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番外編/彼と私〜KARIN〜
近くて遠かった(6)☆
しおりを挟む――花鈴だったら1人でも立派に生きていけそう!――
別に傷付いてるつもりなんてなかった。本当よ。一昨日、美華だって同じようなこと言ってたし、それ以前にも何処かで言われたような気がする。でも特になんの感情も湧いてこないっていくらい自然に受け止めていたと思うのよ。
これもタイムラグみたいなものなのかしらね。こういうときどうするのが最善なのか、結局私は見つけられないまま。宙ぶらりんな感覚のまま、感情の靄がかかった空間を手探りで進むしかない。
……今夜もまた。
賑やかな街の明かりを窓ごしに眺めていた。どれくらいか経った頃に坂口さんがやってきた。
「怪しまれなかった?」
って私が訊くと、五分刈りの頭を撫でながら彼は答える。
「いや、めっちゃ怪しまれたよ! だから途中まで送って俺もそのまま帰るって正直に言っといたわ。さすがに荷物置いたままいなくなる訳にいかなかったし」
ふぅん、と鼻を鳴らす程度の返事だけしてまた窓の方を向いた。まぁね、こういうのは変にコソコソしないで堂々としていた方が却っていいのかも知れないわ、なんて思ってた。
「お客さーん、車出していいですか?」
「お願いします。さっきお伝えした場所で」
はいよ、という運転手さんの返事の後、ゆるやかに車が動き出した。景色が流れていくその途中で。
「……まさか一緒にタクシーに乗ってるとは、みんな思わないだろうけどね」
坂口さんの小さな呟きが聞こえた。
それから大体30分後くらいにタクシーを降りた。割と広めな公園の前。
目を引くのは虹色にライトアップされた大きな噴水。その周りを囲むベンチにはカップルと思しき2人組の姿がちらほらと見える。でも私が目指しているのはそこじゃない。
ここに来たのは初めてだと言う坂口さん。私は彼の袖を軽く引っ張って方向を示した。噴水を通り過ぎて、より 人気の少ない道へと進んでいく。
誘っておいてなんだけど、私はさっきからずっと彼の表情をろくに見ていない。いや、もしかしたら見ている側から記憶が流れ出しているのかも知れないわ。どんな顔してたかって訊かれたら多分よくわからない。ただ常にうっすら笑ってるような声の人だと思った。
公園内の道はゆるやかな登り坂になり、やがて建物1階分くらいの階段へと辿り着いた。これを登れば噴水のあった場所から比べておそらく3階分くらいの高さになる。
私のヒールの音の後に坂口さんの足音が続く。冷たい風が冬の匂いを連れてくる頃、私の記憶と目の前の景色が重なった。
そう、あれは1年ほど前。季節もちょうどこれくらいだったから、身体もちゃんと覚えていたんだと思う。
「高台になってるけど、とりわけ絶景って訳でもないからここにはあまり人がいないの」
私はゆっくり前へ進んで、胸元までの柵をそっと掴んだ。背中で彼に語りかけた。
「でもあれだけはよく見えるのよ」
遠く、遠くで、飛び跳ねるイルカに漂う海月。魚たちも沢山。心安らぐ青系の電飾でその形を表現している。
今夜は細い月と星々との共演で去年以上に幻想的に見える。そんな海の生き物たちの煌めきを見つめながら。
「水族館のイルミネーションかぁ。もうすぐクリスマスだからかな?」
「ええ。多分そうだと思うわ」
去年、料理中に軽い火傷をした私はこの近くのクリニックに通っていた。そこはちょうどビルの3階。帰り際にたまたま気付いて、もっとよく見てみたくなって、この公園に寄ってみたの。
だけどこうやって思い返すと皮肉な事実に気付くのよ。
「“水族館に行こう”とは言わなかったね? 付き合っても良かったのに」
「……いいの。今はこれくらいの距離がちょうどいい」
そう、去年の私も今の私もそんなに変わらない。あのときもやっぱり蓮への想いに動かされていたんだって。
忘れてなどいなかったんだって。
「なかなかの穴場だね。みんな気付いてないなんてもったいないなぁ」
