75 / 91
第二章
28. 想い
しおりを挟む
意を決して扉をくぐれば、本の香りに包まれる。
胸いっぱいにその香りを吸い込めば、少し心が落ち着いた気がした。
心地よさにほっと息をつきながら、本棚の間を適当に練り歩く。
けれど、やっぱり辿り着いてしまうのはBL漫画のコーナーだった。
「いやいや! この前買った漫画の続きが読みたいだけだし……? あ、これ早川さんが気になるって言ってた新刊だ……じゃなくて! 俺が欲しいだけだし……!」
空元気に自分で突っ込んでみても、どうしようもなく自分の行動が馬鹿らしい。
頭の片隅でチラつくヘーゼル色を掻き消す。
いつまでもうだうだと棚の前で悶絶している間に、奇遇にも以前BL漫画を紹介してくれた店員さんに再開した。
そしてなぜか勢いのまま、再びオススメを聞く流れになってしまった。
「これ読みました? 最高におすすめです」
「じゃあ買ってみようかな。前にお薦めしてもらったのもめっちゃ面白かったっす!」
そう答えると、店員の女の子は照れたように頬をかいたあと言った。
「あ、好きな作家さんとかいます?」
「それはもちろん、早川ゆう……っ」
思わず自分の口を手で抑える。
しかし、彼女には伝わってしまったようだった。
「あ! 早川悠介ですよね!? 新連載でBL初挑戦するって話題になってる!」
その言葉に、頭が真っ白になる。
「今月の月刊誌で次号から連載が始まるって予告が載ってたから、今までの作品も売れ行きが良くって。ちょうど、昨日特設コーナー作ったんですよ」
ほら……と連れてこられたコーナーでは、彼の今までの作品がズラリと並んでいた。
その一番端に、懐かしい作品を見つけて一冊手に取る。
「あ、そのデビュー作も少し前にコミカライズ化されたんですよ。名前が違うから、私は知らなかったんですけど」
「……うん。俺も、知らない」
何も知らない。
その言葉は、俺の胸にストンと落ちた。
何も知らされてない。
何も教えてもらえない。
彼の素性も、……仕事のことすら。
俺はその本を手にしたまま、ただ立ちすくむことしかできなかった。
隣接されたブックカフェの窓際の席に、一人座る。
手元には、先程読み終えたばかりのデビュー作のコミックがあった。
最後のページで、手が止まる。
そこには拙いデビュー作を読んでくれた読者へのお礼が直筆で書いてあった。
その中の一文を、もう一度読み返す。
【このペンネームは、自分と大切なパートナーの本名を合わせただけの安直なものです。でも、とても思い入れのある名前なので、そのまま使わせてもらいました。】
そっと本を閉じて、表紙を見る。
そこにはー……、
「芦川 悠月」
小さくその名を呟けば、視界の端でもう一度着信を告げる音鳴り響く。
とうとう観念して、俺は通話ボタンをタップした。
『ごめん』
耳元に聞こえたのは、いつもの彼の声だった。
「ごめんって、何に対する謝罪?」
俺の口から飛び出したのは、そんな台詞だった。電話の向こうの戸惑うような沈黙に、尚更胸が傷みだす。
けれど、俺は止まれなかった。
「そもそも昨日の祭りで、俺をおいて帰ってこなかったのは早川さんだろ?」
『……っ、そうだね。でも……』
「俺は、もう早川さんがわからない」
『どうしてっ、昨日のことなら謝るから! だから……』
「俺が変なのは祥吾のせい? ふざけんなよ。変なのはアンタだろ。なんで……」
違う。
こんな聞き方をしたかった訳じゃない。
「なんで……っ!」
理性はそう叫ぶのに、ずっと、胸の奥にあった想いが溢れるのを抑えられない。
「なんでっ……、俺のこと"好き"って言ってくれねぇの…………?」
電話の向こうで息を呑む音がした。
「嫌い、もう……、嫌いだ。早川さんも、煙草も、みんな……」
引き止めるような声が聞こえたが、返事なんてせずに通話を切る。
そのまま、電源も落とした。
購入した漫画を紙袋へ乱暴に戻し、その名前から視線を逸らした。
「芦川……芦川……」
何度も、何度も、その名の咀嚼を繰り返しながら零れたのはー…………
「芦名と、早川……」
大粒の涙と、後悔と、
たった一つの真実だった。
胸いっぱいにその香りを吸い込めば、少し心が落ち着いた気がした。
