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第1章/居場所を探して(Tomari Katsuragi)
5.正解がわからない
しおりを挟むドラマ鑑賞会の翌日、私が目覚めたのは午前六時頃だったのだが、リビングを覗いてみると和希もまだ起きていなかったし明らかに早すぎると思って結局二度寝した。
こうして迎えた本日二度目の朝。
「お~い、トマリ。まだ寝てんのか。もう九時過ぎてるぞ」
「ああ……もうそんな時間か」
和希の呼びかけを受けて私はやっと身体を起こす。
六時から九時までの約三時間、今度は夢の記憶も残らぬほどに熟睡していたようだ。
それにしても一度目に起きたときより二度目の方が遥かに寝起きが悪いのは一体何故なのだろう。未だに謎である。
ベッドから降り立つととりあえず片手でパジャマのボタンを開け始めた。起きたらまず着替えるという習慣が完全に染み付いていた為だ。
向かい合う和希は一瞬目を大きく見開いた後に素早く顔を背けた。驚いた私の手も止まってしまう。
「おいおい、着替えるなら一言言ってくれよ」
「ああ、ごめん……?」
「私あっちの部屋で待ってるからな」
「わかった」
昨夜の和希の寝姿だって随分と無防備なものだったがこういうのは案外気にするのだな。
そう理解している間に和希はリビングの方へと去っていった。
私はそっと寝室のドアを閉じて再びパジャマを脱ぎ始めた。
部屋着に着替えた後は洗面所で顔を洗い、歯を磨き、バスタオルを一つ持って和希が待つリビングへ向かった。
「お待たせ。和希もシャワー浴びるだろう。上がった後はこのバスタオルを使ってほしい」
「おお、ありがとな! 助かるよ。じゃあ早速入ってくるわ」
「使い終わったバスタオルはそのまま脱衣カゴに入れてくれて構わない」
「了解!」
和希は自分のバッグの中から着替え一式を取り出し、バスタオルと一緒に抱えて一度は洗面所の方へ向かった。
だけどすぐにひょっこりとこちらに顔を出して一言付け足す。
「シャワー上がってメシ食ったら面接練習やるからな! トマリも準備しとけよ」
そうだった。と、今思い出したことは黙っておいた方がいいかも知れない。
私は「わかった」と返事をしておいた。
“面接”という言葉一つでみるみるうちに緊張が駆け上ってくる。転職回数の多い私は比較的経験が多い方だと思われるが何度経験しても慣れないものは慣れない。
しかしそのときはもう近いのだ。
大体でもいいから気の引き締まる環境に近付けておきたいと考え、中途半端な位置に置いてある私物は片隅に寄せるなどして部屋のスペースを広げておいた。
和希の入浴はカラスの行水というほどに早くて、おそらく私の半分くらいの時間で上がってきた。
髪もショートヘアだからすぐに乾かせる。私の喫煙時間の方が少し長かったくらいだ。
まずは腹ごしらえということで、近くのコンビニに朝食を買いに行った。
和希はすぐに選び終わったが私は結構時間がかかった。
ファストフード店なら商品のジャンルが絞られているけど、コンビニは幅が広過ぎて決めるのが難しいことがある。
私はお腹が空く感覚こそあれど自分の食べたいものがいまいちわかっていないことが多いのだ。
私は定番のツナマヨと梅のおにぎり、最後にカフェラテを飲んで朝食を終えた。
焼きおにぎりと鮭おにぎり、それからサラダとインスタントの味噌汁を平らげた和希は「それで足りるのか」と私を心配しているようだった。
そしてゴミとして出たものを片付け、姿勢を正したならいよいよ面接練習の始まりだ。
これは事前に和希と約束していた。
和希を面接官だと想定して喋っている間、自分でもなんとなく感じていた。
ひとたび口を開くとそれなりに話が出来てしまうこと。
相手の目を見ることも出来れば声色もハッキリしている。志望動機はもちろん、どう成長していきたいかなど何故か言葉に出来ている。
笑顔も相槌も、そんなに無理している感覚はない。
この身体から出てくる言葉なのだから嘘という訳でもないのだろう。
嘘はとことん苦手であまり自分を作ろうとすると口調はすぐぎこちなくなるし表情も硬くなるらしいから、おそらく相手はすぐに見抜ける。社会に出たばかりの頃はそういう失敗も何度かあった。
実際、嘘で塗り固めてまで採用されたいとは思っていない。そんなのは周りの迷惑になるし自分だって後々苦労する。
だけど何故か違和感を感じる。
“慣れ”という名の技術だけで話しているみたいな。そこに自分の意思が伴っているのかは怪しく。
身体はまるでマリオネットのよう。これも無駄に経験ばかり積んできてしまったせいなのか。実感と連動していないという現象はここでも発生していた。
