43 / 172
第五章 聖樹の都
43話 神聖なるトレント
しおりを挟む
気が付けば、すっかり街にはおどろおどろしい喧騒が沸き起こっていた。近衛兵が非常事態を知らせているのだろうか、カンカンと高い鐘の音が鳴り、遠くから地鳴りのように鉄靴の足音が複数響いてくる。
「監視塔だけじゃなく歩兵も出ている。大通りを避けるぞ」
パウルの短い指示と共に脇道へ逸れる。近衛兵が進軍のために使う主要な路地を彼は把握しているはずだ。当然僕の頭にはそこまでの情報は入っていないので、とにかく道取りは彼に任せて僕はそれを追う。
宿と宿の間をすり抜けるように駆け、大きな路地をひと跨ぎに飛び越え、道とも思えないような資材の上を踏み越え、パウルは迷いなく駆けていく。
広い道を横切る際にはときどき兵士か、それとも敵か、慌ただしく走る人影を時々見たが、闇に紛れて走る僕達を捉える者はいない。途中で、パウルは街灯のある通りをも避けていることに気付いた。
市街戦では地理の明るさが行動の効率に顕著に影響する……、それがここまでかと感心するほどパウルの道選びは見事だった。一見遠回りに思うような道でも躊躇いなく踏み込み、じぐざぐと裏路地を縫って、いつの間にか目的地への方角に戻っている。
普段は闇夜に沈んで見えにくいトレントも、今日はその身に纏った白い霧の衣が浮かび上がっている……、方角の目印にはもってこいだ。
時々トレントの方角を目視していると、その手前に不思議なものを見つけた。ちょうどトレントが纏っている霧の衣のような……、白い煙に似た気体がふわりと浮かんで、そして淡い光を伴って空中でぱっと弾ける。
それはよく目を凝らすと、方角こそ王城の方だが、比較的近い位置の上空で起こっている。
「パウル、あれなんだ」
走りながらそう声をかけると、パウルもそちらを振り向いて立ち止まった。そしてそれを見て数秒息をついていたが、やがて楽しそうな声が返ってきた。
「レイン・クラネルト様からの信号だな。粋なことしやがる」
そして足を向ける方角を切り返し、その信号の元へ駆け出した。既に王城の近くまで来ていた僕達が、そこに辿り着くまでそう苦労はしなかった。
王城の正門へとまっすぐ伸びる正面通りの脇の厩舎に、その貴族はで凛と立っていた。脇には従者が一人控えている様子だ。僕達が近寄ると、彼はよりによって“合言葉”を言う。
「サーシェ、同志との出会いに感謝を」
「アルティヴァ・サーシェ。汝の血路に栄光あれ!」
パウルも元気よくそれに応える。僕は呆れてため息をついてやった。
「ここはレジスタンスじゃないだろ……」
そうわざわざ口を挟んだのは、異国のお家騒動などに動員されてはアルティヴァも迷惑だろうと思ったからだ。ロードはからりと笑った。
「すみません。あなた達だとひと言で分かる声掛けが他に思い付きませんでした。……それで、状況は?」
すぐに表情を冷まして、そう鋭く聞いてくる。同時に、傍らにいた従者に手で「去れ」というような合図をしたようだ。従者はすぐにおどおどとした様子で厩舎の奥へと引っ込んでいった。
「俺もよく分からんが、城下街を例の一派らしい奴が武装して走ってて、それを近衛兵が追ってるようだ。敵も敵でエレアノールとかいうのを追っかけてたみたいだが……、なあ俺の勘違いじゃなきゃ、エレアノールって、あのエレアノールだよな?」
パウルはどこかのんきにも聞こえる声でロードに言う。
ロードは僕達と違って外套も着ず、どうやら上品な貴族の正装のままで来ている。街灯に照らされて顔はよく見えた。不可解そうに眉を寄せている。
「ええ、この状況でエレアノールといえばあのエレアノール様のことだとは思いますが……、先王一派に追われていた? うーん……詳しくは分かりませんが、彼女は先王一派の筆頭と持ち上げられる一方で、具体的な抗議活動などには一貫して関与を否定しています。正直どの程度組織に噛んでいるのか確かなことは分かりません。内輪もめでも起きたのか……」
どうやら彼にも状況はよく分かっていないようだった。内輪もめの読みはパウルと重なっているが……。
「ともかく、こちらで把握しているのは先王一派が蜂起し、近衛兵が鎮圧に向かっているという話だけです。市街にも多くの兵が割かれているようですが、城内でも動きがあります。敵がどこまで入り込んでいるのかは正確には分かりませんが……、あなた達は私と共に城内を見ていただけますか」
ロードはすぐにそう切り替え、正面通りの真ん中を堂々と大股で歩き出した。僕達もそれに続く。
「自ら敵のいる場所へ向かわれるとは……、存外に乗り気ではありませんか、ロード様」
パウルはそう皮肉った声で言った。ロードは振り向きもせず、ふんと強気な息を吐いた。
「武力蜂起までしたのならこれはれっきとしたクーデターです。……私はズミとの外交に集中したいのに、これ以上内政を荒らされてはたまりません。必ず鎮圧してもらいますよ」
そう言ってずんずんと歩いていく彼の前には、何事かと警戒した近衛兵が飛び出してくる。それを彼は一喝して掻き分けていく。
「ロード・レイン・クラネルトだ! 王城に急用だ、道を開けろ!」
当然兵士達は武器や魔法を振るってくることはないが、どよめいて互いに顔を見合わせていた。中から一人の兵士が慌てて出てくる。
「ロード様! 今城内には反逆者の一派が入り込んでいると思われます。危険ですので護衛を……」
「護衛は自分で手配している。あなた達は予定通り持ち場を守っていろ、私には構うな」
そう言い捨てて進むロードと共に、僕達も城へと近付いていく。いやはや、やはり貴族の威厳は便利だなどと思いながら。ロードの後ろにひっついていれば、外套を被って髪を隠していても呼び止められることはなかった。
そうして兵士に囲まれたところから抜けると、道の両脇に立ち並んだ石造りの建物の奥に、城周辺の庭園らしい景色が広がってきた。確かここを北に回り込めばトレントの森へと入るという話だったが……。
「どこへ向かう? 森か?」
僕が短く聞くと、ロードが苦い声を出した。
「いくら私でも、儀式の最中の儀礼殿に近寄ることはできません。当然こっそり侵入なんてのも非現実的です。周辺で敵を捜索するほうが……」
そこでパウルはふいに足を緩め、視界を上に向けたようだ。そこには闇夜に沈むようにして、黒々とした城がそびえ立っている。
「せっかくこんなバカでかい城塞があるんだ。防御塔に上がって高い位置を取りたいね」
その言葉を受けて、ロードも城の方を見上げた。分かりました、とひと言、彼は先導して正面から城の中へと乗り込んでいく。
その大きな門は、夜間であるためか重々しく閉じられている。脇の目立たないところに通用口があったらしく、そこに詰めている門番をまたロードが一喝して中に入る。やがて入り込んだ大広間はひと気もないようで、明かりも少なく、まるで洞窟の中のように暗かった。