心地よさにほっと息をつきながら、本棚の間を適当に練り歩く。
けれど、やっぱり辿り着いてしまうのはBL漫画のコーナーだった。
「いやいや! この前買った漫画の続きが読みたいだけだし……? あ、これ早川さんが気になるって言ってた新刊だ……じゃなくて! 俺が欲しいだけだし……!」
空元気に自分で突っ込んでみても、どうしようもなく自分の行動が馬鹿らしい。
頭の片隅でチラつくヘーゼル色を掻き消す。
いつまでもうだうだと棚の前で悶絶している間に、奇遇にも以前BL漫画を紹介してくれた店員さんに再開した。
そしてなぜか勢いのまま、再びオススメを聞く流れになってしまった。
「これ読みました? 最高におすすめです」
「じゃあ買ってみようかな。前にお薦めしてもらったのもめっちゃ面白かったっす!」
そう答えると、店員の女の子は照れたように頬をかいたあと言った。
「あ、好きな作家さんとかいます?」
「それはもちろん、早川ゆう……っ」
思わず自分の口を手で抑える。
しかし、彼女には伝わってしまったようだった。
「あ! 早川悠介ですよね!? 新連載でBL初挑戦するって話題になってる!」
その言葉に、頭が真っ白になる。
「今月の月刊誌で次号から連載が始まるって予告が載ってたから、今までの作品も売れ行きが良くって。ちょうど、昨日特設コーナー作ったんですよ」
ほら……と連れてこられたコーナーでは、彼の今までの作品がズラリと並んでいた。
その一番端に、懐かしい作品を見つけて一冊手に取る。
「あ、そのデビュー作も少し前にコミカライズ化されたんですよ。名前が違うから、私は知らなかったんですけど」
「……うん。俺も、知らない」
何も知らない。
その言葉は、俺の胸にストンと落ちた。
何も知らされてない。
何も教えてもらえない。
彼の素性も、……仕事のことすら。
俺はその本を手にしたまま、ただ立ちすくむことしかできなかった。
隣接されたブックカフェの窓際の席に、一人座る。
手元には、先程読み終えたばかりのデビュー作のコミックがあった。
最後のページで、手が止まる。
そこには拙いデビュー作を読んでくれた読者へのお礼が直筆で書いてあった。
その中の一文を、もう一度読み返す。
【このペンネームは、自分と大切なパートナーの本名を合わせただけの安直なものです。でも、とても思い入れのある名前なので、そのまま使わせてもらいました。】
そっと本を閉じて、表紙を見る。
そこにはー……、
「芦川 悠月」
小さくその名を呟けば、視界の端でもう一度着信を告げる音鳴り響く。
とうとう観念して、俺は通話ボタンをタップした。
『ごめん』
耳元に聞こえたのは、いつもの彼の声だった。
「ごめんって、何に対する謝罪?」
俺の口から飛び出したのは、そんな台詞だった。電話の向こうの戸惑うような沈黙に、尚更胸が傷みだす。
けれど、俺は止まれなかった。
「そもそも昨日の祭りで、俺をおいて帰ってこなかったのは早川さんだろ?」
『……っ、そうだね。でも……』
「俺は、もう早川さんがわからない」
『どうしてっ、昨日のことなら謝るから! だから……』
「俺が変なのは祥吾のせい? ふざけんなよ。変なのはアンタだろ。なんで……」
違う。
こんな聞き方をしたかった訳じゃない。
「なんで……っ!」
理性はそう叫ぶのに、ずっと、胸の奥にあった想いが溢れるのを抑えられない。
「なんでっ……、俺のこと"好き"って言ってくれねぇの…………?」
電話の向こうで息を呑む音がした。
「嫌い、もう……、嫌いだ。早川さんも、煙草も、みんな……」
引き止めるような声が聞こえたが、返事なんてせずに通話を切る。
そのまま、電源も落とした。
購入した漫画を紙袋へ乱暴に戻し、その名前から視線を逸らした。
「芦川……芦川……」
何度も、何度も、その名の咀嚼を繰り返しながら零れたのはー…………
「芦名と、早川……」
大粒の涙と、後悔と、
たった一つの真実だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
40
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる