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★ピタラス諸島第四、ロリアン島編★

545:僕は死ぬべきなんだ

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「ち……、チャイロ? 何言って……??」

   チャイロの言葉、その嬉しそうな横顔を前に、俺は震える声でそう尋ねた。
   するとチャイロは、頭を抱えていた両手をそっと下ろし、姿勢を真っ直ぐに正して、穏やかな表情でこう言った。

「モッモ、僕はね……、ずっと死にたかったんだ。だから今、ようやく死ねると分かって、とっても嬉しいんだよ」

   予想だにしていなかったチャイロの言葉に俺は、頭の中が真っ白になって、チャイロの肩に置いていた手を力無く引っ込めた。

「死にたかった……? そんな……。な、何故ですか??」

   こちらも、チャイロの言葉に酷く驚いた様子のティカが、かろうじてそう声に出した。

「ティカさん……。僕は、誰にも必要とされていないんだ。なのに生きているなんて、おかしいでしょう? 僕は死ぬべきなんだ。本当は、もっと早く、死にたかったんだ」

   全くもって理解不能なその言葉に、俺とティカは益々混乱していく。

   チャイロは、いったい何を言っているんだ?
   ずっと死にたかった、だなんて……、嘘だろ??
   チャイロはまだ、たった五歳だぞ???
   幼い子どもなんだぞ????
   それなのに、誰にも必要とされていないから、死にたいだなんて……、そんな馬鹿な。

「ちょっと、待って……。ちょちょ、ちょっと待ってよチャイロ。誰にも必要とされていないだなんて、そんな……。そんな事、無いよ。だって……、君は王子なんだよ? この国の第一王子で……、唯一の王子で……。王様の血を引く、唯一の後継者なんだよ?? 次に王様になるのは君なんだよ??? なのにそんな……、誰にも必要とされていないだなんて、そんな事あるわけないじゃないか」

   だってそうだろ?
   チャイロは、このリザドーニャ王国の次期国王とも言えよう存在なのだ。
   それなのに、誰にも必要とされていないだなんて、そんな事は有り得ない。
   チャイロが居なくなってしまえば、次の国王は誰になるってんだ??
   誰がこの国を治めていくんだよ???
   間違ってもそんな……、誰にも必要とされてないだなんて事は、絶対の絶対にないはずだ。

   きっと、こんな暗い部屋にずっと閉じ込められているから、思考が正常じゃないんだ。
   こんな部屋にいるからチャイロは、自分は誰にも必要とされてない存在なんだって、そんな悲しい事を考えてしまっているんだろう。
   本来ならば、五歳の男の子なんだから、無邪気な盛りだろうに……、あまりに可哀想じゃないか。

   居た堪れない気持ちで、俺はチャイロを見つめた。

「モッモの言う通りです、チャイロ様。貴方様は、列記としたこの国の第一王子であらせられるお方なのですよ? 貴方様以外に、カティア王の跡を継いで国を治められる者は、誰一人として居ないのですよ?? 何をもってそんな……、誰にも必要とされていないなどとお考えなのですか???」

   ティカも、俺と同じ思いなのだろう。
   酷く悲しいチャイロの物言いに、いつもなら凛としているその声を、微かに震わせている。

   しかしながらチャイロは、俺たちの問い掛けに一切動じる事なく、先程と変わらぬ穏やかな様子で、その大きな瞳をゆっくりと瞬きさせながら、黒い天井を見上げてこう言った。

「確かに、僕は王子だよ。でも、でもね……。誰もそんな事、望んでないと思うんだ」

「望んで……、ない? 何が……??」

「僕はね、王子に生まれるべきじゃなかった。王子になんて、なるべきじゃなかったんだ。だから、他の誰かが王子になればいい。他の誰かが、この国の王様になればいいと、僕はずっと思っていたし、今でも思っているんだよ」

   いやぁ……、いやいやいやいや……
   待って、全然意味が分からないんだけど。
   え? チャイロ、何言ってんの??
   王子に生まれるべきじゃなかったって、そんな……
   生まれる場所なんて、誰にも選べないんだよ???
   そんなの、誰がどこに、どんな身分で生まれるかなんて、神のみぞ知る事じゃないか。
   生まれちゃった本人には、どうにも出来ない、どうにも変えれない仕方のない事だと思うよ????

