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嫌われオメガ1
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……────。
──連絡先まで、もらっちゃった。
帰るときの足取りは驚くくらい軽い。地面から数センチ浮いているような気分で、立花はいつもの仕事場へ向かう。迷うといけないし、予定の変更があれば知らせるから、と言われて2人の連絡先と自分のものを交換したのだ。重さは何ら変わりないけれど、大切なものが入ったスマートフォンを愛しそうに上着のポケットの中で撫でた。
始業までどこかで時間を潰す宛てもないので、早いとは思いつつカフェの裏手のドアへ入る。タイムカードを押さないで、休憩室にいさせてもらおうと考えながら、奥の扉に手をかけようとしたときだった。
「包海さんって今日から出勤だったっけ」
「あ、うん。そうだったと思う。包海さん、ちょっと今月休み過ぎよねぇ」
「ある程度はしょうがないとは思うんだけど、ねぇ」
言い合った後に、くすくすと笑う声が扉越しに聞こえた。どっと心臓が早鐘を打って、意識はせずとも呼吸は浅くなる。まだ間に合う。すぐにでも立ち去って聞かなかったことにすればいい。頭の中では冷静に懸命な判断が出来ているのに、足は地に縛られているみたいに動かない。
「この前長期で休暇取ったときだって、真白君が必死に頭下げて謝ってたのに。包海さん冷たいんじゃないかしら」
「あー、分かる。仕事は出来るけど、愛想がないっていうか。あれはちょっとかわいそうだったわ」
──相当嫌われてるな。
二葉との扱いに差をつけられていたことは、散々目にして分かっていたはずなのに、それを実際に口にされると心は臆病になってしまう。あのときだって二葉には充分気を遣っていたつもりだった。言葉足らずでいつも損をしているから、頑張ってせめて嫌われないように上手く立ち回っていたつもりなのに。本当は幸せそうな二葉を内心見下していたから、こうして陰口を叩かれるのも当然の報いなのかもしれない。
「お疲れさまですー」
休憩室は立花がいる場所と反対側にもう1つ扉がある。遠回りするのを面倒くさがっている二葉は、いつも店の表のカウンターを通り休憩室へ入る。いよいよ入室するタイミングを見失ってしまい、立花は1度出直そうかと考えた。
「あっ、お疲れさま。真白君。まだちょっと早いんじゃない? いつも偉いわね」
先程までの陰湿な話題は引っ込めて、お気に入りの二葉を出迎える。
「立花さん、今日からですよね? いろいろ話したくて早く来たんですけど……体調、大丈夫かな」
──どうせそういうのも全部、上部だけのくせに。
自分はそんな優しさに簡単に騙された。家族だった人にも、家族になろうと言ってくれた人にも。
「真白君はちゃんと3ヶ月ごとでお休み取っているのに。人によって体質も変わるし、仕方ないとは思っているんだけどね。それでも包海さんって……自己管理がなってないのよね」
「真白君、この前すごく謝っていたでしょう? 包海さんに何か意地悪されてるんじゃないかって心配で。辛く当たられてない?」
二葉を心底気がかりに思う内田と三谷が、優しげな声で問いかけている。あれほど慕ってくれていた二葉も、きっと立花のいないところで手のひらを返して嘲笑うのだろう。許容し切れない現実に、思いがけなく吐き気がこみ上げてきて、余計な嗚咽を漏らさないように両手で口を塞いだ。
「そうですね……」
ずるずると背を壁に引き摺り、立てた膝の先に頭を押しつける。これから酷く罵られるのだと分かっていながら、立花は二葉の次の言葉を待った。
「立花さんにはすごくよくしてもらっています。ちょっと不器用ですけど、優しい人です」
もういっそのこと、一緒になって貶して欲しかった。見下げていた二葉に庇ってもらう資格なんてない。そうされるほうがよほど自分が惨めに映るのだ。
「私達、勝手に包海さんに言ったりしないから大丈夫よ。もし真白君が言いにくいようなことがあったら、それとなく言ってあげるし……」
「いえ、結構です。立花さんに不満なんて1つもないので。僕からは何も言うことはないです」
淡々とした口調できっぱりと言い切ると、二葉は打刻機の音を鳴らした。天真爛漫な姿をがらりと変えた二葉に、押し黙る2人はまだぶつぶつと何かを言っているようだが、扉越しの立花の耳には届かなかった。
──もし僕だったら。
部屋のなかにいるのが自分で聞き心地のいい言葉を吹き込まれたら、流されて二葉をきっと悪く言っていた。弱くて情けなくて、悔しい気持ちが苦しいくらいに、胸の内側をこつこつと叩いている。
「そうやって本人に言えないことを、僕に押しつけないでください。確かにオメガはベータのあなた達よりは劣っているのかもしれませんが。立花さんはいろいろな仕事を誰よりも率先してやってくれています。シフトを組んだり、ゴミ捨てだったり、鍵の当番だったり……負担になっているんだから、その分お休みを取るのも当然の権利だと思います」
「で、でもっ。体調不良だなんて言って、あれなんでしょ……発情期。そのせいで私達も人手が足りなくて苦労してるんだから。真白君だって、お休みもらってるんだし……」
