは身体の前面も同様であり、出血をしているのは背面であったのだが、よくよく観察してみると、その傷口と思しき箇所は裂けているように感じられる。

は、人の手でできるそれでは明らかにない。

それどころか、そのような傷であるにもかかわらず、内臓や骨が露出した様子は確認できないことが、ただならぬ違和感を抱かせた。


「…っ!?」


まるで普通の人体ではないように感じたクロエは、思わず前のめりになっていた上半身を引き付け、ヨエルの胸にもたれ掛かる。

悲鳴を上げようにも声が出なかったが、それでもヨエルに何かを言おうと、まるで陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと動かしていた。


「気付いたみたいだな。しっかり状況把握と分析ができるじゃねえか」


「な…ん…!?あれ…!?」


クロエが近寄ってこないことに絶望したフランツは腕を地面に落とし、まるで糸が切れた人形のように項垂れる。

その直後、両肩をぶるぶると震わせ、喉を鳴らして低く笑い始めた。


「…くっくっく…。食べ損なって残念だ…」


その姿も、声も間違いなくフランツだが、目の前にいるのは明らかにフランツではなかった。

フランツの姿をした、フランツでないもの。

そう形容するのが正しく、得体の知れない不気味な存在は、不気味な言葉を次々と並べる。


「今日は二人も食べれると思っていたのに…。簡単に食べれると思ってたのに…。久しぶりの御馳走だと楽しみにしてたのに…。本当に残念だよ…」


「何を…言ってるの…?誰なの、あなたは…?」


目の前にいるのがフランツではないことは、否が応でも理解できた。

しかし、であるならば、フランツの姿をした何者なのか。


「嫌だなぁ…。そんなつまらないことを聞くなよ、クロエ…。僕はフランツだよ…」


フランツは痛がる様子を見せず、何事もなかったかのようにゆらりと立ち上がる。

ヨエルが言った通り、今までの言葉も仕草も、その全てが演技であり噓であった。

そもそも、フランツは最初から襲うのを狙っていたということも意味しており、クロエは頑なにそれを、目の前にいるのがフランツだということを拒もうとする。


「違う…。違う!!フランツは…、私の知ってるフランツは、そんなことを言う人じゃない!!」


「知ってる…?君は僕の何を知ってるというんだ?」


「っ…!!」


無情で冷酷なフランツの言葉は、彼を信じようとしていたクロエの中で、堪えていたものを呆気なく崩し落とす。

絶望に打ちひしがれるクロエとは真逆に、そんな彼女を見るフランツは愉しそうに身を捩らせて笑った。


「ははははは!!良いじゃないか、素敵じゃないか、その顔…!!もっともっと、その綺麗な顔を引き攣らせてくれよ!!その顔が、感情が、何よりものスパイスになるんだから!!」


追い打ちを掛け、クロエを追い詰めることのみを考え、そして食べるということしか頭にないフランツの目は血走り、言葉を吐く口元は涎が滴っている。

最早フランツの形相も言葉も、人間のそれらではなかった。

何も言えずに崩れ落ちるクロエと、両手を広げながら距離を詰めるフランツは対極的であり、それは奇しくも絶望と希望の構図でもあった。

だが、そんな二人の間に、今まで沈黙を保っていたヨエルが立ちはだる。

本来であれば、二人とは無関係で巻き込まれた形になるヨエルだったが、その姿はクロエを庇い、護るかのようで、絶望に打ちひしがれるクロエにとっては一筋の光にも感じられた。


「面白いことを言うじゃねえかよ。なら、俺がお前の顔を引き攣らせてやろうか?」


不敵な笑みを浮かべるヨエルを見たフランツは、今まで見せていた表情を一変させ、ギリッと歯を食いしばらせる。

苛立ちのような、怒りのような表情であるが、ヨエルは臆することも怯むことなく、表情を変えることはない。


「お前…、そうだ…、お前がいなければ、邪魔しなければ、もっと簡単に…!!お前のそのヘラヘラした顔も…、何よりお前という存在が…気に食わないな…!!」


「おお、いいねえ!早速引き攣ってきたんじゃないの?」


こんな状況でありながら、ヨエルは余裕綽々に笑いながらフランツを煽る。

挑発されたフランツは、額に青筋を浮かばせ、動かしていた足を速めた。

同時に、露出していたフランツの両腕は奇妙な動きをし始め、ゴキゴキと骨が歪む音を鳴らし出す。

そして肘から血が噴き出ると、そこから鋭利に変形した骨が露出し、また爪は肉食動物のように鋭く尖った。

クロエがそれを確認できた瞬間、フランツは目にも止まらぬ速さでその場から姿を消し、直後にヨエルのマントが靡き、ガキンと高い音が周囲に木霊する。

靡くマントの隙間から見えたのは、変形した両腕で襲い掛かるフランツと、ベルトが幾重にも巻かれた鞘で防御するヨエルであり、何が起きたのか捉えることができなかったクロエは、ただ口を開けてその光景を眺めるしかできなかった。

異形の姿になり、また人間離れした速さのフランツも異常だが、それを一歩も動かず難なく捉え、驚異的な反射神経と運動神経で防いだヨエルもまた異常である。

ヨエルがここまで余裕を見せるのも、最初に見た時から異様な感覚を与えたのも、強いと言い切れる自信があるのも、全ては異常な強さを持つ者が相手でも渡り合えるからこそであった。


「お前…!!何なんだ、お前は…!!ガキの癖に、どうしてこんなことができる!?」


「できることはできるんだから、仕方ないだろ。それよりも、また顔が歪んできたんじゃないのか?」


両手の爪を突き立てて押そうとするフランツに対し、ヨエルも鞘で受け止めて押し返そうとする二人の力は拮抗し、ギリギリと鈍い音だけが聞こえる。

だが、歯を剥き出して必死の形相をするフランツとは裏腹に、ヨエルは左手のみで剣を握っており、またその表情は何も変わっておらず、再び煽ることができる程に余裕だった。


「このガキが…!!そんな奴が、何故俺の邪魔をする…!!どこまで俺の邪魔をすれば気が済む!?」


「この姉ちゃんには、飯代を立て替えてもらった義理があるんでね。何より、お前みたいなをのさばらせる訳にはいかないんだよ」


魔人という聞き慣れない言葉を口にした後、ヨエルはすかさず身を捩らせてフランツの顔に回し蹴りを繰り出す。

ヨエルのブーツとフランツの顎の骨がぶつかる音が鳴り響き、そのままフランツの身体は路地裏へと吹っ飛ばされた。

それによって、路地裏に置かれていたゴミ置き場の籠や小物はガラガラと派手に崩れ落ち、路地裏に溜まっていた砂や埃が宙に舞って砂煙が立ち込める。


「…魔人を知っているだと…!?貴様、何故魔人を知っている…!!何者だ、貴様は…!!」


路地裏の闇の中で、獲物を捉える双眼を光らせながら、フランツは恨めしそうに問い掛ける。

魔人ということを知っているというのは、それが何なのかクロエも分からないが、しかし当の魔人であるフランツにとっても珍しいようで、恐らく彼にとっても初めて出会う存在なのだろう。

怒りと僅かに抱いた恐れのような感情を含ませた震え声に対し、ヨエルは強くはっきりと答えた。


「もう一度俺の名前を言ってやる。俺はヨエル・アニムス…。伝説の勇者レガリア・アニムスの息子だ」




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