坂口さんが空気を大きく吸い込むように伸びをする。身体はそのまま、視線だけをこちらへ送ってきた。何やら悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「ねぇ、二宮さん。こんな 人気の無い場所に連れて来たりなんかして、俺にもし下心があったらどうするつもり?」
「あるの?」
「さぁ」
意味深な返事に肩をすくめる仕草。何か試されているような感じがしたけど、私はムキになる訳でもなく引く訳でもなく、彼からふいと視線を逸らして再び彼方の煌めきを見つめた。そのままの姿勢で淡々と言った。
「別にいいんじゃない。そのときはそのときよ。言っとくけど私は誰にも本気にならない。ただ遊びに付き合うだけ。本当は結婚する気も無いし」
小さなため息が夜空に溶けていく。諦めに近い気持ちだった。
ありのままの私。一番に受け止めてほしかった人に受け止めてもらえなかった時点で……もう、意味が無いのよ。何もかも。
「そっか~! いや、ほんとみんな好き勝手言ってくれるよね」
「……え?」
隣の彼が何を言っているのかよくわからなくて眉をひそめた。そして顔を上げた瞬間、額をつんと人差し指で押さえられて呆気にとられた。
「何処が“1人で生きていけそう”だよ。こんなに危なっかしいのにさ」
しばらく瞬きを忘れてしまったくらいよ。
感情はだいぶ遅れて湧いてきたわ。でも坂口さんときたら私が言葉にする前にどんどん言いたいこと言ってくるの。
「あのね、二宮さん。なんでも出来るのが大人な訳じゃない。遊び上手なのが大人な訳じゃないんだよ?」
今にも両肩を掴んできそうな勢いに私は思わずのけぞった。それでも彼は構わずに続けてくる。
「いや、正直ね、誘われたときほんのちょっっとだけ期待しちゃったけど、なんかもう心配の方が勝っちゃったよね! 少なくとも俺はそうだよ。その場の勢いに任せることの意味が君はまだわかってないじゃない。ねぇ、何をそんなに焦ってるのか知らないけどさ、もっと自分を大切にして!?」
「ちょっと……」
「それとも自分を大切にする方法がわからないの?」
「ちょ、ちょっと待って!!」
ついに耐えきれなくなって私は声を上げた。坂口さんは相変わらず真剣な眼差しでこちらを見てるけど私には無理だった。目を合わせることも出来ず、ただ弱々しい声が零れただけ。
「そんなに熱くならないでよ……」
だって胸の奥で何かが震えてる。何かが溢れ出してしまいそうで……怖いから。
「ごめん、怒ってるとかじゃないんだ。恋愛にしても友達付き合いにしても、人との関わり方ってそれぞれだから、何が正しくて何が間違いなのか俺もわかんないんだけどさ、ただなんて言うか……君の傷付く姿しか想像できなかったんだ」
「……後悔してほしくないとでも言うの?」
「後悔できるならまだマシだと俺は思ってるんだよ。だって未来に生かせる。でもその感覚さえ麻痺してしまったらボロボロになって倒れるまで気付かないかも知れないじゃない」
いよいよ私は押し黙った。今ここにある感情、生まれたばかりのこの感情は、何がなんでも抑えなければならない気がした。遠いイルミネーションが滲む。かたく結んだ唇に力がこもる。
……絶対に泣かない。
ましてやこの人はまだ2回会った程度。そんな容易く見せられる訳がないじゃない。
私の無様な泣きっ面を知るのは、後にも先にもあの馬鹿夫婦だけで十分よ。お願いだからこれ以上私を暴かないで。
「じゃあさ、こっからはもうお節介オヤジのどーしようもない話、くらいに聞き流してくれてもいいんだけどさ……」
まだちょっと顔を上げるのが怖いからそのままの姿勢で聞いた。冷たい風に乗って届く温かみのある声。
「結婚しないって必ずしも“1人で生きていく”ってことじゃないよね。友達とか家族とか仕事仲間とか、みんな誰かしらと関わって生きていく。その中で自分なりに信頼できる人を見つけておくのはとても良いことだと思うよ。世界は広いからきっとそういう人がいる」
なんだか不思議。こちらに語りかけてはいるのに何処か独り言のような声色に思えた。これなら暴かれない、そんな感覚が徐々にほんのりとした安心感へと変わっていく。
「すぐには難しいのかも知れない。勇気を必要とする人もいると思う。でもね、心を開いたときに出てくる素直な言葉は、相手の気持ちまで素直にさせる場合が沢山あるんだ」