大きな空間にそびえる幾本もの柱、壁や梁にかかっているらしい布の刺繍、広い壁に連なる大小様々な扉……、今はトレンティアの王城の内装をじっくりと見ている余裕はない。しかし近衛兵の動きは城の外周部に集中しているのか、中は嘘のように静かだった。
「しかし私とて王城の防御塔に上った経験はありません。道はおおよその予想をもとに探すしか……」
ロードはかつかつと城内を歩きながら言う。やがて広く高い階段を上った先の踊り場から、更にいくつもの上り階段が別方向に分かれている。一度足を止めて、どこへ向かうべきかと迷いを見せた。
「俺はその経験があるがいかんせん大昔だ。記憶違いをしてる可能性が否めん、自信はないがたぶんこっちだ」
パウルがそう言って一本の道を選ぶ。この際ロードも何も言わずにパウルに従った。
「ここだな」
暗中模索に道を探していた様子のパウルも、ある程度進むと確信が持てたらしい。歩く足が速くなり、広い廊下を進んでいたのが石壁の中に入り込むような狭い通路へと食い込んでいく。
しかしその道を進んでいくと、ふいに人の気配にぶつかった。両脇は息苦しく石の壁に挟まれた、二人がなんとかすれ違えるかという狭い通路で……、突然出会った両者はお互いに驚いて目を見開く。
「なんだ、何者だ!」
相手から声をかけてきた。その手に剣を持っている様子を見て、思わず僕も胸元から短剣を抜く。パウルの背中に隠れるようにして壁に身を寄せたロードが、小さく言った。
「……近衛兵ではありません。賊だ」
その言葉が開戦の合図になったようだった。敵もこちらが敵対する者だと確信し、武器を振ってくる。
先頭にいたパウルは咄嗟に両手を前に出して防御魔法を張るが、武器とぶつかった魔法陣から散る火花が眩しく目を焼く。
「こう狭いと魔法が撃ちづらい。ヨハン、前衛頼む! なるべく殺すな!」
その指示を受けて、パウルとロードと、横の石壁の隙間をすり抜け、敵の懐へと飛び込んだ。まるでネズミにでもなったような気分だ。
殺すなというのはなかなか難しい注文だった。見た所全身に鎧を着ている様子はないが、胴体の防具は分厚そうだ。狭い中で武器を封じるため敵の腕を狙う。逆手に持った短剣でちょうど敵の手首の肉を切り裂いた。
敵が怯んで武器を取り落とした隙に、あとはみぞおちに思い切り拳を叩き込む。なんとか敵は体をもつれさせて倒れ込んできた。壁に押し付けるようにそれを押しのけて、自分が前に踏み込む道を作る。
真っ直ぐ前へ……、やがて現れた狭い階段の上に、同じような男がまたいるのを見つけた。……弓矢を持って来ればよかった。
こちらを視認した敵は、すぐに階段の上から攻勢に出てきた。通路いっぱいに広がる魔法陣……、ソル・サークルだ。
「パウル!」
僕は言葉にもせず、ただ名前を叫んでその場に踏みとどまった。すぐ後ろにいたパウルの胸に背中を預けるようにして……、そしてパウルはそんな僕の肩の上から両腕を前に出して魔法陣を張る。
次の瞬間には僕の目の前で、魔術同士がぶつかってまた激しい火花を散らす。びりびりと肌に伝わってくる熱に、しかし目を背けず、そのタイミングを確実に見計らう。魔術がぶつかり終わって空中の火が消えた瞬間、前へ。
弾丸のように飛び出した僕を前に、相手もすぐに次の攻撃には移れなかったようだ。狭い通路、正面からの斬りかかり、大きく振りかぶるだけの広さはない、短剣を振るべき道筋が……分からない。
くそっ、と胸の内で呟いたが最後、僕の手はただ直感的に相手の急所を狙って刺突に出た。ずしりとした感触の後、返り血が顔面に降り掛かってくる。
「すまん、殺した」
そう呟くように言って、喉元を突かれた男の死体を脇に転がした。パウルからは舌打ちが返ってきただけだった。
それを乗り越えると、壁についた扉が開け放されている様子があった。その奥に人影があるのを確かめて、迷いなく扉をくぐる。途端に外の空気……、深く沈んだ夜空が目前に広がる。
どうやら城の外周を覆っている城壁の上に出たらしく、壁の向こうには王都の町並みが見渡せた。
そんな壁上の広間に、敵らしい者が三人ほど、何か地面に蹲って魔術の準備をしているようだった。僕達の姿に気付き、すぐにはっとして立ち上がる。
外に出れば魔法を遠慮する理由もない。僕は武器の構えだけをとって、背後から近付くパウルの魔力の気配に後を任せた。
パウルの魔術によって放たれた火の玉は奥にいる一人だけを狙い撃ちにした。それを見てから、僕は手前にいる者の相手をする。相手は突然の襲来に戸惑っていたようで、腹に一発蹴りを入れてから上にのしかかり、腕の関節を突き刺してやるのにそう苦労はしなかった。
傍らを見ると、既に残りの二人はパウルの火の玉を食らってもんどりうってる様子だ。火傷を負ったとしてもまだ動く可能性がある……しかしパウルはそれを捨て置いてさっさと壁伝いに別の道を行こうとするではないか。
仕方なくその二人にも僕が襲いかかり、確実に短剣で腕を封じておく。
「お前、余裕があるなら自分でとどめまでしろよ。全部僕にやらせやがって……」
そう愚痴を言いながら、歩き出したパウルを小走りで追う。パウルはからからと笑った。
「けちくさい事言うなよ、お前のこと信頼してるってことさ」
僕は荒っぽくため息をついた。まったく、一体何のために剣を提げてるのかと……、恨めしげに視線を向けた彼の腰には、やはりいつものごとく魔剣が携えられている。
「俺、剣の腕はほんと下手なんだよ。だから恥ずかしいからさ」
そう言って腰の鞘を庇っていた。そんな僕達を少し後ろから眺めて、ロードがくすりと笑ったのが分かった。
のんびりとしている時間もない。パウルは城の体に添って、壁伝いにかけていく。僕達が壁上に出た方角はちょうどトレントの反対側だ。壁を回って後ろへ進めば、その樹の姿が間近に迫ってくるのが分かった。
壁の上から市街の様子を見ると、城下街の中にはちらちらと魔法の光らしいものが見えた。ぱっと見た限りではそこまで大きな争いになっている様子はなさそうだが……。
その時また、奇妙な音を体が拾う。リンと、小さな鐘がなるような、体の底に響いてくる波動。その微かな不快感は、恐らく戦闘中だと気に留める余裕もなさそうだ。もしかすると今までも何度かあったのかもしれない。
「……トレントの魔力が揺れている。儀式に利用してるのか……? いや、分からんな……」
パウルはそう呟いた。何を目指しているのか、とにかく彼はどんどん奥へ……、トレントの方角へと進んでいく。やがて城をぐるりと回り込んでその背後、聖樹の体がすぐ目前に見える場所へ出る。
下を見下ろすと青々とした森林、その手前にはまだ何枚かの城壁が挟まっている……、そのうちの一番奥側に、光っているものを見つけた。
「あれは」
僕が言うのと、パウル達もそれを視認するのはほとんど同時だった。ここからは壁を一枚隔てて向こう側、東側……つまりトレントの方角へと出っ張った城壁の広間に、大きな魔法陣の光が浮かび上がっている。そしてその中央と周辺には人影、ここからでは跳んでいくことも到底できそうにない距離だ。