ひと通りを終えた後、お互いにお疲れ様と言葉を交わした。
和希は腕を組み、一連の流れを丁寧に思い返すように左斜め上を仰ぎ見る。
私は正座して彼女の感想を待った。
「うん、まぁ、悪くはないな。会社や店舗のことをちゃんとリサーチしてるのも伝わるし、ブランドイメージも正しく理解してる。そこに自分の考えを上手く乗せてわかりやすくアピールしてる。話し方はクセがあるけど」
「クセとはどんな感じだろうか」
私が訊くと和希はう~ん、と唸りながら顎を弄り始めた。感覚的なことを言葉にするのは難しい、それはわかる気がする。
などと勝手に共感していたところ、和希の視線が再び私に固定された。
「ああそうだ。トマリってさ、結論を先に言ってから細かく解説するような話し方するじゃん? 仕事のときもあんな感じだったのか?」
「そのようにしてきたと思う。二番目の職場の上司に結論から話せと言われたのだ。何故なら私の話は前置きが長過ぎて伝わりづらかったから」
「なるほどな、人のアドバイスに忠実なのがあんたらしいわ。でもそうだなぁ、ちょっと話ズレるけど働き始めてからはもっと砕けた口調にした方がいいかも」
細い雷のような衝撃が私の脳天から中心へと走っていった。
まさか、そんなこと。ためらいならがも口にしてみる。
「職場でタメ語を使うということか。新人がタメ語を使える相手とは一体誰なのだろう」
「違う違う! タメ語じゃなくて!」
慌てた様子の和希が顔の前で素早く手を振る。
そう……だろうな。良かった。
私の中の常識が覆されなかったことにホッとしつつも意味はまだ理解できていない。
「なんて言うのかなぁ、トマリの言葉遣いって凄く丁寧なんだよ。それはとても良いことだと思う。ただ少し形式ばった言い方に聞こえるんだよな。特に今度受けようとしてる店っていわゆるファストファッションだろ。それだとちょっと硬いかなって」
「硬い……か」
「面接はわかりやすく伝えることが大事だと思うからそれで大丈夫かも知れないけど、ちょっと気になってさ。混乱させちまったなら悪い。ごめんな」
苦笑いした和希の顔が蜃気楼のように揺らめく。現実に覆い被さるようにしてある記憶が蘇ってきた。
「今思い出した。そう言えば三番目の職場で似たようなことを言われたのだ。謝るとき私は“申し訳ございません”と言うのだが、スタッフに対してそれは堅苦しいと。“すみません”くらいでいいと言われた」
「あ~、仲間同士でのやりとりなら私もそんな感じかなぁ」
「しかし私の実家は違った。お客様に対してはもちろん、従業員に対しても詫びる際は必ず“申し訳ございません”で統一されていた。“すみません”なんてお詫びの言葉としては弱いと教わったのだ」
「マジか。しっかりしてんだな、あんたの実家」
意図した訳ではないけれど自然と唇に力がこもり、いつの間にか自分の膝を見つめていた。
「こうも人によって言うことが違うと何が正しいのかわからない」
「トマリ、ごめんな。やっぱ私が余計なこと言ったかも知れない。いいんじゃないか、それで。ありのままのあんたを見てもらえよ」
和希の手が伸びてきて私の後頭部を軽く撫でたかと思ったら、そのままゆっくり引き込まれ私は彼女の肩に額を預ける形となった。
よしよし、と私の耳元で小さく呟いている。
私はここでやっと、自分の呼吸が浅くなっていたことに気付いた。だけどそれも少しずつ楽になっていった。
「きっとあるって。無理に自分を作り込まなくても働けるような場所が」
「ありがとう、和希」
「ところであんたの実家ってなんか商売やってんの?」
「温泉旅館」
「マジで!? 私いつか行きたいんだけど!」
「私は従業員の立場ではないが歓迎する。私の家族もそうするだろう」
いくつか会話を交わし合う途中、あっと短く声を上げた和希が素早く身体を離して私に訊いた。
「もしかして“トマリ”って名前、宿泊の“泊”から取った?」
ああ、それなら何度か言われたことがある。私にとっては慣れたものだ。
「そういう訳ではないらしい」
「なんだぁ、違うのか。てっきり看板娘的な意味でつけられたのかと思ったわ」
答えを外した和希はちょっと残念そうだ。
この名前の意味。彼女になら本当のことを教えても良かったはずだ。しっかりとした信頼関係が築けているからこうして部屋にも呼べるのだし。
しかしタイミングによってはためらいが邪魔をする。
何故なら私の場合、とてつもなく“名前負け”だから。
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