坂口さんが身体ごとこちらを向いたのがわかった。私もやっと向き合うことが出来た。
「だから……ね、周りを頼って。それは決して恥ずかしいことではないから。もちろん俺に話してくれてもいいよ」
「……気が向いたらね」
「はは、大丈夫。俺も気が向いたときにお節介してるから」
それから私たちは自販機でホットココアを買い、しばらく同じ場所で同じ時を過ごした。イルミネーションも星の煌めきも、もう滲んでなどいなかった。
「ねぇ、坂口さん」
「ん?」
「あなた“いい人止まり”って言われない?」
ちょっと意地悪を言うと彼は視線を左斜め上に向けてしばらく考えていたようだけど。
「言われたことあったかも知れないけど覚えてないってことは、きっと俺にとってはどうでもいいことだったんじゃないかな」
あっけらかんとこんな返事をしてくるものだから、私は不覚にもほんの少し笑ってしまった。
そうね、確かに人間って現在に必要なことを優先的に記憶しておくものだから。私も同じなのかも知れないわ。タイムラグもそう考えれば少し納得できるような気がした。
そして全ての現象に何かしらの意味があるのだとしたら、今になって思い出したのだって、きっと。
翌日。仕事の帰りにスーパーへ寄った。家に幾つか材料になりそうなものはあるから、足りない分を選んでカゴに入れていく。
メークイン、ブロッコリー、鳥もも肉、それからマカロニ。この間飲み干してしまった赤ワインもしっかり補充した。
自宅マンションに着いていつもの半身浴を済ませた後、いよいよキッチンへ向かった。並べた材料を前に記憶を辿る。
今夜作ろうとしているのは私にとって懐かしい料理。成人してからはすっかりおつまみ系が好きになったから今まで忘れてたくらいなんだけど、昨日の夜ふと思い立ったのよね。
味を知ってるから作り方も大体わかるでしょ、くらいに思ってたの。だけど実際やってみると案外難しいものね。ソースの味見をしてみても何か足りない気がする。
ちらりと振り返り、テーブルの上に視線を落とす。
スマホで似たようなレシピを探してもいいんだけれど……
私はぎゅっと拳を握った。時刻は6時半。食事中だと悪いから今のうちにかけた方がいいかしら。準備の邪魔になるかしらと、戸惑う気持ちもあった。
でも次第に思い出していく。
大丈夫よ、きっと。手が離せないときはちゃんとそう言ってくれる。それで凹むような私でもない。
そんな適度にドライな関係だったじゃない、と。
発信をタップしてから、昨日聞いた言葉がコールの音に混じった。
――すぐには難しいのかも知れない。勇気を必要とする人もいると思う――
私もそう思うわ。人ってそんなにすぐには変われない。
――でもね、心を開いたときに出てくる素直な言葉は、相手の気持ちまで素直にさせる場合が沢山あるんだ――
大きな期待もしない。思うような反応が得られなかったときの落胆を私はよく知っているから。
だけど、少しずつなら……
『もしもし、花鈴? どうしたの、急に』
「…………!」
考えているうちに電話が繋がった。驚いたような声だった。無理もないわね、私から連絡することなんてほとんど無かったもの。前に話したのなんて半年以上前なんじゃないかしら。
「あ、あの、今グラタン作ってて……うん、そう。昔、私の誕生日によく作ってくれたアレ。ちょっと味付けわからないところがあるんだけど……」
しどろもどろな口調になってしまうのが恥ずかしかった。だけどそもそもこの人相手にカッコつけたって仕方ないのかも知れないと思ったら、少しずつ息がしやすくなった。
「教えてもらってもいい? ……ママ」
小さな一歩を踏み出した私が次に心を開くとしたら誰なんだろう。
出来上がったグラタンとワインを楽しみながら考えていると、あの人の顔が脳裏に浮かんだ。私は多分、苦笑に似た笑みを浮かべたと思う。
相変わらず能天気そうに笑っている脳内のその人に、気が向いたらねと、まだ素直になりきれない今の私らしい言葉をそっと投げておいた。
(番外編/彼と私~KARIN~『近くて遠かった』おわり)
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