「おいおいおい、あんなとこまで入りこまれてるなんて近衛兵は無能か?」
パウルはそんな素っ頓狂な声を上げてそちらを見やった。ロードも真剣な顔で目を細めている。
「あれは何の魔術ですか」
「遠目からじゃ分からんが、でかい魔術だろうな。それに場所が悪い……、いや、トレントの魔力を吸ってやがるのか……、だいぶ具合が悪いぞ。おいロード、魔法陣用の墨持ってるか?」
「……持ってますけど、あなたは持ってないんですか……」
「俺はソルに頼りっきりでな……、いいから書け。この距離からあれをぶっ潰すには相当の魔力が必要だ。お前じゃないと無理だ」
パウルとロードは焦った様子で言葉を交わす。ロードはぐっと眉を寄せた。
「私にやれと? 無茶な、雨も降っていないのに……」
そう言い返した目前で、パウルがすっと空を指さした。その指が言わんとすることを、すぐにロードは悟る。
ハッとしてそちらを見上げた、その視線の先には闇夜に沈むトレント……、そしてそれを覆う白い霧の衣が広がっている。
「雨がなくても霧がある。既にこの距離、この空気中の水分に自分の魔力が漲っているのは分かるだろ。……お前ならできる、ラファエル・ロード」
その重々しい言葉を受けて、ロードがごくりと唾を飲み込んだのが分かった。迷っている時間は数秒、すぐに彼は意を決したように頷いた。
そして腰の後ろにあった小物入れから手の平に収まる程度の小さな壺と筆を取り出した。壺の中から掬った墨で、その場の石の床の上に大きな円を書き始める。
「術式の部分は補佐してやる。……エリク、ルーン……、そうだ、術は魔力の破壊でいい、ありったけの強化術式を書き込め。血門の関はセルトの後に入れろ。……保護術を忘れるな」
パウルも一緒に屈み込み、書き込む魔道文字を指示する。ロードの顔は緊張に張り詰め、いつもの余裕ぶった貴公子の様子は既にない。
「ここまで強化術を入れると、周りを巻き込みますよ」
「構わん、術が成れば俺達は離れる。万一波動に巻き込まれても俺は俺の魔術で身を守る。相手はトレントの魔力も載せてやがる、手加減してる余裕はない」
「……分かりました。後は上手くやってくださいね、レーン」
ロードの真剣な声が言う。やがて多くの文字を書き込んだ魔法陣が完成した。魔術師達の戦いを前に、僕は……、話を聞く限りでは、後は逃げることぐらいしかできなさそうだ。
ロードは魔法陣の真ん中に立ち、自分の胸元に両手を当てて、祈り始めた。
「慈愛深きレインよ、汝が子の祈りを聞きたまえ。ラファエル・ロード・レイン・クラネルトより汝が聖血を捧ぐ。汝に仇なす者に怒りを、汝に祈る者に慈しみを……」
その声に呼応して、黒い線の魔法陣に青白い光が浮かび出す。その術式に血が巡るように魔力が流れていく、その感触が僕にも分かった。
空気中に浮いていた彼の魔力も繋がり、連鎖し、それはまるで雷撃のような細い光を宙に漂わせ始めた。腹の底からぞくりとこみ上げてくる、魔力のうねり。大きな魔術が起ころうとしている……。
「逃げるぞヨハン」
術式に魔力が巡ったのを確かめたのだろう、パウルは短く言って走り出した。それに続いて僕も、来た道を引き返して城の正面側へと回っていく。
途中、来る時は無視してきた上り梯子がかかっているところでパウルは足を止めた。
「上登ろう。確かこっちから中へ入れば南の勝手口に近かった気がする」
あやふやな物言いだが、当然僕が口を出せることではない。いそいそと梯子を登り始めた彼に黙って続く。一段上の城壁に登り、また壁沿いに南へ駆けていく。やがて城内に入る入口を見つけて中へ入った。
城の中に入ると、おそらく貴族たちが過ごすのだろう優雅な調度品が並んだ広間にすぐに出た。そこからトレントの雄大な姿を眺めるのだろうか、壁に格子状の硝子窓が広くはめ込まれ、その脇の扉の奥には小洒落たテーブルがいくつも並んだベランダのような空間が広がっている。
その横を通り過ぎる時に、ずしんと地面が揺れた。思わずその場で踏ん張る。ぞわぞわと背中を走っていく魔力の感覚はおぞましいほどだ。
思わず呻いた僕を振り向いて、パウルが不安そうな顔で手を差し出してくる。
「ヨハン、大丈夫……」
そう言いかけた矢先にまた揺れた。背中から頭へ、魔力のうねりが駆け抜けて激しい目眩が起きる。その場で立っているのも苦しいほどだ。
……魔力の制御を、体の中に一定に……、そんな思考が途切れ途切れに浮かぶが、集中力はなかなかに定まらない。縋るように目を見開いた先では、同じように苦しげに頭を押さえているパウルの姿があった。
「……これ、まずい……。この魔力の衝突は……、たぶん結界と干渉しあってるな……。ヨハン、落ち着いて息を整えろ。大丈夫だ、血は飛び出したりしないから、自分の肉体が世界から切り離されていることを意識しろ。呑まれるな!」
パウルの怒鳴るような声が頭の中に刺さってくる。体の中の力が空気中に溶け出して破裂してしまいそうなその感覚を、その言葉を頼りに手繰り寄せる。
深呼吸をして、世界から体を切り離す。自他が曖昧になっていくような世界から、確かな己を……。僕の名前はヨン……、ズミのレジスタンスだ、トレンティアの魔術などに呑まれてたまるか、と。
ようやく体内の魔力が安定していくのを感じて、僕はゆっくりと足を進める。一度自分の足で立てば、急速にその目眩は落ち着いていった。
しかしハッとして前を見ると、パウルは全然違う表情を浮かべていた。
彼の見開いた目が見ているのは大きな硝子窓の向こう……、そこに聳えるトレントの姿。纏った霧の衣は何かの魔術に巻き込まれているのだろう、青白い光の群に輝いていた。
まるで雪の積もった景色に太陽が差したような、星空を散りばめて輝かせたような……、得も言えぬ、ただ美しい景色。その中で時々に激しく、雷撃とも火の粉ともつかない衝突が獣のように走っていく。
パウルはそれを呆けた顔で見つめ、まるで吸い込まれるようにしてゆっくりと硝子窓へ歩み寄った。
「パウル! どうした、しっかりしろ!」
僕が声をかけると、ハッとして彼は振り向いた。緊張とも恐怖ともつかない、張り詰めた表情で……。やがて僕を見つめて、ぎっと視線を強めた。そこに浮かんだ色は……、苦痛。
「トレントを覆う結界と、敵の魔術とロードの魔術とが混ざり合って衝突している。……結界は強力だ、外まで影響は及ばないだろうが……、結界の内部にとんでもない爆発が起こる可能性が……いやこのままだと確実に起こる」
そう語った言葉を聞いてぞくりとする。大爆発が起きると、それだけは分かった。
「ここだと危険か? どこか身を隠す場所を……」
そう言いかけたが、パウルは硝子窓に張り付いたまま動く様子はなかった。
「いや……、爆発が起こるのは結界の中だ、ここまでは……せいぜい爆風がきて窓が割れるぐらいだろう。だが、トレントが……」
苦しそうに言う彼の意図が、分からなかった。硝子が割れるなら早くそこから離れろ、と言おうかとも思ったが、何かが違う。トレントが……何だって?