   到底理解出来ないチャイロの説明に、俺とティカは揃って顔を歪ませ始める。

「例え、そうだとしても……。例え貴方様が、そのように御自分の事をお考えだったとしても、自分にとっては貴方様が王子……。貴方様こそが、この国の未来を担う者、次代の国王なのです。その事実は変えられない、変えられるはずがないのです。故に自分は、貴方様自身がどれほどまでに心を痛められ、自らの死を望まれようとも、その命令にだけは従えません。自分の使命は、あくまでも貴方様をお守りする事……。この国の未来を担う貴方様の命を、救う事なのです」

   ティカの力強い言葉に、俺は同調するように何度も頷いた。 
   正直、王族の血筋がどうとか、国の未来を担うとかは、どうでもいいしよく分からないんだけど……
   でも、チャイロが言っている事は、全然納得出来ない、意味不明だから。
   
   するとチャイロは、何かを決心したかなように、ふ~んと鼻から大きく息を吐いて、その視線を俺へと向けた。
   
「これまで僕は、ずっと内緒にしてた。誰にも言わずに、内緒にしていたんだ。だって、そうじゃないと……、みんながもっと、怖がってしまうから」

   みんなが、怖がる?
   何が?? どう……、えぇ???

「内緒にしてたって……、何を? 何を内緒に、してるの??」

「モッモは、怖くない? 本当の僕を知る事が、怖くない??」

「本当のチャイロ? ……ど、どういう事??」

   瑞々しくて潤いがあるチャイロの大きな瞳に見つめられながら、俺は小ちゃなマイハートがドキドキとし始めた事に気付く。
   その脳裏には、ここにくるまでのいろんな場面が、走馬灯のように思い出されていた。

   初めて出会った時、まるで死人のように疲れ切っていたトエト。
   そのトエトから聞いた、チャイロの夜言の話と、ククルカンの再来の話。
   その夜、実際に目にし、耳にした、チャイロの夜言。
   眠り続けながらも、狂ったように、恐ろしい言葉を叫び続けるチャイロの姿……
   
   チャイロが閉じ込められているこの部屋が、呪縛の間と呼ばれる恐ろしい部屋だと教えてくれたチルチル。
   そこに閉じ込められているものは、世界を滅ぼす力を有しており、決して外に出してはいけないと強く言われた事。

   そして最後に脳裏に浮かんだのは、風の精霊シルフのリーシェの言葉だった。

『ロリアン島のリザドーニャには、厄介なものが待ち受けているわ』

『あれが何なのかは、あたしにも分からないわ』

   リーシェが言っていた、厄介なもの。
   あのリーシェですら、正体が分からなかったもの。
   それがもし……、チャイロの事を指していたのだとしたら?

   ドキドキドキドキ

「モッモ、僕はね……。僕の中にはね、もう一人の僕がいるんだ。僕が起きている時、そいつは僕の中で眠っていて……。けれど、僕が眠ると、そいつは目を覚ますんだよ。そして、眠っている僕にこう言うんだ。『破壊しろ。全てを破壊しろ。ここにある全てを、破壊しろ』ってね……」

   は……、破壊?
   それってまさか……、夜言と関係あるのだろうか??

   チャイロは夜言で、狂ったように叫んでいた。
   ここから出せ、殺す、全員殺してやる、と……
   あれがもし、チャイロの中にいるというもう一人のチャイロの言葉なのだとしたら……?
   殺す、つまり破壊する……、何を?? 誰を???

   それに……、何をかは分からないが、全てを破壊しろだなんて、そんな恐ろしい事を要求するなんて……
   もしかしなくても、チャイロはやっぱりククルカンの再来と呼ばれる者で、五百年前のククルカンの再来がそうだったように、チャイロもここを、この王都を……、ううん、紅竜人そのものを、滅ぼそうとしている、って事なのか?
   もしそうだとしたら……、ショックだけど、物事の辻褄は合う。
   
「モッモは、思い当たる節があるんだよね?」

   青褪める俺を見つめながら、チャイロは優しく微笑む。

「大丈夫。僕は逃げない。僕は、僕の中にいるもう一人の僕と一緒に、死ぬ事を選ぶよ。明日、僕は蝕の儀式の生贄になる。そうすればきっと、全ては解決されるはずだよ」

「しかしっ! そのような事はっ!?」

   チャイロを諭そうと必死に声を上げるティカを、チャイロはその小さな掌を真っ直ぐに向けて静止する。

「ティカさん、大丈夫。僕は平気。だって、死ねば母様に会えるから……。母様は、僕を必要としてくれた、たった一人の人だった。母様が待ってくれているから……、僕は死なんて怖くない」

   決意のこもったチャイロの言葉に、俺とティカはもはや返す言葉が見つからなかった。
   
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