立花だけを黒い羊にして笑っていればいいのに。黙って私達に可愛がられていればいいのに──その場しのぎの慰めの声で、二葉を唆そうとしている。
──連絡先まで、もらっちゃった。
帰るときの足取りは驚くくらい軽い。地面から数センチ浮いているような気分で、立花はいつもの仕事場へ向かう。迷うといけないし、予定の変更があれば知らせるから、と言われて2人の連絡先と自分のものを交換したのだ。重さは何ら変わりないけれど、大切なものが入ったスマートフォンを愛しそうに上着のポケットの中で撫でた。
始業までどこかで時間を潰す宛てもないので、早いとは思いつつカフェの裏手のドアへ入る。タイムカードを押さないで、休憩室にいさせてもらおうと考えながら、奥の扉に手をかけようとしたときだった。
「包海さんって今日から出勤だったっけ」
「あ、うん。そうだったと思う。包海さん、ちょっと今月休み過ぎよねぇ」
「ある程度はしょうがないとは思うんだけど、ねぇ」
言い合った後に、くすくすと笑う声が扉越しに聞こえた。どっと心臓が早鐘を打って、意識はせずとも呼吸は浅くなる。まだ間に合う。すぐにでも立ち去って聞かなかったことにすればいい。頭の中では冷静に懸命な判断が出来ているのに、足は地に縛られているみたいに動かない。
「この前長期で休暇取ったときだって、真白君が必死に頭下げて謝ってたのに。包海さん冷たいんじゃないかしら」
「あー、分かる。仕事は出来るけど、愛想がないっていうか。あれはちょっとかわいそうだったわ」
──相当嫌われてるな。
二葉との扱いに差をつけられていたことは、散々目にして分かっていたはずなのに、それを実際に口にされると心は臆病になってしまう。あのときだって二葉には充分気を遣っていたつもりだった。言葉足らずでいつも損をしているから、頑張ってせめて嫌われないように上手く立ち回っていたつもりなのに。本当は幸せそうな二葉を内心見下していたから、こうして陰口を叩かれるのも当然の報いなのかもしれない。
「お疲れさまですー」
休憩室は立花がいる場所と反対側にもう1つ扉がある。遠回りするのを面倒くさがっている二葉は、いつも店の表のカウンターを通り休憩室へ入る。いよいよ入室するタイミングを見失ってしまい、立花は1度出直そうかと考えた。
「あっ、お疲れさま。真白君。まだちょっと早いんじゃない? いつも偉いわね」
先程までの陰湿な話題は引っ込めて、お気に入りの二葉を出迎える。
「立花さん、今日からですよね? いろいろ話したくて早く来たんですけど……体調、大丈夫かな」
──どうせそういうのも全部、上部だけのくせに。
自分はそんな優しさに簡単に騙された。家族だった人にも、家族になろうと言ってくれた人にも。
「真白君はちゃんと3ヶ月ごとでお休み取っているのに。人によって体質も変わるし、仕方ないとは思っているんだけどね。それでも包海さんって……自己管理がなってないのよね」
「真白君、この前すごく謝っていたでしょう? 包海さんに何か意地悪されてるんじゃないかって心配で。辛く当たられてない?」
二葉を心底気がかりに思う内田と三谷が、優しげな声で問いかけている。あれほど慕ってくれていた二葉も、きっと立花のいないところで手のひらを返して嘲笑うのだろう。許容し切れない現実に、思いがけなく吐き気がこみ上げてきて、余計な嗚咽を漏らさないように両手で口を塞いだ。
「そうですね……」
ずるずると背を壁に引き摺り、立てた膝の先に頭を押しつける。これから酷く罵られるのだと分かっていながら、立花は二葉の次の言葉を待った。
「立花さんにはすごくよくしてもらっています。ちょっと不器用ですけど、優しい人です」
もういっそのこと、一緒になって貶して欲しかった。見下げていた二葉に庇ってもらう資格なんてない。そうされるほうがよほど自分が惨めに映るのだ。
「私達、勝手に包海さんに言ったりしないから大丈夫よ。もし真白君が言いにくいようなことがあったら、それとなく言ってあげるし……」
「いえ、結構です。立花さんに不満なんて1つもないので。僕からは何も言うことはないです」
淡々とした口調できっぱりと言い切ると、二葉は打刻機の音を鳴らした。天真爛漫な姿をがらりと変えた二葉に、押し黙る2人はまだぶつぶつと何かを言っているようだが、扉越しの立花の耳には届かなかった。
──もし僕だったら。
部屋のなかにいるのが自分で聞き心地のいい言葉を吹き込まれたら、流されて二葉をきっと悪く言っていた。弱くて情けなくて、悔しい気持ちが苦しいくらいに、胸の内側をこつこつと叩いている。
「そうやって本人に言えないことを、僕に押しつけないでください。確かにオメガはベータのあなた達よりは劣っているのかもしれませんが。立花さんはいろいろな仕事を誰よりも率先してやってくれています。シフトを組んだり、ゴミ捨てだったり、鍵の当番だったり……負担になっているんだから、その分お休みを取るのも当然の権利だと思います」
「で、でもっ。体調不良だなんて言って、あれなんでしょ……発情期。そのせいで私達も人手が足りなくて苦労してるんだから。真白君だって、お休みもらってるんだし……」
立花だけを黒い羊にして笑っていればいいのに。黙って私達に可愛がられていればいいのに──その場しのぎの慰めの声で、二葉を唆そうとしている。
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