パウルは苦しそうに言葉を選んでいたが、やがて意を決したようにこちらを振り向き、力強い表情を浮かべた。
「すまん、ヨハン。やっぱり放って逃げるなんて無理だ。俺はこの衝突を止める」
そう言ったかと思うと、横にあった扉を潜ってベランダへと乗り出した。わけもわからずそれを見届けて、僕は他にどうしようもなくそれを追った。
「止めるって何をするんだ、危険はないのか?」
尋ねる声には思わず焦りが混じる。パウルは僕に背を向け、正面に光り輝くトレントを置いてそこに力強く立っていた。
「危険は……、たぶん無いが、もし俺がまた貧血になってぶっ倒れたら搬送を頼む」
そんなことを言った声は淡白だった。ああ、なんて呆れた声が僕の胸の内だけで起こった。何がなんだかは分からないが、こいつが相当な無茶をするつもりだということだけは分かった。
……僕はただ、見ていることしかできない。
パウルも、ロードと同じように自分の胸に両手を当てる。魔法陣を書いたわけでもない、素手での魔術で……、一体何をするつもりだというのか。その顔は上を……、輝きに満ちるトレントの姿をすっと見上げ、その唇が祈りの言葉を紡ぎ出す。
「神聖なるトレント、汝が子の祈りを聞け。汝が血を正しく継ぐ我が名を聞け。パウル・イグノール・トレント・エルフィンズ、今父なる空のもとへ、母なる大地の上へ帰り来た汝が子の願いを聞け! ……頼むから、もうこれ以上傷つくな……!」
それは、祈りというよりも悲痛な叫びだった。それに応えた魔力が、パウルの体を金色の光で眩く包む。
そしてその祈りを、きっとトレントも聞き届けたのだろうか。そんな風にさえ思う光景……、トレントのその巨大な幹が、淡く光り始めた。
すぐに根本の方から波がうねるように金色の輝きが立ち昇り、霧の中に走っていた激しい雷撃と混ざり合っていく。
闇夜に沈んでいた雄大な幹も、夜空を覆うように広がる広大な葉も全てが白い光を纏ってそこに浮かび上がる、その上から光の粒を無数に散りばめた金色の波が幾重にもうねる、その波が駆け上がる度に鼓動のような魔力の波動を放つ、それが見ている僕の胸の中にまで伝わってくるようだった。
そしてその上を更に覆う霧の衣は青白い瞬きを迸らせ、その空気の流れを泳ぐように、魔力の光の筋が走り、巡り、混ざり合ってまた弾けるように光を連ならせる。
夜空を背景にしたその輝きの群れ、それに覆われる雄大な聖樹、その景色を見て僕は息さえも忘れていた。その瞬間に……本当に、それ以外の何もかもが頭の中から消えていた。次第に、何故かアルバートから聞いた言葉が強烈に脳裏に蘇っていた。
――僕達はここに……優しい神様の加護が宿っていると信じている。君も信じてくれたら嬉しいな……と、語っていた。
その聖樹は確かに、ひたすらに神々しい輝きを放ち、この街の全部へと振りまいていただろう。そのすぐ麓にいる僕を、そしてその祈りの中で命を削っている魔術師のことをも見下ろして……しかし、樹は物を言うこともない。
光に包まれてパウルは堂々と立っている。その両手は真っ直ぐトレントへ差し出されている。
彼が紡いだ祈りの言葉を、やっぱり僕が理解することはない。だけど祈りというのはそういうものなのかもしれない。理屈を超えた神秘が確かにそこに宿っていると、否応もなく確信させられるような、そんなもの。
そこにいるのは確かに、トレントに神を見て生きてきた、その民のうちの一人だった。そして僕は彼の後ろに立って、目の前に広がる景色の全てに……ただただ圧倒されていた。
そんな時間がどれほど続いただろうか、それさえ分からなくなるような幻想の一時。僕を我に返したのは、その体からすうと光が消えていくパウルの姿だった。
はたと視線をやると、そのまま糸が切れたように、後ろに倒れてくるではないか。
慌てて後ろからその体を抱きとめた。何の力も込められていないその体がずしりとのしかかってくる。
「パウル」
名前を呼ぶと、まるで眠っているように安らかに閉じられていた目がうっすらと開いた。
「……あ、気絶してた。トレントは無事か……?」
そんな心配をする言葉を聞いて僕はトレントの方に視線を向けるが、眩いばかりの光に包まれて美しく佇んでいる……、そのこと以外は何もわからない。
パウルは自分の目を手で押さえながら、自虐っぽく笑った。
「はっ……、やっぱ俺もトレンティア人だなあ。この体に流れる血ばっかりは変えられねえや」
そう言って彼はゆっくりと、重たそうに体を起こした。自分で歩ける体力は残っているようだ。僕はなおも、神々しいトレントの姿に釘付けになっていた。
思いを振り切るように、僕は目を瞑って顔を背けた。トレントが大爆発を起こしている様子は無い。そこから体の中に響いてくる魔力の波を拾っても、落ち着いているように感じた。
それをパウルも感じ取ったのだろう、彼はゆっくりと歩きながら大きな息をついた。
「なんとか中和はできたようだ。……すまんなヨハン、付き合わせちまって。どのみち俺の魔力がもう限界だ、帰ろう」
僕は曖昧に頷く。
「まあ、満足したならいいんじゃないか」
そんなことを言って、パウルに伴って歩き出した。
「さて、トレントのあの様を見て近衛兵どもは森に集結してることだろう。どさくさに紛れて逃げるぞ。いやロードと合流するべきか……、いや待て、どさくさついでにちょっと寄り道していくか……」
そうぶつぶつと呟く様は、体は疲れ果てて見えるが存外元気そうでもあった。肩貸すか、と一応声をかけたところ、全く遠慮する素振りもなく肩に半身をのしかけてきた。
「やれることはやった……と思うが、はてさて儀礼殿の方は無事なのか……、全貌は分からんな。まあ後でロードから報告を聞くことにしよう。あと少し寄り道に付き合え、近衛兵の警備が薄くなっている隙に見ておきたいところがあってな……」
肩の上で呟くように言うパウルに、「分かったよ」と気だるく返事をする。
戦いの全貌は依然掴めないが、パウルも魔力が切れかかっているし、あれだけの術を起こしたロードだってどうせフラフラになっているだろう。
やれることはやった、と言うパウルの判断に従って、僕もそれ以上事を起こすことを考えることはしない。
僕達の介入がどれほどのことをしたのかもはっきりしないし、結局聖血の儀が成功したのかどうなのかさえ分からない。そんな中、これ以上は何もできないし、と言って帰ろうとしている。
そんな中途半端な任務の結果で、それでも僕の胸はいやに清々しかった。ああ、あの光り輝くトレントの姿に洗われてしまったみたいに。
トレンティア人はあの樹に神の加護が宿っていると信じて生きてきたという。無理もない。それは全ての理屈を越えて、神を見出さざるを得ないほどに美しい光だったから。
その樹が魔力の爆発によって傷つこうとしている時に、パウルは全力をかけてそれを守ろうとした。……無理もない。彼はトレンティア人なのだ。
ズミの地で育った僕が彼らと思いを同じにすることはきっとできない。だけど少しだけ、トレンティア人というものの心が分かったような、そんな気がした。
「監視塔だけじゃなく歩兵も出ている。大通りを避けるぞ」
パウルの短い指示と共に脇道へ逸れる。近衛兵が進軍のために使う主要な路地を彼は把握しているはずだ。当然僕の頭にはそこまでの情報は入っていないので、とにかく道取りは彼に任せて僕はそれを追う。
宿と宿の間をすり抜けるように駆け、大きな路地をひと跨ぎに飛び越え、道とも思えないような資材の上を踏み越え、パウルは迷いなく駆けていく。
広い道を横切る際にはときどき兵士か、それとも敵か、慌ただしく走る人影を時々見たが、闇に紛れて走る僕達を捉える者はいない。途中で、パウルは街灯のある通りをも避けていることに気付いた。
市街戦では地理の明るさが行動の効率に顕著に影響する……、それがここまでかと感心するほどパウルの道選びは見事だった。一見遠回りに思うような道でも躊躇いなく踏み込み、じぐざぐと裏路地を縫って、いつの間にか目的地への方角に戻っている。
普段は闇夜に沈んで見えにくいトレントも、今日はその身に纏った白い霧の衣が浮かび上がっている……、方角の目印にはもってこいだ。
時々トレントの方角を目視していると、その手前に不思議なものを見つけた。ちょうどトレントが纏っている霧の衣のような……、白い煙に似た気体がふわりと浮かんで、そして淡い光を伴って空中でぱっと弾ける。
それはよく目を凝らすと、方角こそ王城の方だが、比較的近い位置の上空で起こっている。
「パウル、あれなんだ」
走りながらそう声をかけると、パウルもそちらを振り向いて立ち止まった。そしてそれを見て数秒息をついていたが、やがて楽しそうな声が返ってきた。
「レイン・クラネルト様からの信号だな。粋なことしやがる」
そして足を向ける方角を切り返し、その信号の元へ駆け出した。既に王城の近くまで来ていた僕達が、そこに辿り着くまでそう苦労はしなかった。
王城の正門へとまっすぐ伸びる正面通りの脇の厩舎に、その貴族はで凛と立っていた。脇には従者が一人控えている様子だ。僕達が近寄ると、彼はよりによって“合言葉”を言う。
「サーシェ、同志との出会いに感謝を」
「アルティヴァ・サーシェ。汝の血路に栄光あれ!」
パウルも元気よくそれに応える。僕は呆れてため息をついてやった。
「ここはレジスタンスじゃないだろ……」
そうわざわざ口を挟んだのは、異国のお家騒動などに動員されてはアルティヴァも迷惑だろうと思ったからだ。ロードはからりと笑った。
「すみません。あなた達だとひと言で分かる声掛けが他に思い付きませんでした。……それで、状況は?」
すぐに表情を冷まして、そう鋭く聞いてくる。同時に、傍らにいた従者に手で「去れ」というような合図をしたようだ。従者はすぐにおどおどとした様子で厩舎の奥へと引っ込んでいった。
「俺もよく分からんが、城下街を例の一派らしい奴が武装して走ってて、それを近衛兵が追ってるようだ。敵も敵でエレアノールとかいうのを追っかけてたみたいだが……、なあ俺の勘違いじゃなきゃ、エレアノールって、あのエレアノールだよな?」
パウルはどこかのんきにも聞こえる声でロードに言う。
ロードは僕達と違って外套も着ず、どうやら上品な貴族の正装のままで来ている。街灯に照らされて顔はよく見えた。不可解そうに眉を寄せている。
「ええ、この状況でエレアノールといえばあのエレアノール様のことだとは思いますが……、先王一派に追われていた? うーん……詳しくは分かりませんが、彼女は先王一派の筆頭と持ち上げられる一方で、具体的な抗議活動などには一貫して関与を否定しています。正直どの程度組織に噛んでいるのか確かなことは分かりません。内輪もめでも起きたのか……」
どうやら彼にも状況はよく分かっていないようだった。内輪もめの読みはパウルと重なっているが……。
「ともかく、こちらで把握しているのは先王一派が蜂起し、近衛兵が鎮圧に向かっているという話だけです。市街にも多くの兵が割かれているようですが、城内でも動きがあります。敵がどこまで入り込んでいるのかは正確には分かりませんが……、あなた達は私と共に城内を見ていただけますか」
ロードはすぐにそう切り替え、正面通りの真ん中を堂々と大股で歩き出した。僕達もそれに続く。
「自ら敵のいる場所へ向かわれるとは……、存外に乗り気ではありませんか、ロード様」
パウルはそう皮肉った声で言った。ロードは振り向きもせず、ふんと強気な息を吐いた。
「武力蜂起までしたのならこれはれっきとしたクーデターです。……私はズミとの外交に集中したいのに、これ以上内政を荒らされてはたまりません。必ず鎮圧してもらいますよ」
そう言ってずんずんと歩いていく彼の前には、何事かと警戒した近衛兵が飛び出してくる。それを彼は一喝して掻き分けていく。
「ロード・レイン・クラネルトだ! 王城に急用だ、道を開けろ!」
当然兵士達は武器や魔法を振るってくることはないが、どよめいて互いに顔を見合わせていた。中から一人の兵士が慌てて出てくる。
「ロード様! 今城内には反逆者の一派が入り込んでいると思われます。危険ですので護衛を……」
「護衛は自分で手配している。あなた達は予定通り持ち場を守っていろ、私には構うな」
そう言い捨てて進むロードと共に、僕達も城へと近付いていく。いやはや、やはり貴族の威厳は便利だなどと思いながら。ロードの後ろにひっついていれば、外套を被って髪を隠していても呼び止められることはなかった。
そうして兵士に囲まれたところから抜けると、道の両脇に立ち並んだ石造りの建物の奥に、城周辺の庭園らしい景色が広がってきた。確かここを北に回り込めばトレントの森へと入るという話だったが……。
「どこへ向かう? 森か?」
僕が短く聞くと、ロードが苦い声を出した。
「いくら私でも、儀式の最中の儀礼殿に近寄ることはできません。当然こっそり侵入なんてのも非現実的です。周辺で敵を捜索するほうが……」
そこでパウルはふいに足を緩め、視界を上に向けたようだ。そこには闇夜に沈むようにして、黒々とした城がそびえ立っている。
「せっかくこんなバカでかい城塞があるんだ。防御塔に上がって高い位置を取りたいね」
その言葉を受けて、ロードも城の方を見上げた。分かりました、とひと言、彼は先導して正面から城の中へと乗り込んでいく。
その大きな門は、夜間であるためか重々しく閉じられている。脇の目立たないところに通用口があったらしく、そこに詰めている門番をまたロードが一喝して中に入る。やがて入り込んだ大広間はひと気もないようで、明かりも少なく、まるで洞窟の中のように暗かった。
大きな空間にそびえる幾本もの柱、壁や梁にかかっているらしい布の刺繍、広い壁に連なる大小様々な扉……、今はトレンティアの王城の内装をじっくりと見ている余裕はない。しかし近衛兵の動きは城の外周部に集中しているのか、中は嘘のように静かだった。
「しかし私とて王城の防御塔に上った経験はありません。道はおおよその予想をもとに探すしか……」
ロードはかつかつと城内を歩きながら言う。やがて広く高い階段を上った先の踊り場から、更にいくつもの上り階段が別方向に分かれている。一度足を止めて、どこへ向かうべきかと迷いを見せた。
「俺はその経験があるがいかんせん大昔だ。記憶違いをしてる可能性が否めん、自信はないがたぶんこっちだ」
パウルがそう言って一本の道を選ぶ。この際ロードも何も言わずにパウルに従った。
「ここだな」
暗中模索に道を探していた様子のパウルも、ある程度進むと確信が持てたらしい。歩く足が速くなり、広い廊下を進んでいたのが石壁の中に入り込むような狭い通路へと食い込んでいく。
しかしその道を進んでいくと、ふいに人の気配にぶつかった。両脇は息苦しく石の壁に挟まれた、二人がなんとかすれ違えるかという狭い通路で……、突然出会った両者はお互いに驚いて目を見開く。
「なんだ、何者だ!」
相手から声をかけてきた。その手に剣を持っている様子を見て、思わず僕も胸元から短剣を抜く。パウルの背中に隠れるようにして壁に身を寄せたロードが、小さく言った。
「……近衛兵ではありません。賊だ」
その言葉が開戦の合図になったようだった。敵もこちらが敵対する者だと確信し、武器を振ってくる。
先頭にいたパウルは咄嗟に両手を前に出して防御魔法を張るが、武器とぶつかった魔法陣から散る火花が眩しく目を焼く。
「こう狭いと魔法が撃ちづらい。ヨハン、前衛頼む! なるべく殺すな!」
その指示を受けて、パウルとロードと、横の石壁の隙間をすり抜け、敵の懐へと飛び込んだ。まるでネズミにでもなったような気分だ。
殺すなというのはなかなか難しい注文だった。見た所全身に鎧を着ている様子はないが、胴体の防具は分厚そうだ。狭い中で武器を封じるため敵の腕を狙う。逆手に持った短剣でちょうど敵の手首の肉を切り裂いた。
敵が怯んで武器を取り落とした隙に、あとはみぞおちに思い切り拳を叩き込む。なんとか敵は体をもつれさせて倒れ込んできた。壁に押し付けるようにそれを押しのけて、自分が前に踏み込む道を作る。
真っ直ぐ前へ……、やがて現れた狭い階段の上に、同じような男がまたいるのを見つけた。……弓矢を持って来ればよかった。
こちらを視認した敵は、すぐに階段の上から攻勢に出てきた。通路いっぱいに広がる魔法陣……、ソル・サークルだ。
「パウル!」
僕は言葉にもせず、ただ名前を叫んでその場に踏みとどまった。すぐ後ろにいたパウルの胸に背中を預けるようにして……、そしてパウルはそんな僕の肩の上から両腕を前に出して魔法陣を張る。
次の瞬間には僕の目の前で、魔術同士がぶつかってまた激しい火花を散らす。びりびりと肌に伝わってくる熱に、しかし目を背けず、そのタイミングを確実に見計らう。魔術がぶつかり終わって空中の火が消えた瞬間、前へ。
弾丸のように飛び出した僕を前に、相手もすぐに次の攻撃には移れなかったようだ。狭い通路、正面からの斬りかかり、大きく振りかぶるだけの広さはない、短剣を振るべき道筋が……分からない。
くそっ、と胸の内で呟いたが最後、僕の手はただ直感的に相手の急所を狙って刺突に出た。ずしりとした感触の後、返り血が顔面に降り掛かってくる。
「すまん、殺した」
そう呟くように言って、喉元を突かれた男の死体を脇に転がした。パウルからは舌打ちが返ってきただけだった。
それを乗り越えると、壁についた扉が開け放されている様子があった。その奥に人影があるのを確かめて、迷いなく扉をくぐる。途端に外の空気……、深く沈んだ夜空が目前に広がる。
どうやら城の外周を覆っている城壁の上に出たらしく、壁の向こうには王都の町並みが見渡せた。
そんな壁上の広間に、敵らしい者が三人ほど、何か地面に蹲って魔術の準備をしているようだった。僕達の姿に気付き、すぐにはっとして立ち上がる。
外に出れば魔法を遠慮する理由もない。僕は武器の構えだけをとって、背後から近付くパウルの魔力の気配に後を任せた。
パウルの魔術によって放たれた火の玉は奥にいる一人だけを狙い撃ちにした。それを見てから、僕は手前にいる者の相手をする。相手は突然の襲来に戸惑っていたようで、腹に一発蹴りを入れてから上にのしかかり、腕の関節を突き刺してやるのにそう苦労はしなかった。
傍らを見ると、既に残りの二人はパウルの火の玉を食らってもんどりうってる様子だ。火傷を負ったとしてもまだ動く可能性がある……しかしパウルはそれを捨て置いてさっさと壁伝いに別の道を行こうとするではないか。
仕方なくその二人にも僕が襲いかかり、確実に短剣で腕を封じておく。
「お前、余裕があるなら自分でとどめまでしろよ。全部僕にやらせやがって……」
そう愚痴を言いながら、歩き出したパウルを小走りで追う。パウルはからからと笑った。
「けちくさい事言うなよ、お前のこと信頼してるってことさ」
僕は荒っぽくため息をついた。まったく、一体何のために剣を提げてるのかと……、恨めしげに視線を向けた彼の腰には、やはりいつものごとく魔剣が携えられている。
「俺、剣の腕はほんと下手なんだよ。だから恥ずかしいからさ」
そう言って腰の鞘を庇っていた。そんな僕達を少し後ろから眺めて、ロードがくすりと笑ったのが分かった。
のんびりとしている時間もない。パウルは城の体に添って、壁伝いにかけていく。僕達が壁上に出た方角はちょうどトレントの反対側だ。壁を回って後ろへ進めば、その樹の姿が間近に迫ってくるのが分かった。
壁の上から市街の様子を見ると、城下街の中にはちらちらと魔法の光らしいものが見えた。ぱっと見た限りではそこまで大きな争いになっている様子はなさそうだが……。
その時また、奇妙な音を体が拾う。リンと、小さな鐘がなるような、体の底に響いてくる波動。その微かな不快感は、恐らく戦闘中だと気に留める余裕もなさそうだ。もしかすると今までも何度かあったのかもしれない。
「……トレントの魔力が揺れている。儀式に利用してるのか……? いや、分からんな……」
パウルはそう呟いた。何を目指しているのか、とにかく彼はどんどん奥へ……、トレントの方角へと進んでいく。やがて城をぐるりと回り込んでその背後、聖樹の体がすぐ目前に見える場所へ出る。
下を見下ろすと青々とした森林、その手前にはまだ何枚かの城壁が挟まっている……、そのうちの一番奥側に、光っているものを見つけた。
「あれは」
僕が言うのと、パウル達もそれを視認するのはほとんど同時だった。ここからは壁を一枚隔てて向こう側、東側……つまりトレントの方角へと出っ張った城壁の広間に、大きな魔法陣の光が浮かび上がっている。そしてその中央と周辺には人影、ここからでは跳んでいくことも到底できそうにない距離だ。
「おいおいおい、あんなとこまで入りこまれてるなんて近衛兵は無能か?」
パウルはそんな素っ頓狂な声を上げてそちらを見やった。ロードも真剣な顔で目を細めている。
「あれは何の魔術ですか」
「遠目からじゃ分からんが、でかい魔術だろうな。それに場所が悪い……、いや、トレントの魔力を吸ってやがるのか……、だいぶ具合が悪いぞ。おいロード、魔法陣用の墨持ってるか?」
「……持ってますけど、あなたは持ってないんですか……」
「俺はソルに頼りっきりでな……、いいから書け。この距離からあれをぶっ潰すには相当の魔力が必要だ。お前じゃないと無理だ」
パウルとロードは焦った様子で言葉を交わす。ロードはぐっと眉を寄せた。
「私にやれと? 無茶な、雨も降っていないのに……」
そう言い返した目前で、パウルがすっと空を指さした。その指が言わんとすることを、すぐにロードは悟る。
ハッとしてそちらを見上げた、その視線の先には闇夜に沈むトレント……、そしてそれを覆う白い霧の衣が広がっている。
「雨がなくても霧がある。既にこの距離、この空気中の水分に自分の魔力が漲っているのは分かるだろ。……お前ならできる、ラファエル・ロード」
その重々しい言葉を受けて、ロードがごくりと唾を飲み込んだのが分かった。迷っている時間は数秒、すぐに彼は意を決したように頷いた。
そして腰の後ろにあった小物入れから手の平に収まる程度の小さな壺と筆を取り出した。壺の中から掬った墨で、その場の石の床の上に大きな円を書き始める。
「術式の部分は補佐してやる。……エリク、ルーン……、そうだ、術は魔力の破壊でいい、ありったけの強化術式を書き込め。血門の関はセルトの後に入れろ。……保護術を忘れるな」
パウルも一緒に屈み込み、書き込む魔道文字を指示する。ロードの顔は緊張に張り詰め、いつもの余裕ぶった貴公子の様子は既にない。
「ここまで強化術を入れると、周りを巻き込みますよ」
「構わん、術が成れば俺達は離れる。万一波動に巻き込まれても俺は俺の魔術で身を守る。相手はトレントの魔力も載せてやがる、手加減してる余裕はない」
「……分かりました。後は上手くやってくださいね、レーン」
ロードの真剣な声が言う。やがて多くの文字を書き込んだ魔法陣が完成した。魔術師達の戦いを前に、僕は……、話を聞く限りでは、後は逃げることぐらいしかできなさそうだ。
ロードは魔法陣の真ん中に立ち、自分の胸元に両手を当てて、祈り始めた。
「慈愛深きレインよ、汝が子の祈りを聞きたまえ。ラファエル・ロード・レイン・クラネルトより汝が聖血を捧ぐ。汝に仇なす者に怒りを、汝に祈る者に慈しみを……」
その声に呼応して、黒い線の魔法陣に青白い光が浮かび出す。その術式に血が巡るように魔力が流れていく、その感触が僕にも分かった。
空気中に浮いていた彼の魔力も繋がり、連鎖し、それはまるで雷撃のような細い光を宙に漂わせ始めた。腹の底からぞくりとこみ上げてくる、魔力のうねり。大きな魔術が起ころうとしている……。
「逃げるぞヨハン」
術式に魔力が巡ったのを確かめたのだろう、パウルは短く言って走り出した。それに続いて僕も、来た道を引き返して城の正面側へと回っていく。
途中、来る時は無視してきた上り梯子がかかっているところでパウルは足を止めた。
「上登ろう。確かこっちから中へ入れば南の勝手口に近かった気がする」
あやふやな物言いだが、当然僕が口を出せることではない。いそいそと梯子を登り始めた彼に黙って続く。一段上の城壁に登り、また壁沿いに南へ駆けていく。やがて城内に入る入口を見つけて中へ入った。
城の中に入ると、おそらく貴族たちが過ごすのだろう優雅な調度品が並んだ広間にすぐに出た。そこからトレントの雄大な姿を眺めるのだろうか、壁に格子状の硝子窓が広くはめ込まれ、その脇の扉の奥には小洒落たテーブルがいくつも並んだベランダのような空間が広がっている。
その横を通り過ぎる時に、ずしんと地面が揺れた。思わずその場で踏ん張る。ぞわぞわと背中を走っていく魔力の感覚はおぞましいほどだ。
思わず呻いた僕を振り向いて、パウルが不安そうな顔で手を差し出してくる。
「ヨハン、大丈夫……」
そう言いかけた矢先にまた揺れた。背中から頭へ、魔力のうねりが駆け抜けて激しい目眩が起きる。その場で立っているのも苦しいほどだ。
……魔力の制御を、体の中に一定に……、そんな思考が途切れ途切れに浮かぶが、集中力はなかなかに定まらない。縋るように目を見開いた先では、同じように苦しげに頭を押さえているパウルの姿があった。
「……これ、まずい……。この魔力の衝突は……、たぶん結界と干渉しあってるな……。ヨハン、落ち着いて息を整えろ。大丈夫だ、血は飛び出したりしないから、自分の肉体が世界から切り離されていることを意識しろ。呑まれるな!」
パウルの怒鳴るような声が頭の中に刺さってくる。体の中の力が空気中に溶け出して破裂してしまいそうなその感覚を、その言葉を頼りに手繰り寄せる。
深呼吸をして、世界から体を切り離す。自他が曖昧になっていくような世界から、確かな己を……。僕の名前はヨン……、ズミのレジスタンスだ、トレンティアの魔術などに呑まれてたまるか、と。
ようやく体内の魔力が安定していくのを感じて、僕はゆっくりと足を進める。一度自分の足で立てば、急速にその目眩は落ち着いていった。
しかしハッとして前を見ると、パウルは全然違う表情を浮かべていた。
彼の見開いた目が見ているのは大きな硝子窓の向こう……、そこに聳えるトレントの姿。纏った霧の衣は何かの魔術に巻き込まれているのだろう、青白い光の群に輝いていた。
まるで雪の積もった景色に太陽が差したような、星空を散りばめて輝かせたような……、得も言えぬ、ただ美しい景色。その中で時々に激しく、雷撃とも火の粉ともつかない衝突が獣のように走っていく。
パウルはそれを呆けた顔で見つめ、まるで吸い込まれるようにしてゆっくりと硝子窓へ歩み寄った。
「パウル! どうした、しっかりしろ!」
僕が声をかけると、ハッとして彼は振り向いた。緊張とも恐怖ともつかない、張り詰めた表情で……。やがて僕を見つめて、ぎっと視線を強めた。そこに浮かんだ色は……、苦痛。
「トレントを覆う結界と、敵の魔術とロードの魔術とが混ざり合って衝突している。……結界は強力だ、外まで影響は及ばないだろうが……、結界の内部にとんでもない爆発が起こる可能性が……いやこのままだと確実に起こる」
そう語った言葉を聞いてぞくりとする。大爆発が起きると、それだけは分かった。
「ここだと危険か? どこか身を隠す場所を……」
そう言いかけたが、パウルは硝子窓に張り付いたまま動く様子はなかった。
「いや……、爆発が起こるのは結界の中だ、ここまでは……せいぜい爆風がきて窓が割れるぐらいだろう。だが、トレントが……」
苦しそうに言う彼の意図が、分からなかった。硝子が割れるなら早くそこから離れろ、と言おうかとも思ったが、何かが違う。トレントが……何だって?
パウルは苦しそうに言葉を選んでいたが、やがて意を決したようにこちらを振り向き、力強い表情を浮かべた。
「すまん、ヨハン。やっぱり放って逃げるなんて無理だ。俺はこの衝突を止める」
そう言ったかと思うと、横にあった扉を潜ってベランダへと乗り出した。わけもわからずそれを見届けて、僕は他にどうしようもなくそれを追った。
「止めるって何をするんだ、危険はないのか?」
尋ねる声には思わず焦りが混じる。パウルは僕に背を向け、正面に光り輝くトレントを置いてそこに力強く立っていた。
「危険は……、たぶん無いが、もし俺がまた貧血になってぶっ倒れたら搬送を頼む」
そんなことを言った声は淡白だった。ああ、なんて呆れた声が僕の胸の内だけで起こった。何がなんだかは分からないが、こいつが相当な無茶をするつもりだということだけは分かった。
……僕はただ、見ていることしかできない。
パウルも、ロードと同じように自分の胸に両手を当てる。魔法陣を書いたわけでもない、素手での魔術で……、一体何をするつもりだというのか。その顔は上を……、輝きに満ちるトレントの姿をすっと見上げ、その唇が祈りの言葉を紡ぎ出す。
「神聖なるトレント、汝が子の祈りを聞け。汝が血を正しく継ぐ我が名を聞け。パウル・イグノール・トレント・エルフィンズ、今父なる空のもとへ、母なる大地の上へ帰り来た汝が子の願いを聞け! ……頼むから、もうこれ以上傷つくな……!」
それは、祈りというよりも悲痛な叫びだった。それに応えた魔力が、パウルの体を金色の光で眩く包む。
そしてその祈りを、きっとトレントも聞き届けたのだろうか。そんな風にさえ思う光景……、トレントのその巨大な幹が、淡く光り始めた。
すぐに根本の方から波がうねるように金色の輝きが立ち昇り、霧の中に走っていた激しい雷撃と混ざり合っていく。
闇夜に沈んでいた雄大な幹も、夜空を覆うように広がる広大な葉も全てが白い光を纏ってそこに浮かび上がる、その上から光の粒を無数に散りばめた金色の波が幾重にもうねる、その波が駆け上がる度に鼓動のような魔力の波動を放つ、それが見ている僕の胸の中にまで伝わってくるようだった。
そしてその上を更に覆う霧の衣は青白い瞬きを迸らせ、その空気の流れを泳ぐように、魔力の光の筋が走り、巡り、混ざり合ってまた弾けるように光を連ならせる。
夜空を背景にしたその輝きの群れ、それに覆われる雄大な聖樹、その景色を見て僕は息さえも忘れていた。その瞬間に……本当に、それ以外の何もかもが頭の中から消えていた。次第に、何故かアルバートから聞いた言葉が強烈に脳裏に蘇っていた。
――僕達はここに……優しい神様の加護が宿っていると信じている。君も信じてくれたら嬉しいな……と、語っていた。
その聖樹は確かに、ひたすらに神々しい輝きを放ち、この街の全部へと振りまいていただろう。そのすぐ麓にいる僕を、そしてその祈りの中で命を削っている魔術師のことをも見下ろして……しかし、樹は物を言うこともない。
光に包まれてパウルは堂々と立っている。その両手は真っ直ぐトレントへ差し出されている。
彼が紡いだ祈りの言葉を、やっぱり僕が理解することはない。だけど祈りというのはそういうものなのかもしれない。理屈を超えた神秘が確かにそこに宿っていると、否応もなく確信させられるような、そんなもの。
そこにいるのは確かに、トレントに神を見て生きてきた、その民のうちの一人だった。そして僕は彼の後ろに立って、目の前に広がる景色の全てに……ただただ圧倒されていた。
そんな時間がどれほど続いただろうか、それさえ分からなくなるような幻想の一時。僕を我に返したのは、その体からすうと光が消えていくパウルの姿だった。
はたと視線をやると、そのまま糸が切れたように、後ろに倒れてくるではないか。
慌てて後ろからその体を抱きとめた。何の力も込められていないその体がずしりとのしかかってくる。
「パウル」
名前を呼ぶと、まるで眠っているように安らかに閉じられていた目がうっすらと開いた。
「……あ、気絶してた。トレントは無事か……?」
そんな心配をする言葉を聞いて僕はトレントの方に視線を向けるが、眩いばかりの光に包まれて美しく佇んでいる……、そのこと以外は何もわからない。
パウルは自分の目を手で押さえながら、自虐っぽく笑った。
「はっ……、やっぱ俺もトレンティア人だなあ。この体に流れる血ばっかりは変えられねえや」
そう言って彼はゆっくりと、重たそうに体を起こした。自分で歩ける体力は残っているようだ。僕はなおも、神々しいトレントの姿に釘付けになっていた。
思いを振り切るように、僕は目を瞑って顔を背けた。トレントが大爆発を起こしている様子は無い。そこから体の中に響いてくる魔力の波を拾っても、落ち着いているように感じた。
それをパウルも感じ取ったのだろう、彼はゆっくりと歩きながら大きな息をついた。
「なんとか中和はできたようだ。……すまんなヨハン、付き合わせちまって。どのみち俺の魔力がもう限界だ、帰ろう」
僕は曖昧に頷く。
「まあ、満足したならいいんじゃないか」
そんなことを言って、パウルに伴って歩き出した。
「さて、トレントのあの様を見て近衛兵どもは森に集結してることだろう。どさくさに紛れて逃げるぞ。いやロードと合流するべきか……、いや待て、どさくさついでにちょっと寄り道していくか……」
そうぶつぶつと呟く様は、体は疲れ果てて見えるが存外元気そうでもあった。肩貸すか、と一応声をかけたところ、全く遠慮する素振りもなく肩に半身をのしかけてきた。
「やれることはやった……と思うが、はてさて儀礼殿の方は無事なのか……、全貌は分からんな。まあ後でロードから報告を聞くことにしよう。あと少し寄り道に付き合え、近衛兵の警備が薄くなっている隙に見ておきたいところがあってな……」
肩の上で呟くように言うパウルに、「分かったよ」と気だるく返事をする。
戦いの全貌は依然掴めないが、パウルも魔力が切れかかっているし、あれだけの術を起こしたロードだってどうせフラフラになっているだろう。
やれることはやった、と言うパウルの判断に従って、僕もそれ以上事を起こすことを考えることはしない。
僕達の介入がどれほどのことをしたのかもはっきりしないし、結局聖血の儀が成功したのかどうなのかさえ分からない。そんな中、これ以上は何もできないし、と言って帰ろうとしている。
そんな中途半端な任務の結果で、それでも僕の胸はいやに清々しかった。ああ、あの光り輝くトレントの姿に洗われてしまったみたいに。
トレンティア人はあの樹に神の加護が宿っていると信じて生きてきたという。無理もない。それは全ての理屈を越えて、神を見出さざるを得ないほどに美しい光だったから。
その樹が魔力の爆発によって傷つこうとしている時に、パウルは全力をかけてそれを守ろうとした。……無理もない。彼はトレンティア人なのだ。
ズミの地で育った僕が彼らと思いを同じにすることはきっとできない。だけど少しだけ、トレンティア人というものの心が分かったような、そんな気がした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
最弱パーティのナイト・ガイ
フランジュ
ファンタジー
"ファンタジー × バトル × サスペンス"
数百年前、六大英雄と呼ばれる強者達の戦いによって魔王は倒された。
だが魔王の置き土産とも言うべき魔物達は今もなお生き続ける。
ガイ・ガラードと妹のメイアは行方不明になっている兄を探すため旅に出た。
そんな中、ガイはある青年と出会う。
青年の名はクロード。
それは六大英雄の一人と同じ名前だった。
魔王が倒されたはずの世界は、なぜか平和ではない。
このクロードの出会いによって"世界の真実"と"六大英雄"の秘密が明かされていく。
ある章のラストから急激に展開が一変する考察型ファンタジー。
時き継幻想フララジカ
日奈 うさぎ
ファンタジー
少年はひたすら逃げた。突如変わり果てた街で、死を振り撒く異形から。そして逃げた先に待っていたのは絶望では無く、一振りの希望――魔剣――だった。 逃げた先で出会った大男からその希望を託された時、特別ではなかった少年の運命は世界の命運を懸ける程に大きくなっていく。
なれば〝ヒト〟よ知れ、少年の掴む世界の運命を。
銘無き少年は今より、現想神話を紡ぐ英雄とならん。
時き継幻想(ときつげんそう)フララジカ―――世界は緩やかに混ざり合う。
【概要】
主人公・藤咲勇が少女・田中茶奈と出会い、更に多くの人々とも心を交わして成長し、世界を救うまでに至る現代ファンタジー群像劇です。
現代を舞台にしながらも出てくる新しい現象や文化を彼等の目を通してご覧ください。
アガルタ・クライシス ―接点―
来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。
九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。
同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。
不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。
古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。
無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~
ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。
玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。
「きゅう、痩せたか?それに元気もない」
ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。
だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。
「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」
この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
『召喚ニートの異世界草原記』
KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。
ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。
剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。
――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。
面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。
そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。
「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。
昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。
……だから、今度は俺が――。
現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。
少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。
引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。
※こんな物も召喚して欲しいなって
言うのがあればリクエストして下さい。
出せるか分かりませんがやってみます。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる